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呪願の代償 第三章 ほどよく腐ったか 5

 かつて香弥子が住んでいた家は、箕形第一小学校の学区内で、久世家からそう遠くない場所にあった。

「楽勝じゃねーか」

 いったん家に戻り、黒いスーツに着替え、竹簡を風呂敷に包むと、現在は借家になっている香弥子の家へ、徒歩で向かった。

 耀がよく遊んでいた公園の前を過ぎ、五分もしないうちに目的の借家に着いた。

 外から見た感じでは、相当に古い。とは言っても、戦前から建っているとは思えないので、一度建て替えてはいるのだろう。そうなると、井戸が現存しているか謎である。

 穴開きブロックの塀が、入り口の左右にある。昔は綺麗に刈られていただろう低木は、今は伸び放題に荒れている。庭も同じく、雑草だらけで草刈りもしたことがなさそうだ。

 玄関戸は、古い立て付けの引き戸だ。模様入りの磨りガラスがはめ込まれている。空の植木鉢や日に焼けたプラスチックのごみが家の脇に重ねられていて、人が住んでいるのか、そうでないかも一見分からない。

 匠は、借家をより詳しく調べるために、敷地内に勝手に入っていった。右手の庭は日常的に使われているのか、物干し竿が掛けられたスペースが設けてあった。赤ん坊を捨てたという井戸はなさそうだ。

 左手は雑草がぼうぼうと生えている。見通しが悪いので、行きたくはないが分け入って確認しなければいけないようだった。

 不法侵入になることも気にせず、とにかく怪異を除霊するという名目のために、前に進んだ。

 裏庭に入ると、奥に手押しポンプが見えた。緑色のペンキが錆びて剥がれた古いものだ。丸い石板がその脇に見える。

 あれが赤ん坊と子供の死体を捨てた井戸だろう。聞くだけで悍ましい。今でも血の匂いがしそうだ。だが、井戸で死んだ赤ん坊の霊も怪異に力を与えている可能性がある。光一郎なら、関係するかもと思ったものは全て除霊するだろう。

 大義のために遠慮なく、匠は井戸に近づいていった。家の中も確かめたいが、さすがにそれはやり過ぎだと思い、勝手に入ることは諦めた。今は井戸だけで我慢しておこうと考えた。

 草をかき分けて井戸に近づいていく。

 丸い石蓋がされていて、重そうだ。子供には無理だろうが、大人の男ならなんとかなるかも知れない。匠は石蓋に手を掛けて、持ち上げようとした。

 持ち上げるには重すぎて、今度は縁を押して蓋をずらしてみることにした。

「ふん」

 腹に力を込めて足を踏ん張り押してみた。

 ズズズ

 と石臼を回すような音がして、蓋が少し動いた。

 いけるな

 匠はそう判断すると、さらに力を込めた。

「優しいおじさん?」

 不意に声を掛けられて、匠は慌てて井戸から離れた。振り返ると、見覚えのある子供が立っていた。

 小さいのかサイズのあってない、薄汚れたピンク色の長袖Tシャツにチェック柄のズボン。髪はボサボサで、だらしがない。そして、公園では気付かなかったが、異様に痩せている。それでも、顔は公園で耀と遊んでいたすずにそっくりだ。

 学校から帰って来たばかりなのか、大きな赤いランドセルを背負っている。

 何故、匠を「優しいおじさん」と呼んだのか分からないが、警戒してないのは良いことだと思い、話を合わせることにした。

「あ、ああ。久しぶりだね、すずちゃん」

 すると、すずが不思議そうに頭を傾けた。

「昨日、公園でお話ししたよ?」

「あ、そうだったね。今日はすずちゃんに会いたくて家に来たんだ」

 腑に落ちない表情で、すずが匠を見つめる。

「おじさん、すずちゃんに悪い霊が憑いているのが気になって、つい、来ちゃったんだ」

「悪い霊?」

「そう。怖い幽霊だよ。こっちに来たら、除霊してあげるから」

 すると、すずの表情が曇った。

 まずい、逃げられる

 匠は慌てて、たばこの釣り銭を放り込んだ右ポケットを探った。硬貨を右手に取ると、すずに向かって手のひらを広げて見せた。

 急にすずの顔が強ばった。

 硬貨を見ていない。

 すずの視線が匠の背後に向けられた後、匠と背後を交互に見つめていた。

「怖くないよ」

 匠がそう言って近づくと、すずは弾かれるように走って逃げてしまった。

「すずちゃん!」

 何に驚いたのかは分からなかった。自分が何に失敗してしまったのかも分からない。手に握った五百円硬貨を見る。すずにとって、五百円は少なすぎたのか。

 何にせよ、怪異に取り憑かれた子供だ。竹簡の力に気付いて逃げたのかもしれない。

 匠は気を取り直して、井戸に向き直った。ずらしている途中だったから、開け切った上で、井戸に放り込まれた赤ん坊の霊を鎮めようと思った。

 もう一度、石蓋に手を掛けて、思い切り押した。

 少しずつ、石蓋がずれていく。もう少しで、井戸の中が見えるくらいの隙間が出来そうだと思った時、背後にある窓が開かれた。

「誰だ!」

 男の声だ。

 匠は驚いて振り返り、夏生を見た。

 やばい

 匠の背中に冷や汗が垂れる。心臓が握り閉められるように縮んだ。

「何してる!」

 何も、と答えようとしたが声が出なかった。

「人の家で何してるかって聞いてんだよ! 出て行け!」

 夏生のどこか狂気じみた表情を見て、匠は慌てて草をかき分けて敷地から飛び出した。

 しばらく走り、誰も追いかけてこないことを確認してから、速度を落として足を止めた。

 あの家は何かおかしい。

 子供にしても、おそらく父親にしても、異常に思えた。

 怪異に取り憑かれたすずという少女と、赤ん坊の霊で淀んでいるだろう井戸が、あの家の住人を狂わせているのだと、匠は推測した。

 一刻を争う事態なのかもしれない。

 右手の中にある風呂敷を、見つめる。この中に最強の武器が入っている。たとえ自分に光一郎の力がなくても、この竹簡があれば、たいていの怪異を払うことは可能だ。

 九割の嘘はこの怪異にはない。これは残り一割の説明出来ない何かなのだ。気をしっかり持たなければ、光一郎と同じ結末を迎えるだろう。

 すずに憑いた怪異は手強い。だから隙を突いて祓うしかないだろう。

 すずは匠をもう見知ってしまった。だから、正攻法ですずを捕まえることは無理だった。それにあの怪異が全力で抵抗するだろう。

 すずはいつも公園にいる。公園を張っていれば、いつかすず一人になる機会が来る。そのときしか、怪異の除霊はできないだろう。

 厄介なのは呪物のラムネ瓶だ。あれを奪って壊してから、すずが弱ったところを除霊すればいい。

 除霊が済んだら、救急車を呼んで立ち去る。あの公園はいつも無人だ。里花が以前、回覧板に、不審者が出るので遊ばないようにと注意を促されている、と言っていた。好都合だと思った。不審者のおかげで、すずの除霊をスムーズにおこなえる。

 匠は、いったん出直して、計画を練ることにした。

#創作大賞2025 #ホラー小説部門

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