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屍喰い蝶の島 三月二十一日 ②

 港の前に並ぶ店の一軒が民宿かんべだった。二階建ての小さな民宿だ。

 一階は食堂になっているようだ。夜須は民宿の引き戸を開けて、中に入っていった。

 朝の時間だったが、客はそれなりに入っており、おそらく夜釣りから帰ってきた連中なのだろう。

 店内で、おかみさんらしき中年女性がせわしく動き回っている。夜須を認めると、大きな声で、「いらっしゃい、好きなところに座って」と声をかけてきた。

「あの、電話した夜須ですが」

 間髪入れず、おかみさんがこっちに来いというふうに手招いた。そばに寄っていくと、「民宿の方に上がってちょうだい。おばあちゃんが従業員部屋で待っちゅーき」と言われた。

 案内もなく、夜須が土間で靴を脱いで上がり込む。背後からおかみさんの声が、「やっちゃーん! おばあちゃんにお客様!」と呼ぶのを聞いた。

「はいはい」

 おかみさんと同じくらいの女性が階段を下りてくる。

「こっちこっち。おばあちゃん、階段下の部屋におるき」

 そう言って、二階に上がる階段の下方を指さした。見てみると、確かにふすまがある。夜須は掃除されて埃一つない廊下を渡って、ふすまに手をかけて、ひと声かけるとガタガタとふすまを軋ませた。重たいふすまを全開にすると、ちゃぶ台の前に背の曲がった小さな老婆が一人でお茶を飲んでいた。

「おはようございます」

 夜須の声に老婆は頭を下げる。

「どうもどうも。おはようさま。よう来られた」

 部屋には鴨居に何着か上着が掛けられて、棚と小さな冷蔵庫が置かれている。だいたい六畳ほどの部屋だ。茶色く照るちゃぶ台は年季が入っている。ざぶとんが部屋の隅に無造作に重ねて置いてあった。ちゃぶ台の前にざぶとんは置かれていなかったので、一枚取ってちゃぶ台の前に置き、その上に座り込んだ。

「今日はお時間いただいてありがとうございます……」

 夜須は軽く会釈して礼を言った。

 老婆が台の上にあるポットを、夜須へと手で押しやる。おそらく勝手に入れて茶を飲めと言うことなのだろう。それに、誰も部屋に来ないところを見ると、二人だけで話を聞けと言うことなのか。

 老婆は茶を飲みながらちゃっちゃっと舌を鳴らし、口の中をもごもごと動かしている。

「何の話を聞きに来たがか? うちの昔話を聞きたいやらぁて珍しいことや」

「はい、神主さんから教えていただきまして」

「あー……、それでどんな話を聞きたいか?」

 夜須はメモしておいた手帳を取り出して、上から順に訊ねた。

「シジキチョウに関する昔話があれば聞きたいです」

「あー、シジキチョウやか。あれはひるこさんに群がって肉をすする蝶ぜよ。昔話言うても、鯨の腹の中から現れた女を祀ったら出てきた蝶やき。おかげさまで島は飢えんようなったけど」

「いつの話ですか」

「さてねぇ、こじゃんとずいぶん昔のことぜよ。女を女神として祀らざったら、酷い目に遭うちょったかも知れんし、祠を作って良かった」

「シジキチョウはやっぱり碧の洞窟にしかいないんですか?」

 老婆が首を振った。

「シジキチョウは曾祖父ひいじいさんが穴を塞がざったら、神部山にも出たろうね」

「穴?」

「鍾乳洞に繋がっちゅー穴や。曾祖父さんが、良うないものがやってくるき不吉や言うて穴を塞いでしもうたき、神部山には出んなった」

 老婆は間延びした声で、思い出しながら話しているようだ。時々黙ってしまうので苛ついてしまう。

「良くないものって何ですか」

「さぁ、なんやったかなぁ。やけんどなぁ、胴塚は曾祖父さんが御先様の祟りを収めよう思うて、新しゅうしたんちや」

 なんだか怪しげな記憶だが、相当な長寿の老婆であるのが分かるだけに、ぼけていても仕方ないのかもしれない。しかも、これだけ年を取っていても、シジキチョウの昔話は聞いたことがないようだ。

「志々岐島の和田津はまっこと昔から志々岐島に住んじゅー。源平合戦で落ち延びた平家がこの島に居着いて子供を残いたき、和田津の人間はみんな、平家の血を継いじゅーんや」

 夜須はそれを聞いて内心うんざりした。交野と同じことを言っている。交野に至っては自分の家系こそが平家の子孫だと言っている始末だ。

「清盛さんの落とし胤がうちらの先祖なんや。大浦は流刑地で罪人の子孫やき、うちらとは違う。やけんど、平家の首を出さんと村がのうなってしまうき、仕方のう源氏に落とし胤の首を渡いたんや。さっきの話で鍾乳洞の入り口を塞いだと話したろう。その塞いだ穴の近くに首が浮いて出るき、昔はそこに首塚があった。今はどこに行ったか……。首が上がるきこうべ山言うがよ」

 放っておいたらずっと自慢話に終始するのではないか、と夜須は苛ついた。わざと話の腰を折ろうと、

「じゃあ、曾祖父さんの時代にシジキチョウは神部山にも出た? 首が神部山に上がるなら、胴体はどこに上がったんですか。やっぱり碧の洞窟ですか」

「そうや、碧の洞窟に上がった。昔は神部山側から中に入れたき、いちいち海側から入らいでも良かった」

 話したいことを話し終わったのか、もごもごと口を動かして老婆は黙った。

 ふすまが開いて、おかみさんが入ってきた。

「昔話は聞けた? おばあちゃん、最近は思い出いたことしか話さんきねぇ」

「シジキチョウのことを聞きたかったんですが……。碧の洞窟以外で見たことはあるか訊ねたんです。そうしたら昔は神部山にも出たと」

 すると、おかみさんが、何か思い出したようだ。

「そういうたら、去年は胴塚の周りにも出たぜよ! 思い出いた。去年はシジキチョウ目当ての観光客がたくさん来たぜよ」

「一年前にも水死体が?」

 水死体が碧の洞窟の外に上がったのだろうか。

「いいや、去年は水死体が上がらざったんちや。不思議でねぇ」

 夜須は首をひねった。水死体がないのにシジキチョウは何を食べたのか。

「今までとは何かが違ったんですかね」

「一年前というと、帰ってきた思うた矢先に惣領屋敷の雅洋がおらんなったねぇ。黙ってまた島からなんちゃあ言わんで出て行くらぁてねぇ。この村におっても観光業しかないきかねぇ……」

 それを聞いて、夜須は驚いた。交野は屋敷に戻ってきている。

「戻ってきてますよ。わたしは彼に呼ばれてこの島に来たんだし。妹の揚羽さんと一緒に屋敷にいますよ。揚羽さんは子供も連れていたし」

 すると、おかみさんは目を大きくして黙る。居眠りをしていると思っていた老婆が、不思議そうに言う。

「いいや、雅洋に妹なんちょらん。雅洋は一人息子や。子供がおるがなら、その揚羽とか言う人は、雅洋の嫁さんやないのかね。雅洋の親が今も元気やったら、嫁さんを連れて帰ったら喜んやろうにねぇ」

 それを聞いて、夜須は反論しようとしてやめた。

 あれだけ夜須に媚びて付きまとい、自分の気持ちに気付いてほしいとふざけたことを言っていたのに、嫁と子供がいるだと、と次第に腹が立ってきた。しかも自分の女を妹と言って夜須に嘘をついた。あれだけ夜須に好きだと言っておきながら、結局は女を選んで子供まで作った。

 夜須は別に交野のことを好ましく思っているわけでもないのに、交野の心が自分から離れたと思うと、裏切られたような感情がふつふつと湧いてきた。

 交野を問い詰めて、自分を騙したことを謝らせてやる、と憎しみに似た感情に支配される。

 一体どういうつもりで、蝶の話をして夜須を志々岐島に呼び寄せたのだろうか。交野を振った夜須に自分が幸せだと見せびらかすためか。そのためだけに子供まで作ったのか。馬鹿な男だ。夜須は交野ごときに腹を立てるのが惜しくなって、冷静になろうと努めた。

 これ以上、かんべにいても収穫はない。ここに来て損をしたどころか、思いも寄らない事実を知らされて、思わず取り乱すところだった。

「お話をありがとうございました。わたしはこれで失礼します」

 夜須におかみさんが何やらいろいろと話しかけていたが、夜須の耳には入らなかった。

#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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