呪願の代償 第一章 除霊師 2
ちょうどその時、玄関のドアが開く音がした。
匠が廊下の奥から玄関を覗くと、耀が帰ってきたところだった。傘を持って学校に行かなかったのか、ずぶ濡れだった。無言で靴を脱ぎ、元気がなさそうに、リビングへ向かう耀を、匠は呼び止めた。
「おかえり、耀。ずぶ濡れじゃないか。風呂場で頭を乾かそう」
急に声を掛けられて驚いた顔で、耀が顔を上げる。
「ただいま」
消え入るような声音で答えた。
風呂場に息子を連れていき、ランドセルを下ろす。ふと気付くと、耀が右手にラムネ瓶を持っている。もう飲んでしまったのか、空っぽだった。
耀の髪の水気をタオルで拭きながら、匠は耀が握り締めているラムネ瓶を見た。瓶の内側が灰色に薄汚れて、元々の透明感が失われている。
「それ、捨てないのか? 俺が捨ててやろうか?」
と、手を差し出すと、耀がひしとラムネ瓶を胸に抱いた。
「いい」
いつもの耀なら素直に手渡してくれる気がしたが、よほど気に入っているのだろう。匠も無理に取り上げることはしなかった。
「よし、拭けた。リビングに行っておやつを食べておいで」
弾かれるように耀が廊下に出て行き、足音を立ててリビングへ行ってしまった。
「さてと、仕事仕事」
匠は光一郎の書斎に向かい、封筒を所定の位置に収めると、また依頼主のいる座敷に戻った。
仕事が終わり、匠は誰もいない寝室に入った。スマホに登録してある槙人に電話を掛けた。
「もしもし、兄貴?」
『匠か。あのことなら、もう答えたはずだぞ』
槙人がいつこの家に戻って来て、跡を継ぐと言い出すか分からないため、匠は定期的に槙人に電話をしていた。
最終的に、槙人から実家に戻る気はないと告げられて、電話を切る。匠にとって、それは安堵出来る答えではない。人の心はいつでも変わるものだ。
「今日はそうじゃないんだ。兄貴は親父と同じ霊能力があるんだろ?」
電話越しにため息が聞こえる。
『同じじゃない。僕は霊が見えるだけだ』
「じゃあ、親父の力は他人に伝授出来るものなのか?」
『さぁな。父さんくらい力が強ければ出来るかもしれないな』
「兄貴はその力が欲しくないのか?」
匠の質問の真意に気付いたのか、槙人が黙った。しばらく沈黙が続き、やがて話し始める。
「父さんの力は習得出来るものじゃない。あれは父さんだから出来るものだ。匠、おまえ、父さんの力が欲しいのか? 止めておけ。おまえには無理だ。たとえ、僕と同じくらい力があったとしても、受け継ぐことなんて出来ない」
匠は図星を指されてドキリとしたが、笑いながら否定した。
「それは無理だって、俺にも分かってるさ。俺には霊感がないからね。見えないものは祓いようがない」
『それはそうと、おまえ、いつまで父さんの世話になってるんだ。いい加減就職しろ。父さんのすねをかじるな』
槙人はやっかんでいるのかもしれない。光一郎の側にいれば、力の受け継ぎ方が分かるのだろう。匠が伝授出来る機会に恵まれているのが気に食わないのだ。
「分かったって。兄貴は心配性だなぁ。ちゃんと職探しをしてるさ」
『それなら良いが』
「本当に、兄貴は親父の力を見たことがあるのか?」
『あるよ。僕が霊に取り憑かれたときはいつもああやって祓ってくれた』
「どうやってた?」
槙人が何か考えている様子でしばらく黙っている。
「見たんだろ?」
『言えない。言えばおまえはますます興味を持つだろう? 父さんも言ってただろ、除霊師の業は深いって』
「地獄に堕ちるって話だろ?」
『聞いてるなら話が早い。祓えば、その霊と因縁を持つ。因縁で繋がった魂は、いずれ堕とした霊によって地獄に引きずり込まれる。霊能力が大きいほどその引き込む力が増してしまう。地獄に堕ちたら、もう二度とそこから出ることは叶わない。父さんは、そんな酷い目に遭わせたくなくて、僕達に家業を継がせなかったんだ。父さんの優しさに感謝するんだ』
匠は心の中で舌打ちする。槙人が匠を脅して、諦めるように促していると思った。
「そうか、兄貴は本当に親父の力を知らないのか」
『知ってても、おまえに教えるつもりはない』
槙人に断言され、匠は電話を切った。
リビングへ行くと、里花が夕飯の準備をし、耀はテレビを見てくつろいでいた。
「里花、親父は?」
匠が訊ねると、料理を作る手を止めて、匠を振り返った。
「ねぇ、いつまでこうしてるつもりなの」
機嫌が悪そうだ。いや、里花はここに来てからずっと何かに腹を立てている。
「いつまでって。何か不満があるのか?」
「分からないならいい」
いつもこう言って、里花のほうから話を断ち切った。
「なんだよ」
匠はぼやきながら、耀の隣に座り込んだ。
テレビにはアニメが映っている。耀は真剣な顔つきでテレビを凝視している。小学校に上がって、耀は無口になった。あんなにおしゃべりだったのに、匠と話したがらない。
里花の不機嫌も耀の態度と関係しているのかもしれない。
匠は懐から電子煙草を取り出して、吸い始めた。
里花が振り返らずに、大きな声で「家の中でたばこを吸わないで」と匠に注意した。
「はいはい」
怠そうに腰を上げ、匠はリビングを出た。
玄関から外に出ると、朝からあれだけ降っていた雨が止んでいた。曇天はそのままで、重たい雨雲が空に垂れ込めている。
今年の梅雨は長くなりそうだ。ふと玄関脇を見ると、透明傘が立てかけてあった。
傘の中棒は折れ曲がり、親骨がバキバキに折れていた。耀の傘だと思った。ボロボロなのは、友達とふざけてチャンバラでもして遊んだんだろう。だからずぶ濡れになって帰ってきたのだ。
仕方ないなと、ふと笑みを漏らして、匠は傘を家の中に入れた。
数日後、夜中に電話が鳴った。
里花が慌てて階下の電話に出た。こんな時間に電話があるのはそうそう珍しくはないが、緊急であることに間違いはない。
里花が話を聞きながらメモを取る。そのメモを持って光一郎の寝室へ向かい、ふすまをほとほとと静かに叩いた。
光一郎がすぐに顔を出した。里花が事情を話すと、廊下を渡って電話に出た。
「息子さんの様子がおかしい? 分かりました。すぐ連れてきなさい」
そう言って、光一郎は着替えるために一旦自室に戻った。
里花は匠も起こした。
「お客さんが来るわよ。起きて」
寝惚け眼で匠は起き上がり、スーツに着替える。階下の洗面所で髪を整えると、座敷に入った。光一郎が道具を床の間の前に並べて置いていた。
「親父、誰が来るの」
除霊道具が全部揃っているか確認しながら、光一郎が答える。
「仕事の依頼だ。息子さんが何かに取り憑かれたらしい」
よくよく聞いてみると、町内に住む小山内という親子らしい。小学四年生の息子が急にひきつけを起こして倒れたのだそうだ。
「病院に行かせたほうがいいんじゃないか?」
匠は、医者にも診せずに、すぐに光一郎に頼る依頼人を訝しく思った。
「そうだな」
光一郎が匠を見ずに言った。
「俺も普通ならそう言う」
普通ではないのかと、匠は受け取った。あからさまに病院案件ではないと分かったのだろう。
十分もしないうちに、玄関のインターホンが鳴らされた。
匠が出迎えると、光一郎も後に続く。小山内夫婦が少年を両脇から押さえつけて玄関に入ってきた。
少年はけだもののような顔つきで、口から泡を吹きだし、しわがれた老婆の声で叫んでいた。
いいなと思ったら応援しよう!
面白かったら、応援よろしくお願いします。いただいたチップは小説家としての活動に使わせていただきます!