呪願の代償 第二章 ラムネ瓶 5
迎えに来てくれる優しいお父さんがいて、ひかるが羨ましかった。でも、夏生が同じ事をもう二度としてくれないのは分かっていた。
涼々がひかるくらいの時に、夏生は交通事故にあった。奇跡的に昏睡から目覚めた夏生は、別人になっていた。
月乃や夕季、涼々は日常的に暴力をふるわれて罵声を浴びせられた。
自分の体が思うように動かない怒りを夏生は家族に向けた。なりたくてなったわけじゃないと怒鳴った。
医者にも行って対策を相談したが、身体的、能力的な部分はリハビリでどうにか出来るが、性格に関しては対処のしようがないと言われた。
空腹を覚えたが、家に帰りたくない。涼々はランドセルを持ち、ドームの中に入ろうとした。
「嬢ちゃん」
不意に声を掛けられた。若い男の声だ。涼々はゆっくりと振り返った。
黒尽くめのスーツを着たおじさんが、涼々の後ろに立っていた。
いつからそこにいたのか全く分からなかった。涼々は警戒して体を硬くする。
それを見たおじさんが、微笑んだ。
涼々の目から見て、警戒すべき大人に見えなかった。優しそうだ。それでも、大人の男のひとは何をするか分からない。警戒を解かずに睨むようにおじさんを見つめた。
「それ」
おじさんが涼々の右手を指差した。涼々は自分の右手に握られたラムネ瓶に気付いた。とっさに手を背中に回してラムネ瓶を隠す。
おじさんは優しく、ゆっくりと諭すように話しかけてきた。
「もう、そのラムネ瓶で遊ぶのはやめたほうがいいよ」
ラムネ瓶を取り上げるつもりなのだろうかと、涼々はますますおじさんを睨みつけた。
おじさんが困ったように笑った。おもむろにしゃがみ込み、涼々の目を見る。
「あんまり、それに願い事をしていると、怖い目に遭うよ?」
このおじさんは、涼々がラムネ瓶にみんなの不幸を願っているのを知っているのだろうか。ラムネ瓶に自分の気持ちを吹き込むことも知っているのか。確かに、涼々はみんな不幸になれと願った。不幸の大小はあれど、ことごとく願いは叶った。
このラムネ瓶は危険なものだと、薄々気付いている。夢の中の月乃からもらったこのラムネ瓶は、本当はこんな使い方をしてはいけなかったのかもしれない。月乃はみんなの不幸を願う涼々の事なんて嫌いになる。けれど、涼々にとって、このラムネ瓶は月乃と自分を結ぶ唯一の接点だった。だから、どうしても手放せない。これを持ってドームの中で待っていたら、月乃がきっとまた会いに来てくれる気がしていた。
ただ、何故、このおじさんはラムネ瓶のことを知っているのだろう。ひかるだけでなく、おじさんもこのラムネ瓶を持っているのだろうか。それどころか、箕形第一小学校だけでなく、この町内の人でラムネ瓶のことを知らない人間はいるのだろうか。
そんなふうに考えるとひやりとする。
「おじさんも、ラムネ瓶を持ってるの?」
涼々は恐る恐る訊ねてみた。
おじさんは目を細めて、眉をハの字にした。
「持ってないけど、おじさんもそのうち怖い目に遭うことになってるんだ」
そう言って、足下を指差した。
涼々は素直におじさんの足下に目をやる。ゆらゆらと白い影が揺れていた。よく見ると、地面から沸き立つ白い手が、何度もおじさんの足を摑もうともがいていた。
「本当だ。怖くないの?」
涼々は驚いた。もし、自分がこんな目に遭ったら、白い手から逃げようと必死になるだろう。
「もう少し先だから、今は怖くないよ」
何の事はないというふうに笑うおじさんを、涼々はあっけにとられて見つめた。
涼々はお化けが怖い。たとえそれが遠いところにいても、もしかしたら自分の近くまで来るんじゃないかと思ってしまう。おじさんの足を摑もうとしている白い手は、すでに目と鼻の先にある。涼々ならジャングルジムや高いところに行って、白い手から逃げ出すだろう。
「でも足を摑まれたらどうなるの?」
「さぁ? どうなるんだろう」
あっけらかんと話すおじさんに、涼々は呆れた。
「死んじゃうかも知れないよ?」
「そのときはそのときだよ」
なんとなく緊張が解れて、涼々もしゃがみ込んだ。後ろ手に回していたラムネ瓶を目の前にかざす。
「最初は綺麗だったけど、今はこんなに汚れちゃった。綺麗にする方法を知ってる?」
おじさんが、困ったように微笑む。
「多分、もう綺麗にはならないかもな。捨てちゃうのが一番だと思うよ」
涼々は本当のことを話そうか逡巡した。
おじさんは悪い人のようには見えない。優しそうだし、涼々を怒鳴ったりもしない。こんな遅い時間まで公園にいて怒らない大人のほうが珍しい。涼々は秘密を教えることにした。
「出来ないよ。これはママがくれたんだもん」
「ママ?」
「うん。いなくなったママ。涼々のためにこれをくれたの」
おじさんの顔が曇った。涼々は、秘密を喋ったことを後悔した。簡単に話してはいけなかった。
涼々は押し黙り、またラムネ瓶を後ろ手に隠した。
「嬢ちゃんは、それをお母さんからもらったのか。他にも同じ物を持ってる子はいたかい?」
怒らないのかと、涼々はおじさんを観察する。
「いたけど」
小さな声で答えた。ひかるのことを喋ってはいけない気がした。
「知らない子だった」
「そう」
そこまで話したとき、ふいに涼々のお腹が鳴った。涼々は顔を真っ赤にして俯いた。
ひかると遊んでいて空腹を忘れていた。
「これ」
上を向くと、おじさんが片手を差し出していた。その手にクリームパンがある。
「クリームパンだ!」
クリームパンは涼々の大好物だ。半年以上食べてなかった。涼々はもらって良いのか迷った。
「そうか。嬢ちゃんには、クリームパンに見えるか。お腹いっぱいにはならないけど、気持ちは落ち着くと思うよ」
おじさんがクリームパンを涼々に近づけた。
「どうぞ」
涼々はクリームパンを受け取ると、夢中になってかじりついた。
見えるもなにも味もちゃんとクリームパンだった。カスタードクリームがたっぷりで、パン生地から溢れそうだった。口いっぱいに頬張って食べる。クリームパンはあっという間になくなった。
「ありがとう」
お礼を言い忘れていたことに気付いて、涼々は慌てて言った。
おじさんのクリームパンを持っていた左手と、袖口がだらりと垂れている右手に、涼々は気付いた。おじさんの右手がない。
「おじさん、右手どうしたの? 怪我したの?」
「あ? ああ、そうだな。怪我をしたんだ。怖いか?」
涼々は大けがをした夏生を思い出したが、目の前のおじさんは涼々に優しくて、急に怒ったり不機嫌になったりしなさそうだ。涼々は素直に答える。
「怖くないよ」
「いつもここに一人でいるのか?」
すでに日が暮れ、真っ暗になった公園には、涼々達以外誰もいない。公園の真ん中で点っている外灯だけが、涼々達を照らしている。
「うん」
「ここは怖いものが出るって噂があるけど、嬢ちゃんは見たことがあるか?」
怖いもの? と、涼々は首をかしげた。夢から出てきた月乃に会ったけれど、他にお化けはいない。この公園はいつも静かだ。
「ないよ」
涼々が答えると、おじさんが立ち上がった。
「そろそろ帰らないとお姉さんが心配するよ」
「うん」
立ち上がった涼々は無意識に、おじさんの左手を握った。なんだか優しいパパのように感じたからだ。
「ん? 嬢ちゃんはおじさんと手が繋げるんだね」
なんとなく、おじさんが感心したように言った。
「うん?」
涼々は変なことを言うおじさんだと思い、不思議そうに見上げた。
「じゃあ、いろんな事に気をつけないといけないな」
二人は歩き出し、公園を出た。
「何に?」
「触れるってことは、あっちも嬢ちゃんに触れるって事だ」
おじさんの言うことが分からなくて、涼々は曖昧に返事をした。
二人はとぼとぼと街灯が照らす道を歩いて行く。そろそろ家が見えてきたところで、家の前に夕季が立っているのに気付いた。
「涼々! どこ行ってたんだよ」
「お姉ちゃん」
おじさんの手を離し、涼々は夕季に駆け寄った。
「あんた、今日は給食以外でなんか食べれた?」
「食べた。パンを食べたよ。おじさんがくれたんだ」
涼々が背後に立つおじさんを振り返った。
「あれ?」
「何」
「さっきまでおじさんといたの」
すると、夕季が怪訝そうに眉を寄せた。
「あんた一人だったよ。あ、今日は夕飯ないからね。なんか食べたなら良いでしょ」
夕季の言葉を聞いて、涼々はガッカリした。確かにクリームパンは食べられたけど、もう少し何か食べたかった。
「ほら、早く家に入りなよ」
夕季に促されて、涼々は後ろを気にしながら、怖くて気味の悪い家に入っていった。
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