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ぐひんの山 第九章 ぐひん様 ③

 陽菜はもう一度名前を呼んで、竹内が顔を上げるのを待った。

「目的のもの見つけました。これ、お借りするかコピーを取ってもいいですか?」

 まだ眠たい目をしている竹内が、コピーはいいけど、貸さないと言ったので、仕方なく、スマートフォンで郷土史同人誌の該当ページをカメラに収める。

 玄関先まで見送ってくれた竹内に礼を言って別れた。

 その足で、もう一人の郷土史家に電話をしてみると、若い男性が電話に出た。

「あの、桐野ですが、柳さんのお電話ですか?」

 駐車場に停めた車に乗り込んで話を続けた。

「はい、そうですが……」

 不審そうに電話の向こうの声が低くなる。

「柳さんに郷土資料を見せて欲しいと電話してたんですが、柳さんは……?」

 まず、柳の電話に誰かわからない男性が出たのが不思議だった。

「父は亡くなりましたが……」

 それを聞いて陽菜は驚いた。数週間前に電話したときは元気そうだったからだ。

「あの、ご愁傷様です……」

「それでご用件は?」

 男性に言われて、陽菜は見せてほしい郷土資料があるのだと説明した。

「いいですよ」

 思いがけず、男性から郷土資料の閲覧の承諾を得られた。

「いいんですか、ありがとうございます!」

「で、それでどうしたらいいんですか」

 不安そうに訊ねてきた。

「あの……、差し支えなければ、そちらに伺いたいんですけど……」

「ああ、いいですよ」

「今からとか大丈夫でしょうか?」

「ええ、ちょうど今父の部屋の整理をしてたんです」

 整理と聞いて陽菜は焦る。貴重な資料が整理と称して廃棄されていたりするからだ。

「郷土資料も整理されました?」

「いえ、本にはまだ手を付けてませんよ」

 陽菜は小さな声で良かったと安堵のため息をつく。

「住所言いましょうか?」

 と言う申し出に陽菜はすでに知っていると言って、早速向かうことにした。

 柳の家は郊外にある。町中を抜けるとポツンポツンと家屋が建つ風景が目に入る。枯れた田んぼに三角形の積み藁が並んでいるだけの風景なのに、饗庭村に比べると活き活きしている。高齢な村民が多い饗庭村では、畑や田んぼは歯抜けのように使われないままに放置されているので、雑草に覆われている。この辺りになると雪は積もっておらず、道の脇に黒い汚れた残雪を目にする。

 やがて、田んぼに囲まれた屋敷が見えてきた。

 広い敷地のぐるりを白い塀が囲み、剪定された樹木が塀越しに見える。どっしりとした門構えに、平屋建ての日本家屋は大きく、外から見てもかなり広いことが窺える。

 そういえば、柳は無聊を慰めるのに郷土史家をしていると言っていたような気がする。

 広い駐車場に車を停め、玄関に取り付けられたインターフォンを押した。

 しばらく待っていると玄関の引き戸が開かれ、四十代くらいの男性が現れた。

「桐野さん、どうぞ上がってください」

「お邪魔します」

 今までどんなにお願いしても上がらせてもらえなかった屋敷にやっと入れた。長い廊下を案内される。板張りの床が何年にも渡って磨かれ、鏡のようにうっすらと足下を映している。突き当たりにあるふすまを開くと、そこはきちんと整理された書斎だった。床に置かれているのは紐で縛ったたくさんの書籍と、新聞紙の束だ。

「父が書いた郷土資料や蒐集していた書籍は棚の中です。でもわたし、何がどこにあるのか全く知らなくて。この書籍も捨てるつもりはないんですが、そのままにしておくと危ないので」

 申し訳なさそうに柳の息子が頭をかいた。

「大丈夫です。ちゃんと大切に扱います」

「じゃあ、わたしは作業があるんで……、別の部屋にいますね。何かあったら呼んでください」

 はい、と答えて陽菜はガラス戸を開けて中を物色し始めた。

 ほとんど所属していた郷土史研究会の会報だったが、その会報に興味深い記事がたくさん掲載されている。陽菜は他の記事も読みたいという欲求を抑えて、饗庭村に関する研究発表の記事を探した。月に一冊のペースで刊行されていたらしく、薄いとは言え、一年間の会報を読むのも一苦労だ。それでも目次があるだけマシと言える。三年分に目を通したとき、ようやく饗庭という字が読み取れた。

 早速ページを開いて、内容を読む。

 饗庭村の名前の由来が書いてある。そこに書かれているのはつくもと同じような意見だった。

 饗庭村の饗は、ごちそうでもてなすという意味があり、庭とは場所のことで、正しくはごちそうでもてなす場所という意味らしい。そこから平良須山の山神に捧げられた生け贄の村だったのではないかという論を展開していた。

 読み進めていくと、サンカではないが、山の民の集団によって山神が封じられたことに触れられていた。彼らは、饗庭村の庄屋に頼まれて、オオカミを使い、山神をおびき寄せる儀式をおこなった。山神は目に見えない存在で、また山神自身も盲目であるため、オオカミの首に赤い筋が出来ると山神の訪(おとな)いであると見計らって、山の民は鉈でオオカミの首をたたき切る。それを箱や甕に収めて封をし、祀りあげた。山の民の集団は山神を捕らえたと饗庭村の庄屋に報告し、報酬として平良須山をもらい受けたと記されていた。この言い伝えが聞き取りされたのは昭和初期、桐野某と締めくくられていた。

 それとは別に、山の民には山岳信仰の他に福の神信仰が色濃く残っており、元々子供を使って、儀式をおこなっていたとあった。それについて、山の民は情報を提供してくれなかったらしい。筆者は、山の民が頑なに蔵への出入りを拒否していたので、おそらく蔵の中で何か儀式めいたことをしていたのだろうと記していた。

 これらを読んで、陽菜は肩を落とした。断片的ではあるが、ぐひん様を封じる方法は書かれていたけれど、蔵の儀式については全く触れられてなかった。しかし、ここまで聞き取りが出来ている時点で、この論考の筆者はかなり桐野家と交流があったと言える。

 しかもこれらの事柄は桐野家だけの独自の信仰であって、饗庭村の民間信仰とは全く違うとのことだった。唯一ぐひん様に関する情報として、『ぐひん様に喰われる』という原初の恐怖体験が村民たちの共有する言い伝えなのだ。その言い伝えがなおも健在であるのは、間接的ではあるが山の民の子孫の桐野家と饗庭村村民が共通の信仰対象を持っていたと言える。それがぐひん様なのだろう。

 陽菜は部屋から出て、柳の息子に声を掛ける。

「すみません。この会報、コピーするかお借りしていいですか?」

 荷造りの手を止めて柳の息子が顔を上げる。

「いいですよ。譲れませんが、返していただけるならどうぞ」

 陽菜は会報を胸に抱き、「ありがとうございます!」と礼を言った。

「調べ物は見つかったんですか?」

「はい、知りたかったことは概ね書いてありました」

「そうですか」

 柳の息子が背伸びをして、「お茶を煎れるのを忘れていた」と台所に行きかけたのを陽菜は止めると、もう帰ると告げた。すでに四時を回っている。

「本当に助かりました。ありがとうございます」

 陽菜は何度も頭を下げて礼を言った。

「いや、手助けできて良かった。でも、父の携帯はすぐ解約してしまうので、もしもまだご覧になりたい資料があったらこちらに電話を下さい」

 そう言って、柳の息子は自分の携帯電話番号を書いたメモを渡してきた。

 陽菜はそれを受け取り、頭を深々と下げて、柳の家をあとにした。

#創作大賞2025 #ホラー小説部門

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