かりはらの贄巫女 シーン1 ④
レポートにはそのまま引用して、拙い感想を添えた。
『菟足村、おみず沼における人身御供伝説』
おみず沼には以下の伝説が語り継がれている。
『仁徳天皇の御代、干ばつが続き、菟足の民は大いに困っていた。菟足には山池があり、大蛟おおみずちが住み着いていた。山池に道行く人を呼ばうて引き込んでいた。そこに菟上神うなかみのかみが池にやってきて、大蛟に池の水を分けてくれと言うと、「あまたをとめ捧げばわけむ」という神意を得た。そこで菟上神は菟足の巫女を大蛟に捧げたところ、たちまち雨が降り、菟足の地は潤ったという。後に山池は大水主おおみずぬし沼と呼ばれた』
大蛟は角のない竜の姿を持つ、みつちであるとされている。大蛟に雨乞いのために巫女を捧げたのだろう。おみず沼は、大水主沼の読み方を転訛したものだと思う。
レポートの枚数は決められてなかったので、資料をそのまま引用するだけでよかった。それにこのレポートがよい出来だと自負できる代物ではないことくらい、叶は自覚している。
菟足村が人身御供を今も続けているわけではないだろう。なぜなら、現在はダムが近くにあり、農業用水はそこから引いているそうだ。それに、おみず沼は火山帯にある山池で酸性度が強く、生活用水にも農業用水にも向いていないが、枯れたことがないために、大蛟の伝説ができあがったのだろう。それに、昔のような干ばつも起こらなくなった。昭和の時代には断水で夏場に水泳の授業がおこなわれないこともあったそうだが。
平成生まれの叶には想像も出来ない。
地下鉄に乗り込むと、やや混んだ車内のドア付近の手すりに寄りかかった。
背後には疲れて居眠りをしている中年男性が座っている。
叶はレポートのメモを閉じ、ゲームアプリを開いた。単調なパズルゲームに没頭していると、話し声が聞こえてきた。ごにょごにょと左の耳元でか細い声が何やら囁いている。
背後は座席しかなく、座っている人たちは寝ていたり、叶と同じようにスマホを見ていたりしていて、立ち上がり狙い定めたように叶に話しかけたと思えない。もしかして、友人が同じ地下鉄に乗っていて、叶にいたずらをしているのだろうか。
そんな想像をしながら、叶は後ろを振り向いた。
「あれ?」
耳元で囁けるような場所スペースなど、背後にはないことに気づいた。戸惑いながら周りを見たが、知り合いの姿もない。
確かに耳元でだれかが囁いた。聞き取れなかったが、意味のある言葉を発していた。
叶は首をかしげながら、またスマホに視線を落とす。
「クルナ」
今度は間髪入れず、はっきりと聞こえた。叶は肩を強ばらせて、硬直する。まるで、鼓膜そのものに吐きかけられるような声が、左耳に響いた。素早く左側を振り向いたが、耳元で声を発せられるような人間はいない。やはり、皆、寝てるかスマホを見ている。ゴトンゴトンという車体の軋む音が聞こえるだけだ。
一日に二度以上、こんな体験をするのは珍しかった。まるで、幼い頃に戻ったような感覚になる。現実と非現実が入り交じっていた頃と同じだ。
しばらく、緊張したまま身構えていた。声はそれきり聞こえない。思い出せば、その声は若い女のものだった気がする。どこに来るなと言いたかったのか、全くわからなかった。
駅に着き、地上に出ると雨が降っていた。せっかく止んでいたのにまた雨か、と叶はため息をつき、傘を差した。
今度は何事もなく家までたどり着けるといいな、と憂鬱になる。今まで、午前中に見たものを一日に何度も目にすることはなかったが、今日は二度、遭遇した。それだけで不安は頂点に達する。
気を抜けば、ああいうものがやってくる。あれらは心の隙につけ込んでくる。何かに没頭して意識を集中させよう。不安に駆られていると、それを嗅ぎつけてまとわりついてくるからだ。
気づけば、叶は足早に家に向かっていた。
氷川家ではできるだけ家族がそろってから夕飯にする習慣がある。ということは、叶は否が応でも両親と顔を合わすことになる。母親はきっと父親からも言い聞かせてくれるように頼むはずだ。だから、父親が切り出したとき、嫌な予感は当たったと思った。
食器を下げてリビングで食後のコーヒーを淹れて飲む。いつもなら、和気藹々となる時間だが、本家の話をしたくない叶が、そそくさとリビングを出ようとした背後から、父親に声をかけられた。
「叶、お母さんから聞いたと思うが」
「私、大学のレポート書かないといけないから」
叶はそう言ってドアノブに手をかけた。
「おまえに話さないといけないことがあるんだ。ここに座りなさい」
叶は渋々振り返り、父親がポンポンとはたくソファに腰掛けた。
「叶には本家のことを極力話さないでいた。ずっと俺たちの娘として一緒にいるつもりだったからだよ。そのことは忘れないでほしい。だが、本家の希さんが亡くなったからには、どうしても本家の責務をおまえが背負わないとならなくなった」
間髪入れずに叶は声を上げる。
「当主になるのは嫌。なんで今更戻って来いなんて言えるの」
「理由があるから、おまえは本家を出されてうちに来たんだよ」
「どんな理由でも必要ないから追い出したんでしょ」
すると、父親が困ったように眉をしかめた。
「どうしようもなかった。本家はね、祈祷師をしているんだ。当主は、代々巫女として強い霊力を持っている。希さんは霊力が強いために当主になった。叶はね、それとは全然違う理由でお父さんの娘になったんだよ」
霊力って何だ、と叶は疑ぐり深い目つきで父親を見つめる。
「叶はおみず沼のみつちさんに魅入られてしまった。美千代さんが祓ったけれど、念のために村から出されて安全な場所で保護されることになったんだ」
「保護って、養女になること?」
「そうだよ」
「みつちさんって何? 魅入られるってどういうこと? それに祈祷師って?」
叶が想像する祈祷師は二種類ある。いわゆるいたこなどと呼ばれるような霊媒師。もう一つはスピリチュアルを売りにして人を騙す詐欺師だ。
父親の言うことに理解が追いつかない。菟上家は、新興宗教か何かを信仰しているのか? 叶が警戒しているのがわかったのか、父親が困ったように笑った。
「本家はおみず沼に祀られている『おかみさま』を信仰しているだけだよ。昔から『おかみさま』に、日照りが続く年は雨乞いを、水害のある年は止雨を祈祷する、菟足村を代表して『おかみさま』を祀っている家系なんだ」
『おかみさま』とは民間信仰のことなのか……、と納得した。
叶は助教の講義でその言葉を知った。民間信仰は自然や祖先などを崇拝する庶民信仰などを指し、祀る神によって祈祷する内容は変わってくる。父親から雨乞いや止雨を祈祷すると聞き、おかみさまは水神なのかもしれない、と叶はぼんやり思った。だからおみず沼に祀られているのか。
「みつちさんは?」
「妖怪みたいなものかな……。雨の日に神域に現れて、知っている人の声で話しかけてくるんだよ。うっかり返事をしたり答えたりしたらついてきて、おみず沼に誘い込むんだ。結構怖い存在でね、子供がよくやられてしまう。叶もその一人だよ。自然の家で遊んでいて返事をしてしまったらしい。でもすぐに気づいて美千代さんにお祓いしてもらった。みつちさんが離れたのを見計らって、お父さんのところに来たんだ。叶はまだ三歳だった」
「祓えたんなら、別に菟上家にいてもよかったじゃない」
そんな迷信を信じているのか、と叶は呆れた。
「一時的なものなんだ。完璧に祓うには美千代さんでは無理でね。その頃はまだ希さんは子供で、祈祷できる年齢じゃなかったから」
叶はキッチンで皿を洗っている母親に目を向ける。母親は食器を洗う手を休めて、叶のことをじっと見つめていた。父親と同じ、眉をハの字に下げて困った表情を浮かべて佇んでいる。
「でも、当主になれってことは巫女になれってことだよね? 巫女って霊力が強くないとなれないんだよね? 私にそんなものがあると思ってるの?」
霊力というよくわからないもので当主を決めているなら、別に自分じゃなくていいのではないか。叶は興奮気味にうわずった声で訴える。
「私じゃなくてもいいよね」
気づくと、父親の目の周りが、涙を我慢しているのか、ほんのりと朱に染まっているのがわかった。もう一度母親を振り返る。叶を見つめたまま、母親が声もなく泣いていた。
前言撤回しづらくなって、叶は腹立ち紛れに怒鳴った。
「ほんとに私じゃなくてもいいよね? ここにいたらだめなの? なんで本家に行かなきゃいけないの? 理不尽だよ!」
叶はソファから立ち上がり、リビングのドアを開けると廊下に出た。思い切り閉めたので、ドアが激しく音を立てる。
叶の頬が興奮で真っ赤に染まっていた。足音を立てて二階へ上がっていった。
両親と気まずいまま、一ヶ月が経った。
まだ、本家に希の遺体は帰っていないようで、連絡はない。
鬱屈した気分で書き上げた都市伝説のレポートも、インターネットで調べたものの丸写しにしかならなかった。
講義室の、いつもの席に着いた叶は、だれとも話したくなくて机に突っ伏す。
「ねぇ、大丈夫?」
叶の不機嫌を、友人が心配してくれる。ご機嫌を取らせているようで申し訳なかったが、両親の態度と本家への不満で頭がいっぱいだった。
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