忌み地 第六章 亜美 ①
笑顔でいるのが辛い。急に冷たくなった寿晶を恨めしく思う。ユカに子供が出来ても自分の側にいてくれていたのに。自分も赤ちゃんを授かったとき、一度は嬉しそうな顔を見せたのに。寿晶が引っ越してから、急に興味をなくしたおもちゃみたいに捨てられた。おなかの子を産みたい。産みたいと訴えたら、堕ろせと言ってきた。酷すぎる。これもユカのせい。寿晶が自分に興味をなくしたのもユカのせい。
ユカが最初に自分を裏切った。寿晶を好きになったのは自分が先だったはずなのに、ユカが寿晶に選ばれたのがショックだった。でも負け犬の顔をしたくない。ユカはずるい。優しそうな顔をしているけど、したたかで人に寄りかかってきて存在が重たい。寿晶はそれが嫌で、自分を誘ってくれた。誘いに乗らないほうがおかしいでしょ。ユカに勝ったと思った。子供が出来なくて、勝手に焦って、寿晶はそれが嫌だったみたい。だけど渋々協力してたらしい。出来ないなら無理して作らなくてもいいのに。寿晶は安らぎを求めて自分の元に来てくれた。だから、寿晶のオアシスになれた。
亜美は自分の隣で幸せそうにまだ平らなおなかをさすっている結花子を見た。笑っている自分の顔が引きつっているのがわかる。
「おめでとう、ユカ」
祝福する自分の声が震えている。けれどそんな小さな変化に結花子は気付かないようだ。会社の同期で席も近かったせいで仲良くなり、最初のうちは本当に親友だと思っていた。しばらくすると、結花子は友人にするには面倒くさい人間だと気付いてしまった。メールを一日に何通も寄越しては返事が来ないからと文句を言われたことがある。すぐに、親友で良かった、と抱きついてくる。まるで小学生のようだった。主体性がないように見えて、いつも自分のしてほしいことを押しつけてくるうえに、気付いてやらなかったら拗ねてしまう。結花子はそういう面倒くさい人間なのだ。
寿晶が結花子の存在に手を焼いていたのを知っていたから、すぐに相談に乗った。結花子のことなら誰よりも知っているのが亜美だ。最初は寿晶の愚痴を聞いているだけだったが、酒が入って相談に乗っているうちに、いつの間にかホテルに行き着いた。必然の結果だった。平日の夜だけは寿晶を独占して、結花子のことを忘れさせる。
入社して先輩に当たる寿晶を見て、亜美は胸がときめいた。言葉にならない感情が沸き起こり、寿晶と接する度にそれが蘇る。すぐに告白すれば良かったが、勇気が出なかった。自信がなかったのだ。自分が好かれるかどうか、告白して気持ちを受け止めてくれるかどうか、駄目になる可能性が少しでもあるのが怖くて仕方ない。だから、遠くから見ていた。
席が近いというだけでなついてきた結花子が、いつの間にか寿晶に告白をしていたのに気付いたときはもうすでに遅かった。寿晶は結花子の本性を知る前に、瞬く間に結婚を決めてしまった。それを結花子から知らされた亜美は唖然とした。
おなかをさすって微笑む結花子を眺めながら、亜美は内心憎々しく思いながら祝福した。
ずっと子供が欲しいと言っていたから本当に悔しいと思ったが、自分自身も生理が遅れていたので、妊娠検査薬で密かに調べてみた。祝福される子供とそうでない子供がいる。まさに自分がそうだった。好きな男の子供を絶対に産みたかった。結花子が妊娠を喜ぶ姿を見る度に、絶対に堕ろさないと決めた。だからわざと堕胎できなくなるまで、黙っていた。同じ時期に子供を授かったのは不運だったかもしれない。余計に亜美の劣等感を刺激してしまったからだ。
ベッドの中で寿晶に甘えながら、話しかける。
「あのね、寿晶。アタシさぁ、子供出来た」
寿晶が驚いたのかわずかに声を上げた。
「産みたいんだけど」
「子供出来たの?」
何度も確かめてくる寿晶に、亜美は不安を感じながらもそれを隠して、何度も頷いた。
「アタシ、産むよ」
「そうか」
複雑そうな顔をした寿晶に浮かない返事をされた。それが亜美の不安を増長させたが、ここで折れて堕ろすと言ってしまったら、負け犬になってしまう。子供を産んだら、寿晶も気が変わるかもしれない。すでに、寿晶は結花子にうんざりしているのだから、亜美に勝算があるように思えた。
産婦人科に行き、腹部をエコーで見せてもらった。白い小さな影がモニターに投影されたのを見せられて、亜美は感動した。
「かわいい」
小さな命が自分の中に育まれているのが奇跡だった。それも好きな男の子供なのだから、喜びもひとしおだ。誰にも言えないのは悲しいが、この子は神様からの贈り物だから、大切にしようと心に決めた。
結花子が急に引っ越すことに決まった。寿晶の母親が死んで、住居を保全するためらしく、町から離れてド田舎に越さなければならないと結花子は愚痴っていた。おめでた退社した結花子は嫌になるほど毎日電話をかけてきて、暇なのか何通もメールを送ってくる。ウザいというのが本音だった。もっと趣味などを作ってそっちにかまけてくれればいいのに、無趣味でつまらない女なのだ。
貴重な休みを潰されて、引っ越しに付き合わされた。車で三時間もかかる田舎まで車で移動して、結花子の機嫌を取るのは苦痛だった。引っ越しくらい一人で出来るだろ、と思った。
「よかったぁ、亜美が手伝ってくれて。ありがとう。私一人だと心細くて」
全部引っ越し業者がやってくれるのだから、亜美は単に結花子のお守りのためにかり出されたようなものだ。暇を潰すためだけの遊び相手なのだろう。
「いいって、初めての土地だもんね」
自分の寛容さにため息が出る。
「ものすごいド田舎なんだよ。駅まで二十分も歩かないといけないし、それにさ、お義母さん、自殺らしいんだよね。怖いよね」
義母の死をエンターテイメントとして受け止めてるのが、気持ち悪い。
「それにね、村だから、近所の人たち優しいんだけど、いろんなこと、ずけずけ聞かれて困ったよ」
「近所の人なら仲良くしといたほうがいいよ。田舎ってそういうもんだよ」
「えー、亜美って田舎のこと詳しいね。そういえば、亜美の田舎ってどこだっけ?」
「東京。田舎っぽくなくて、田舎には憧れるな」
「いいなぁ。私は九州だからさ、東京が田舎ってうらやましい」
そんなことを話しているうちに田んぼに囲まれた寿晶の実家にたどり着いた。確かにド田舎だと思った。見渡す限り田んぼだらけで、隣家まで相当離れている。
家の前に引っ越し業者のトラックが待っている。敷地に車を停めて、結花子と亜美は車を降りた。
「すみませーん」
結花子が愛想笑いをしながら、業者の人に声をかけた。
「今開けますね」
寿晶から預かった鍵で玄関の引き戸を開けた途端、よどんだ空気が一気に流れ出してきて、かび臭さが鼻をついた。結花子が不思議そうな顔をしながら、玄関に入っていった。
「あれ? このあいだの葬式の時は臭くなかったんだけどな」
結花子がブツブツと文句を言いながら居間へ入っていく。
「この家、変なんだ。仏間が家の中心にあるんだ。廊下も変な形だし、何考えて家を建てたんだろうね」
「田舎ではよくある作りかもよ?」
「そうなのかなぁ」
そう言いながら、ふすまを開けて仏間に足を踏み入れた。亜美は入ってぎょっとした。床の間に並べられた日本人形がこちらを見たように思ったのだ。
「すごいね」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
「でしょう? この人形、お義母さんの趣味なのかなぁ」
仏間のそれも床の間に飾ってあるのだから、寿晶の母親の趣味なのだろう。
「普通、こんなに集める?」
そう言いながら、結花子が笑った。それが、亡くなった義母に対する嘲笑に見える。人の趣味を馬鹿にする結花子に呆れてしまう。
その間も業者が手早く荷物を解いていく。家具の位置などを結花子に訊ねる度に、結花子は指示をしていった。テーブルや椅子は納戸にしまうように言っている。
「納戸に入れちゃうの?」
「寿晶さんがここにある家具を使おうって言うんだ」
「そうなんだ」
結花子がブツブツと家に対する文句を言い続けている。いい加減うんざりして、亜美はリノベーションしたらと勧めた。すると、結花子が言葉を濁す。いつも聞かされる寿晶への愚痴が始まるのかと思ったら嫌な気持ちになった。
その日は一日、結局カビ取りを手伝って終わってしまった。泊まっていってほしいと結花子が言い出したが、こんなカビだらけの部屋はまっぴらごめんだと思い、都心行きの列車がなくなるからと言って逃げ出した。
結花子と別れて列車に乗ると、どっと疲れが押し寄せてきた。結花子のご機嫌を取るのは面倒くさい。寿晶にメールして今日のことを報告した。いつもならすぐに返信があるのに、今日に限って返事がない。たまたま出られないのかもと思い、スマホをバッグにしまった。
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