見出し画像

呪願の代償 第三章 ほどよく腐ったか 2 エピソード追記(4/23)

 いたずら電話がかかってきてから、数日後。

 たった一回だけの妙な電話を家族に相談することもなく、そんなことがあったことを里花はすっかり忘れていた。

 雨が降っているせいか、珍しく公園に行かず、耀がリビングで遊んでいる。里花がその様子を時折キッチンから見ていた。

 おやつにチョコチップクッキーを作っている最中だった。

 そこに、電話がかかってきた。

 生地を捏ねていたので、リビングの耀に声を掛けた。

「耀、電話に出てちょうだい」

「はーい」

 元気のない声で耀が返事をして、鳴り続けている電話の受話器を取った。

「もしもし?」

 耀がいつも言われているとおりに呼びかけると、しわがれた声が返ってきた。

『ほどよく腐ったねぇ』

 気持ちの悪い声に耀の顔が青ざめ、空いた片手でぎゅっと心臓の辺りを握りしめた。噛みしめた歯がカチカチと鳴り、唇がわなわなと震えた。

 急いで、受話器から耳を外す。

 受話器から耳を離したのに、声が両耳に聞こえてくる。

『腐ったなら行くよ』

 耀は悲鳴に近い声で叫んだ。

「腐ってないから来ないで!」

 いきなり耀が叫んだのを聞き、里花がクッキー作りの手を止めて、慌てて耀に駆け寄った。

「どうしたの!」

 耀が目を見開いてガタガタと震えている。あまりの尋常でない様子に、里花も青ざめた。

「腐ってるって聞こえたけど」

 耀が小さな声で呟いた。

「『死ぬ電話』がかかってきた」

「『死ぬ電話』?」

 里花が聞き返したのと同時に、耀が声を上げて泣き叫んだ。

「死にたくないよ!」

 叫びながらリビングから出て行き、階段を上がっていく激しい足音が聞こえ、バタンとドアが閉まった。

「どういうこと?」

 里花が耀の尋常でない様子に危機感を覚えて、クッキー作りをやめて、二階に上がった。

 耀の部屋のドアを叩いて声を掛けるが、耀の返事はなかった。

「どうしたの? あの電話で嫌なこと言われたの?」

 それでも返事はなかった。ドアノブを回したが鍵がかけられていた。

 あの電話、耀は『死ぬ電話』だと怯えていた。

『腐る』と『死ぬ電話』の共通点は分からないが、耀があれほど怯えるのだ、何かあるのだろうと、強い不安を感じた。


 悪質ないたずら電話がかかってくると聞き、匠は、「ただのいたずら電話だろ」と最初は相手にしなかった。

「気味が悪い電話なのよ。耀も怯えちゃって。『死ぬ電話』だって言うの」

「『死ぬ電話』? どんな?」

 たまには里花の不満を聞いてやらないと、最近、すぐに機嫌を悪くする。電話の話くらいは聞いてやろうと、匠は里花のほうに顔を向ける。

「腐ったかって聞くの。最初はゴミかなと思ったんだけど、そんなの他人が知ってるわけないじゃない。しかも、行くよなんて言うし」

「行くよってことは、こっちの住所を知ってるって事か」

 警察案件じゃないかと、付け加えた。

「警察に電話したほうがいいんじゃないか?」

 匠は里花に心配しすぎだと言い聞かせた。

 それでも納得いかない様子で里花がブツブツと何か言っていたが、匠はテレビの音量を上げて、妻のぼやきが聞こえないようにした。

 夕飯がすみ、耀も自室のある二階へ行ってしまった。

 匠は晩酌をしながら、ぼんやりとテレビを見ていた。

 そこに、電話が鳴った。電子音メロディがリビングに響く。三コールしても里花が出ようとしないので、不審に思って匠は里花に目をやった。

 あからさまに、里花が電話を恐怖の目で見つめて固まっている。

「出ないのか?」

「あの電話じゃない?」

 出る気がなさそうなので、匠は重い腰を上げて代わりに電話に出た。

 無音のように思ったが、微かにザッピング音が聞こえてくる。やっぱり電話の向こうには人がいる。

「もしもし、どちら様ですか」

 子供のいたずらだろうと、少し間延びした声音で訊ねた。

『ほどよく腐ったか』

 しわがれた声を聞いて、匠は眉を寄せた。

「は? あんたか、うちにいたずら電話してくるのは」

『腐ったなら行くよ』

 匠の問いかけを無視して、何度も同じ言葉を繰り返す電話の主に、匠は苛ついた。

「くだらないいたずらなんかするな」

 子供だろうと、迷惑なものは迷惑だった。

『ほどよく腐ったか』

 まるで録音した音声データを再生しているような感じだ。声が聞こえる度に雑音がする。

 おそらく、電話口で音声を再生して、本人はこちらの言うことなど聞いてないのだろう。

「いい加減にしろよ。今度電話してきたら、警察に通報するからな」

『なら行くか』

 突然電話が切れた。

 匠は拍子抜けして電話を切った。

「なんて言ってた?」

 里花が心配そうに訊ねてきた。

「行くかとか言ってたけど、どうせ来ないだろ」

 すると、里花がヒステリックに大きな声を上げた。

「やめてよ! 本当に『死ぬ電話』だったらどうするのよ。ひとじゃないかもしれないじゃない」

 匠は肩をすくめて大仰にため息をついた。

「『死ぬ電話』とか信じるのか? それに幽霊が電話なんて掛けてくるか? よく考えてみろよ」

 ピンポーンピンポーン

 チャイムがいきなり鳴った。

「キャッ」

 里花が驚いて悲鳴を上げて、キッチンに逃げた。

 それを見て匠はわざとらしいと思いながら、インターホンのモニターを確認する。

 誰も映っていない。

 しかし、チャイムは鳴り続けている。

 ピンポーンピンポーン

 ピンポーンピンポーン

 どういうからくりかは分からないが、犯人はカメラの死角に立っているのだろう。

「ちょっと見てくる」

 匠は廊下に出て玄関に向かった。

 感知センサー式のライトが点いて、玄関が明るく照らし出された。

 ピンポーンピンポーン

 ピンポーンピンポーン

 しつこいなと思いながら、チェーンを掛けたまま、玄関ドアを開いた。

 その途端、外の空気が塊になって、そのまま匠の背後へと舞い込んでいった。残暑の風が階段を駆け上がり、クーラーの冷たい空気が入れ替わりに出ていった。

 チェーンの隙間から、外を覗くが誰もいない。

「やっぱり、いたずらか」

 とはいえ、直前までチャイムを鳴らしていたのに、ドアを開けた途端いなくなるのは不自然かつ不可能だ。

 匠は幼い頃、光一郎が誰もいないはずの玄関の引き戸を叩く音に向かって、何か唱えていたのを思い出した。光一郎の呪文で、その音はたちどころに消えた。

 もしかするとそれと同じ理屈で、光一郎の竹簡を鳴らせば、さっきまでの怪異は消え去るのではないかと考えた。

 すぐに仕事部屋の座敷に入っていき、竹簡を取り出して、玄関でじゃらじゃら鳴らした。

「何してるの。だれかいたの?」

 里花が恐る恐る廊下に出てきて、竹簡を鳴らしている匠を不思議そうに見つめた。

「お祓いをしてるんだよ。霊的なものかもしれないだろ」

 途端に、里花の表情が変わる。無表情になって、そのままリビングに戻っていった。

 それを見て、除霊師の嫁の癖にと、匠は舌打ちをした。



 翌朝、布団の中で匠が惰眠を貪っていると、里花の叫び声が聞こえて目を覚ました。

 二階から里花の奇声が聞こえてくる。

 何事かと思い、布団から出て二階に向かうと、里花が耀の部屋で、叫びながら耀の名を呼んでいた。

 部屋に入ると、耀を抱きしめた里花が体を前後に揺らして泣いている。

 それを見た匠は、さすがにただ事ではないことに気付いて、里花に駆け寄ると跪いて耀を見やった。

 紙のように白い顔色の耀の光のない濁った瞳が目に入った。

 匠の背筋にぞっと寒気が走る。

 この瞳は何度も見た。

 一割の説明が付かない何かだ。

 光一郎が脳死状態になった、あの除霊しようとした子供に似ている。連れてこられたはいいが、全く歯が立たないまま死んでしまった他の子供と同じ目だった。

 ここに至って、やっと匠は気付いた。

 あの日、子供の口から漏れ出た老婆の声と、いたずら電話の声。

 全く同じ物だ。

 匠は立ち上がり、いきなり、耀のランドセルや学習机の引き出しを漁り始めた。

「何してるのよ!」

 匠の奇行に気付いた里花が叫ぶ。

「ラムネ瓶、ラムネ瓶を見なかったか」

「何のことよ! 早く救急車を呼んで!」

 ラムネ瓶があるはずだ。あれが鍵だ。老婆の声も何もかも、あのラムネ瓶が関係しているのだ。

 里花が半狂乱で、匠を罵っていると同時に、玄関ドアが叩かれ、チャイムが鳴った。

「久世先生! 久世先生!」

 だれか分からないが切羽詰まった声で叫んでいる。

 匠は我に返り、階下へ行こうとした。

「どこに行くのよ! 耀が大変なのに! 早く救急車を呼んでよ!」

 匠は耀を見て、もう助からないと分かっていた。だから、きっぱりと、里花に言った。

「救急車はおまえが呼べよ。俺は依頼人と会ってくる」

 それを聞いた里花が奇声を上げた。

 匠はそれを背中で聞きながら、無視して玄関を開けると、依頼人を招き入れた。


 連れてこられた子供は、今まで匠ではどうすることもできなかった、まさに一割の説明が付かない何かだった。

 依頼主の夫婦が、家中に響く里花の叫び声に驚きながら、座敷に子供を連れて入ってきた。

 まだパジャマ姿だった匠は、依頼主に少し待ってもらい、スーツに着替えて座敷に戻った。

 表から救急車の音が聞こえてくる。里花が呼んだのだろう。そんなことをしても無駄なのに、耀はあの怪異に殺されたのに。光一郎ですら祓えなかった恐ろしい怪異だと、苦々しく思いながら、目の前の子供と対峙した。

 子供の手にはラムネ瓶が握られていて、やはり他の子供の時と変わらず、ラムネ瓶は真っ黒だった。

「そのラムネ瓶を」

 匠が手を差し出すと、父親が子供の手からラムネ瓶を取って、匠に手渡した。

 耀もラムネ瓶を持っていた。聞いても教えてくれなかったが、大切にしていたのは確かだ。光一郎はこれを呪物と言った。おそらく、このラムネ瓶と謎の声が原因だ。

 ただ、怪異がわざわざ電話を掛けてきた理由が分からなかったが、今は除霊に専念するべきだ。ラムネ瓶が原因だと分かったのだから、これをどうにかすれば、きっと子供もなんとかなるに違いない。怪異の始末はそれからだ。

 受け取ったラムネ瓶を匠は大黒柱にたたきつけた。

 割れたと同時に子供が叫んだ。老婆の声ではなく、子供のつんざくような悲鳴。目の前で、子供の顔が歪んでいく。軋むような奇声を上げ、やがて子供は力をなくして、母親の胸の中で動かなくなった。

 それを見た母親が泣き叫んで子供の名前を呼んだ。

 父親がわなわなと震えながら、匠を睨みつけて怒鳴った。

「このインチキ野郎が! この人殺し!」

 匠は突然罵られた事に憤慨して、父親を睨みつける。

 ちゃんとラムネ瓶を割って呪物を排除した。子供のためを思ってやった事だ。インチキと言われる筋合いはない。むしろ、助からない子供を引き受けてやった事を感謝してほしいくらいだ。

 真っ黒になったラムネ瓶を持った子供は助からない。絶対に助からないのだと、匠は歯噛みした。

 頭ごなしに罵られて、他人のために最善を尽くした自分をないがしろにする依頼主に怒りを覚えた。

 母親がスマホで救急車を呼んだのか、またサイレンの音が近づいてきて、家の前に停まった。

 開け放たれた玄関から、救急隊員が担架を持って入ってくる。バタバタと騒がしく子供が運ばれていき、やがて匠だけが取り残された。

 怒りで頭に血が上り、目の前が真っ赤に見える。

 俺は精一杯やった! 匠は何度も心の中で怒鳴った。

 光一郎が、あの特別な力を自分に授けていれば、もっとうまくやれた!

 しばらくして、冷静になった匠は、割れたラムネ瓶を片づけようと立ち上がった。大黒柱に目をやったが、ラムネ瓶は跡形もなく消えていた。



#創作大賞2025   #ホラー小説部門

いいなと思ったら応援しよう!

🐱藍上央理🐱 面白かったら、応援よろしくお願いします。いただいたチップは小説家としての活動に使わせていただきます!