見出し画像

【決意表明】会社から「副業の手本になれ!」と言われた話

「副業制度の手本になってほしいので、本格的に副業してください!」

「はい!? …えっと、どういうことですか?」

今回はこんな言葉から始まった出来事から、これから僕 あじゅまる がこのnoteで書いていく記事についての話をしたためてみました。

僕の細かな経歴やマンガ遍歴はプロフィール記事を見ていただけると幸いです!

noteにおける決意表明としての長~い記事になるので、前置きは短めにいきたいと思います!


副業の手本になってと言われて困惑

とある先日の出来事、上司である人事部長に呼び出され「あじゅまるさんには、うちで推進する副業制度の手本になってほしいので、本格的に副業してください」と言われ、僕はその場で笑ってしまいました。

率直に「副業の手本ってなんじゃそりゃ…」と、頭の中に?マークが湧きまくって、この言葉を聞いたときは「一体この会社は何がしたいんだろう…」って真面目に考えさせられました。

僕の会社では既に副業制度を始めるにあたり、事前に社内で一部の人は試験的にプレ実施してます。

例えば休日にヨガの先生をやっている人もいれば、整体師をしている人、平日の仕事終わりに深夜まで倉庫で物流の仕分けをしている人がいるんですよね。

そして、僕もその中の1人ではあったんですが、せっかくの休みに働くのも嫌だし、特別やりたいこともないので、このnoteのマンガ紹介にAmazonアソシエイトを設置だけして副業の申請をしていました。

それなら趣味の延長で気楽だし、仕事としての責任を持たなくてもいいし、そもそも時給換算で働こうみたいな計算やお金(数字)に追われている感じがしなくていいかなって思ってたんですよね。

ちなみに僕のAmazonアソシエイト(商品リンクを貼ってそのリンク先から購入してもらった紹介料)の金額は年間で1万円にも満たないです。(笑)

なので、単純に趣味としてマンガを紹介しながら、稀にAmazonポイントが副業収益で入ってきたタイミングで、気になっていたマンガを買うという循環になっていました。

そんな現状なのに「副業の手本になってほしい」なんて言われて、一体どういうこと?って疑問だったので理由を尋ねたんですよね。

そうしたら「副業を推進して第二の収入源を持つ機会の有用性を知ってもらいたい」ということと「体を酷使するしんどいイメージをなくしたい」なんて言われました。

その言葉を聞いたとき、僕は本気で副業している方をバカにしているんじゃないかって心配になっちゃいました…。

たしかに世の中にはわかりやすく副業で成果を出している人がいて、SNSのフォロワーが何万人もいるインフルエンサーやyouTuber、動画編集、Web制作、物販など、いかにも「副業」と聞いてイメージしやすい活動をしている人たちがいます。

それらに比べると僕がやっていることは、単純にマンガを読んで、あらすじや感想を少し書いて、その作品の名言を書き綴るだけです。

それを「体を酷使するしんどいイメージをなくしたい」なんて表現するとは恐れ多し、誤認される可能性が高すぎて怖すぎる…。

それに、もし僕が本格的な副業にするならば、何か有益な情報を発信できるのか、何か価値を見出してお金を払ってでも読みたいと思ってもらえる情報があるのかって、普通に悩みました。

パッと思いついた中でやれそうだと感じたのは、マンガを読み、そこから仕事やキャリアや人の成長について考え、人材育成や教育の現場で感じてきたことを物語の力を借りて言語化してみるくらいかなと…。

採用や研修の仕事で見てきた「人が変わる瞬間や組織が人を潰してしまう瞬間」を、マンガの登場人物たちの葛藤と重ねながら文章にしてみることならイメージできたんですよね。

僕は「そんな記事を販売する感じでしょうか?」と逆提案してみましたが、返ってきたのは僕が想定していなかった、そんな考え方もあるのかとハッとさせられる言葉でした。

副業という言葉を聞くと多くの人は本業とは別の場所でお金を稼ぐことだと思うんだ。もちろん、それも間違ってない。でも君には、仕事で得た経験は会社の中だけに閉じ込めなくてもいいと証明してほしいんだ!

僕の中で副業のイメージは、生活を豊かにするために収入源を増やすことや会社に依存しすぎないキャリアをつくること、自分の市場価値を高めることでした。

でも、僕が会社から求められたのはたぶんそれだけではなくて、本業で培った専門性を外に開くこと、会社の看板だけじゃなくて1人の人間として自身の学びを外に届けられるのかを示すことだったんです。

そう言われた僕は、これっていわゆる稼ぐための副業とはかなり違うな…って少し戸惑い、「副業の手本になってくれ」の言葉の裏にある想いを形にできるのか、いろんな考えが頭の中をぐるぐる駆け回り、僕は少し黙ってしまいました。

この出来事をキッカケに、僕は「仕事で得た経験は会社の中だけに閉じ込めなくてもいいんだ」ということを、これから僕に続く社員たちに先にやって見せることについて改めて考えるようになったんですよね。

そして、なぜ僕は人材育成と組織開発、そして自己肯定感について書くのか、マンガとキャリアをつなげて語るのか、会社からなんで副業の手本になれと言われたのか…、なんて答えをこの記事では書いてみたいと思いました。

僕はただのマンガ好きな心理的理論の紹介者ではないし、人材育成や組織開発、自己肯定感を机上の空論として語りたいわけでもないけれど、僕が届けたいのは「自己肯定感の持ち様で人は変わる」というです。

それが、僕が会社に求められた「副業の手本」としての姿であることを信じて…。

教室の外にもある教育に気づくまで(大学時代)

僕の人生を振り返り、原点を探求して出てきたキーワードは「教育」でした。

高校時代に不登校を経験し、人生を変えるマンガを紹介してくれた先生と出会ったことで僕は教員を目指そうと思ったのがキッカケだったと思います。

でも今思えば、小学校・中学校と子どもの頃から関わる大人って親以外には先生であることもあって、普段から見慣れている憧れやすい大人像が先生だという単純な理由だったのかもしれません。

そんな影響から、誰かの人生に関わる仕事がしたいと思うようになったし、自分が何かを教えたことでその人の考え方が変わったり、できなかったことができるようになったり、知らなかった世界が見えるようになったりする。

人が学び、変わっていく過程、そんな瞬間に立ち会える仕事に強く惹かれていましたし、もちろん現実の教育はそんな美しいことばかりではなくて、伝えても伝わらないことや努力がすぐ結果につながらないことも魅力の1つになっていました。

特に大学時代はアルバイトにボランティアといろんな教えるという経験をしてきて、なぜ同じことを伝えても届く人と届かない人がいるのか、なぜある人は環境によって一気に伸び、ある人は環境によって自信を失ってしまうのかと思っていました。

少年自然の家でのボランティアでは小学生と、家庭教師のアルバイトでは中高生と、スポーツクラブのアルバイトでは年配の方と、多様なコミュニケーションや言葉遣いの中で、「なぜ人は変わるのか」という問いをうまく言葉にできなかったんですよね。

そして社会人になってから気づいたのは、教育は教室の中だけにあるものではないし、いろんな社会の中にあるからこそ、いろんなところに行ってみようと言われるのも頷けました。

でも学校の延長線上にあるのが会社・職場であって、人は職場でも成長していくし、それこそ義務教育・学生時代よりも長い時間をかける場所と考えると、そこにいる人たちとの関係で変わるものもあると思うんです。

人は、任され方、声のかけられ方、失敗したときの支えられ方によって、自分の可能性を信じられるようにもなるし、逆に折れてしまうこともある…。

職場は人が育つ場所であると同時に、人が潰れてしまう場所でもあるんだという実感が今の僕の原点になっています。

僕のキャリアは全く一直線ではなくて、地元の高校を出て地元の私立大学へ進学し、大学時代には教員を目指していたけれど、新卒では自動車ディーラーの営業職として社会人生活を始めました。

その後、メーカー企業へ転職して人事として研修・採用担当をスタートしながら、それと同時並行で地方国立大学大学院の教育学部に進学して教育やキャリアについて学びを深めてくことになります。

職場は人を育てる場所であり人を折る場所でもある(新社会人)

振り返ると1つひとつの選択はバラバラに見えるかもしれませんが、ちゃんと全てが繋がっていたんです。

その中でも社会人として第一歩を踏み出した新卒入社の自動車ディーラーの経験は、自分の価値観が大きく揺れたように思います。

学校の勉強と会社での仕事の違いとして僕が圧倒的に感じたことは、マニュアル通りには進まないし、人は正論だけでは動かないし、努力しているつもりでも成果につながらないことがあります。

僕はこれら全部を経験してきたし、例えば何か失敗してしまっても支えてくれる人と責めてくる人がいました。

また、同じ環境で働いているけれど、成果を上げて伸びていく人と折れてしまう人がいるその違いは、本人の能力だけでは説明できません。

誰がどう関わるか、どんな言葉をかけるか、どんな任せ方をするか、失敗した後にどんな意味づけをするか、周囲がその人の可能性をどう見ているか…。

職場には人を育てる力があるし、それと同時に人の自信を奪う力もあることを僕は実務の中で知れたからこそ、僕は人材育成を「研修を実施すること」だけだとは思いません。

僕は人材育成って、日々の関わり度合いの総量・集大成のようなものだと思っているんですよね。

上司の一言だったり、先輩の態度、任せる仕事の大きさ、失敗を受け止める空気、挑戦を許す文化、評価のされ方、困ったときに助けを求められるかどうかなどが人を育てるのだと。

学校教育の場合だと先生と生徒の関係で、教室で授業し、教科書で学んだことをテストするわかりやすい教育の世界ですが、会社に入ってみると学校教育とやっていることは似ていても、仕事を教わる・教えることの解像度が全然違う…。

後輩が失敗したときにただ叱るのではなく次にどうすればいいかを一緒に考えてくれたり会議で発言できない人に安心して話せる空気をつくったり、異動してきた人が早く職場になじめるように周囲が関わったりと、いろんな要素があります。

それに会社って学校の教室ではないので、この時間はこれといった区切りもなければチャイムも鳴らないし、黒板に書かれたことをnoteに写すことはしないけれど、誰かの言葉から、誰かの態度から、誰かの仕事ぶりから、知らないうちに学んでいます。

それと同時に、会社の風土・環境によって変わるものもたくさんあって、どれだけ能力がある人でも環境が悪ければ力を発揮できないし、どれだけ真面目な人でも否定され続ければ自信をなくすし、どれだけ意欲がある人でも挑戦できない空気の中ではだんだん黙るようになる…。

逆に、少し不器用でも、周囲が見守り、挑戦を認め、失敗から学べる環境があれば、人は伸びていくという事実を見てきたことが僕にとっては大きくて、人を育てるときの大切なポイントを学びました。

本人の努力だけを見るんじゃなくて、その人が置かれている環境を見てあげることが大切なのだと…。

「なぜこの人はできないのか」ではなく「この人ができるようになるために何が足りないのか」を考えてみたり、「やる気がない」と決めつける前に「やる気が出る構造になっているか」を見直してみたり、「向いていない」と切り捨てる前に「向き合い方を教えたのか」を自分に問いかける。

カーディーラーでの僕の1年目は散々たる結果で、全営業の中でワースト1位になれば、本社に出向いてお偉いさんたちの前で商談ロープレをしてダメ出しをもらう研修という名の指導が入る。

何か失敗があっても店長を含めて誰もかばってくれないし、フォローもしてもらえず、自分のミスは自分でどうにかするスタンスは応用力が鍛えられましたが、それが苦痛になった同期は1年を経たずに辞めていきました。

けれど2年目から店長が変わり、現場のたたき上げでトップ営業となった新店長の指導は、無駄を省き、余った時間でいかにお客さまに寄り添うかをだけを考え、スタッフの失敗にはすべて自分の責任だと矢面に立ってくれました。

もちろん自責・他責の部分で、僕自身の責任感や主体性の問題もあったと感じていますが、これらの経験が教育とは個人に向き合う仕事であり、環境を設計する仕事でもあるんだって、僕の中に深く残ったんですよね。

だからこそ、現在のメーカーの人事部というポジションで行う組織開発については、単純に制度を作れば終わりって考え方をどれだけ捨てられるかを大事にしています。

制度が現場でどう使われるか、理念が日々の行動にどう落ちるか、管理職がどんな言葉で伝えるか、若手が安心して挑戦できるか、失敗が学びに変わるか、小さな行動が積み重なって文化になるか…までを見なければ組織は変わらないんです。

現場で抱えた問いを学問で掘り下げた時間(大学院時代)

そんな新卒で入社したカーディーラーでの経験とプライベートでの接点もあって、僕は転職と同時に大学院で教育学を学び直し、教育学を軸にしながら、哲学や心理学にも触れました。

学校の教育に携わるつもりはありませんでしたが、民間企業の中で、社内の中でできることは何かないだろうか?って、現場で感じた問いにもっと深く向き合いたかったんですよね。

人はなぜ学ぶのか、変わるのか、働くのか、悩むのか、自分の可能性を信じられなくなるのか、そして他者はその人にどう関われるのか…。

現場だけを見ているとどうしても目の前の問題への対処に追われていて、人事部という仕事領域の中で研修内容だったり、面談で聞くこと、採用で誰を採るか、どんな制度があるかを考えながら、現場に落とし込む方法を考えています。

それらはもちろん大事だと思うんですけど、根っこの部分を考えないまま方法論だけを増やしても、人は本当の意味では変わらないんですよね。

僕は心理学を学びながら人の行動や感情の背景が見えるようになりましたし、哲学の分野でそもそも何のために働くのかとか、よい人生とは何かみたいな漠然とする大きな問いに向き合いました。

そして教育学を学んでみると、人を育てるという行為が単なるスキルの伝達ではないことに気づけて、人材育成ってテクニックだけでは足りないことを知識からも得ることができました。

面談の型を覚えるだけでも、研修資料をきれいにつくるだけでも、評価制度を整えるだけでも不十分で、その人が何に悩み、何を恐れ、何を大切にし、どんな未来に向かいたいのかに触れなければ、本当の意味での支援にはなりません。

大学院での学びは今の僕の仕事の土台になっているし、派手な資格や肩書きよりも僕にとってはこの「問い続ける姿勢」を得れたことが大きな財産になっています。

人生の分岐点に綺麗事だけでは立てない(採用現場)

現在の僕は上場企業で採用・研修の責任者として、採用・育成・研修・制度設計を含めた組織開発に携わり、外から理想論を語っている人にならないように気をつけながら、人と組織の問題に向き合っています。

特に採用の部分では毎年1,000〜1,500人ほどの学生と8年近く接してきたこともあって、約10,000人ほどの学生や候補者が何を不安に思い、どんな情報を求め、どんな瞬間に入社を決断するのかを見てきました。

そして、自分の強みや弱み、向いている仕事、会社選びの軸がわからないっていう悩みだったり、内定を貰ったけど本当にここでいいのかなって不安の言葉を何度も聞いて、僕もそんな彼らに綺麗事のだけの言葉を返せないと思ったんです。

これだけ多くの学生が自分と向き合ってくれて、そんな中で不安や期待、劣等感、価値観、人生観を必死に紡いできたことがわかる言葉が端々に出てくるので、軽い気持ちで「うちに向いているよ」と言うことができません。

その人が自分の人生を考える場でもあるのに会社が人を選ぶ場になりがちで、だからこそ採用担当者の言葉は重く捉えられがちだし、都合の悪い情報を隠して魅力だけを並べることもしたくない…。

だって入社後に「聞いていた話と違う!」ってとなるのはお互いに不幸だし、そもそもキラキラした煌びやかないい部分だけを話すんじゃなくて、悪いところや課題になっていることを正直に話す中で、だからこんな人と一緒に働きたいんだって伝えています。

人の人生に関わる仕事をしているからこそ僕は誠実でありたいし、別に学生に求めるわけではないけれど、良く見せようとせずにありのままで臨んでもらった方が人生の分岐点を一緒に歩める気するんです。

就活という人生の中でも特殊な期間だからこそ、僕はそこでたくさん得てもらいたいことのヒントを散りばめる教育に近しいことを意識して、渡せるものは全部渡すスタンスで臨むのが僕の採用活動における価値観なのかもしれません。

いい研修よりも行動が変わる仕組みをつくりたい(研修現場)

研修の部分では僕自身が講師として登壇することも増え、社内だけでも年間に20回以上の研修をしながら、たまに外部企業との合同実施や講話に近い形でたくさんの方に話す機会をいただいています。

だけど僕の中で課題になっているのは、受講者がめちゃくちゃ退屈そうだったり、実際に伝えたことが現場で実践されなかったり、そもそもこの研修は必要なのか?と目的と効果を経営層に示すところから苦戦することです。

研修内容には多様なジャンルのプログラムもあれば、受講者は役職の階層別や年代別などいろんな区切り方をして、どうすれば知識が行動に変わるのかを考え続けてましたが、本当に制度設計と合わせてなかなか上手くいきません…。

研修の現場では、何を学べば成長できるのかわからない、聞いた内容が現場で使い物にならない、そもそも上司との関係がしんどい、部下にどう関わればいいかわからない、自分の仕事に意味を見出せない…って悩みを何度も見てきました。

そして組織の現場ではさらに複雑な問題が起きていて、理念や制度、研修制度に評価制度があったとしても、追加で1on1面談やキャリア面談も導入していても、人が育たないし、組織が変わらないし、なにより現場の空気が変わらないんです。

なぜそんなことになるのか答えはシンプルで、密接に関わり合いがあることなのに同時に行うのは難しいんです。

別に制度があるからといってその制度では人を変えないし、言葉になっていない理念は文化にならないし、現場で使われない研修は行動を変えないし、管理職の関わり方が変わらなければ若手の行動も変わらないし、挑戦しても報われない空気があれば人は挑戦しなくなる…。

だからこそ僕は、人材育成に必要なのはいい研修を1回やることではないと思うし、組織開発に必要なのは立派な制度を作ることだけではないと思っています。

本当に必要なのは人が変われそうだと思える関わり方ができる風土があって、そこには現場で使われる共通言語がちゃんと認識されていて、小さな行動が積み重なって文化になる仕組みであることなんです。

でもこれって哲学的な考えも混じっているからこそかなり偏った理想論になっていて、その理想を具現化するかが僕に与えられた命題・仕事になっています。

復讐心から始まった資格が人生を見る視点をくれた(キャリコン)

僕は在職中にキャリアコンサルタントの資格も取得しましたが、その理由は誰かの支えになりたい!とか、仕事で活かしてキャリアアップしたい!なんてポジティブなものではなりませんでした。

「あじゅまるさんって研修講師してるけど、ちゃんとした専門家でもないくせに理論とか語られても説得力ないし、そもそもまだ20代のあなたになんでこの会社で20年以上やってきた私に口出しられなきゃいけないの?」という批判的な声…。

これが僕の怒りというか、「今に見てろよ…、専門性を身につけてなんも言えないようにしてやるからな!」って、殺意がこもるくらいの復讐心が僕を突き動かしました。

そして実際に養成講座で勉強をいざ始めてみて驚いたのは、キャリアコンサルタントってカウンセリング(キャリアコンサルティング)を行う仕事がメインで、カウンセリングのためにちゃんとした理論があることを知っておきましょう!というものだったんです。

昔から問題解決型の思考をするタイプだったので、人から相談されても「なんでこんなことでや悩んでんの?そんなのこうすりゃいいじゃん!」って決めつけたり、アドバイスをして即終了のパターンでした。

でもキャリアコンサルタントの重要な役割は「その人らしく、ありたい姿でいてもらうこと」なので、答えを上げてはいけないし、自分で見つけてもらわないといけないからこそ、決めつけやアドバイスはご法度なんですよね。

「あなたが○○と感じた理由は何ですか?」とか、「そう言われて、どう思ったんですか?」とか、「当時のあなたに今のあなたならなんて声をかけますか?」とか、相手に寄り添いながら、心の奥でどう感じ、どうしたいと思っているのかを引き出していく…。

僕はちゃんと資格を取得してカウンセリングのスキルは身につけましたが、それを活かそうとするとイライラが止まらず、「そんなまどろっこしく考えてないでこうして!」って言っちゃいそうになるので、極力カウンセリングは避けています。(笑)

でも僕の中で大切にしているのは「キャリア」という言葉の捉え方で、一般的には職歴や出世、転職市場での価値」のように語られがちですが、本来のキャリアはもっと広い意味を持っています。

どう働くか、どう生きるか、何を大切にするか、どんな人と関わるか、どんな役割を担いたいか、何に納得して何に違和感を持つのか…って、キャリアとは人生そのものに近い。

だから僕は、学生や社員と向き合うときにはその人がどんな未来を望んでいるのかだったり、どんな環境なら力を発揮できるのか、何を失うと苦しくなるのか、どんなときに自分らしさを感じるのかまでを考えたキャリア支援を意識しています。

もちろん現実には会社の事情もあってすべての希望が叶うわけではないけれど、配属も評価も制度も、個人の理想だけで動くものではありません。

それでも、会社の論理だけで人を動かしてはいけないし、人の人生を組織の都合だけで語ってはいけないんだっていう感覚は、僕が人事として大切にしているものの1つです。

人の心を知りたくて学びを深めた先に(公認心理師)

キャリコンの資格を取得したことで、僕は以前よりも相談された瞬間に「そんなの、こうすればいいじゃん!」と答えを投げつけるような勝手に問題を解決するんじゃなくて、人の話を丁寧に聞けるようになったと思います。

相手が何に悩んでいるのか、どうしてその出来事を苦しいと感じるのか、本当はどうしたいのか、そして、自分の言葉ではまだ説明できていない感情が、その人の中に隠れていないか…。

キャリコンの学びを通じて目の前にいる人が発した言葉だけではなく、その言葉の奥にある背景を考えるようになったんです…が、僕の中には学べば学ぶほど新しい疑問も生まれてきました。

そもそも、人の悩みは「キャリア」という言葉だけで綺麗に分けられるものじゃないじゃん!って…。

仕事がつらいという悩みの奥に、上司との人間関係が隠れていることもあれば、自分には価値がないという感覚が隠れていることもあります。

転職したいという言葉の裏に、本当は仕事を辞めたいんじゃなくて、今いる場所で誰かに認めてほしいという気持ちがあることもあります。

やりたいことがわからない人が、実は何も望んでいないんじゃなくて、失敗して傷つくことを恐れて望むこと自体を諦めている場合もあります。

キャリアの問題に見えて、実際には自己肯定感や過去の経験、人間関係、心の疲れが複雑に絡み合っているし、人の人生は仕事や家庭、感情、健康、人間関係を別々の箱に入れて整理できるほど単純ではないんですよね。

大学院では教育学を軸にしながら哲学や心理学にも触れていましたが、キャリコンの資格を取得したことで、改めて心理学をもっと深く学びたいという気持ちが強くなりました。

…というと、ものすごく立派な向上心で勉強を始めたように聞こえるかもしれません。

でも実際には、僕の中にあったのは「自分の知識は本当に目の前の人を支えられるレベルなのか?」、「心理学の言葉を知っているだけで人の心を理解した気になっていないか?」という不安でした。

そんな不安を埋めるように、僕は大学院の在学中にメンタルヘルスや心理支援に関する資格を次々と取り始めたんですが、しんどかったのは1つの資格を取得するとその勉強の中で知らない言葉が出てくるんですよね…。

そして、知らない言葉を調べるとまた別の理論や資格にたどり着き、この無限ループをどうやって頼みそうかと考えたときに、「これも仕事に役立つかもしれないし、せっかくならこっちも勉強してみよう」って思うようにしてみました。

そうしたらいつの間にか、「ここまで学んだなら資格という形に残そう!」って考えになっていて、気づいたときには完全に資格を取りまくる人になっていました。(笑)

ストレスやメンタルヘルスについて学び、心理的な不調が起きる背景を学び、人が自分を守るためにどのような反応をするのかを学び、認知や感情、行動の関係を学び、同じ出来事を経験しても、人によって受け止め方が違う理由を考える…。

資格を1つ取るたびに、「これで人の心がわかるようになった!」と感じるどころか、むしろ人の心はそんなに簡単にわかるものではないと思うようになりました。

資格の勉強を始める前の僕は、人の悩みに対してどこかで正解を探していたんだと思います。

この状況ならこの言葉をかければいいやとか、このタイプの人には、この方法が有効だ!って、そんなふうに、人の心にも再現可能な攻略法があるような感覚を持っていました。

でも心理学を学ぶほど、1つの正しい言葉がすべての人を救うわけではないことがわかってきます。

ある人を励ました言葉が別の人にはプレッシャーになることがあって、「期待しているよ」という言葉を力に変えられる人もいれば、期待に応えなければならないと自分を追い込んでしまう人もいます。

失敗を成長の機会だと思える人もいれば、過去に失敗を強く責められた経験から失敗すること自体を恐れる人もいます。

だから大切なのは、正しい言葉を覚えることなんかじゃなくて、目の前にいる人にとってその言葉がどのような意味を持つのかを考えることだったんです。

一方で、資格を増やしていく中で気づいたこともあって、資格を取得したからといって人を支えられる人間になれるわけではないんですよね…。

試験に合格するための知識を覚えて、認定証を受け取って、プロフィールに資格名を追加したとしても、目の前にいる人の話を雑に聞いてしまえば意味がないんです。

専門用語をたくさん知っていても、その言葉を使って相手を決めつけてしまえばむしろ人を傷つけるし、心理学の言葉は人を理解するために使うこともできますが、人を簡単に分類し、わかった気になるためにも使えてしまいます。

人を支えるために学んだ知識が人を評価して切り捨てる道具になってしまう…というのは、僕がもっとも避けなければならないことでした。

そんな学びを続けた先で、キャリコン取得と同時並行で僕は公認心理師の資格勉強を始めました。

キャリコンの資格を取ったときの僕には「専門家でもないくせに」と言われた悔しさがあって、資格を取って、知識を身につけて、もう何も言わせたくないという復讐心が根っこにあったんですよね。

でも公認心理師を目指したときには、誰かを見返したいというよりも「知らないまま人の人生に関わることが怖い」という不安とちゃんと支えになるような関わりがしたいって動機に変わっていたように思います。

人事の仕事では、採用や研修、配置、評価、面談、制度設計を通じて、人の人生に少なからず影響を与え、こちらにとっては何気なく伝えた一言でも、相手にとっては自分の価値を否定されたように感じるかもしれません。

成長してほしいと思って与えた仕事がその人にとっては限界を超える負担になっているかもしれないし、励ますつもりで伝えた「もっとできるよ」という言葉が「今の自分では足りない」というメッセージとして届く可能性もあります。

もちろん、心理学を学んだからといって、公認心理師の資格を取ったからといって、すべての人の心を正確に理解できるわけではないし、相手の表情を見ただけで悩みがわかる特殊能力が身につくわけでもないです。

むしろ、資格を取得して強く感じるようになったのは、人の心は外から簡単に判断できない、同じ言葉でも人によって意味が違う、本人ですら自分がなぜ苦しいのかを説明できないことがあるんだって、わかったつもりはダメってことでした。

だからこそ、すぐに答えを出さないし、安易に決めつけないし、必要なときには適切な専門家や支援につなぐことも意識しながら、何よりも本人が自分の人生を自分で選ぶ力を奪わないことを僕が人と関わる仕事の中で大切な姿勢だと思うようになりました。

僕は現在、心理支援を専門にして臨床の現場に立っているわけではなくて、単なる民間企業の人事として、採用、研修、人材育成、制度設計、組織開発に携わっています。

だからこそ、心理学の知識を使って人を診断したいわけでもなければ、誰かの心を治せると言いたいわけでもないけれど、僕がしたいのは「人が必要以上に傷つかなくてもいい組織」をつくることです。

失敗しただけで自分には価値がないと思わなくてもいい環境や困ったときに助けを求めても評価が下がらない関係、自信を失っている人に根性論ではなく、その人がもう1度「自分にもできるかもしれない」と思える関わり方…。

そして、心が限界になるまで我慢させるんじゃなくて、その前に周囲が変化に気づける仕組みをつくりたいんです。

心理学の知識を誰かを分類するためでなんかじゃなく、人が安心して働き、挑戦し、成長するために使いたい…。

今の僕が自己肯定感や人材育成についての記事を書こうと思えるのは、心理学の理論を知っているからだけじゃなくて、自分自身が人の心をわかったつもりになって、正論を押しつけ、失敗し、そのたびに学び直してきたからです。

だから僕は、「自己肯定感を高めればすべてうまくいく」といった綺麗な言葉だけを届けることはしたくないし、人がどんな関わりによって自信を失うのか、組織のどんな仕組みが人を追い詰めるのかを考えられるようにしたい。

そして何よりも、1度自分の可能性を信じられなくなった人がどうすればもう1度「自分にもできるかもしれない」と思えるのか、人を簡単に決めつけず、人の可能性を諦めずに関わっていきたいと思っています。

僕が届けたい価値とマンガの魅力

ここまで僕の教育や組織ついての想いを語ってきましたが冒頭の副業の話に少し戻すと、僕が届けたいのは「自己肯定感の持ち様で人は変わる」という結論に至りました。

自己肯定感という言葉を聞くと「自分を好きになること」や「自信を持つこと」をイメージする人が多いかもしれませんが、もちろんそれも自己肯定感の一部ではあるんだけど、ちょっと足りなかったり部分があります。

僕は現場の感覚と教育学を知識と実践で学び、その中で哲学や心理学にも触れながらキャリコン・公認心理師の資格を通じていろんな理論も学んできたからこそ、僕の強みは自己肯定感に関する小難しいことを翻訳できることだと思ったんです。

失敗しても自分の存在まで否定しないこと、人よりうまくできなくても自分には価値がないと決めつけないこと、誰かの期待に応えられなかったとしても、自分の人生そのものが失敗だったと思わないこと、苦しいときに、「自分が弱いからだ」とすべてを自分の責任にせず助けを求めてもいいと思えること…。

僕が考える自己肯定感とはどんな状態の自分であっても自分を完全には見捨てないための土台であり、僕は上場企業の採用・研修責任者として現場の組織課題に向き合い、多くの社員や学生たちと関わる中で自分の存在まで否定してしまう人を数多く見てきました…。

たとえば同じ失敗を経験しても、「次は頑張ろう」と切り替えられる人もいれば「やっぱり自分には無理なんだ」って、人によって捉え方の違いがあるんだけど、それを「考え方の癖」や「本人の性格」だけで片づけることはできません。

これまでどんな経験をしてきて、失敗したときに周囲からどんな言葉をかけられて、困ったときに助けてもらえたのか、努力や成長の過程を見てもらえたのかって、そうした周囲との関係や環境の積み重ねによって大きく変わります。

だから僕は自己肯定感を本人だけの問題として扱いたくないし、安心して失敗できる環境や、努力を見てくれる人、自分の話を否定せずに聞いてくれる相手、小さな変化を認めてもらえる経験が得られるように、現場の実践に落とし込みたい…。

人材育成において自己肯定感は無視できないものだと僕は考えているし、本人も周囲の環境も捉え方・見方を変えた日々を積み重なることで、人は少しずつ自分の可能性を信じられるようになります。

自己肯定感を高めることを単に人を優しく扱うことだとは思っていないからこそ、必要なことは伝え、ちょっとツラいときには受け止めづらいことがあるかもしれませんが、改善しなければならないことには向き合ってもらうメッセージを伝えていくつもりです。

だけど、できなかったという事実とその人自身の価値を混同するんじゃなくて、「あなたには価値があるから何もしなくていい」ではなく、「今はできなくても、学び、成長できる存在だと信じている」と伝えて、ノウハウを提供していきたいんです。

人を育てるために必要なのは無条件に甘やかすことではなく、その人の可能性を簡単に諦めないことなのだと思っているから…。

その提供できることの中に要素として盛り込むかどうかはまだ考え中ですが、僕が愛してやまず集め続けているマンガは現在70,000冊を超え、これはただのコレクションではなく人間理解の宝庫にもなっています。

でも、僕はこの領域もマンガにしかできない役割があると思っていて、ビジネス書は概念を教えてくれるけど、マンガは感情で教えてくれるという共感の差が大きくあると思うんですよね。

例えば「キャリアは主体的に選ぶものです」なんて言われてもどこか他人事に聞こえるかもしれませんが、才能を失ったキャラクターがもう1度自分の人生を選び直す物語を読んだらどうでしょう?

「何歳からでも人は自分の可能性を取り戻せるのかもしれない…」と思えるし、しかも小説と違うのはキャラクターの表情や姿勢から感情が読み取れて、文章から想像しなくてもいい。

また、マンガの登場人物は誰もが情熱的で自分の軸をブラさずに突き進んでいくキャラだけでなく、自分に自信を持てない人や才能がないと諦めている人、過去の失敗から立ち直れない人、周囲の期待に応えようとして自分を見失っている人も登場します。

そんな登場人物が誰かとの出会いや失敗、挑戦、葛藤を通じて、少しずつ自分の人生を取り戻していく姿を見ることで、僕たちは心理学の用語を知らなくても、自己肯定感が人に与える影響を感情として理解できます。

マンガには理論を血の通ったものに変える力があって、知識を物語に変える力や正論を感情に届ける力があるからこそ、ただの娯楽として見ていないんです。

もちろん娯楽として最高に面白いことは大前提にあるし、趣味を仕事にしたくないスタンスをずっと持ち続けていますが、同時にマンガは人間理解の教材でもあることも理解しています。

仕事・キャリア・組織を考える教材として、人がなぜ傷つき、なぜ立ち上がり、なぜ誰か繋がろうとするのか、人の心や人生を理解するための最高のケーススタディでもあるんです。

なので専門的な理論を人の心に届く翻訳装置として大好きなマンガを組み込まないかもしれませんが、マンガで得た知見も反映したメッセージにしたいと思っています。

まとめ:会社の意図と決意表明!(プチお詫び)

僕は人事部長から「副業をする手本になってほしい」と言われた後、いろいろ考えを巡らせながら僕にどんな成果を求めているのか、どれだけ稼ぐ想定を持っているかを伺いました。

冒頭で述べた通り、既にプレ実施されている副業制度では本業の収入に月数万円の生活費やお小遣いを稼ぎたいという人が実践しています。

「もし僕が本格的にブログ(note)で副業を始めたらどのくらい稼ぐのを想定していますか?」と尋ねると、「月5万円くらいかな~?」って言葉が返ってきました。

僕の憶測ですが、人事部長はnoteのことをあまり理解されていないので、たぶんページがクリックされたら収益が少しあって、アフェリエイト紹介料が今よりも少し増える感覚なのかな?と思いました。

なので僕は、「もし月の収入が本業を超えて辞めるなんて言いだしたらどうします?」と言うと、「そんな収入になることはないから大丈夫だよ~」と気楽な返事だったので、「もしそうなっても今の仕事が楽しいので辞めませんよ!」と返しました。

収入の認識に対して齟齬がありそうな感じではありましたが、僕が1つだけ悔しかったのは「本業の収入は超えない」という部分です。

「はぁ?そりゃそんな甘い世界ではないし、僕の市場価値がどんなものなのか試したことはないけど、あなたの見立てだと無理って判断なんですね…」って、かなり曲解した悔しさが湧いてきました。(笑)

このあたりは、キャリコンや公認心理師の学びを経ても変わらない僕の負けず嫌いな部分なんだと思います…。

だって、「人の可能性を簡単に決めつけてはいけない!」って発信しようとしている本人が、「無理だと思われた」というだけで火がついているのですから。

いま振り返ると恐ろしいですが、そんな悔しさとイラっとした感情から、「副業を社員の参考事例として本気で成功させるのであれば、書籍や情報収集、発信のための予算を出してもらえませんか?」と人事部長に交渉を吹っかけていました…。

最初は渋られましたが、その場で思いついた言葉をマシンガンのように怒涛の理論攻めでプレゼンしたことで、僕の決裁範囲である5万円から人事部長決裁の範囲である10万円を獲得できました。(笑)

会社から「副業してください」と言われ、さらに副業を成功させるための予算まで勝ち取るというなかなか不思議な状況ですが、ガチで成果を上げるためにそのお金を使いながら、マンガ好きなただの会社員が副業を始めるにあたって感が出した価値を証明できるのか、本気で挑戦してみようと思います。

ただ、noteの方向性として2つの守ることをお伝えしておきたいです。

まず1つ目は、「マンガ紹介・名言紹介はこれまで通り続けるし、頻度(週1-2回)も落とさない」ということ。

だって僕にとってマンガは心を癒してくれる存在の趣味で、仕事以前に人生の楽しみの1つであるからこそ、マンガに責任を持つ仕事はしたくないんです。

「読んだ内容を考察・分析して成果や収益につなげなければいけない」というような責任をマンガに背負わせた瞬間、僕の中でマンガが少し苦しくなる存在になってしまう気がしています。

もちろんマンガ紹介記事はこれからも全力で書きますし、読んだ作品の魅力を伝えたいし、まだ出会っていない誰かに届けたい想いがあるんです。

マンガから学べる仕事観や人生の視点も無料とか有料の区切りじゃなくて、好きなマンガ紹介として記事の中にこめていきます。

そして2つ目は「有料記事では自己肯定感に関する内容を中心に書いていき、学生向けの就活対策は絶対に有料にしない」ということ。

僕が大切にしたい想いの中には就職活動って本当に大変で、勉強や学外活動の忙しい合間を縫って、もちろんお金のためだけじゃない方もいますが、深夜までアルバイトに勤しむ方が多いんです。

就活が本格化し出すと、スーツ代や証明写真、書籍代、オンライン環境を整え、場合によっては、遠方への移動による交通費や宿泊費とお金がかかるし、そのうえ奨学金を抱えている方もたくさんいるんです。

そんな学生たちが就職するために、必要な知識を得るためにさらにお金を払わなければならない状況が僕にとってはどうしても理解できなくて、憤りを覚えているんですよね…。

新卒採用で使われる媒体も自分から企業を調べに行くマイナビやリクナビから、ダイレクトリクルーティングと呼ばれる企業からスカウトされるのを待つものになったり、紹介会社・エージェントに就活のほとんどを任せるようになってきました。

媒体が変わることで対策する内容も変わっていきますが、その中には詐欺まがいの悪徳ビジネスも横行していて、全国ニュースになることもあれば、実際に僕もそんな悩みを相談されることがあるんです。

もちろん就活に関する情報には価値がありますし、ノウハウ的な知識にも価値があって、それらを試行錯誤してきた経験を整理して届けることにも価値があることはわかっています。

でも僕は、就活において最低限知っておいた方がいいことや企業選びで後悔しないための視点、面接や説明会で自分を守るための考え方、何よりも自分らしく将来を考えるための期間に有益になる情報はもっとシェアされてもいいと思うんです。

だから学生向けの記事は絶対に無料で書くし、お金を払える人だけが就活で失敗しないための知識を得られ、お金を払える人だけが会社選びの視点を持てて、お金を払える人だけが自分を守る情報にアクセスできる格差をなくしたい…。

社会人の方の転職や資格勉強は自分で稼いだお金で努力するって見方なので、僕はその知識やノウハウは有料でもいいんじゃない?ってスタンスですが、学生にはそんな格差が生まれる構造にはしたくありません。

有料記事では「自己肯定感UP」の他に、僕の知識やスキルで提供できる「転職活動」や「キャリコン資格の勉強法」についてもシェアしていく予定です。

人生の転機は何がキッカケで起こるかわかりませんが、その転機をどう乗り越えるのか、お金を払ってでも得たいと思える情報を届けていきます!

そして、最後に1つだけ事後報告で申し訳ありませんが、プチお詫びさせていただきたいことがあります。

このnoteで副業してみることを決めてからいろいろと作戦を練る中で、まだ想定はしていませんがSNSで発信する際のことなども考慮したときに自分が何者であるかを表明するためにしっかりとしたURL(ID)に統一したいなと思ったんです。

そして、noteの設定画面からID変更をしたらこれまでのURLで掲載されていた記事が見れなくなる事態になり、もっとよく調べてから動けば良かった…と後悔しました。

皆さんになにか影響があるかというと基本的にはないんですが、僕の記事を引用して紹介してくれた方が何人かいらっしゃいます。

その方々の記事で「あじゅまるさんって人がまとめてくれていた○○作品の名言はこちら!」みたいなリンクは全てエラー表示になりました…。すみません…。

さらに個人的な痛手だったのが、今までGoogleやYahoo!の検索で「マンガ作品名 名言」で検索すると、だいたい僕が紹介している作品であればほぼ1番上でヒットしていたのが全くヒットしなくなりました。

これは今までたくさんの人に検索されてきたおかげもあり、信用されているページですよ!って、アルゴリズム的にページ表示の優先順位を上げてくれていたんだと思うんですが、そのURLが新しいものに変わったために狂ったんですよね…。

なので、僕のページは新規参入された誰も検索しない赤ちゃんページへと戻ったので、現在noteを利用している人ぐらいしか認知されないものになってしまいました。

まぁ自業自得なので、リフレッシュして心機一転で臨む再スタートとして歩みだすタイミングとしていいんじゃないか!って心にポジティブな言葉を言い聞かせています。

そんなこんなで、いろいろあった前途多難な決意表明となりましたが、新しく挑戦する気持ちを整理するための日記であることも含めて、この記事を残したいと思います。

それでは今回はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!

あじゅまる📚 いつも スキ・フォロー・コメント いただきありがとうございます✨ 皆さまからいただいた貴重なチップは「マンガ」や「専門書」などの書籍購入費用に充てさせていただいています📖