日本のお城はどう進化した?|戦いの砦から町の中心へ|日本城コース②|AllA / オールアトリエ

こんしは!
AllA / オールアトリエ講師の、オール・ドメディア / Owl Dmediaです。
全22講義で、日本のお城の歴史や構造、名城の魅力を楽しく学ぶ「日本城コース|種」。
一緒に学ぶ生徒は、赤い と金 / Akai Tokinです。
前回の講義では、お城は天守だけではなく、敵から身を守り、地域を治め、人々が暮らすための大きな仕組みだと学びました。
今回のテーマは、講義02。
「日本のお城の歴史」
現在、私たちが思い浮かべる日本のお城には、高い石垣や立派な天守があります。
しかし、日本のお城は最初から同じ姿をしていたわけではありません。
戦い方や社会の変化に合わせて、お城の場所、材料、役割も変わってきました。
今回は、日本のお城がどのように生まれ、発展してきたのかを一緒にたどっていきましょう。

昔のお城は、どんな姿だったの?
赤い と金
「先生、日本で最初のお城も、姫路城みたいな姿だったんですか?」
オール・ドメディア
「実は、最初から大きな天守や石垣があったわけではないんだ」
赤い と金
「では、昔のお城はどんな姿だったんでしょう?」
オール・ドメディア
「時代によって姿は違うけれど、始まりは人や土地を守るための防御施設だったと考えると分かりやすいよ」
昔の人々は、周囲に堀を掘ったり、土を盛ったり、木の柵を立てたりして、外から攻め込まれにくい場所をつくりました。
現在のような豪華な建物ではなく、まずは身を守るための場所として発展していったのです。
山に築かれた「山城」
武士同士の争いが増えると、敵に攻められにくい場所へ城を築く必要が出てきました。
そこで多くつくられたのが、山の地形を利用した山城です。
山城は、山頂や尾根の上など、高い場所につくられました。
高い場所にいれば、遠くから近づく敵を発見しやすくなります。
また、急な坂道や崖が自然の壁になるため、敵は簡単に登ることができません。
赤い と金
「山そのものを、お城の防御に使っていたんですね!」
オール・ドメディア
「そう。大きな石垣がなくても、地形を上手に使えば強い城をつくれたんだ」
山城では、山を削って平らな場所をつくり、土を盛った土塁や、地面を掘った堀切などを使って守りを固めました。
戦いのときに立てこもるための、実用的な城だったのです。

城は山から平地へ
戦国時代になると、城の役割はさらに大きくなりました。
敵から身を守るだけでなく、多くの家臣をまとめ、周辺の土地を治める必要が出てきたからです。
しかし、山の上は守りやすい一方で、生活や交通には不便です。
そこで、山の上だけではなく、丘や平地にも城が築かれるようになりました。
平地や低い丘に城を築けば、人や物を集めやすくなります。
城の周囲に家臣や商人、職人を住まわせ、町を発展させることもできます。
こうして、お城は戦いのための砦から、地域を治める拠点へ変化していきました。
天守と石垣のある城が登場する
戦国時代の終わり頃から、城の姿はさらに大きく変わります。
高く積み上げた石垣。
何重にも配置された門。
白や黒の壁を持つ櫓。
そして、城を象徴する大きな天守。
現在、多くの人が「日本のお城」と聞いて想像する姿が整っていきました。
天守には、周囲を見渡す役割だけでなく、城主の権力や技術力を示す意味もありました。
赤い と金
「大きな天守は、戦うためだけにつくられたのではないんですね」
オール・ドメディア
「そう。見る人に城主の力を伝える、巨大なシンボルでもあったんだ」
立派な城を見せることで、家臣や町の人々に安心感を与え、敵には自分たちの力を示すことができました。
江戸時代のお城は政治の中心
大きな戦いが少なくなった江戸時代、お城の役割も変化します。
もちろん、城には防御の設備が残されていました。
しかし、実際には戦いの拠点というよりも、政治や行政を行う場所として使われるようになります。
城主や家臣は城内で仕事をし、地域の決まりを整え、町を管理しました。
そして、城の周囲には城下町が発展していきます。
城下町には、武士の住む区域、商人の町、職人の町、寺社などが配置されました。
現在の日本の都市のなかにも、江戸時代の城下町をもとに発展した場所が数多くあります。
赤い と金
「昔のお城が、今の町の形にも関係しているんですね!」
オール・ドメディア
「道路の曲がり方や町名に、城下町の名残が残っていることもあるよ」
明治時代に多くのお城が失われた
江戸時代が終わり、明治時代になると、武士が地域を治める社会も終わりました。
役割を失ったお城のなかには、建物が取り壊されたり、土地が別の目的に使われたりしたものもあります。
火災や地震、戦争などによって失われた天守や櫓もありました。
そのため、現在まで昔の建物がそのまま残っている城は、決して多くありません。
一方で、石垣や堀、門、土塁などが残され、城跡として大切に守られている場所もあります。
建物が残っていなくても、その土地にはお城の歴史が刻まれているのです。
現代のお城は、歴史を伝える場所
現在のお城は、戦いや政治の拠点ではありません。
歴史や文化を学ぶ場所として、地域の人々や観光客に親しまれています。
昔のまま残る建物を保存している城。
失われた天守を資料に基づいて復元した城。
石垣や堀だけが残る城跡。
山道の奥に土の防御設備が残る山城。
同じ「お城」でも、残り方や楽しみ方はさまざまです。
赤い と金
「天守があるかどうかだけで、お城の価値を決められませんね」
オール・ドメディア
「その通り。何が残り、何が失われたのかを考えることも、城巡りの面白さなんだ」

お城の歴史を五つの段階で見てみよう
日本のお城の変化を、簡単に整理してみましょう。
1.人や土地を守る防御施設
堀や柵、土の壁などを使い、外からの攻撃を防ぎました。
2.山の地形を利用した山城
山頂や尾根を利用し、敵が攻めにくい城をつくりました。
3.平地や丘へ進出
人や物を集めやすい場所に城を築き、地域を治める拠点にしました。
4.天守や石垣を持つ大規模な城
防御だけでなく、城主の権力を示す象徴として発展しました。
5.歴史や文化を伝える場所
現在は、地域の歴史を学び、未来へ残す文化財として守られています。
お城は、その時代に必要とされた役割に合わせて、少しずつ姿を変えてきたのです。

今日のまとめ
今回の講義では、次のことを学びました。
昔のお城は、人や土地を守る防御施設として発展した
武士の争いが増えると、山の地形を利用した山城が多く築かれた
地域を治めるため、城は山から丘や平地へ移っていった
天守や石垣は、防御だけでなく城主の力を示す役割も持っていた
江戸時代のお城は、政治や行政、城下町の中心になった
現在のお城は、歴史や文化を未来へ伝える場所になっている
お城の姿は、ただ建築技術が進歩したから変わったわけではありません。
戦い方、政治、交通、暮らしの変化に合わせて、お城も進化してきたのです。

1分ワーク
あなたが思い浮かべるお城を一つ選び、次の三つを考えてみましょう。
山、丘、平地のどこに築かれている?
戦いと政治のどちらの役割が強そう?
現在は、どのように使われている?
分からない部分は、そのまま調べたい疑問として残しておきましょう。

ミニクイズ
問題
日本のお城は、最初から高い石垣と立派な天守を持っていた。
正しいでしょうか?
答え
正しくありません。
昔のお城には、土や木、自然の地形を利用したものが多くありました。
現在よく知られている石垣や天守を持つ城は、お城の歴史のなかで少しずつ発展してきた姿です。

次回予告
次回の講義03は、**「天守って何?」**です。
お城のなかでも、特に目立つ大きな建物である天守。
城主は本当に、天守の一番上で生活していたのでしょうか。
天守がつくられた理由や役割、「天守」と「天守閣」という言葉の違いについて、一緒に学んでいきましょう!
それでは、次の講義でお会いしましょう。
講師は、オール・ドメディア / Owl Dmedia。
生徒は、赤い と金 / Akai Tokinでした!
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