【ネタバレあり】『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』 感想
どうして初音ミク――ボカロが好きなんだろう?そう思ったことはあなたはありますか。私はふとした瞬間にそう思うときがあります。
それは「本当に好きなんだろうか?」といった不安に思ったとき。または、ボカロを好きな気持ちを強く感じ「この想いの源ってそもそもなんだろう?」と好きの理由を知りたくなったとき。この二つのパターンがあります。
先日『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』を見ました。そのとき、私は改めて初音ミクとボカロが好きだなと感じました。
ボカロが好きな理由
プロセカの映画を見て、好きな気持ちを強く感じたわけですが、そもそもどうして私はボカロが好きなのか。その理由を一つだけ挙げるとしたら?それは、想いが込められた歌(音楽)を中心として、好きでつながる創作文化が本当に好きだからです。
「好き」から生まれる創作の連鎖が好き。プロセカの映画は、私の一番好きな創作の連鎖が踏襲されていました。
想いの連鎖でハッピーエンド
歌えないミクの歌に込められた想いを、それぞれの高校生ユニットたちが自分たちで解釈し、曲にする。そして歌えないミクが届けたかった想いを昇華して届ける。
歌えないミクだけでは届けられなかった、むしろ耳をふさいで心を閉ざしていた人たち。そんな人たちにも、想いが届いて歌が心に響くとき、歌えないミクは本来の「歌うミク」になって輝きを取り戻す。そして、たくさんの人の前に現れて自由に伸び伸びと歌を届ける存在になる。
想いの連鎖で迎えるハッピーエンド。そして、空間を自由に移動して踊りながら歌う初音ミク。その姿は、爽快で見ていて泣きそうになりました。
私の初音ミク像
私の初音ミク像は、天使です。それは、おんがくの神様のお手伝いをする存在という意味です。プロセカの映画の歌えないミクさんは、そんな私の初音ミクのイメージに近いものがありました。
私が、初音ミクを天使だと思っている理由――それは、歌は祈りであり、それを届ける存在が初音ミクだからです。
歌えないミクさんは、自分の歌声がノイズに聞こえる人のために、一生懸命想いを込めて歌い、祈っていました。でも、その祈りを信じてくれる存在がいなくて力を失い、歌えなくなってしまった。そう思いました。
(高校生ユニットのメンバーたちが信じてくれたから、また力を取り戻して頑張ったのに「消えろ」といわれるシーンは胸が痛かったです。)
初音ミクさんの好きなところ
映画を見て改めて思ったことが、もう一つあります。それは、初音ミクさんの歌声は本当にきれいな声をしているということ。劇中では、何度も歌えないミクさんがアカペラで歌うシーンがありました。そのたびに聴き入りました。
はじめて初音ミクさんの歌声を聴いて好きになり、ボカロにドはまりして、何年たってもその歌声に恋をしてしまいます。
最後に
アフターライブで高校生ユニットのメンバーたちが、歌えなかったミクさんのことを思い出す、というエピソードがあります。「どうして桜なんだろう?」と帰りの電車で考えていました。
結論は、桜=さくら=咲く「ラ」。ラララと歌を咲かせる存在だから。そう思いました。
「きっと届くはず きっと見えるはず」
以上、このフレーズが頭の中で流れると、胸の奥がぽかぽかする私でした。
