アートの解放
末永幸歩さんの
『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』を読んで、
強く残ったのは知識でも作家名でもなかった。
残ったのは、「ああ、これでいいんだ」
という、静かな安心感だった。
きっと正解を探し続けてきた人ほど、たぶん、この感覚に立ち止まる。
※この記事を書いている私は、仕事・家族・健康を同時に考えながら、
経験をどう編集すると人生が立体的になるか考えている普通の会社員です。
アートの歴史は「上手くなる話」じゃなかった
この本で語られている20世紀アートの流れは、
技法の進化でも、表現の多様化でもない。
一言で言うなら「当たり前を、一つずつ手放していった歴史」だった。
マティスは
「目に映る通りに描かなければならない」という常識から、絵を解放した。ピカソは
「遠近法こそリアルだ」というルールを壊した。カンディンスキーは
「何かを描かなければならない」という前提そのものを手放した。デュシャンは
《泉》によって
「アート=美しいもの」という定義を根こそぎひっくり返した。そしてポロックは
絵画を「何かを表すためのもの」から解放し、
ただの物質でいることを許した。
ここまでくると、
アートはもはや「作品」ではなく、
思考そのもの、態度そのもの
になっていく。
これがなぜ、こんなに腑に落ちたのか
読みながらずっと思っていた。
これはアートの話だけど、
自分がこれまでやってきたことと、構造が同じだ、と。
正解を探さなくなったこと
他人の評価より、納得感を重視するようになったこと
途中で変わっていい、と自分に許可を出したこと
「意味はあとから編集すればいい」と思えるようになったこと
全部、何かを“うまくやる”ためじゃなく、生き方を“解放する”プロセスだった。
デュシャンがアートを「思考」に移した、という一文
この本の中で、特に強く残ったのがここ。
デュシャンは、アートを「思考」の領域に移した。
これを読んだとき、
はっきり分かった。
ああ、自分がアートに惹かれてきた理由は、
「美しさ」でも「投資価値」でもなく、
正解のない問いを、正解にしなくていいまま置いておける場所
だったんだ、と。
だから、
分かりやすいメッセージより、余白のある作品に惹かれる
解説を読んでも、最後は「自分はどう感じたか」に戻ってくる
見終わったあと、言葉にならない感じを大事にしたくなる
アートは、答えをもらう場所じゃない。
考え続けることを、肯定してくれる場所だった。
ポロックが許した「ただの物質でいること」
ポロックの話も印象的だった。
絵画を、何かを表現するためのもの
意味を伝えるためのものから解放し、
ただの物質でいていい
としたこと。
これを人生に引き寄せるとこう聞こえた。
役に立たなくてもいい
説明できなくてもいい
今は意味が分からなくてもいい
存在しているだけで、成立している時間がある。
この感覚は、
トライアスロンをやっているとき
旅先でぼんやりしているとき
子どもと意味のない遊びをしているとき
にも、確かにある。
「自分だけの答え」を持っていい、ということ
この本の副題は
「自分だけの答え」が見つかる、だけど、
正確にはこうだった。
自分だけの答えを無理に見つけなくてもいいと分かる。
アートは、
正解を当てる競技じゃない
評価を揃える必要もない
他人と同じ結論に行かなくていい
それでいて、
考えることだけは、やめなくていい
と教えてくれる。
アートって面白い。
▼このnoteを書いた人

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