宇宙は遠い話だと思っていた。あの朝までは。
朝、双子を保育園に送りにいく途中、白い月が空に浮かんでいた。
夜の月じゃない。
ロマンチックでもない。
通勤と登園のあいだに、何事もない顔でそこにあった月。
「毎日、少しずつ位置が変わってるな」
そんなことを考えながら見上げていたら、
ふと、いきなり思った。
あそこに、人が行ったってすごくない!?
※この記事を書いている私は、仕事・家族・健康を同時に考えながら、
経験をどう編集すると人生が立体的になるか考えている普通の会社員です。
日常と宇宙の距離が、一瞬で重なる
その瞬間、スケールがひっくり返った感じがした。
今、自分は保育園に向かって歩いている。
それも2歳の双子の娘をベビーカーに乗せながらだ。
と同時に思いが巡る。
人類はあそこまで行った。
この日常と宇宙の距離が、一瞬で重なる感じ。
すごく不思議で、すごくいい感覚だった。
たぶんこれは知識として「人類は月に行った」と思い出したんじゃない。
「あれ、これ本当に起きたことなんだよな…?」って、
身体感覚で再接続された瞬間だったんだと思う。
しかも、朝・白い月・子どもを送りながら、という文脈がいい。
夜のロマンじゃなくて、
生活のど真ん中で宇宙を思い出した感じがした。
月を見て、「あむ」って言う世界
別の日の話。
欠けている月を見て双子の娘たちが言った。
「あむ」
月を、食べるふり。
「えっ!?食べちゃったの!?」って聞いたら、
ドヤ顔でうなずく2人。
この感性、本当に好きだなと思った。
「欠けている」の別解を、即座につくる力
大人は月を見ると三日月だね。
満ち欠けだね。綺麗だね。大きいね。
でも娘たちは違った。
「食べた」。
世界に自分が介入した物語として。
これは、
知識の話じゃない。
遊ぶ・味わう対象として世界を見る視点。
「欠け=失われた」じゃなく、
「欠け=美味しくいただいた」
人生に対して、
めちゃくちゃ優しい解釈だと思う。
宇宙は、遠いものじゃなくていい
この朝の白い月と、「あむ」と月を食べる娘たち。
同じ月を見ながらとっても印象的な日常のワンシーン。
将来、図鑑で月を知る日が来てもいい。
ロケットや宇宙の話をする日が来てもいい。
そのときはこの日の話をしようと思う。
世界は、説明だけでできていない。
月は、ときどき食べられる。
そして宇宙は、夜じゃなくても生活の途中でふいに立ち上がってくる。
──たぶん次は、
そこから少しだけ、
宇宙の話をしてみたくなる。
▼このnoteを書いた人

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