【創作大賞2026】ムギコの異世界パン屋 第2話「街の端っこの、煙」
前回までのお話はこちらから👇️
ここから本編だよ
私、ノアが冒険者クラスに入ってから、二週間が経った。
毎日がめまぐるしい。朝は日が昇る前に起きて、校庭を十周走る。まだ薄暗い石畳の上を、同級生たちと息を切らしながら走る。最初の三日で足に豆ができて、五日目に潰れて、一週間でやっと硬くなった。
午前中は基礎戦闘術の座学。武器の種類、魔獣の分類、ダンジョンの階層構造。覚えることが山ほどある。隣の席の子はノートにびっしりメモを取ってて、反対側の子は教科書に付箋を貼りまくってる。みんな真剣だ。
午後は木剣を使った実技。これが一番きつい。
「ノア、もっと腰を落とせ! 振りが軽い!」
教官に怒鳴られるのは毎日のことだった。木剣を握る手にはタコができ始めてる。組み手では同級生に打ち込まれて、何度も石畳に転がされた。
相手の男子が手を差し出してくる。「おい、大丈夫か?」
「……うん、もう一回」
立ち上がって構え直す。足がふらつく。でも、やめるとは言わない。言いたくない。
ここにいる全員が、冒険者になるためにこの学園に来てる。家業を捨ててきたやつもいるし、地方から一人で出てきたやつもいる。みんな本気で、みんな自分より強くて、みんな迷いがない。
——楽しい。楽しいはず。
ずっと憧れてた場所に、ちゃんと立ててる。夢の中じゃなくて、現実として。
……なのに。
木剣を振る時、ふと手が止まることがある。
あの日のことを、思い出す。
クラス分けの用紙にペンを押し当てた時の、手の震え。「冒険者クラス」に丸をつけたあの瞬間、私は覚悟を決めたつもりだった。
つもり、だった。
「ノア、次お前の番だぞ」
「あ、うん!」
考えるのをやめて、組み手の輪に戻る。今は目の前のことに集中しないと。
昼休み、食堂の隅でパンをかじっていた。
購買の丸パン。均一な形、均一な焼き色。入学後に何度も食べたやつ。一口目は甘い。二口目からは、もう味がしない。いつも同じだから、いちいち考えることもなくなった。
隣のテーブルで、同じ冒険者クラスの男子たちが喋ってた。
「そういえばさ、入学式の日にやめてったやつ覚えてる?」
「あー、クラス分けの時に『パン屋やります』って出てった子?」
パンをかじる手が、止まった。
「あいつ、街の端っこで本当にパン屋開いてたんだけど」
「まじ? 学校で勉強してれば安泰な職業つけたのに、変なやつだよなー」
「なんか見たことない方法で焼いてたぞ。魔法使わないで、手でこねて、窯に薪くべて火で焼いてた」
「は? 手で? なんで?」
「知らねーよ。わざわざ効率悪いことしてんの」
笑い声が上がった。
私は笑えなかった。
——あの子。
入学初日。クラス分けの説明が始まった教室で、静かに立ち上がった女の子。
『どのクラスにも、行きません』
『パン屋を、やります』
あの声。あの背中。用紙すら受け取らずに、一人で教室を出ていった。
入学のドタバタで、忘れかけてた。毎日の訓練が忙しくて、考える暇がなかった。でも忘れてたんじゃない。考えないようにしてたんだ、たぶん。
あの子は、本当にやったんだ。
パン屋を一人ではじめた…魔法も使わずに手焼きで?
私は冒険者クラスの用紙に丸をつけるだけで手が震えてたのに。
……なんで、こんなに胸がざわつくんだろう。
パンの残りを口に押し込んだ。味は、やっぱりしなかった。
午後の実技を終えて、校門を出た。
いつもなら寮に直行する。ヘトヘトだし、明日も朝から走り込みがある。早く寝ないと体が持たない。
でも今日は、足が違う方向に向いた。
街の端っこ。あの子がパン屋を開いたっていう場所。
ちょっと見てみるだけ。どんなところでやってるのか、気になっただけ。それだけ。
大通りを歩く。夕方の市場はまだ賑やかで、果物屋の呼び込みの声や、鍛冶屋から響く金属音や、馬車の車輪が石畳を転がる音が混ざり合ってる。
市場を抜けると、少しずつ景色が変わった。商店の看板がまばらになって、建物が古くなって、石畳の隙間から雑草が顔を出してる。人通りもほとんどない。
こんなところに本当にパン屋なんてあるのかな。
……やっぱ帰ろうかな。
足が止まりかけた。何やってんだろう、私。実技でヘトヘトなのに、こんなところまで来て。別に用があるわけじゃない。あの子と友達だったわけでもない。たまたま隣の席だっただけ。
でも。
また歩き出してた。
路地に入る。夕日が建物の隙間から細く差し込んで、古い石壁をオレンジ色に染めてた。洗濯物が頭の上にぶら下がってて、どこかの家から夕飯の支度をする音が聞こえる。
角を曲がった。
——匂いがした。
甘くて、香ばしくて、温かい匂い。
購買のパンとは全然違う。もっと深くて、もっと複雑で、鼻の奥からお腹の底まで一気に届くような匂い。焼けた小麦の甘さの奥に、何か——木の実みたいな、はちみつみたいな、でもどっちとも違う、嗅いだことのない匂いが混ざってる。
なんだこれ。
匂いに引っ張られるように歩いた。頭で考えるより先に、足が動いてた。
路地の奥。古い石造りの小さな家。壁のあちこちにツタが這ってて、屋根の端が少し欠けてる。看板はない。扉の代わりに、木の板が立てかけてあるだけ。窓枠は歪んでて、ガラスの代わりに薄い布が張ってある。
お世辞にもパン屋には見えない。
でも、この家から匂いが溢れ出してた。あの匂いが。布の隙間から、扉の隙間から、壁の隙間から。まるで家全体がパンの匂いに浸かってるみたいに。
窓から中を覗いた。
薄暗い室内に、小さな石窯。不格好で、たぶん手作りだろう。レンガを積み上げただけの、素朴な窯。その前にしゃがんで、窯の中を覗き込んでいる女の子がいた。
赤みがかったロングヘアを無造作にまとめて、袖をまくった白いシャツに粉まみれのエプロン。その手は真っ白で——小麦粉だ。指先から腕まで粉だらけ。額にも粉がついてる。
窯の中で、何かがパチパチと音を立ててた。
女の子はその音に耳を澄ませている。目を閉じて、じっと。呼吸すら止めてるみたいに、微動だにしない。まるで音と会話してるみたいに。
ここだけ、時間の流れが違った。
学園の喧騒も、市場の賑やかさも、全部どこかに消えて。この薄暗い部屋の中だけ、静かで、温かくて、パンの匂いで満ちてる。
女の子が小さくうなずいて、窯から何かを取り出した。
パンだ。
丸くて、不揃いで、焼き色もまだら。購買のパンとは何もかもが違う。きれいじゃない。均一じゃない。
でも——
そのパンから立ち上る湯気と一緒に、さっきの匂いが何倍にもなって広がった。
甘い。香ばしい。そして何か——懐かしいような、知らないはずなのに知ってるような、不思議な匂い。
お腹が、鳴った。
盛大に。
この路地の端まで聞こえたんじゃないかってくらい、盛大に。
女の子が、振り向いた。
目が合った。
ピンク色の瞳。穏やかで、でもどこか深くて、同い年とは思えない凛とした瞳。入学式の日に見た、あの瞳だ。
「……お客さん?いらっしゃい」
静かな声だった。
私は窓枠に手をかけたまま、固まってた。
ちょっと見てみるだけのはずだったのに。お腹は鳴るし、足は動かないし、顔は熱いし、逃げるタイミングを完全に逃した。
「あっ、いや、その、違くて、通りかかっただけで——」
「入る? ちょうど焼けたところだから」
ムギコは——あの子はそう言って、焼きたてのパンをひょいと持ち上げた。
湯気が、ふわっと上がった。
第2話 了
次回作のお話はこちらから👇️
いいなと思ったら応援しよう!
わぁ〜!ここまで読んでくれて…本当にありがとう💕
いただいたチップは、ぜ〜んぶ次の記事づくりや有料記事の購入費に使って、またみんなに情報で還元するよ〜✨
応援がめちゃくちゃ励みになるから、これからも一緒に成長していこうね💖