「期待に応えなきゃ」でずっと動いてきた
やりたいからじゃなくて、失望させたくないから、動いていた。
そう気づいたとき、少し怖くなりませんでしたか。
頑張ってきたことは本物です。
結果も出してきた。
でも、ふと立ち止まったとき、
「そもそもわたしはこれをやりたかったのかな」という問いが浮かんでくる。
答えがすぐに出てこなくて、その問い自体を、また押し込めてしまう。
そういう経験、ありませんか。
わたし自身、ずっとそうでした。
何かを頼まれると断れなくて、求められていると感じると、
自分の気持ちより先に「どうすれば応えられるか」を考えていました。
こなせている間は気づかなかったけれど、
ある日「わたしって、何がしたいんだろう」と思ったとき、
答えが何も出てこなかった。その空白が、怖かったです。
「失望させたくない」が、エンジンになっていた
頑張る理由って、人によって全然違います。
やりたいから。楽しいから。成長したいから。誰かの役に立ちたいから。
でも「期待に応えなきゃ」で動いてきた人のエンジンは、少し違います。
「失望させたくない」
「がっかりされたくない」
「できない人だと思われたくない」
どちらかというと、何かを得るためじゃなくて、何かを失わないために動いてきた。
この二つは、外から見ると同じ「頑張っている人」に見えます。
でも内側の感覚は、全然違います。
やりたくて動いている人には、達成感や喜びが来る。
でも失わないために動いている人には、「ほっとした」が来る。
喜びじゃなくて、安堵。
その違いに気づいたとき、わたしは少し立ち止まりました。
思い返すと、うまくいったときも「よかった」より「ほっとした」の方が大きかった。
褒められても、次への不安がすぐ来た。
喜びより安堵、達成感より緊張からの解放。
それが積み重なっていくうちに、じわじわと疲れていきました。
頑張るほど、ハードルだけが上がっていく
期待に応え続けると、奇妙なことが起きます。
応えれば応えるほど、次の期待値が上がっていく。
「あの人ならまたやってくれる」
「もう少し頼んでみよう」
という声が、少しずつ重くなっていく。
頑張った結果が、次のプレッシャーになる。
終わりがないんです。
どこまで応え続けても、「もう十分」という場所が見えてこない。
それどころか、応えるたびに、基準が一段上がっていく。
これは、相手が意地悪なわけじゃないことが多いです。
ただ、「期待に応えること」を動機にしている限り、この構造からは抜け出しにくい。
なぜなら、期待はいつも外側にあるから。
自分でコントロールできないところに、自分の動機があるから。
いつの間にか、先回りが「普通」になっていた
気づいたら、相手が何を求めているかを先読みすることが、息をするように自然になっていました。
頼まれる前に動く。求められる前に察する。
「これをしたら喜ばれるかな」
「これをしなかったら空気が悪くなるかな」
を、無意識に計算し続けている。
その先回りは、確かにうまく機能していました。
摩擦が起きにくくなる。スムーズに回る。「気が利く人」と思われる。
でも、先回りし続けることには、大きなコストがかかります。
常に周りの空気を読んで、相手の期待値を測って、ずれないように調整し続ける。
それはものすごくエネルギーを使うことです。
一日が終わるとぐったりするのは、当たり前のことだったかもしれません。
わたしも、何でもない日の夜に急に涙が出てきたことがあります。
しんどいとか、つらいとか、そういう明確な理由があったわけじゃなかった。
ただ、気づいたら限界に来ていた。
先回りし続けていたから、自分のしんどさに気づくのが、いつも後回しになっていたんだと思います。
「期待に応えなきゃ」は、やさしさから生まれた言葉
ここまで読んで、「自分のことだ」と思った方がいるかもしれません。
一つだけ、伝えさせてください。
「期待に応えなきゃ」と思って動いてきたのは、あなたが誰かを大切にしたかったからです。
失望させたくなかったのは、その人のことを、ちゃんと気にかけていたから。
その気持ちは本物で、やさしさから来ているものです。
ただ、そのやさしさが、ずっと外側にだけ向いていた。
そろそろ、自分の気持ちにも応えてあげてください。
認められるためじゃなくて、証明するためじゃなくて、
ただここにいていい。
あなたはもう、十分やってきました。
今日も読んでくれてありがとうございます。
このnoteは、Instagram「あかり|心に寄り添う言葉」と連動した記事です。
インスタではひと言ひと言を短くまとめて発信しています。
よければそちらも覗いてみてください。
https://www.instagram.com/akari_kotoba_tudoi/?hl=ja
あかり
