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5分探偵|Vol.0 看板に書かれていないこと

大事件ではない。

でも、放っておくと、なんだか気になる。

『5分探偵』は、探偵・五十嵐いつきと助手・真壁すみれが、町の小さな違和感や日常の謎を解いていくシリーズです。

舞台になるのは、商店街や喫茶店、図書館、古いアパート。

起きるのは、派手な事件ではなく、本人にとっては見過ごせない小さな出来事ばかりです。

少し天然な探偵と、しっかり者の助手。

正反対の二人が追いかけるのは、誰かの悪意よりも、言い出しにくさや勘違い、遠慮のほうです。

Vol.0|看板に書かれていないこと

 古い雑居ビルの二階に、その事務所はある。

 階段は少し急で、踏みしめるたびに、ぎし、と乾いた音がした。

 踊り場の奥にあるくたびれた木の扉の横には、小さな看板がかかっている。

 5分探偵事務所

 それを見上げて、真壁すみれは小さくつぶやいた。

「……五分って、何なんですかね」

 再就職先の面接に来たはずだった。

 けれど、その看板を見た瞬間、少しだけ帰りたくなった。

 五分探偵事務所。

 どう考えても、まともな名前には思えない。

 それでも扉を開けると、中は思ったより明るかった。

 窓際に古い机がひとつ。書類棚。急須。来客用の椅子。

 雑然としているようで、ひどく散らかっているわけではない。

 机の向こうにいた男が顔を上げる。

「あ、どうぞ。面接の方ですよね」

 それが、五十嵐いつきとの最初の会話だった。

「真壁すみれです」 「五十嵐いつきです」

 名刺は出てこなかった。

 代わりに彼は湯のみを持ち上げて、 「お茶、飲みますか」 と言った。

「……面接ですよね?」

「はい」

「まず仕事内容とか、そういう話では」 「それもします。でも、緊張している人に先にお茶を出した方が、話がうまくいくので」

 妙な人だと思った。

 けれど、出されたお茶は少しぬるくて、でもちゃんとおいしかった。

「ちなみに」 とすみれは訊いた。 「五分って何なんですか」

「ああ」  いつきは少し考えてから言った。 「だいたい五分くらい見ていれば、違和感がどこにあるかは分かるので」

「だいたい?」 「きっちりではないです」

 かなり雑だ。

 でも、その言い方は不思議と嫌ではなかった。

 ちょうどそのとき、扉が軽く叩かれた。

「すみません、ちょっとだけ」

 顔を出したのは、一階の薬局の店主だった。

「店先に出してる消毒液の札、今朝たしかに『お一人さま一本まで』って書いたのに、いつの間にか『お一人さま一本ずつどうぞ』になってるんだよ。意味はそんなに変わらないんだけど、なんか気持ち悪くて」

 すみれは思わず目を瞬いた。

 そんなことで探偵事務所に来るのか、と思ったのだ。

 けれど、いつきはすぐ立ち上がった。

「見ます」

 一階へ降りると、薬局の前にはたしかに小さな札が立っていた。

 お一人さま一本ずつどうぞ

 いつきは札を見て、店の前を見て、すぐに言った。

「これを書き足したの、娘さんですよね」

 店主がぎょっとする。

「言葉がやわらかいです。ルールを伝えたいというより、嫌な気持ちにさせたくない書き方なので」  いつきは静かに言った。 「それに、元の字に少し似せてる。普段から見ている字じゃないと、ここまで寄りません」

 呼ばれて出てきた娘は、少し気まずそうに笑った。

「ごめん。お父さんの書き方、ちょっときついかなと思って」

 店主は困ったように頭をかき、 「……まあ、それはそうだけど」 と言った。

 そのやり取りを見ながら、すみれは少しだけ肩の力が抜けるのを感じていた。

 たしかに大事件ではない。

 けれど、放っておくと少し気になる。

 そんな相談のために、この事務所はあるのかもしれない。

 事務所へ戻る階段の途中で、いつきが振り返る。

「どうでした?」

「何がですか」

「面接です」

 すみれは少しだけ考えた。

 まともな職場かどうかは、まだよく分からない。

 でも少なくとも、この場所には、この場所にしか来ない相談があるのだろうと思った。

「……五分じゃなかったですね」 とすみれは言った。 「一分くらいでした」

「今日は簡単だったので」

「じゃあ五分探偵じゃなくて、一分探偵でもいいんじゃないですか」

「それだとせわしないです」  いつきは真顔で答える。 「五分くらいが、ちょうどいいんです」

 事務所に戻ると、机の上にはまだ湯のみが二つ置かれていた。

 窓の外では、商店街の午後がゆっくり動いている。

 大事件ではない。

 でも、本人にはちゃんと大事なことばかりなのだろう。

「……採用の場合、いつからですか」 とすみれは聞いた。

 いつきは少しだけ目を丸くして、それから笑った。

「できれば、今日から」

 階段の下で、また誰かの足音がした。

 この事務所には、きっとこれからも、そういう依頼がやってくる。

 なくなったもの。少し変わったもの。言い出しにくいもの。

 小さくて、でも放っておけない違和感たち。

 五分探偵事務所は、そういうものを引き受けるためにあるのだ。

ここから本編へ

ここから、『5分探偵』の本編が始まります。

『5分探偵 Vol.1|消えた福引の当たり玉』

商店街の夏の福引で、なぜか“当たり”だけが一本も出ない。

箱に細工をした形跡はなく、係の人たちもごく普通。

それでも「今年の福引はおかしい」という空気だけが、少しずつ広がっていきます。

少し天然な探偵・五十嵐いつきと、しっかり者の助手・真壁すみれ。

二人が最初に追うのは、商店街に置かれた福引箱の小さな違和感です。

▶ Vol.1はこちら

https://www.amazon.co.jp/dp/B0GWYK7T2Y⁠�

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