認められたい私に、ブッダは問う。

認められたい。
そう思ったことはありませんか。
褒められたい。
必要とされたい。
認められたい。
その気持ちは、決して特別なものではありません。
誰の中にもある、自然な願いなのだと思います。
私にもあります。
けれど、不思議なことがあります。
認められた瞬間は嬉しいのに、その喜びは長く続きません。
認められても、また認められたくなる。
満たされたはずなのに、また満たされなさが顔を出す。
なぜなのでしょう。
認められたい気持ちは、まるで喉の渇きに似ています。
水を飲めば潤う。
けれど、しばらくするとまた渇く。
誰かの言葉で満たされた心も、時間が経てばまた
「私は大丈夫だろうか」と不安になります。
だから私たちは、
何度も認められようと頑張り続けます。
けれど、
もし満たされなさの原因が「認められていないこと」ではなかったとしたら。
ブッダは答えを与えません。
代わりに問います。
「あなたは誰に認められたいのですか。」
親でしょうか。
パートナーでしょうか。
友人でしょうか。
職場の人でしょうか。
それとも、自分自身でしょうか。
そしてもう一つ。
「その人に認められたら、本当に満たされるのでしょうか。」
私たちは時々、
認められることそのものではなく、
認められることで得られる何かを求めています。
安心かもしれません。
愛かもしれません。
居場所かもしれません。
本当に求めているものは何なのか。
その問いの前で、少し立ち止まってみます。
書くワーク

もしよければ、紙とペンを用意してみてください。
そして、次の問いに答えてみてください。
① 私は誰に認められたいのだろう。
② その人に認められたら、本当に満たされるだろうか。
③ 私が本当に求めているものは何だろう。
④ もし誰にも認められなくても、私の価値は変わるだろうか。
正しい答えを書く必要はありません。
今の自分が感じたことを、そのまま書いてみてください。
答えを書くというより、自分の声を聴く時間です。

生きる問い
あなたは誰に認められたら、満たされますか。
そして、
もしその人がいなくなったとしても、
あなたは自分を認めることができますか。
