父の1回目の屋根からの転落事故が、趣味でやっていたブログやライターにつながるなんて、人生って分からないことだらけ!
こんにちは、翼祈(たすき)です。
この記事のテーマは、もうコンテスト時期は終了していて、どうしてもあの時書けなかったので、今全く無関係で個人的に書いています。
私が社会人になった時、説明はできますが、簡単には言えません。
大体社会人1年目というのは、大学などを卒業した先に、就職してなる、これが一般的なルート。
ここから私の場合は、かなり大きく逸れています。
大学を1年で中退し、色んな既往歴持ちになり、約10年間引きこもりの末、就職。それはまだ他の方でもある方だと思います。
私の場合、もしかしたらずっと引きこもっていた可能性もあり、それが強制的に外に出て、働かざるを得なかった。
よく聞かれます。
『約10年間、引きこもりだったそうですが、なぜ働こうと思ったのですか?』。
私はこう答えます。
「父が約10年前、1回目の屋根からの転落事故を起こし、ドクターヘリで運ばれ、ICUに入院していました。そこから、私は意識を失って、救急車で運ばれていく父を見て、涙を溜めて、働くことを決意しました」。
通常ドクターヘリで家族が運ばれるという経験は、ほとんどの方がしないので、私に聞いた方は驚いて、言葉が出なくなります。
その後、
『そこからなぜ今のライターになったんですか?』
ともよく聞かれます。
私は、
「前職で仕事ができない自分にもがいていた時に、父が2回目の転落事故を起こし、2回目の方が怪我が酷く、最初全治不明と言われ、父は仕事を辞めなければなりませんでした。
父に必要なものを持って行くために、仕事を休む日が増えた中、たまたま出勤していた日に、今の職場の方が営業に来ていて、その人の休み時間目が合って、『うちはパソコンの仕事をしています』と言われました。
その時、すぐに働きたいと思い、そこでWebライターという名前の仕事を知りました。
私はライターという仕事もそれまで知らない言葉でしたが、元々2009年から2023年春までブログをしていました。
ブログを書くことを活かせられたらと思い、ライターを希望し、なりました」。
私が社会人になれたのかは、2回の父の転落事故が関わっており、それが無ければ働いていなかったかもしれませんし、ライターにもなっていなかったかもしれなかった。
どういうところで、何が繋がっているのか分からないと自分の身で実感。
それは母がよく言う、『どれだけその瞬間が辛くても、人生というのは意味があって、その出来事が起きているって私はよく感じるよ』、それを体現した出来事でしょう。
なかなか社会人になって経過も複雑ですし、父も2回目転落事故でかなり歳を取ってしまいましたが、今働いて、色んな方に、『書く仕事が翼祈(たすき)さんに合っていますし、天職だと思います』。
そう言われることは、社会人になれないと得られなかった経験や、かけて貰えなかった言葉だと思うと、色々と辛くても感謝しています。

