掌編 「塵を払い、垢を除かん」 #風まかせ文芸部 #大掃除
朝の光がまだ柔らかい時間、近所の爺はいつものように竹箒を手に、路地の隅々まで丁寧に掃き清めていた。
「塵を払い、垢を除かん」
低く、かすれた声が風に溶ける。爺の背は曲がっているが、その所作には一分の隙もない。箒の先が地面をなぞるたび、落ち葉や砂埃が音もなく集められていく。爺の通った後には、まるで結界でも張られたかのように、静謐な清らかさが残った。
そのおかげで、この界隈はいつも清潔だった。ゴミひとつ落ちていない。誰もが感謝していたが、爺と会話を交わす者は少なかった。彼はただ、黙々と掃き続けるだけだったからだ。
そんなある日、町のあちこちで不法投棄が目立ち始めた。壊れた家電、使い古しの布団、黒い袋に詰められた何か。誰かが夜中に捨てているらしい。
だが、爺は変わらなかった。いつものように、無言で箒を動かしていた。ただ、不法投棄の山には一瞥もくれず、まるでそれが存在しないかのように通り過ぎていく。
数日後の夕暮れ、俺は偶然、爺の姿を見かけた。空き地の奥、枯れ草の中で何かを燃やしていた。赤黒い煙が立ちのぼり、炎が空を舐める。爺の顔がその炎に照らされ、目には真っ赤な業火が映っていた。
「塵を払い、垢を除かん」
その声は、呟きというにはあまりに重く、空気を震わせるようだった。俺は思わず身をすくめた。寒さではない、もっと別の、背骨の奥を撫でるような震えだった。
家に帰ってからも、あの言葉が耳に残って離れなかった。気になって調べてみると、それは仏教の修行の言葉だという。単なる掃除ではない。心の中の煩悩や執着、つまり“塵”や“垢”を取り除き、清浄な境地に至るための行為——。
だが、ふと疑問が浮かんだ。
「何が“塵”で、何が“垢”なのか。それを決めるのは、掃除をする者の主観ではないのか?」
あの時、不法投棄のゴミに目もくれなかった爺。もし彼にとって“塵”や“垢”が、ゴミそのものではなく、それを捨てた人間だったとしたら?
まさか…
翌朝、町を歩いてみると、あの不法投棄の山は跡形もなく消えていた。誰が片付けたのか、誰に聞いても知らないという。
爺は、いつものように竹箒を手に、路地を掃いていた。何事もなかったかのように。
ふと、俺の足元にタバコの吸い殻が落ちているのを見つけた。風に転がり、爺の掃いたばかりの道に転がり込もうとしている。
俺は思わず背筋を伸ばし、吸い殻を拾い上げた。
その瞬間、爺がこちらを見た気がした。目が合ったわけではない。ただ、あの目の奥に、何かを見透かすような光が宿っていた気がして、俺はそっと目を逸らした。
「塵を払い、垢を除かん」
その言葉が、今はやけに重く響いていた。
完
(本文1083字)
あとがき
iさんの企画『風まかせ文芸部』お題「大掃除」に参加させて頂きました。大掃除ってお題にはちょっとズレてしまったけれど、ある意味大掃除と自分に言い聞かせました。リアルな大掃除も終盤。皆様も良いお年をお迎え下さい。
