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高画素機はレンズに厳しいのではない──レンズの本性を写してしまうだけ

高画素機を使うと、よく言われることがある。

「このレンズでは解像性能が足りない」
「高画素機には、それに見合ったレンズが必要」
「古いレンズだとセンサーに負ける」

たしかに、その言い方は間違っていない。
しかし少し雑でもある。

高画素機で見えているものは、単純なレンズの解像性能不足だけではない。
むしろ、これまで見えていなかったレンズの癖、状態、個体差、撮影者側の甘さまで、細かく映し出してしまう。

つまり高画素機は、レンズを悪くするカメラではない。
レンズの本性を、遠慮なく見せてしまうカメラなのである。


低画素機では、いろいろな甘さが丸められる

2400万画素クラスのカメラで撮っていると、多少のレンズの甘さはそこまで気にならないことが多い。

中心は十分にシャープ。
周辺もそこそこ写っている。
開放でも雰囲気がある。
少しピントが甘くても、全体としては成立している。

これが高画素機になると、急に話が変わる。

ピントがわずかに前に抜けている。
片側だけ少し甘い。
周辺が流れている。
像面が曲がっている。
開放でにじみが残っている。
軸上色収差が目立つ。
手ブレが少し乗っている。
中古レンズの微妙な光軸ズレがある。

こういう細かい要素が、一気に見えるようになる。

低画素機では「普通にいい写り」だったものが、高画素機では「中心はいいが、右端だけ少し怪しい」「開放は雰囲気寄りで、実用解像はF2.8からだな」と見えてくる。

これはレンズが急に悪くなったのではない。
今まで見えていなかっただけである。


高画素機は“レンズの健康診断機”である

高画素機を使って面白いのは、レンズのカタログスペックではなく、個体の状態まで見えてしまうところだ。

同じ型番のレンズでも、完全に同じ写りをするとは限らない。
新品ならまだしも、中古レンズの場合は、過去にどのように扱われてきたかで状態が変わる。

落下まではしていなくても、長年の振動や衝撃で微妙にズレていることはあり得る。
外観はきれいでも、写りにわずかな片ボケが出ることもある。
低画素機では気づかなかったズレが、高画素機では見えてしまう。

だから高画素機は、ある意味でレンズの健康診断機でもある。

中古レンズを買ったとき、2400万画素では「問題なし」に見えても、6100万画素で見ると「少し右側が甘い」と感じることがある。
これは高画素機がレンズに意地悪をしているのではない。
レンズの状態を細かく拾っているだけだ。


「解像しないレンズ」ではなく「癖が見えるレンズ」

高画素機で古いレンズを使うと、よく「解像しない」と言われる。

しかし、本当に解像していないのか。
そこは分けて考えたい。

中心はよく写るが、周辺が甘いレンズ。
開放はにじむが、少し絞ると急に締まるレンズ。
色味や階調は良いが、現代レンズほどコントラストが高くないレンズ。
球面収差が残っていて、ピント面の前後に独特の柔らかさが出るレンズ。

これらを全部まとめて「解像性能が足りない」と言ってしまうと、レンズの面白さまで消えてしまう。

高画素機で見えているのは、単なる不足ではない。
そのレンズがどこで無理をしているのか。
どこに味があるのか。
どこまで絞ると整うのか。
どの距離でおいしいのか。

そういう癖が、より細かく見えるのである。


高画素機では撮影者の甘さも見える

高画素機で厳しくなるのは、レンズだけではない。

撮影者側の甘さも出る。

シャッタースピードが少し遅い。
構えが甘い。
ピント位置がほんの少しズレている。
被写体がわずかに動いている。
電子シャッターやメカシャッターの使い分けが合っていない。
三脚を使っているつもりでも、微振動が残っている。

高画素機では、これらも見える。

だから「このレンズは高画素機に負けている」と思ったとき、実はレンズではなく、撮影条件が負けている場合もある。

高画素機は、レンズだけでなく撮影全体をシビアにする。
それは面倒でもあるが、写真を見る目を鍛えるという意味ではかなり面白い。


最新レンズだけが正解ではない

ここで勘違いしたくないのは、高画素機には最新の高級レンズしか使えない、という話ではないことだ。

たしかに、最新の高性能レンズは強い。
開放から高解像で、周辺まで安定し、収差も少ない。
高画素機との相性は良い。

しかし、それだけが写真の正解ではない。

古いレンズには古いレンズの良さがある。
少し甘い開放描写。
線の細さ。
コントラストの低さ。
色の乗り方。
逆光でのにじみ。
現代レンズにはない柔らかさ。

高画素機で使うと、そうした癖も細かく見える。
その癖を欠点として見るのか、表現として使うのか。
そこが写真の面白いところだ。

ポートレートなら、開放の柔らかさが肌に合うこともある。
スナップなら、周辺の甘さより中心の雰囲気が大事なこともある。
ライブ撮影なら、完全な解像よりも、光の拾い方や立体感のほうが印象に残ることもある。

高画素機だからといって、すべてをカリカリに写す必要はない。


大事なのは、そのレンズの“おいしい場所”を知ること

高画素機でレンズを使うなら、そのレンズの一番おいしい場所を知っておきたい。

開放で使うべきレンズなのか。
一段絞ると化けるレンズなのか。
近距離が得意なのか。
中距離が得意なのか。
中心重視なのか。
周辺まで整うタイプなのか。
逆光に強いのか。
光が荒れると急に崩れるのか。

レンズには、それぞれ癖がある。

高画素機は、その癖を隠してくれない。
だからこそ、使いこなしが面白くなる。

「このレンズはダメ」と切り捨てるよりも、「このレンズはここで使うと強い」と見つけるほうが、写真はずっと楽しくなる。


高画素機はレンズの嘘を消す

高画素機は、レンズに厳しい。
そう言われることは多い。

しかし本当は、レンズに厳しいというより、レンズの嘘を消してしまうのだと思う。

低画素機では見えなかった甘さ。
縮小表示では気づかなかったズレ。
なんとなくシャープに見えていたものの正体。
中古レンズの個体差。
撮影者のブレ。
ピントの甘さ。

それらを、静かに画面へ出してしまう。

だから高画素機を使うと、レンズを見る目が変わる。
写真を見る目も変わる。
そして、自分の撮影の甘さにも気づく。

高画素機は、レンズを選ぶカメラではない。
レンズの本性を写してしまうカメラである。

その本性を欠点として見るのか。
味として使うのか。

そこに、機材遊びの一番おいしい部分がある。

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