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物書きの最大のテーマって、没原稿の活用じゃね?

 画像は実家のプラモ塗装コーナーです。
 有機溶剤の臭いでやられて鼻が痛むので、今度からは換気扇の真下でやろうと思ってます。

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 ここの日記もそのうち有料記事を書こうという目標のために、たまには書こうと思うし、とりあえず、ずっと気になって悩んでいて、社会に広く訴えないといけないテーマから書いてみたいと思います。

 それは……没原稿の活用法です。

 物書きをしている人、投稿をしている人しか共感がわかないテーマだと思いますが、作家が消えてゆく原因の一つはコレです。
 媒体の大小、投稿者、プロに限らず、とにかく没原稿が多い!

 で、没原稿になるときにプロならたっぷりダメ出しを食らうでしょうし、そこで心がへし折れる人も多いでしょう。

 この問題の意外なところは、小さな媒体や同人誌でも、わりと没は存在していることです。
 小さな媒体ですと、その席の取り合いとなり、「載ってもあまりメリットはないのに、没や書き直しが頻発する」という現実が弱小の物書きになればなる程、待っております。

 大きい媒体はそりゃ競争も熾烈でございますが、小さい媒体に至っては泥試合でございます。

 さらに純文学界隈ではいまだに「プロット提出の拒否」という概念があるらしく、プロでも完成原稿を何百枚と書いて行かないと、読んでもらえないとか。

 そして、余程のトップランカーでもない限りは、編集のアドバイスもなしに何百枚と勝手に書いた原稿が一発でOKになるなんてことは、そんなには起こり得ないでしょう。

 そりゃ、没になりやすいっての。

 これらの解決策は一つで、

 とにかく生産量を増やすことであります。

 しかし、私のように、

「良いと思える原稿は十年に一回」
「短編小説が書けるのは七、八年に一度のペース」
「一つの短編や中編に長いと数年はかける」

 という生産量の人間からしますと、一回の没は四、五年単位の年月の否定へと繋がってしまうわけです。

 没を出す側もまさかこんなヘボ文に、オリンピック周期ぐらいの年月をかけているとは、夢にも思ってもいないわけですから。

 まぁ、気楽に没を出すこと出すこと。

「三年間、終わったわ」なんてことがしょっちゅうあります。

 それはオーバーにしても年に一、ニ冊埋める創作ノートのうちに、まともに世に出ている作品は全部のライター業を通してもノート一冊に一本か二本ぐらいだったりします。

 私は別に収入源があるタイプの物書きに途中からなったので、没や遅筆による生活への影響は殆どなくなりました。

 それでも、文章一本で書いていた頃はそりゃ辛かったです。

 普通の物書きは打率の低さを「スランプ」と称しますが、二十年ぐらい書いてきて思うのは、
「スランプじゃない状態が十年に一度、ニヶ月ぐらいしかない」

 といったところではないでしょうか?

 九年十ヶ月はスランプなのです。

 ずっと没だし、駄作しか書けない。

 閑話休題。

 つまりは、作家達が日常的に書いている没原稿や駄作を世に出すシステムがないと、コスパもタイパも悪いのであります。

 しかし、出せない理由が色々あるので、まとめてみました。

・クソ編集者どもや依頼者の心ない言葉にやられて心がへし折れ、PTSDになる。
・そんな原稿を他には持って行けないし、文章も書けなくなる。
・そんな折、かつての友人達が文芸誌で活躍しているのを広告で見かけてしまう。
・ショッピングモールを闊歩中に落胆しだすので、妻が驚く。
・心が折れて、書けなくなる。
・姑息に他媒体に持って行っても、やはり駄作なので、心を折られてPTSDになる。
・書けなくなる。
・書かないでいると書き方を忘れて、また書けなくなる。

WEB媒体で発表してみてはどうか?
・小説家になろう等は傾向と対策で満ち溢れ、熾烈なアスリート共が競合し合っている。
 ワイのクソみたいなラノベの付け入る隙はない。

電子書籍にしてみてはどうか?
・収益が長期間でも微々たるものなので、表紙イラスト等を誰かに頼むと大赤字になる。
・生成AIは権利関係がまだようわからん。
・ファイルを作る作業がクソ面倒だったので、できなくはないが思い切りが必要。

 みたいな問題にぶち当たります。

 結局、自分の場合は、
「没原稿は素案にして、数年後に別作品のアイデアとして再構築して活字化を目指す」
 という手段を用いていますが、これはこれでメチャクチャ大変だったりします。

 物書きになっても、よっぽどの売れっ子でない限りは、大半の時間は没原稿を書いているわけで、出版業界の人間はもっと真剣にこの問題について、議論をして欲しいものです。
 しかし、この解決策は結局、

・未発表のままお蔵入り
・別アイデアとして再構築
・ウエブ媒体や電子書籍で公開
・他媒体へと持ち込む

 の、四つぐらいしかない気がします。

 この問題を解決しない限りは、どのジャンルにおいても物書きは不幸なままではないでしょうか?

 私は純文学を「一作、書こうとするとと、一つ確実に不幸になる」と思って書いております。

 それは活字化されても色々、問題があって不幸にはなるものの、活字化されなければもっと悲惨という……。

 誰か頭が良い人が、頭良く考えてくれやしないかな?
 と、他力本願寺へと促す、今日この頃なのでありました。

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