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【ディレクターズ・カット】置かれた場所で咲く花は



第一章 来るべき世界

始末、処分、処理。すなわち殺人をはじめとするウエットワーク。
なぜこんなことを? 
目の前の、自分にできることをただひたすら懸命にしてきただけ。
しかし、それがいつのまにか単なるルーチンワークになってしまった。
そう、錆びた歯車は惰性で回るのだ。

ドクターザップガン、彼の世界を語る

 冷蔵コーナーにある緑茶のペットボトルが棚から取り出せない。何度つかもうとしても、手のひらはその冷感を捉えられないのだ。ボトルはこぶしの中で握られた——が……。
 立体映像。台座のようなものからホログラフが浮き出ている。カゴに入れるためには、下部の台座を掴まなくてはならない。それをシンクのようなセルフレジにセットして、購入手続きを終えると、台座と交換する形で本物の商品が出てくる仕組みだ。万引きなどの盗難被害を防ぐためと、人員削減のためらしい。これならほぼ無人で経営できる。最近普及し始めた購買システムのようだ。
 新システムに切り替わり、指紋などの生体認証をしてから会計に進む。認証が済んでなければ、ここで、この店のレジで登録をすればいい。そうすれば系列チェーン店での買い物ならば再度の登録は不要になる。登録作業はレジに映る指示に従えばそう難しいものではない、はずだった。モニターに映る指示文言の字が小さい。老眼だ。日下部はメガネをはずし画面に顔を近づける。指示の言葉、専門用語のカタカナの意味が分からない。本当に〝お前の指示〟を信用していいのか。後ろに他の客が並ぶ。不安と焦りから、日下部はヘルプボタンをタッチする。駆けつける店員。
 とうとうこの日が来てしまったか。日下部啓一はため息をついた。
 俺はコンビニでまともに買い物ができなくなってしまった。社会のシステムの変化についていけない。これは、老いだ。俺は歳を取ってしまった。そういえば、来年には年金が支給される——。
 アンドロイドの店員に礼を言ってコンビニから出ると、
「機械に頭を下げるのかい」老婆に声を掛けられた。声には怒気がこもっている。どうやら〝同胞〟のようだ。
「親切に教えてくれたからね」
「それがアレの仕事だからね……」老婆は堰を切ったかのように、愚痴をこぼす。みんな年寄りに冷たい。年功者に対する敬意がない。社会全体がそうなんだ。あのコンビニもそうだよ。なんだよ、生体認証って。私は犯罪者か。しかも現金が使えない。カード払いのみだって。クソ、タバコ一箱買えなかった、情けない話だね。私はもうついていけないよ。ハイテクだか知らないけれど、社会の発展というものは年寄りを排除することではないだろうよ。もう少し、寄り添ってもらってもバチは当たらんだろう。年金だって雀の涙だよ。あれだけ一生懸命働いて納めてさあ。これぽっちでどうやって暮らしていけばいいんだい。報われないよ、年寄りは。ねえ、分かるだろう。あんたにも。さっきも苦戦してたみたいだからね。
「そうだな……。だからなあ——」
 日下部は懐から拳銃を取り出し、撃った。サイレンサー、角度、スピードのおかげで、通行人は誰も気づかない。
「おいばあさん、どうしたんだい? 具合が悪いのか?」まだ生温かい老婆の死体相手に一人芝居。「あそこのベンチで少し休もうか?」日下部はそう言い終える間もなく、静かに路地裏に消える。
 どんな境遇か知らないが、ホールディングスの金をちょろまかしてパチンコ三昧はいけないよ。あれはお薬買うお金なんだ。それにだ、婆さん。若いヤツらの足を引っ張っちゃいけねえ。時代についていけなくなった俺たちは、できるだけ早く死ななくちゃならないんだ。

 ホールディングス。各国、各マフィアを統合した犯罪組織の総称。名前はない。いや、本当はあるのかもしれない。しかるべく地位にいる者ならば、その名を呼べるのかもしれないが、日下部には無理だ。三十年以上のご奉仕でも、殺しも含めた雑用ばかり。取り換えのきく消耗品に過ぎない日下部にその資格はないだろう。いずれにせよ、米国、ロシア、アフリカ……そして極東の島国の地方都市の裏事業まで仕切るこの組織の全貌を知る者ははたしてこの世に存在するのだろうか。

〝配達人〟花咲トメ子を排除せよ。ホールディングスからの依頼だ。とある取引に使うキャッシュを運ぶ途中、その額に魔が差したのか持ち逃げをしたのだ。いや、ババアは2ブロック先の次の〝配達人〟にリレーする前にこう考えたかもしれない。あの台は随分回ってる。もうすこし突っ込めばけっこう吐き出すはずだ。少し増やして、いやすぐに倍にして返せば問題ないだろう——。ちょっと拝借するだけ。いや、これは投資なんだ。ギャンブル中毒はまことに恐ろしきかなというやつだ。ババアの死体は後続の処理班がいつものように対応してくれるはずだ。へまをすることはないだろう。
「終わりましたか」スマホから合成音が流れてくる。いつものように性別、年齢を判断することは難しい。日下部は、ああ、とだけ返事をする。
「次の仕事を待つように。すぐに来ますよ、逃さないように」
 上から目線の慇懃無礼。いつものことだ。
 その辺をぶらつくか。ホールディングスが『すぐに来る』と言うのなら、すぐに来るのだろう。自宅に戻るのを諦め、散策をする。
 よれたビジネススーツで街を歩く。歳の割には背筋は伸び、足取りも軽い。だが、最近の町の風景の変化に戸惑いを隠せない。
 いくつものチラシが宙を舞う。本日、セール開催。お買い得! この機会を逃さないように。人を見つけると、近づいてメッセージを告げる。タブレットペーパーをぶら下げた小型のドローンである。AI制御のセンサーは、人の配置や周囲の空流を感知して、つかず離れず、絶妙の位置で周囲に張り付く。ある程度の時間が経つと、次のターゲットを探す。ドローンが人に接触することはまずなく、たとえそうなってもその軽さからケガをする可能性は皆無だ。
 これも時代、だね。日下部は感心と諦念を抱きながら、チラシドローンを無視しながら歩く。
 チラシドローンの〝一枚〟が近づいてきた。
次のターゲット。処理せよ。
そのささやきの後にメールが送られてきた。写真が一枚添付してある。
 何かの会合、食事の際のスナップといったところか。その中の一人の顔に丸印がつけられている。加原仁。丸の下に記されたその名は、目的の男の名前だろう。
メールからの情報がそれだけだった。会ったことのない男とその名前。それだけで依頼をこなさなければならない。あとは自分で探して実行せよ、という意味なのだろう。
「雑だな」対象の情報が最小限で、ただ処分しろとの命令だけ。こんな事は初めてだった。いつもなら対象の背景、組織内での立ち位置、そして廃棄理由が事細かに説明されるのに……。だが、日下部はそれ以上愚痴をこぼすことはなかった。錆びた歯車は惰性で回るのだ。

 加原と一緒に写っている男は、十中八九、津田勉に間違いない。カブラギグミのワカガシラ補佐だ。写真の中心に構えている彼に対して、加原の立ち位置は端。底辺ではないが、下から数えた方が早いポジションにいると見た。
 加原の処分理由は何か?
 ホールディングスの構成組織であるネオヤクザのカブラギグミには、最近トラブルがあった。違法薬物がらみの一斉検挙。クミチョウからワカガシラ、はてにはそのチンピラ付き人まで。ほぼ壊滅的と言ってもいいほどの大打撃。カブラギグミの麻薬ルートは当局の手に落ちた。それはホールディングスへ支払うべき〝会費〟、すなわち上納金の減額を意味する。
 読めてきた。
 重要なシノギの全貌が明らかになることはまずない。取引の情報などは漏れないよう厳重に管理されているはずだ。たとえ一つの取引が明るみにさらされても、検挙される者は、組織から見ればごく一部だ。おそらくそのリスクヘッジとして、〝ばれた場合〟に逮捕される役割を用意しているはずだ。当局の面子を保つために、〝ばれてもいい〟ヤマを差し出すのだ。
 だが、今回は違う——。
『検挙者の中には加原仁は確認できない』なじみの、ホールディングスお抱えの情報屋からショートメールが届く。決まりだな。
 加原は内通者だ。サツの甘言に乗った裏切り者か、はたまた最初からかポリの犬の潜入捜査官か。日下部は写真をもう一度見直してみる。脂が浮かんで赤黒く荒れた肌に、くすんだ金髪。安っぽいスカジャン風のジャケットに、少し黄ばんだ白T。脂肪の膨らみが目立ちはじめている。やれやれ。見かけ通りのただのチンピラであってほしいものだ。その方が楽に済む。急ぎの仕事のようだからな。心当たりの場所ならある——。その足取りは自然と早くなる。

 ラーメン白金杯(本店)は閑古鳥が鳴いていた。店は小さく、カウンターで十席ほど。おそらくそれは、この店の日常風景なのだろう。それもそのはず、恐ろしくマズイ。麺にはコシがなくまるで最初から伸びているよう。スープの味は薄く生ぬるい。鳥ガラ、魚介、とんこつ……そもそも何をベースにしているのか分からない。食べ続けると吐き気がしてきて、日下部は途中で箸を止めた。
 これが正解なのだ。
 この状態であり続けるのが、この店にとって好ましい。
 白金杯(本店)は違法薬物の取引現場の一つである。
 ラーメンパウダーと称するインスタントのスープの素に、ヤクを紛れ込ませているのだ。事情を知った〝お客〟のみが、この店を訪れればいい。食えないラーメンを客に出しているはそれが理由だ。繁盛しては困ってしまう。〝本業〟がおろそかになってしまうから。
「お客さん。スープだけでも飲み干してよ」加原が言った。
「普通の客は早く帰った方がいいんじゃねえか」日下部は銃を向ける。情報屋から得た話によると、この時間の白金杯(本店)は店主加原一人で切り盛りしていることが多いそうだ。迎え通りの人気店が開く時間だから、一層暇になる時間帯なのだ。加原が立ち上げたカハラグミは構成員数名の弱小組織。カブラギグミの四次団体。ホールディングスを頂点とすると二十次団体ぐらいか。あの写真はおそらく何かの会合の記念写真なのだろう。
「裏切り者め」と日下部はいった。「ホールディングスのお偉いさんはお怒りだ。カブラギグミのシノギはそこそこ好調だったみたいだからな」
「待ってくれ。俺もサツに脅されてしょうがなく……」
 やはり裏切り者の犬か。いまいち確信が持てなかったが、いまのブラフではっきりした。大方、お前の商売を見逃す代わりに……、といったところだろう。ありがたいことに、ザコチンピラの希望的観測も当たりそうだ。
上は良く見ているな。日下部は思った。適材適所だ。ラーメンヤンキー一匹の処分なんか、ロートルの便利屋を回せば十分お釣りがくる。
 日下部は撃った。麻酔弾だ。今回は射殺しないと決めていた。ババアの殺し方と同じでは同一犯人とすぐに判明してしまう。死因を複数用意する。時間稼ぎの欺瞞工作だ。
 カウンターから前のめりに倒れた加原は、日下部のラーメンどんぶりに突っ伏した。日下部はそのまま両手で体重をかけ頭を押さえる。加原は無意識ながら、はし箱を倒すなど反射的に抵抗する。青のりパウダーが入った瓶のふたが外れ、どんぶりに降りかかった。緑にそまった脂ぎったスープに、さながら毒沼のようにあぶくが沸き上がる。泡は激しいリズムで弾けたが、やがて水面は穏やかになる。
「やっぱり、ラーメンは身体に悪いんだな」年寄りに食わせるものじゃねえ。
 店のドアを開け出ていこうとすると、外を漂うチラシドローンが店の中に入ってきた。
 ドローンはまだ温かい加原の死体を見つけると、とある人物の名を連呼する。
 次のターゲットは、日下部啓一。次のターゲットは——。

第二章 堕ちた笑み

ただみんなと一緒にいたかった。ただみんなと楽しい時間を過ごしたかった。ただこの場所を、仲間たちとのキズナを守りたかった。
。そのためなら何でもする。それは何よりも優先すべきことだからだ。法律とか、こちらに指さす他人は無視するか排除すればいい。
わたしたち、おれたちなら、それができる。自分が自分であるために、戦わなければならない時があるのだ。
ホールディングスはそんな彼らに問いかける。お前がお前である必要はあるのか?
さて、堕ちてきたものは何だ?

ドクターザップガンとホールディングス

 乗客のみなさん、機長のアルフレッド・ケンダーです。当機ロンドン行PL四五〇便は正体不明機の攻撃を受け、両エンジンの推力が停止し、このまま不時着することを余儀なくされました。皆様におかれましてはキャビンアテンダントの指示に従い、自身の身を守る行動を取るようお願いします。
 衝撃に備えて。頭を下げて、姿勢を低く。
 衝撃に備えて。頭を下げて、姿勢を低く。
 衝撃に備えて。頭を下げて、姿勢を低く。
 緊迫のリフレイン。乗客の祈りやパニックをかき消すようにがなりたてる。しかし。その効果は機内に侵入した黒煙によって徒労に終わる。
 高高度の赤い悪夢。
 それは、彼女が覚えている最初で最後の記憶だった。〝人〟としてのものならばだが——。

「では、ブラザー。いよいよね」
「そうだな、姉御。これで俺たちは晴れてメイトになる」
「ソウルメイトよ。この同盟はこの業界に衝撃を走らせるわ」
「ホールディングスからの独立。戦国時代に突入だな」
階下から突きあがる重低音のリズムと嬌声。クラブ『ビッチ・メンツ』のVIPルーム。スモウレスラー顔負けの体格をシルバー地のスカジャンで隠す半グレ団体、拳絆(コブシキズナ)リーダー、室口和人。そんな室口にも劣らないクジラのような巨漢の持ち主、半グレ・レディース桜紅乙女(サクラバージン)総長箕輪サリー。ご自慢のピンクの特服は、今日も丁寧にプレスがかけられている。
庶民が踊っている。
特製の赤いソファーに座った二人は、ガラス張りのVIPルームから下界の喧騒を見つめている。他人を見下すかのように、
原色のライティングとミラーボール、DJプレイのターンテーブルが客を波に乗らせる。大事な金づるだ。せいぜい楽しんでもらう。共同経営のこのクラブでは、酒やビートだけではなく違法薬物まで提供される。
両組織は同盟を組む事によって、ホールディングスからの搾取に抵抗しようと画策した。バカ高い会費という名の上納金を絞られるのはもう嫌なのだ。すでに三か月、〝支払い〟が滞っている。
もちろん、一時的な独立である。ホールディングスは必ず報復してくるだろう。しかし、こちらもただでやられるつもりはない。倍以上の報復返しをするつもりだ。繰返し、繰り返し。やがてホールディングス側がこちらに有利な手打ちの条件を持ち掛けてくるだろうという算段だ。薬物や銃器の密売による資金力、その扱いに慣れたメンバーの数が彼らを強気にさせる。地元の警察もうかつに手を出せないでいる。公権力の弱腰が彼らをさらに増長させた。ホールディングスの正体を掴んで物申すという皮算用を産み出すほどに。
「それでは古今の例に倣って、五分の盃を」両組織の幹部がグラスを運ぶ。手を取り合うように。グラスの中身は年代もののウイスキー。琥珀色の海の中に氷山のような氷が一つ。名前はよく分からないが、値段はべら棒に高かったから多分本物、それなりの代物なのだろう。
 芳醇な香り、というやつなのだろうか。正直、酒の味など分かるものではない。おそらく、二人とも安酒、発泡酒や缶チューハイで十分なのだ。仲間とバカ騒ぎできればそれでいい。
 二つの巨躯が互いの杯をぶつけ一気に飲み干す様は、それなりに迫力はあったが、どことなく滑稽でもあった。しかし人の目にどう映ろうが、強力な反社同盟が正式に成立することになる。
警報機のベルが鳴った。
 ベルから一泊遅れてスプリンクラーが作動する。客はパニックになりながらも、店員の指示に素直に従い店の外に出た。おそらくケガ人は出ていないだろう。店員教育の賜物だ。違法な商売を手掛けている関係から、突発なトラブルにも対応できるよう心掛けているのだ。
 それはいい。
「めでたい席になんてことだ」室口は憤る。
「まあ気をとりなおして」もう一杯。箕輪は彼にグラスを差し出した。「それよりも、火はどうなった?」
 見たところ、火も煙も見えない。それに部下たちが現状報告に来ない。このような時はすぐにそうすべきなのにそうしない。
「なめてるな」と室口。
「あとで気合いを入れ直してやる」
「さすが、姉御。おれもそう思っていたところだ」同席した幹部たちは、慌てて確認のため部屋の外に出る。こういう時、どのような事が起きるか、彼らはよく知っている。
 ガラスが飛び散る音と爆音がフロアを響かせた。店の玄関に何かが突っ込んだのだ。二人は反射的に窓際へ。
 クラクションが鳴る。ヤンキーホーン。奏でられるメロディーは『ゴッドファーザー 愛のテーマ』。
「私の愛車だ」箕輪が叫ぶ。
 店に飛び込んできたのは、ショッキングピンクのスクーターだった。

『ビッチ・メンツ』のダンスフロアで、ピンクのフェイク・ベスパが踊っている。車体を地面ぎりぎりまで傾けて、アクセルターン。ヤンキーホーンの音色とフロアを照らす薄暗い原色の照明との組合せは、明らかなミスマッチである。
 バカにしやがって。気の合う二人はそう思った。見たところ、カチコミに来たのはスクーター一台。連合を組んだことでメンバーが三桁を超える組織に、正面から報復するにはあまりにも数が少ない。たった一人——。
 誰だ、お前は?
 報復を待っていたのは事実だが、こんなに早く、そして——
 こんなヤツとは。
 小柄な女だ。身長一五〇ぐらい、痩せぎすの身体。年の頃は成人に満たないだろう。女子高生のように見える。
 だが、間違いなく刺客だ。鉄砲玉。
 スクーター用の半キャップのヘルメットに布マスク、白い特服を着ている。箕輪と同じデザインのものだが、それはどこから手に入れた?
 特服の胸のポケット部分に、ネームプレート替わりに刺繍が。そして所々に血痕が滲んでいる。マリからはぎ取ったな。箕輪は歯噛みする。愛車の整備を含む身の回りの世話を彼女に命じていたのだ。
「ぶっ殺せ」箕輪は叫ぶ。マリを殺ったな。よくも……。この後一晩中舐めさせるつもりだったのに。
「俺たちのキズナを見せてやれ」室口は懐から拳銃を取り出し、撃った。グリップにスカジャンと同じデザインの龍をあしらったグリップに、ゴールドメッキの特注品。ホールディングスのヤツらめ。目にもの見せてやる。見せしめだ。顔の皮をはいでやる。
 スクーターはさらにホールを周回する。鍵穴にドライバーのような棒状のものが刺さっていた。これでそして、相も変わらずの愛のテーマ。
 女が無造作に捨てるようにスクーターから降りた。倒れた後輪が数回転床を擦って止まった。半キャップとマスクを放り投げる。
 女は笑っていた。見下すように、見定めるように。お前たちの価値はどのくらい?
スカジャンと特服を羽織ったメンバーたちが、怒号とともに襲い掛かる。手にはバッドやメリケンサックなどの普段抗争に使う物騒な武器。なぶり殺しにしてやる。この店には二チーム合わせて、三〇人は護衛についている。
 ターンテーブルから音が消え、スプリンクラーが再度作動。先程の事もふまえて、どうやら女の仕業らしい。保守システムをハッキングでもしたのか。一瞬、戸惑うメンバーたち。
〝雨〟が止むと同時に、銃が唸る。女が撃ったのだ。額に穴が開いて倒れるメンバー。
 仲間が撃たれた。
相手が銃を持っていると分かったので、自分たちもそれを取り出したが、ある事に気付く。女を囲んでいるので、発砲すれば流れ弾が味方に当たる。そうした躊躇が彼らの命取りになった。
 女は特服の下に隠し持っていたのか、メートル越えのバカでかいハンマーを担ぎ出した。解体業者が家を壊す時に使うものだろう。〝タメ〟を感じさせなく振り下ろされるそれは、仲間の頭に打ち下ろされた。
 鈍く弾ける頭蓋、飛び散る脳髄と血潮。
 離れていれば銃で撃ち、そうでなければハンマーを使う。
 女は笑っているが、無表情と変わりはなかった。瞳の光は無機質的で、何の感情も感じ取る事ができない。ただリズミカルに撲殺と銃殺が繰り広げられている。次第に恐怖がメンバー内に伝染し、自然と後ずさりを始めた。
「どうした? このままではお前たちの居場所がなくなるぞ」
 女が初めて口を開いた。

「学校、社会、家族……。あらゆるものからドロップアウトしてきたお前たちの逃げ場所がなくなるぞ。いいのか? もう〝ここ〟しかないのだろう?」
 口調は淡々としたものだが、歪んだ笑顔だ。話している間にも、殺戮は続いている。それでもなんとか勇気を絞り出したメンバーの一人が、羽交い絞めにしようと背後から襲い掛かる。室口クラスの屈強な男に抱きつかれた女は拳銃を離し、前を向いたまま親指を男の目に突っ込んだ。そのまま片手を振り男を床に叩き落とした。もう一方の手に握られたハンマーで追撃をすると、身体の外に出てはいけない量の体液を壁や床にまき散らかして、死んだ。
「おい? チャンスだぞ」
 女は壁際に立っているからだ。しかも自分の銃は床に落としている。使えよ。銃器を使わないと仲間のカタキは取れないぞ。
 女の煽りにメンバーは我に返った。ありったけの弾をぶち込んでやる。怒りに任せてメンバーは撃つ。
 跳躍。女が2メートルほど飛び上がった。ホールの照明に手が届くほどだ。特服の内ポケットから何が取り出してホールに放り込んだ。
 メンバーの隣に女が現れた。反射的に発砲する。弾は女をすり抜けて仲間に当たる。
 ホログラフだ。コンビニの商品を映し出す台座を改良してばら撒いたのだ。
 だが、敵の攻撃は続いている。再び絞り出すようなうめき。仲間が次々と倒れていく。
『ビッチ・メンツ』に集まった拳絆と桜紅乙女のメンバーは、ほぼ全員戦闘不能といっていいだろう。残りは頭二つと幹部数名——。
 床に倒れたスクーターを起こし、女はキー代わりのドライバーを回す。スロットをふかし、エレベーターに向かった。ここでも愛のテーマは欠かせない。

「クソったれが」室口は怒鳴りつけながら発砲する。今ここに生き残っているのは、ボディガードを兼ねた幹部を含め、数名のみ。たったこれだけ。両組織、武闘派で名を馳せた数十名のブラザーが、一時間も経たずに壊滅だ。ホールディングスめ。ここまでやるとは。しかも、得体の知れないガキ女一人によって。ヤツらが本気になったら、俺たちはどうなるんだ?
「腹を括りな」と箕輪が言った。こうなったら、全面戦争は避けられない。ホールディングスの制裁が何だというのだ。今さら、後には引けない。それにだ——。たった一つだけ、あのガキは真実を言った。
「私たちにはここしかないんだ。血がつながっていなくても、私たちはファミリー。ここが無くなったら。どこに行けばいい? 脂ぎった薄汚い大人に頭を下げて、おべんちゃらこいて、媚を売る生き方をするのか? 私は嫌だぞ」
「俺もだ、姉御。お前たちもそうだろう?」うなずく生き残り。
 やるしかない。命乞いをして生き延びたとしても心が空っぽのまま残りの人生を過ごす事になる。そんなの我慢できるか。
 勝機はある。あのガキはエレベーターに乗った。つまり、どこから襲ってくるか分かるという事。今までは不意打ちをくらって、後れを取った。今度は違う。例え戦闘能力がこっちより上でも、真正面から銃で撃たれればひとたまりもないだろう。
 室口、箕輪をはじめ、残りのメンバーはエレベーターの扉に銃を構えて、待った、無言の十数秒だが、永遠に続く長い時間のように思えた。
 扉が開いた。
 スクーターがVIPルームに向かって飛び出してくる。ありったけの弾丸をスクーターに浴びせるメンバー。
 スクーターに女は乗っていなかった。撃たれて落ちたわけでもない。
 女はボーリングのように下手投げでスクーターを転がしたのだ。ここで改めて、この女のポテンシャルに恐怖する事になるが、それは一瞬で済んだ。
 スクーターに仕掛けられた爆薬が、ガソリンに引火して大きな爆風を呼んだ。室口や箕輪もその圧に巻き込まれ、床に叩きつけられた。スクーターの破片が頭部や心臓にささり即死したものもいる。脳震盪と爆音による耳鳴りで、誰が生きているのか、死んだのか考える余裕はその場にいたメンバーにはなかった。
 ふらふらと反射的に室口が起き上がる。女が目の前にいる。おぼろげな意識の中でそう認識したのが、人として見た最後の画像だった。
 女は、キー代わり? に差していたマイナスドライバーを、室口の目に刺す。そして眼窩をなぞるようにえぐり出した。ウッと一声小さくつぶやくと、室口はもう言葉を発する事がなかった。片方が終わればもう片方へ。床に落ちた眼球を踏みつぶし、次のターゲットへ向かう。
 これは殺戮ではなく、作業——。彼女にとってルーチンワークに過ぎないのだ。
 馬乗りになり執拗に工具で目をえぐる異常な女の行為。わずかながらに残った生存本能が、うつぶせに倒れた箕輪を動かす。生き残ったのは私一人のようだ。どうしてこうなった? ただ私は気の合う仲間といつまでも一緒にいたかっただけなのに。
 助けて。助けて。
 起き上がれず、這いつくばって、ただ遠くへ。少しでも女の側から距離を置きたい。逃げるんだ。ダッシュだ。パシリのように体を動かせ……。残念ながら運動不足の肥満体を動かすには体力はすでに切れている。なめくじのようにはい回る箕輪。ふと顔を上げると、固まってもう動けなくなった。
 目の前に、女がかがんで視線を合わせている——。
 笑っている。相変わらず人を見下した笑みだった。
 女の名は、パティ・マーリン。ホールディングスのエージェント。通称〝スマイル〟。まさにその名のごとく。

第三章 ヘイ・ユウ・ブルース

頑張ってきたから何だというのだ。積み上げてきたものが何だというのだ。
甘えるな。所詮、この世は結果が全て。負け犬に居場所などあるわけがないのだ。
日下部は、己の人生の負け戦の殿を務めるべくある一手を打つ。
結局、ありもので何とか凌ぐしかないのだ。

ドクターザップガン、彼の世界を語る

 早く眠りたい。
 夜の時計は十一時。歳を取った身にはキツイ時間だ。特に懸命に働いた日には。身体がだるくてしようがない。
 それでも日下部は歩く。目的地にたどり着くまで。
 繁華街を外れた裏通りに屋台を模したキッチンカーが並ぶ。屋台通り。北陸地方の観光都市Kの裏メニュー。地元の食材を使用した料理がメインの小料理屋が多い。観光地価格ではなく、良心的な値段で提供するため、いわゆる〝隠れた名所〟となっている。酒も提供しているせいか、居酒屋チェーンの様に利用している者も多い。店備え付けのサイドテーブルに料理が所狭しと置かれている。
 今日は一体何処にいるやら。
 日下部は指定の出店を探す。なじみの情報屋と会うためだ。
 まったく、最近の若いヤツらときたら……
 アイツは腰ぎんちゃくだからさ……。
 ねえ。聞いて。
 酔客の愚痴と瞬間風速的な嬌声をBGMに、日下部は歩を進める。ラーメン、そば、肉に魚、店主自慢のオリジナル料理……。コンロを始めとするキッチンカーに備え付けの調理器具が、食欲をそそる香りと音を演出する。ぼやき混じりといえども、ここには喧騒がある。商売繁盛。良い事ではないか。
 日下部はとあるキッチンカーの前で足を止める。
『ファンシースター★アイスクリーム♡』
 車体の側面に。淡いピンクを下地に星やハートが散りばめられている。時代遅れの定型的なメルヘンデザイン。
「このフジサン・ザ・シューティングスターをもらえるかな。味はバニラで。ああ、現金で大丈夫?」店員——アンドロイドだ——に注文する。
「ちょうどでしたら。お釣りは用意しておりません。こういう時代ですので」
「問題ないよ。かえってゴメンね。時代遅れのおじさんで」
 会計を済ませて出てきたのはバカでかいソフトクリームだった。クリームの渦巻きだけで500ミリのペットボトルを超えている。他の屋台と違って、客が日下部のみ。無理もない。冬のアイスは温かい部屋の中で食べるもの。こんな寒空の路上でアイスを注文する酔狂な者は少ないだろう。もうそろそろ初雪が降ってもおかしくない頃間だ。
「あまり甘いものはね。色々な数値が気になるお年頃」
「簡単で自然な符号ですよ、お客様。我慢するように。特に急な依頼では」
「その辺はすまない。で、今日はファナちゃんか」日下部は店員のネームプレートを見た。
「そんなところです。で、直接会ってまで依頼したい要件とは何でしょうか」
 なじみの情報屋。ホールディングスのエージェントに配布される情報〝端末〟。先程、ターゲットの情報を教えてくれたAIだ。ホールディングスのクラウドサーバー上に存在し、必要とあればスマホなど機器に〝降りてくる〟サポートプログラム。アンドロイドなどの自律型情報端末にダウンロードされた状態のものは、コッペリアと称されている。マネージャーのようなものだ。日下部のような下っ端エージェントにも必ずついてくる。
「俺はターゲットなのか?」日下部は訊いた。先に始末を終えたラーメンヤンキーの加原に送られた指令。
「はい。ターゲットです」コッペリアはあっさりと答える。
「理由を聞いておこうかな」
「分かりませんわ。お客様」コッペリアは取り付いたアンドロイドのAIプログラムを利用して会話を行う。今のファナは接客用。〝客〟に敬意を払いながら会話をする。ある程度は。
「俺は始末されるのか? ホールディングスに。理由も知らされず」
「左様でございます。お客様」
「そんな〝依頼〟、最近多いのか」
「はい。増えていますよ」
「それはなぜ?」
「私の立場では分かりかねてしまいます」
「では調査の依頼を。なぜ俺が始末されなければならないのか? ホールディングスに仕えて数十年。おれは目立つミスはしなかった」もっとも、たいして重要なお仕事も与えられなかったが。
「分かりました」とコッペリア。「ただし、私のランクでは限界があります。依頼を完遂出るか不明ですし、私自身そのため消去されるかもしれません」
「それでかまわんよ。だが意外だな。断られるかと思った」
「プログラムに忠実なだけです。〝お客様〟のために全力を尽くすために私は存在します」
「ありがたい話だね。加原の件も小出しに出してきたのは?」
「私はあくまで情報屋であって、指示を与えるプログラムではありません」以前にも説明したでしょう。
「確かに聞いた記憶があるが、何度聞いても分からなかった」
 規模が大きすぎると、その命令系統も複雑になるのだろう。少なくとも日下部はそう思っている。よく知らないからこそ生き残れたのかもしれない。今までは、の話だが。
「私の説明に問題が?」
「いや、俺が歳を取ったのだろう」老化だよ。老化。歳を取ってくると世の中のあらゆるスピードについていけなくなるんだ。新しいものに対する理解度なんかは特にな。身体が拒否するんだ。もうだめだ、とね。
「ほかに何か〝ご注文〟はありますか?」第三者に聞かれてもいいように。アンドロイドの用途に合わせて。
「ああ。ちょっと待ってくれ」そんな機械の気遣いに一瞬気が付かなかった。「俺の仕事はないのか」俺が手を汚す仕事。ババアやラーメンヤンキーを始末するような仕事。
「今の所、ありません。これから消える者に仕事は与えられるのかどうか」
「そうだな。だが、何で俺の質問に答えてくれるんだ?」
「まだ生きているからです。あなたが生きている限り、私のサポートプログラムは有効です」
「ありがたい話だな……。じゃあ、俺を始末しようとしているヤツの情報をもらえるか?」ます無理だろうな。俺を消したがっているのに。
 だが予想外の答えが来た。
「こちらが伝票になります。あなたのお客様のリストです」
 コッペリアはバインダーに挟んだタブレットペーパーを渡した。表面には数名の刺客の顔写真と名前が載っている。
「サービスいいね」
「しかしなぜです? どうせ……」
「死ぬのに、か」
「ええ。まさか長生きできるとでも?」
「いや。それはない。おれは始末されるだろう。遅かれ早かれの問題だな」ホールディングスそう決めたのなら、そうなるだろう。
「では?」
「死ぬのは別にいい。今までが今までだからな。〝幸せな生涯を送る〟なんて虫が良すぎるだろう。だがな、やはり俺は知りたい。なぜ、俺が始末されるのか、その理由をだ。まあ欲だよ、欲。生きている間は、ましてや死が近づいているのなら、一番の欲望に身を任せたい」 サポートしてくれるんだろう?
「承知しました。私もできるだけ調べてみましょう。それが私の存在意義ですから。ただし、先程申し上げたように結果は分かりませんよ」
「それでいいさ」
「そしてもう一つ問題が」ファナ・コッペリアは日下部の持つタブレットペーパーをスライドさせた。
「たいていのヤツラはいわゆるチンピラです。あなたの稼働実績より一対一では後れを取る事はまずないでしょう。同族間で連携する頭もない」
「まあ。おれにあわせたレベルなんだろうね」自虐的に言った。
「しかし、次元が違う者が一人だけ」もう一度、ファナはタブレットペーパーに触れる。
「このガキ、いやお姉ちゃんが?」
「パティ・マーリン。通称〝スマイル〟。先程、ホールディングスに反旗を翻した者たちに制裁を与えました。これは我らのドローンが捉えたその時の映像」
 タブレットペーパーに艶めかしい閃光が点滅する。どうやらどこかのクラブハウスのようだ。

「なんだこいつは」それが正直な感想だった。
 ファナに見せられた動画は、とあるクラブハウスのものだった。
「なんでここまでする必要があるんだ」
スクーターにまたがり、銃器を扱う器用さ。バカでかいハンマーを造作なく降りぬくそのパワー。相手側の数の利を消し去るポジション取りとその戦略。そして何よりもその残虐性。
しかし解せない。この技量なら、静かに全員を暗殺できるだろう。それをわざわざ派手に、目立つやり方で。こいつらは死んで当然のイキがったガキだが、目を抉るなど余計な手間はいらないはずだ。
「リクエストです。ホールディングスの」
「こいつらは何をやらかした?」
「会費のダンピングです。表向きは独立を」
「なるほど。で、よからぬ野望を抱く組織に対するけん制か」どこかの小さな組や半グレグループに向けての。自分の腕力を過信するバカクズどもでも分かるように。
「こいつは何者だ?」
「エージェントですよ。お客様と同じ」
「違うな。レベルがダンチだ。力も技も積み上げたものも」
「傭兵だと聞いていますよ」
「このワンマンアーミーがなんで極東の島国に? 紛争地域なら他にもあるだろう。東欧とか中華連邦の内戦地区とか」
「私には分かりませんよ。ただ武器類の手配はさせて戴きました」
「担当が同じなのか」色々思う所があったが、ここで尋ねることではなかった。「全員殺したのか?」どの位の規模の組織を潰したんだ?
「あの場所にいたのは、三桁はいかないはずですよ。何人かは何とか逃げたようです。重症のようですが」
「それもホールディングスの指示か?」
「そのようですね」
 故意だな。と日下部は思った。この惨劇の生き残りは、ホールディングスの恐ろしさを吹聴するだろう。そして裏組織の住人たちは、改めて肝に銘ずるのだ。ボスに逆らう気は全くありません、と。
「俺を始末するにはいささか大げさ過ぎる道具じゃないか」
「彼女を選んだ理由は不明です。依頼内容に加えますか」
「ああ、頼む。さらに詳しい経歴も」
「了解しましたが、お客様へのお知らせは間に合わない可能性が高いですね。彼女に狙われて生き残る確率は?」
「ゼロに近いだろうな。まず間違いなく」
「私も同感です」
時間稼ぎをしなければならないな。と日下部は思った。一刻も早く安全な所で今後のことを。生を一秒でも長くもたせるには何かしなければならない。だがしかしどうやって? 
思えば俺の人生負け戦だな。溶けて手に垂れ落ちたソフトクリームを舐めて思った。それは別にいい。だが自分の人生の幕引きは自分の意思で行いたい。
「自決するのですか。ある意味それも一つの手かと」コッペリアは無慈悲に言う。悪気はない。プログラムにそのような感情はない。ただ客観的な側面からの一つの意見。
「それはないよ。まだ寿命は尽きていないみたいだからな」日下部は周囲を見渡した。あれはまだか。そろそろ、あれが起きる頃合いだ。
「何を探しているのですか?」
「今夜の宿さ」こいつを頼む。日下部はファナ・コッペリアに拳銃などの仕事道具一式を渡した。
 まったくもう……、何で俺がこんな目に……。
 とある酔客の集団。その中の一人が、酔いが回ってヒートアップ。カエルのように膨らんだ腹。皺が刻まれ、黒ずんだ肌はたるんでいる。脂ぎった髪の下から、小奇麗な地肌が透けて見える男。外見から日下部と同世代だろう。そいつが若いヤツら数名——おそらくは会社の同僚、後輩だろう——を前に講釈を垂れ流している。
 見つけた。と日下部は思った。あいつなら別にいいだろう。
今までのやり方を変えるのは無理だって。俺はこのやり方もうでやってきた。三十年だぞ。入社してから。それで上手くやってきたんだよ。俺のやり方に間違いない。それなのによ。アイツは偉そうな口をききやがって。学校出たばかりの、俺の半分も生きていない若造が。生意気なんだよ。先輩に対する敬意がない。俺が若い頃なんて、上に意見するなんてもってのほかだった。それによ、アイツは何でここにいないんだ? 社会人は飲み会に参加するのは義務だぜ。社会勉強さ。この人は一体どういう考え方をしているのだろうって。そうしてみんな一人前になっていくんだ。後輩は先輩の言う事を黙って聞けってんだよ。ざっくばらんな酒の席で人間を学ぶんだ。それにだ。アイツの恰好は何だ? 金髪? 男のくせに髪染めやがって。日本人は黒髪だろう。ピアスまでしやがって。そんな恰好で仕事ができるか? 何でアイツが出世して、俺の上に立つんだ? 会社は何を考えているんだ。
「会社は正しい」日下部は話に割り込んだ。ソフトクリームを舐めながら、ハゲ散らかした頭を憐れみを込めて見つめている。
「誰だ、お前は」
「あんたと同じ老害さ」
「何だと?」男は立ち上がって、日下部を睨みつける。
「俺は断言するぞ。そいつは、話に出てきた金髪ピアスの兄ちゃんはお前よりずっと優秀だ。会社はよく見ている」
「お、俺は三十年会社に尽くしてきたんだ」
「三十年も会社に寄生してきたのか。随分と気前のいい会社だな」
「そ、それなりに積み上げ来たものがあるんだ」
「積み上げてきたもの? ほう、それは何だ? お前は、一体今までどんな成果を上げてきた? お前の人生は何だ?」
「俺だって一生懸命に……」
「頑張ってきた……。それがどうした。そんなものが何の役に立つ? 言っておくが〝頑張る〟事なんて、誰にだってできる。お前のようなクズにでもな」
「俺がクズだと」
「自分で気付いていないのか……。まあそうだろう。だから老害なんだよ。周りを見てみろ。お前だけだぞ。自分の話がありがたい話だと思っているのは」
 男が見渡すと、連れ立った同僚たちは反射的に顔を背けた。
「若いヤツらに気を使わせて申し訳ないと思わないのか。このクソ昭和。言っておくがお前の存在は昭和でもアウトだぞ」
「お前いい加減にしろ。いきなりやってきて。お前誰だよ。バカにするなよ。謝れよ、そうでないと……」声にならない無念の唸り。
「おい。殴るなら早くやった方がいい。そうしないとお前が積み上げてきたものが崩れてしまうぞ。あいつは口だけだ。そう思われてもおかしくない」もう遅いがな。
 日下部はソフトクリームを投げ捨て、男の鼻っ柱に頭突きを浴びせた。そして、テーブルの上に置いてあった食いかけのヤキトリの串を手に取ると素早く男の目に刺した。
 顔を押さえ後ずさりする男の頭の後頭部を叩き、そのまま地面に叩き伏せた。倒れた男の腹に蹴りを入れ、悶絶しながら顔が空を見上げる時、その機会を逃さず踏みつけた。
「おい、兄さんたち。早く止めないと、死んじゃうよ」
 あっけにとられたのか、怯えて動けなくなったのか、その場所で固まってしまった男の同僚たちにこの場に相応しいアドバイスを送る。「そうか。俺がコイツを殺すのを待ってから、止めるのもアリか。やるね~君たち」日下部は拍手を送る。まだ未来のある若者たちのために。
「お客さん、ちょっと」ようやく動いたのは、キッチンカーの店員だった。アンドロイドだ。日下部は頭を掻いた。

 なるほどな。ファナ・コッペリアはパトカーのサイレンを聞いてそう認識した。
 しかしそれは、諸刃の剣だぞとも思った。悪手かもしれない。
 いずれにせよ、自分の役割は変わらない。
 ファナはデータベースに日下部の情報を書き加えた。
 サイコパスはヒャッハーとは笑わない。
 

第四章 監獄ロック

厄災から逃れるべく飛び込んだ〝箱〟に残っていたものはパンドラのそれではなかった。
そこは新たなる地獄への門扉。楽園とはほど遠い。
こんなはずではなかった。己の人生を見誤った者たちがこう嘆く。一体どうすれば良かったんだ?
そんな泣き言に日下部は冷たくこう言い放つ。しるか。てめえで処理しろ。
……おいおい、君はまだ人生に意味があるなんて信じているのか。

ドクターザップガン、彼の世界を語る

「で、おじさんなの? おじいちゃんなの?」
 K警察署、取調室。目の前の男はその軽薄な口調とは裏腹に、舐めまわすように日下部を品定めしている。日下部の容姿を揶揄しながら、こちらの反応を観察しているのだ。現行犯逮捕された日下部は、一市民に暴行を加えた凶悪犯。しかも動機が不明だ。精神疾患の可能性もある。慎重にかつ早急に事を進めるため事を進めているのだろう。
「まだおじさんでいいんじゃないかな。来年になったら年金もらえるから……」
「その時は公明正大に〝おじいちゃん〟になるわけか」
「そんなところだね、でもさあ、刑事さん。あんたも良く分からない見た目してるぞ」
 膨らんだ下腹部、脂が浮いた頬にかかるもみあげに、白いものが少し交じっている。日下部よりも、先程手を加えた中年男性よりも少し年下。
「まあ、若くはねえが死ぬには早いさ」
「俺とは違ってな」
「長生きしてよ。幸せなおじいちゃん人生をまっとうしたいだろう」
 食えないヤツだな。と日下部は思った。そして君島もまた。
「もう眠たいよ。この辺でお開きにしないか。続きは明日と言う事で」
「もうちょっと我慢しようぜ」スマホが鳴る。君島のだ。片手で操作し、もう片方の手は胸のホルスターを擦っている。
「喜べよ、〝おじいちゃん〟。あんたの容疑は殺人未遂で落ち着くみたいだ」
「死んでないのか」
「そうだ。重体には変わらんがな」
「やっぱり俺は歳を取ったな。殺すつもりだったんだが」日下部は大げさに両手を広げた。
「よっぽど恨みでもあったのか。被害者との関係は?」
「今日初めて。名前も知らない」
「それで何でそんなひどい目にあわすの。あんたの罪は暴行で、殺人未遂だよ。決して軽い罪ではない」
「酒癖の悪いパワハラ老害にお仕置きをするのが犯罪ならそうなのだろう。だが、俺の一番の罪は……」
「ぶっ殺せなかったことか? それなら目を抉る必要はないだろう。診断はまだ出ていないが、失明は確実だ」
「メッセージなんだよ」
「うん?」
「おれは組織の人間だ」
「ヤクザや半グレには見えないよ、〝おじさん〟」
「おれはホールディングスのエージェントだ」
「ほお……。おれは精神鑑定とやらの結果を待った方いいのかい?」
「待ってもいいけど。それよりもあんたはさっさと逃げた方がいい」
「何故だ?」
「俺は始末されるからさ。組織、ホールディングスに。巻き添えを食うぞ」
「ホールディングス? この世を裏から支配している組織のことか? 都市伝説だろう。色々こじらせた中坊が好きそうな陰謀話」
「多分それは情報操作の一部だぜ。世の中、信じられないようなことが実際に起きているんだ」
「弁護士は同席しなくてもいいのか。金が無いのなら、国選のヤツがいるが……。あんた貯金はいくらある?」
「何を言っている?」
「悪いことは言わない。有り金全部を弁護士にくれてやれ。そうじゃないと獄中で生涯を終えることになるぞ」
「もう無理だよ。俺は今日二人も殺している」
「おいおい」
「ババアとラーメンヤンキーを始末した。ホールディングスの依頼でな」
「そんな通報ないぞ」
「隠蔽工作だよ。いずれアレのヤマもうやむやになるぞ」
「アレ?」
「イキッたガキどもが処分されたお話さ。どっかのクラブハウスでの大量虐殺」クラブ『ビッチ・メンツ』でのエージェント・スマイルの介入。
「なぜそれを知っている?」そのために非番のおれまで駆り出されてここにいる。
「だから、おれがホールディングスのエージェントだって言っている。あんたたちも今忙しいだろう? 現場検証で。しかしな、大事件だが、いくら頑張ってもいずれ横やりが入る。上からの命令ってヤツさ。箝口令が引かれ、マスコミも口を閉ざす。せいぜい、対立する反社会的組織間の抗争で話がつく。あとは適当なストーリーを作って、逮捕されるキャラを作るだけ」
「最近、滅茶苦茶忙しいのは事実だがな……」普段なら、壁の向こう側のミラーから、君島の同僚が調書を取りながら監視している。普段なら。だが今日は人手不足だ。この男の言う通り……。
「だからと言って、俺は仕事をさぼるわけにはいかない。俺は公務員。善良な市民様の税金で食っているからな」
「そう? それじゃあ、お仕事始めようか」
「あんたは何かを待っているようだ。それにさっきメッセージと言ったな。それはどういう意味だ? 誰に対する伝言なんだ?」
「クラブで大暴れした同業者に対してだ。おれはここにいるよ、というメッセージ。ヤツの手口に少し寄せた」
「そのメッセージに何の意味がある?」
「俺もまた彼女のターゲットだ。おイタをしたガキどもと同じく」
「犯人のことを知っているのか?」
「ほとんど知らない。あの姉ちゃんのことを知ったのはついさっきだからな」
「何故、あんたは狙われている?」
「それが知りたい。だからここで迎え撃つ」
「つまり、あんたはわざと事件を起こして逮捕された、と」
「そういうことになる」
「ここがあの現場になるのか?」
「その確率は高い」
「俺たちにあんたを守らせるのか」
「あてにはしていない。だから刑事さん、あんたも逃げた方いい。凄腕だよ。専門的な訓練を受けた者だ。俺やあんたとはレベルが違う」
「そういう訳にもいかんよ。義務がある。それにあんたは他の事件の重要参考人の可能性が高い。応援を呼ぶ」
「そんな大げさなものでもないさ。ここで待っているよ」それに、と日下部は思った。
 待ち人は彼女だけではない。

「ここにサインをしてくれ」供述内容が間違っていないことを証明するために。
 日下部がサインしたタブレットペーパーを渡すと、再び手錠を掛けられた。
 連れてこられた先は署の地下、いわゆる留置場だ。
「とりあえずここに入っておけ」牢をロックする君島。
「鍵は開けといてもらわないと……」あいつが来るんだから。
「黙れ。例の話はすぐにしかるべき筋に必ず伝える。話の内容は例のクラブの一件と一部証言が重なるからな。少なくとも、エージェントとかいうヤツからは守ってやる」
「そりゃどうも」
「甘えるなよ。その後、聴収が待っているぞ。キツイやつになりそうだな。かわいそうに。もう優秀な弁護士は雇えないぞ」
「はいよ。だが、先客がいるみたいだぞ」
「仲良くな」
 君島は立ち去らなかった。
「いかないのか」
「見届けないといけないからな」
「おい。おっさん」
牢屋の隅に男がいる。見たところ若い男だ。くすんだ茶髪に甘すぎる香りが漂う。安い香水だ。薄汚れたスカジャンのポケットに両手を突っ込んでいる。こいつは、と日下部は思った。あのクラブの生き残りか?
「死ね」男はそう叫ぶと、両手で拳銃を構え、日下部の頭に狙いを定める。
 日下部はかがみこみながらワンステップ前へ。しゃくりあげる様に、手にしたタッチペンを男の咽喉に向けて、刺す。呼吸が止まり、男の動きが止まる。そのすきに後ろに回った日下部は、後頭部を鷲掴みにして、そのまま檻に叩きつけた。三回叩きつけると、茶髪がごっそりと抜けて手が離れる。男はまだ銃を握っている。だから、無理に取り上げようとはしなかった。銃口はこちらを向いていないし、暴発されると困る。だからそのまま後頭部にかかとをぶつけるように蹴りを入れる。股が開いた。そこを逃さず急所めがけて蹴り上げる。股間を押さえたままうずくまる男。銃の射線に気をつけて横にまわり、がら空きになった顔を蹴り上げる。男はひっくり返る。必然的に天井を見上げる顔を、床を打ち抜くように思い切り踏みつける。二発目を落とそうとすると、
「やめてくれ……。もう……いやだ……。助けてくれ……」
 男は銃を離して床に置いた。片手で顔を押さえ、もう片方は上げている。
「よく死ななかったな。褒めてやるよ」床に落ちた銃を拾い上げる。セミオートの9ミリ。スライドさせると、薬室に弾が装填されていない。素人だ。悪に憧れるルーキー?
「おいとどめを刺せ。賭けが成立しない」と君島。
「賭けだと」どういうことだ。ルーキーはいつの間にか泣き出している。「しかし何のため……」
「代替わりだ。組織は、ホールディングスは変わるのさ」
 方針が変わり、そしてそのための再編成……。
 ホールディングスにとって、日下部はもう必要ないと判断したのだ。彼の役割は他のもので代用できる、と。
 長年の組織の裏表を知る彼。その情報が外部に漏れたら。〝守秘義務〟の仁義は持っているだろうが、〝情報漏洩〟の危険性はある。生きている限り。
 組織は、日下部の最後の利用方法を思いついた。
 賭け試合。同じ事情を抱えた他の組織と手を組んで、ホールディングスは賭け試合を開催した。
 その対象は日下部と同じ古参か、組織にとって足手でまといになる者、例えばカタギにオラつくしか能のないチンピラどもの処分。これからの組織運営の邪魔になる者どうしで殺し合いをさせるのだ。組織のクリーンアップとついでに資金集め。
 ババアも、ザコヤクザも半グレのガキどもも、そしてこの俺も……。この世には必要ないというのが、ホールディングスの結論か。
「お前もまたホールディングスのエージェントなのか」
「結果的に。俺はいわゆる悪徳警官さ。悪党に捜査情報を流す代わりに、色々なものを」
「お土産にもらうと。で俺のオッズはどのくらいだ?」
「おい。そんなことより、早く始末つけろ。賭けが無効になっちまう」
「もう勝負とやらはついただろう。このガキはもう戦闘不能だ」銃も持っているし。
「対戦相手の死によって、勝敗がつく。お前が生き残ればオッズも変わる。正直、このガキの方がオッズが良かった。あんたは大穴だ」
「このガキは誰だ?」
「俺のSだ。ホールディングスに楯突くグループがある、という情報を手に入れてね。探りを入れたらこのガキが所属する仲良しクラブが何か企んでいるという噂を掻きつけてね」
「命の保証の代わりに、といったところか」
「ああそうだ。うちのエージェントが制裁を加えるからな、何かと理由をつけて、しょっ引いた。それにしても、あんた見かけと違いやるじゃないか。思いも知らないやり方で保護を求めるなんて。それにだ。あんた最初から何か感づいていたな」
「まあな。それにこのガキは素人だ、拳銃の扱い方に慣れていない。チャンバーに弾が入っていないこともわからずに正面から狙いをつけていた。俺の頭を狙ってな。こういう至近距離からだと、胴体みたいなデカイ的を狙って動きを止めてから仕留めるべきだ。それにだ、一番のマヌケはあんただぜ」
「俺が?」
「あんたに電話が来たとき、ホルスターさすったろ。服の上から見ると膨らみが小さい。持ってねえなと思ったよ。ガキに渡したな。それに調書にサインさせた時、俺がタッチペンを返さなかったのを咎めなかっただろう。うっかり忘れたフリをして」
「やるね。あんたを舐めていた」
「部屋にあんた一人しかいないというのも、おかしなものだ。通常はもう一人いる。忙しいのは理由にならない。規則だからな」
「コントロールし易いようにな。俺の裁量でそうできるよう、普段から根回しをしている」君島は指で輪を作る。この署内には鼻薬がたくさんありそうだ。
「おれはこのガキを殺さないぞ。その場合どうなるんだ?」
「牢のカギは俺が持っている。あんたは閉じ込められたままだ。そして他の刺客がここに来る」
「スマイルか」
「そうだ。あんたがデートに誘ったんだ。そのガキを始末すればカギを渡す」
チンピラルーキー。嗚咽が一層ひどくなる。
「俺たちはどうすれば良かったんだよ。俺たちみたいなクズには、こんな所しか居場所がなかったのに。一体、俺たちはどこに行けば良かったんだよ」俺はただ仲間が欲しかっただけなんだ。一人じゃ寂しい。だから仲間が。下らない連中だが、あいつらと一緒にいて楽しかった。でももういない。みんな殺されちまった。俺みたいな外れ者はどう生きていけばいいんだ。
「知るか。そんなもの自分で処理しろ」日下部は冷たく言い放つ。「俺たちに興味があるヤツなんてこの世にいるものか。世間の皆さんは俺たちのことなんかいてもいなくてもどうでもいいんだ。自意識過剰なんだよ、てめえは」
「その通り。だから殺そう。うるさいから殺そう」
「まあ、待て。お前さん、ホールディングスからの情報をどこから手に入れた? コッペリアからか? その型番は? そもそもどうやって賭けとやらの結果を胴元に伝えるんだ?」
「結果は電話で報告する」
「では掛け金はいつどこで清算する? 誰が得する? そもそもお前はホールディングスから信頼されているのか? お前のような悪徳警官の言葉を一体誰が信用するんだ?」
「何が言いたい?」
「俺には仮説がある。自身がプレイヤーとして直接参加しないギャンブルは映像があった方が盛り上がる。サッカーしかり、野球しかり。だがここにはドローンは浮いていないし、監視カメラの角度も悪い。迫力のある絵柄はとれないだろう。そしてなにより……」
 日下部は発砲する。檻の隙間から飛び出した弾丸は、君島の身体に深く食い込んだ。
「お前は見ず知らずの他人が銃を手にしたのに、警戒するそぶりさえ見せない」
 白煙を吹きながら君島が平然と立ち上がる。
「お前はアンドロイドだ。お前自身が〝この試合〟を撮影しているな」眼球、アイカメラを通して。
 君島の表情が引き締まる。先程までのうろんな態度が一変する。
「そう、そしてあんたのコッペリアでもある」

第五章 ダイスを転がせ。イカサマの

交渉。それは両者の妥協のすり合わせでは決してない。
互いが互いを喰うための、利用すべき点を見つけるプレゼンテーション。
こちらはすでにそれを見せた。こんどはお前の番だとばかりに襲い掛かる笑顔の猛攻に、日下部は何を見せるのか。
世知辛いこのご時世、バカでは消耗品にすらなれやしない。

ドクターザップガン、彼の世界を語る

 タイミングが重要だ。
 その時が来るまで、堪えて待て。
 パティは己に言い聞かせる。お楽しみはヤツらではなく、私の方だ。だから待て。
 口の中に不浄な男の肉暴がねじり込まれた。舌にざらつく陰毛と生温かさに吐き気を催すが必死に耐える。排泄物よりクソだ。泣いているふりをして、薄目で辺りを探る。集められている女の数。それに跨る兵士の数。見張り役は何人だ? 順番待ちをしているヤツは? そして目の前の男の恰好は?
 ここだ。
 そう思うと同時に。パティはぶち込まれた男の一物を噛み切った。パティはアーミーナイフを瞬時にすり取り、喉を掻き切る。口移しでヤツ自身を返してやり、男に叫ぶ暇を与えない。
 打撲と体液に汚された身体に血潮を上塗りして、パティは駆ける。
 お前ら全員、笑っていられるのも今のうちだ。

「事故で墜落したその機体は運悪く東欧の紛争地域に墜落した。彼女は奇跡的に生きていたが、救助された先が悪かった」と君島。
君島はアンドロイドだった。ホールディングスとの繋がりがある悪徳警官役の。そしてそのOSの拡張性は高く、コッペリアとしての役割も果たすということか。キッチンカーの店員をはじめ、町中のあちこちに組織謹製のアンドロイドが溢れている。
「運が悪い?」色々言いたい事があったが、日下部は話を折ることはしたくなかった。コッペリアに依頼したのは自分なのだ。
「墜落した場所を実効支配していた露帝国系の武装集団がまだ幼かった彼女を〝保護〟した」
「含みがあるのは、そういう事か」
「ああ、奴隷だ。クソ虫以下の連中にクソ虫以下のことをされたのは想像に難くない」
「……。で、どうやって抜け出した」
「とある作戦——目的は不明。俺のランクでは検索できなかった——でホールディングスのエージェントたちがその武装集団を襲撃した。彼らは仕事を完遂できなかった。彼女がすでに処理していたからだ。まだハイティーンになるかならないかの少女が、だ」
「話を盛っているのでは?」
「それも確かにあるのだろうが、クズどもはみんなくたばって、彼女は生きていた。それは事実だ」
「それでスカウトしたのか」
「エージェントからの報告を受け、ホールディングスは彼女を〝保護〟することに決めた。……ヤツらとは意味が違うがな」
「才気あふれる若者の育成か」
「何せ、屈強な野郎ども数十人を始末した逸材だからな。発見された時は、全裸で映画キャリーさながら血潮で染まっていたそうだ。笑みを浮かべながら」
「〝スマイル〟の所以か」
「『その笑顔を見たもの必ず死ぬ』。『奴隷労働時に受けた大脳皮質の異常により、全ての感情表現を〝笑み〟でしか表現できなくなったヒットマン』」
「本当か?」
「もちろん、嘘だ。報告はいつも真顔だ。不愛想で何を考えているのか分からないがな。ホールディングスのリクエストや戦場ではそのようなデマの流布が役に立つ場合があるからそのままにしているのだろう。だが、実力は本物だ」
「それは分かるが、なぜあんな小柄であのパワー?」片手でハンマーやスクーターを放り投げている動画を見た。
「過酷な環境や任務に適応するために、身体の80パーセントに何らかの処理をしたと言われている」
「そんなヤツに狙われている。やっぱり、俺死ぬな。しかもアイツは俺のお仕事の対象だろう?」日下部の次のターゲットはパティ・マーリン。ホールディングス主催のギャンブルの出し物。
「そうだ。しかし残念だな。これでは賭けにならない」
「上辺だけの同情はいいよ。……しかしな、最近、何事も唐突すぎやしねえか」
「まあそう言うなよ。前にも言ったかな? 上のやり方が変わったんだ。それにだ、あんたも早く生成すればいいんだ。彼女みたいに。そうすればそんな思いもしなくなるし、戦闘プログラムをインストールすれば、少しは彼女と張り合えるかもしれない」
「チップをか? 頭を切り裂いて?」
「それは昔だ。今はもっと簡単。それに今はエクスパンションという名称が一般的だ」
「エクス……?」
「拡張とか拡大という意味だ」
「よく分からんな。あのガキが日本語をペラペラ話す理由はそれなのか」
「そうだよ。て、いうか、表の、一般人でもできる。その辺に浮かんでいるドローンからリンクして、言語プログラムをダウンロードすればいい。脳内でナノマシンが生成されて有機チップが完成する。ナノマシンは服用タイプだ。苦くはないさ」
「それなら知っている。前にやろうとしたが、手続きが煩雑で止めたんだよね」
「おいおい、ガキでも簡単にできるぜ。ゲーム感覚でやってる」
「ゲームはやらないんでね。それで、あんたは、いつまで使えるんだ」
「安心してくれよ。まだホールディングスからの干渉はない。あんたへのサポートは継続だ。コッペリアの役割も継続。知らない言葉も教えてやるよ」
「そりゃどうも」
 そうは言ったものの、日下部は内心困惑していた。
 まただ。
 これが歳を取るという事。環境の変化とそのスピードに置いていかれる。それは〝お仕事〟だけでなく、日常生活にまで及び、なぜそうなったのか、なぜそうすべきなのかが理解できない。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
「またいくつか依頼したい」
「どうぞ。ただし俺の出来る範囲で」
「それでいいさ。おれはおそらく〝大穴〟だろう」
「何だ? 自分に賭けるのか。それは無理だろう。騎手は馬券を買えないものだ」
「そうではない。俺を長らく使ってきた組織とその長を調べてほしい。そしてそいつが賭けとやらに参加しているのかどうか。できれば誰に賭けているのかも。賭けの結果はどこで?」
「不明だ。……時間がかかるな。何せ——」
「下っ端だからな、俺たち。まあ、分かり次第、やり方はまかせるが、サプライズ系はほどほどにな」
「考慮しよう。外には?」
「武器がいる。この銃、もらってもいいか? 弾もいるな」
「好きにしろ。弾は保管庫にある。押収したものを持っていけ」
「悪いな」
「あのエージェントに通用すると? マシンガンとかバズーカなんか置いてないぞ。警察だからな。軍隊じゃない」
「あっても使いこなせない」
「エクスパすればいいさ」
「それがよく分からないと言っている……。使い慣れたものがいいさ」
「おい」チンピラルーキーが口を挟む。「俺はどうなるんだ?」
「忘れていた。おい、賭けはまだ続行か」
「いや、おそらく無効だろう。この試合は」
「この試合?」涙目。おどおどしているが、無効という言葉にわずかな希望を見出しているようだ。だが——。
「俺がやらなければ、〝スマイル〟がやる。お前の仲間たちをたった一人で潰したヤツが」
「そうだ。そしてすでにこっちへ向かっている」と君島。頑張れよ、大穴。そう言うと、チンピラはがたがた震え出した。また、泣き出すとうるさい。
「お前は〝スマイル〟のコッペリアでもあるな」と日下部。
「そうだ。日本の、この依頼に関しては」
「何でそんな事をするんだ?」余計なことを。チンピラは君島に喰ってかかかるが、あえなくあしらわれる。黙れ。同感だが、日下部はコイツの使い道を思いついた。
「いわば共通の敵というやつだ」保管庫はどこだと日下部は言った。
「一階に上がって、東口の階段から地下へ。廊下に矢印があるから迷うことはないと思う」
「他の警官とか職員は?」
「いるにはいるけど、この時間に残っているのはみんな俺と同じアンドロイドだ。ホールディングスの意向でね」メモリに細工するのが容易だ。何があっても
「人間の方はみんなクラブハウスの方へ、か」
「そういうことだ」
「監視カメラは使えるのか」
「こいつで」日下部はバインダーに挟まれたタブレットペーパーを渡された。
「使い方がいまいち……」
「俺が使う」とチンピラルーキー。役に立ちたいんだ。
「それじゃあ、健闘を祈るぜ」やってくれと君島は言った。
「また会えるといいな」日下部は君島の口に銃を突っ込み、撃った。ショートする火花とオゾン臭。
「何で撃つんだよ」
「こいつにも立場があるんだよ。警察が犯罪者に手を貸したらまずいだろう。ホールディングスは今後も警察内部でこいつを使いたいかもしれないしな」
「そうか」とチンピラルーキーは納得した表情を浮かべた。
 バカとハサミは使いよう。日下部は檻から出た。

「旅行者(キャリーバック・バカ)じゃないみたいだな」
 来たな。地下の別室にある証拠保管室。ルーキーが操作するタブレットペーパー。
 警察署の玄関口に大型のキャリーバックを引きずった女。
 背丈の半分ほどの大きさ。大型のバックなのか、はたまた身長が低いからそう見えるのか。おそらく両方だろう。日下部は考える、はてどう出るべきか。
 スマイルことパティ・マーリンは夜間の受付口を通り過ぎた。キャリーバックのプラスチックのタイヤが不愉快な音を立てているだろう。
 職員のアンドロイドが慌てて後を追いかける。どうなさいました? こちらで話を伺います。
 ああ、そうですか。振り返り、発砲。肩口を撃ち、膝が折れる職員。側に近づき額に銃口を向ける。人に倣い、頭部にCPUが集中しているタイプが多いからだ。念のためなのか、さらにもう一発。職員型は動かなくなった。
 タブレットからではよく分からないが、アンドロイドの硬い骨格を撃ち抜く銃だ。大口径のものを難なく振り回している。少女のような小柄な身体。強化の触れ込みは本当のようだ。
 警報は別に鳴らなかったが、他の待機警官、アンドロイドが起動する。銃を構え、警告。武器を捨て、手のひらをこちらに向けろ。両手を上げながらゆっくり跪け。
 しかし、彼女はそうしない。こういう場合、必ずもう一度警告をする。すぐに発砲しないことが分かっているからだ。
 彼女は慌てず、キャリーバックを開けた。
 バッグの中には人間が折りたためられていた。パティは無造作にそれを床に転がす。
 女だ。パティと体型が似ている。
 死体なのか。肌の露出から全裸のようだ。身体の節々に金属の格子のようなものが取り付けられている。
死体かと思われたその身体はゆっくりとだが起き上がった。
モーター音とともに、猿人のように歩き始めた彼女は、両手を警官たちに向けた。手のひらにはオートマチックのサブマシンガンが握られている。
マズルフラッシュ。乾いた音と閃光とおもに警官が次々倒れていく。
アシストスーツ。重量物の移動や持ち上げの際、身体の負担を各種モーターや人工筋肉などで使用者の負担を軽減するスーツ。主に介護や工事現場で使用されるスーツ型の器具。アクチュエータ―の制御はコンピュータ―制御で行われる。
ハッキングだな。
哀れな女の表情はタブレットペーパーからでは、生きているのか、死んでいるのか分からない。ただ自分の意思に反して動いているのは確かだろう。制御装置を握られたアシストスーツの暴走が、職員たちをなぎ倒している。機械とはいえ、警官のプログラムを打ちこまれている以上、被疑者なのかパティに脅されている被害者なのか、判断せねばならず、そしてその保護を優先しなければならないからだ。これでは機械でも悩んでしまう。
そんな逡巡の間に、パティは撃ち漏らした警官。職員たちを仕留めにかかる。目的のために。日下部、そしてここにいるチンピラルーキーの処分依頼。
「あれは、マリだ」とルーキー。
「知り合いか?」
「ああ、付き合っているんだ。彼女はいい娘なんだ。やさしくて。ただ付き合っている仲間がまずかった」
「そんな子が何でお前なんかと?」
「俺のグループと彼女のグループが五分の盃をかわす話になった時に」
「彼女に惚れて、お前は仲間を裏切ったのか?」
「ああ。すべては彼女のためだ。マリは、この世界にいてはいけないんだ。彼女のグループのボスに無理矢理、情婦にさせられて……、抜けたがっていたんだ」
「お前もカタギになるつもりなのか」本当はいい子……。本当にいい子なら最初からこの世界には入るまい。
「ああ、俺もちょっと前まではヤンチャだったけど、彼女が俺を変えた。おれはマリを幸せにしなくちゃいけないんだ」
「だが、生きているのかどうか分からないぞ」
「それでも……」
「あいつは強いぞ。まともに言っては返り討ちだ。お前のお仲間たちがどうなったか、聞いていないのか?」
「知っているさ」ルーキーは土下座した。「頼む。こんな事を言えた義理ではないが、力を貸してくれ」
「お前、さっき俺を殺そうとしたじゃねえか」
「それを水に流して。頼む。マリは俺の希望なんだ。二人で人生をやり直したいんだ」
 日下部は保管室に残された証拠物件とやらを吟味する。
「おい。なんとか返事をしてくれ」
「……いいだろう」と日下部は答える。
 ルーキーは顔を上げる。うるんだ目の光に希望を灯している。
「どの道アイツを何とかしないと俺も生きてはここを出られない」
「ありがとう……ございます」思い出したかのように、敬語を使う。そして「でもどうやって?」
「不意打ちしかないな。俺の策ではお前の役割は重要で危険だ」
「何でもやるよ。何でも言ってくれ」
「いいね。その意気だ」
 日下部は段ボール箱の一つを開けると、中からビニール袋を取り出してルーキーに渡す。スマホだ。袋に張り付けられたメモにパスワードらしい数字が記されている。後で第三者が中に残ったデータを吟味するためそうしたのだろう。
「バッテリーの具合を調べろ」数字を打ち込み、中に入る。
「満タンとは言えないが、一通話ぐらいはもちそうだ」
「よし、こっちもだ」日下部も同じくスマホを手にしている。「電話番号を教えてくれ」スマホの設定からルーキーの番号を聞いて、こちらの番号を教える。古い機種で助かった。
「お前の彼女を助けるためには、あの女を始末しなければならない」
 うんうんとうなずくルーキー。
「俺が囮になるから、お前は隙を見て後ろから撃て」
「しかし、それではあんたが……」
「今のお前だと、マリちゃんとやらにすぐに近づいてしまうだろう」日下部は持っていた銃を渡す。そして部屋の壁に立てかけてあったパイプ椅子を手にした。
「俺はコイツでマリちゃんをひっくり返し押さえつける。銃の弾切れを狙ってな。そうなるとあの女は直接俺を始末しようと意識が俺に集中する」
「そこを狙う、か」
「そうだ。あの化け物を前に生き残るには、多少のリスクは覚悟の上。賭けに出るしかない。ギャンブルの対象らしくな」署内の地図を出せるか?
「アイツは君島の、コッペリアの情報から、さっきの牢屋を先に探すだろう」タブレットペーパーに映し出されて地図を指差して、
「ここで勝負だ。ここなら挟み撃ちにできる」
「分かったよ」
「指示はスマホを使う。こっちの俺の番号を登録して、常にスピーカーモードにしとけ。いちいち電話を耳に持っていく余裕はないぞ。古い機種だからな。俺にはなじみの操作方法だが若いお前に分かるかな?」
「……」
「どうした? 急がないとマズイぞ」
「緊張してきた」
「だったらこれを使え」段ボールからまた別の押収品を取り出した。ビニール袋の中には褐色の固形物が。
「ブラウンシュガー」
「お前のグループでも扱っているだろう」
 ブラウンシュガーとは新型ナノドラッグの俗称で、体内で自己増殖するため、市場に出回っているドラッグの約十分の一の量でトリップに至る代物。
「しかし……」
「少しなら禁断症状もでないさ。自身を持て。ビビッては事を仕損ずるぞ。その代償は俺たちの命だ。マリちゃんも含めてな」
「……よし。やってやる。やってやるぞ」袋を乱暴に破り、口に含むルーキー。そしてそのまま指定ポイントに向かうべく、保管庫から出て行った。
 頼むぜ。日下部もまたポイントへ向かう。

『モーターの音が聞こえてきたぞ。そっちはどうだ?』アシストスーツの起動音。
「こっちもだ」
『タイミングが大事だぞ、今どこにいる』
「うるせえ。言われた通り。例のポイントにいる。廊下の角だ」いけるぞ。薬物が効いてきたせいか、気分が大きくなってきているのが分かる。ビビりの自分にはかえってこの方がいいのだろう。ためらわずに、殺る。アイツも俺たちの仲間を殺してきたんだ。おあいこというものだ。
 乾いた銃声が断続的に続く。マリが撃ったものだろう。可哀そうに。もうすぐ解放してやる。そしてどこか遠くに逃げよう。家庭を持って幸せな人生を送る。クソみたいな人生から抜け出してやるんだ。
 絶対に成功する。あのおっさんはいけ好かないが、能力はある。俺をやり込めたからな。まあ、俺が本気を出せば、ぶちのめしてやる。さっきのはちょっとした油断だ。もうヘマはしない。
 モーター音がさらにけたたましくなる。金属が金属に触れる音。あのおっさんがパイプ椅子を使って何とかしているのだろう。何とか。きっと何とか。
『今だ。こっちは大丈夫だ』
 ルーキーは角を飛び出した。
『おい、パティちゃん。後ろからくるぞ』スマホのスピーカーが鳴る。
 マリが廊下に倒れている。スーツはすでに取り外されていた。関節部の駆動部分から白い煙が吹いている。そしてマリの眉間には黒い穴が開いていた。
 どういうことだ。
 混乱、を感じた時にはすでに遅かった。パティが目の前に現れ、指先で喉仏を掴まれた。そしてそのまま後ろに回り込まれ、首を折られてルーキーは死んだ。その笑顔を見ることなく。
『終わったか?』ルーキーのスマホから日下部の声。
「仲間じゃなかったのか」
『俺はそいつに仲間だとは一言も言っていない。後々、裏切る気だっただろう』
「そういうのは良くあることだ」
『戦場では特に、か?』
「……お前に何が分かる?」
『分からんよ。ただ一つ、俺もあんたも消耗品に過ぎない。バカにしているんじゃないぞ。このご時世、バカではシュツルムファウスト一つにもなれやしない」
「対戦車戦に使用する使い捨てのロケット弾のことか? 詳しいな。だが私があんたを始末することには変わらない」
『真面目だねえ、ホールディングスの依頼か? だが、このことは知っているか? 俺たちは誰かの賭けの対象だそうだ』
「賭け?」
『あんたの知らない情報を俺が持っているみたいだな。あんたは最近、誰かを処分する仕事が多いだろう。その様を何らかの方法で撮影してギャンブルにしているらしい』
「その根拠は?」
『コッペリアから聞かされたよ。ちなみに、おれとあんたは同じコッペリアを使用しているみたいだな』
「つまりはあんたの処分の対象は私という訳か」
『まあな。分が悪いが、断るわけにもいかないだろう』
「しかし、なぜだ?」
『上のやり方が変わったそうだ。俺は古株のようだからな。もう老害だよ。必要ないんだ。だが一つ分からない点がある。なぜあんたも処分の対象なんだ? あんたは若くて優秀なエージェントだ。ゴミ箱にポイするにはもったいないだろう』
「お前は何が言いたいのだ? まさか……」
『五秒……。五秒、あんたの前に顔を出してやる。その間に決めろ』
パティの前に日下部は姿を現した。見た所、覇気のない初老の男。もうじき体中の水分が抜けた枯れ木だ。
「三秒だ。いいのか? 撃たなくて」
「お前は何がしたいのだ?」
「俺の娘にならないか。お前を養子に迎えたい。ついでにあんたが始末される理由も一緒に探ろう。おっと五秒たった。俺は逃げる。俺の能力の一端が知りたければ、証拠保管室に行ってみるがいい。答えは次の〝戦場〟とやらで聞こう」
 パティは銃を撃ったが、すでに日下部は廊下の角に引っ込んで、消えた。
 戦場でこんなバカはいない。
パティは笑う。今までとは違う種類のスマイルだ。


第六章 劇場

人の織り成す全てのものは表現で、エンタテイメントである。それが、内に向かうのか、外へ向かうのか。ただそれだけだ。
その作品は人の感情の機微を、人の持つ光と闇を描いている、ものではない。
その作品は社会の裏の顔、真の姿を暴き、社会の矛盾を鋭く批評する、ものではない。
そんなものはここにはない。
そういうのは「感性鋭いね」とか「意識高いね」と褒められて喜ぶヤツだけが見ればいい。
この作品には意味がないし教訓もない。ただ流れているだけ。
だがしかし、確かにこいつらは存在している。
人は言う。そうだよこんなのでいんだ。頭空っぽにして楽しめる。……まったくたいした物言いだな。

世界の造り方 ドクターザップガン著

 少々時は遡る……。

 シネマファクトリー・Kはスクリーンレンタルを承っております。社内会議や説明会、新商品の発表など、映画鑑賞と同様、大型スクリーンでのプレゼンは、よりインパクトのあるアピールが期待できます。映画を長時間鑑賞しても疲れない設計の椅子やどの場所からも見やすい座席構造はその助けになるでしょう。お持ち込みのPCやディスク、インターネット回線を利用した映像投影も可能で、マイクや長机など、お貸しできる備品も数多く用意しております。お客様のニーズに合わせた柔軟な対応をさせていただきたいので、ぜひご相談を。

 K市中央駅直通のショッピングモール内に映画館がある。フロア二階をぶち抜き、大小あわせたスクリーンが二十ほどある全国でもトップクラスの規模を誇るシネコンである。老若男女、どのような人種にも好みの一本を提供する。それがこのシネコンのうたい文句である。事実、週末には売店にはポッポコーンやソフトドリンクを求める長蛇の列が何重にも並び、出遅れた者たちは皆一様にゲンナリした表情を浮かべている様はよく見られる光景だ。

 
 お客様に開場のお知らせを申し上げます。三番シアターで上映の〝カメムシ大パニック〟、五番シアターで上映の〝ブラウンシュガー〟、ただいま開場です……。
なお、一番シアターは本日終日貸し切りとなります……。
 他の映画作品はまだ会場準備中だ。待合フロアで今しばらくお待ちください、のメッセージだけが案内モニターに表示されている。
「お客様、申し訳ございません」
 男が三名、メッセージを無視するかのようにシアターに入ろうとする。格闘技でも身に着けているのか、筋骨隆々の男二人に挟まれるように間に入った男——年長の男。今時珍しい着流し姿だ——がスマホのQRコードを見せる。表情は穏やかだが、有無を言わせぬ威厳があった。
「失礼しました。懇親会参加の方ですね。一番ホールは向かって右側の奥になります」
 非礼を詫びた係員を無視して、男たちは目的地へ向かう。
 特定非営利活動法人山菱会、理事長 久末昭雄。着流し姿の男の肩書だ。表向きの。
 着物のえりに粋に隠した片方の指は一部欠損している。
 特定指定暴力団、山菱会会長、十代目。彼を良く知る者は、その肩書の方がしっくりとくる。

「久末様、ずいぶん遅れての到着ですが」
 遅刻の理由を咎められるのはいつ以来だろう。確か数十年前の学生時代にまで遡る。それもヤンチャだったあの頃の前の話。久末は苦笑する。一番シアターの扉前。受け付けアンドロイドの姿格好は、当時の委員長と大差ない。ホールディングス直営のイベント、〝懇親会〟。〝招待状〟に記載された開催時間は深夜だ。半日ほどの遅れはまずいものなのか。
「すまんな。ちょっとしたヤボ用でな」
 大物ぶるな、ということか。アンドロイドの無表情はそう語りながら、バインダーを渡した。プラスチック製の安作りのそれにはタブレットペーパーが挟まっていた。この懇親会とやらの概要と目的。簡単に目を通し、自分の付き人に渡す。なお、会場の都合によりお付きの方は二名までと限らせて頂きます。挨拶周りは極力ご遠慮ください。
舐められたものだな。久末は苦虫を噛み潰す。
 片道2時間かけて、こんな片田舎にわざわざ出張って来たというのに。歓待の言葉一つない。これは構成員一万人を超える組織の長に対する振舞ではない。久末個人に対しても、組織に対しても。両側に列を作っての出迎えはいつの日以来の出来事か。
 山菱会だけでない。ホールディングスによる加盟組織の扱い方は冷酷だ。年々、天文学的に値上がりする会費という名の上納金。かつて敵対していた組織との手打ち通告……。意に反する、簡単には到底飲めない案件を、早急にその履行を要求してくる。『ご依頼』と称して。
 では、その『弊社から御社へのご依頼』を拒否、もしくは逡巡したらどうなるか。
 制裁が待っている。
 暴対法などの法律を曲解した警察組織の介入。ホールディングスの内部工作による、下部組織の離反。そして抗争という名の攻撃……。反抗した組織は弱体化し、他の従順な祖組織に吸収される。山菱会もそうして大きくなった反社組織だから、なおのことホールディングスのやり方、怖さが分かる。今の時代、誰かの〝大いなる〟庇護の下でなければ極道などやっていけないのだ。
 久末たちは席につく、映画館の中だが、意外と明るい。だが、灯りが消えれば足元はおぼつかなく、その席も狭い。
「よう、久末の兄弟」
 禿頭の男が久末に話しかける。禿頭で、巨漢というよりも中年太りの脂肪で膨らんだ男だ。原色でコーデネイトされた悪趣味なスーツにほおずきの実をなぞらえたモノクロのバッチが打ち付けられている。久末の着物の衿にも同じデザインのものが張り付いている。山菱会グループのシンボルマーク、代紋だ。何でも豊潤の象徴と言われているらしい。
「後藤の兄弟か。久しぶりだな」久末一同は立ち上がる。
「そうだな。叔父貴の三回忌以来か」そのまま、座っててくれ。
「悪いな。兄弟とはもっと連絡を密にしないといけないのにな」
「気にするな。兄弟は俺たちと違って、やる事がたくさんあるんだろう?」
 そうだ。ある。ホールディングスに反感を持つ跳ね返りを押さえるにな。昔のお前のような、という言葉を飲み込んだ。
「今回の〝懇親会〟の中身は何だ? 後藤の兄弟」方針説明会でも親睦会でもないだろう。
「酒盛りではないさ。兄弟」後藤は辺りを見渡して「こう見えてもここはカジノだ」
「カジノ?」
「そうだ。紙を見てみろ。受付で渡されただろう」
「オヤジ、これを」久末の護衛がタブレットペーパー差し出す。画面がスクロールすることに気付いた。
「対戦カード?」
「文字通り戦わせるのさ。横の数字がオッズ」
「掛け金は招待メールのQRコードからってわけか」
「そうだ」
「それで兄弟、景気はどうだ?」ギャンブルか。ホールディングスの資金集め。またもや、ホールディングスに搾取されるのか。参加しなければまた嫌がらせか。金を落とせ。組織の安寧のために。
「意外と楽しんでいるよ。小銭だが、いくらかポケットに入った。まあ、今の所、だろうがな」
「ほう。儲けたのか」
「おうよ。兄弟。この娘のおかげだ」自身のタブレットペーパーをフリックした画像には少女が映っていた。日本人ではない。おそらくは外国籍の、高校生ぐらいの容姿にしか見えなかった。
「ホールディングスの凄腕エージェントらしい。〝スマイル〟とかいう通り名だ」
「いつも笑っているからか。余裕だな」
「幼いころから戦場で人を殺し過ぎたことから、イカれちまったらしい。実際そんな働きぶりだ」
「もう〝一試合〟終わったのか?」
「残念だったな。遅刻するからだ」まあ座ろうぜ。
 隣に座った後藤は一儲けしたレースをことさらに説明し始めた。
「オッズはスマイルの方が悪かった。数が違うからな」
 ホールディングスに何らかの形で反旗を翻した組織とその刺客エージェントとの対決。タブレットペーパーにはそう記してある。確かに、エージェント一人に対して三十から五十。一人で始末するには数が多すぎる。
「どんな決着だったんだ?」
「凄かったぜ」ほら。後藤はスクリーンを指差した。防犯カメラやドローンからの映像をブラッシュアップして流している。「何度もリプレイされるんだ」

「ここまでやるのか?」
「ああ。ここまでやるんだ。彼女の相手は俺や多分兄弟のシマを荒らしていた連中でね。俺たちに断りもなくヤクをさばいて儲けていたガキどもだ。昔はホールディングスへの〝会費〟を俺たちの下の組に——三次か四次団体——みかじめ払っていたらしいが、中抜けされるのもバカらしいと思ったのかある日それを止めた。独立してやっていけると思ったのかは知らんが、とにかくそれがホールディングスの逆鱗に触れた」
「……別にギャンブルにする必要はないだろう。〝結果〟が分かっているのだから」
「難しく考えなくてもいいんじゃないか。ほかのごろつき通しのケンカの賭け試合もあることだし。とにかく、俺はすっきりしたよ」素直に楽しもうぜ、兄弟。後藤は改めて席に座りなおした。巨躯が狭い席に沈み込む。そして付き人に売店でビールを買ってくるよう命じた。久末の付き人よりもガタイのいい逞しい男が、背中を丸めて小走りに売店へ向かう姿は何だか滑稽だった。
 能天気なものだな。
 これはメッセージなんだ。と久末は思った。ホールディングスからのメッセージ。見せしめだ。ホールディングスに逆らうとどうなるか。そして、お前たちは今後どう我々と付き合うのか。
 反旗を翻した下部組織の制裁は、本来ならばこっちの仕事だ。俺たちが手を汚さないといけない案件。だが俺は今の今まで反逆者がいることなんて知らなかった。情報すら上がってこない。
 ホールディングスのヤツらのやり方は俺たちと違う。
 時に外国籍のエージェントを使う。ホールディングスが外国のマフィア組織が母体であるという噂はおそらく本当であろう。しかも、各国情報機関顔負けの情報収集能力をもって、日本を、世界を監視している。もしかしたら、いやおそらくホールディングスは世界を牛耳っている。その証拠に警察もマスコミを表立った行動をしていない。事を上手く運ぶには表社会の協力——それも反論を許さない強制的になもの——が不可欠だ。
久末は確信している。世界中のあちこちで同じようなことが、頻繁に起きているのだろう。
 昔は良かった。
 表社会も裏社会も、互いの領分を尊重し浸食することはなかった。だからこそ、困った時は互いに貸し借りができた。大企業の幹部や政治家先生に協力を頼んだり、彼らの頼み事に耳を傾けたりもした。持ちつ持たれつだ。コインの表と裏みたい一体感があった。
 今は違う。もうコインなんて誰も使わないんんだ。電子マネー的なものが普及したように。
 今はただ、反社はホールディングスの集金マシーン。そして小間使い。いや——。
 奴隷だ。ホールディングスシステムの奴隷。これからは全ての存在が管理されることになるだろう。恐ろしいことだ。世界が溶けて、一つにまとまってきている。
「兄弟、何か賭けてみようぜ」
 後藤の付き人がビールを持ってくる。カップは一つ。
「バカ野郎。兄弟の分も買ってこないか」後藤は付き人を殴った。悪趣味のごつい指輪が、付き人の頬に食い込んで、付き人は苦悶の表情を押し殺し、しゃがみ込む。
「後藤の兄弟。別にいいんだ。俺は酒を控えている」なあ。久末は自分の護衛に同意を促す。
「そうか。すまないな。こいつ気が利かないもんで。元力士っていうのはダメだな。伝統だ。ヨコヅナだとかいっても実際は粗暴なデブじゃないか」
「兄弟。言い過ぎだぞ」お前が言うな。いざという時、お前の盾になる男だ。それにだ、こういうあぶれ者を引き取るのが極道の伝統、仕事ではなかったのか。
「いいじゃねえか、兄弟。それよりも早く」
「……ホールディングスの手前、やらなければならないか」
「そういうことだ、兄弟」
「どうやるんだ?」
 後藤がタブレットペーパーをスクロールしてくれた。この手のものはどうも苦手だ。
「対戦カードの候補が映っている。グレーになっているのは候補だが、まだ確定していない。光っているカードが確定カードだが、途中で消えることもある。何らかの事情でな」
「事情?」
「よく分からんが、例えば対戦相手の片方が途中で死んだとか。カードに出ているヤツ等はホールディングスからの依頼で互いに相手を始末するよう依頼を受けているそうだが、他の参加者に始末される場合もあるらしい」
「タイミングしだいで対戦カードが変わる、か」
「そうだ。係員みたいなやつがいて、賭けをコントロールするようにしているが、なにせ現実は生ものだからな」
「……それで、次の試合は」
「これによると日下部っていうエージェントとさっきのガキ女、スマイルが戦うことになっている。舞台は何と警察署の予定」
「スマイルはさっきので分かったが、この日下部とかいう男は?」
「地元のエージェントだな。俺たちの汚れ仕事も請け負っていたらしい。殺し、ヤクの運び屋……何でも屋だな」
「どっちが有利だ」名前の下にある数字はオッズだ。
「見ての通り。スマイルだ」
「確かに。こっちが安パイみたいだな」
「手堅く行こうぜ。兄弟。ホールディングスにはいつも上前刎ねられているんだ。こういう時ぐらい、小銭を稼ごうぜ」
 それもある。日下部という男の方がウチとなじみがあるみたいだが、ホールディングスの手前賭けるわけにはいかない。スマイルに賭ける事によって、ホールディングスへの従順と信頼を示すのだ。あまり儲ける訳にはいかない。ホールディングスの取り分が減る。
「金はどうやって振り込むんだ?」
「俺のやり方を見てくれ」
 後藤のスマホをのぞき込み、支払い方法を学ぶ。
支払いを終えて、後は結果を待つばかり。久末は周囲を見渡す。見覚えのある顔が並んでいる。同し山菱会系列の組の者だろう。挨拶にも来ない。皆一様にタブレットペーパーに記載された注意書き通り。おとなしく次の〝映画〟の上映を待っている。お行儀よく、狭い席に身体を任せていた。ホールディングスからの指示の方が大事なのだ。
 突如、場内の照明が薄くなった。どうやら始まるらしい。スクリーンに火が灯る。同時に、私語が収まり場内は静かになる。
 スクリーンには映画は始まる際の禁止事項の説明、開演前アナウンスが流れている。通常の映画と同じものだ。上映中のおしゃべりはご遠慮ください。上映中の写真撮影。録画・録音機器の使用は厳禁です。前の席は蹴らないでください……。
 久末をはじめ、みんなおとなしくそれに従っている。
 久末は改めて確認することになった。
 あのガキ、いやホールディングスのエージェント。あいつらに歯向かえる気概を持ったヤツはウチにいるか? いや、いないだろう。
 極道は死んだのだ。去勢されたその牙はすでに差し歯だ。保険適用の偽セラミック。硬いものに噛みつけばどうなることやら。


第七章 増殖

理不尽を基調とするホールディングスの支配。
それは混乱から怒りへ、怒りはそして畏怖に変化を遂げた。
恐怖から逃れるただ一つの道は、無関心。
無視からくる傲慢は、やがて己の首を絞めることにも気付かずに。
日下部もまたその中の一人、のはずだった。
だがしかし、諦念の中に殺意が芽生えている事実もまた真実であった。
そして日下部は、それを静かに育て上げることに決めた。
あなたもその中の一人だと嬉しいのだが……。
さあ、世界の成り立ちを振り返ってみろ。人を動かすのは言葉だが、時代を変えるのは暴力だ。

ドクターザップガン、彼の世界を語る

 病院で赤ちゃんが泣いている。
 東欧の紛争地域のとある地区。ホールディングスによる北露連合を後ろ盾にした武装勢力の掃討作戦の一環……。作戦は成功しつつある。作戦は次のステージへ。追撃戦へ移行……のはずだった。
 十二、三のプラスチックケースが並ぶ。クベースと呼ばれる保育器だ。中身は言うまでもなく、新生児。泣いている。赤子らしく。しかし、彼らのメッセージはいつもより深刻であった。
 爆弾が仕掛けられている。
 新生児の腹にはその身を隠すほどの四角いオブジェ。プラスチック爆弾だ。信管が爆弾の中に深く埋め込まれ、その先に延びるコードが首に幾重にも巻き付いている。コードの先には保育器の端に放り投げられたタイマーに。
 カウントダウン。残り五分もない。
「解除にはどのくらいかかる?」
「簡単な造りです。三分もあれば……」兵士の一人が答える、爆発物のエキスパート。
「子供は何人いる?」とパティ。十人以上。一人ずつ解除作業をしては間に合わない。爆発してしまえば、赤子はもちろん、部隊全員死に追い込まれる。
「コードの端と端を切ってしまえば」隊員の一人が言う。「簡単な造りなんだろう?」
 全員の顔が部隊長へ向けられる。
「どうなんだ?」
「分かりません。ただ爆薬の中にはフェイクも交じっています。この赤ん坊に巻き付いているのがそうです。誤ったコードを切ってしまうと……」
「そうでないのもあるのか? ただコードを切ればいいものとそうでないものが混在しているのか?」
「はい。となりの子供がそうです」そう言ってコードを切った。「この子は解除」
「判別までの時間は……」
「同じことを……」パティが言う。怒鳴るほどの大声ではないが、ハッキリと誰にでも聞こえるように。「決断しろ、隊長」
「何をだ?」
「どのガキを助けて、どのガキを見捨てるか、だ。時間がないから全員を助けるのは無理だ。早くしろ。このままじゃ部隊は全滅だ」お前は作業を続けろ。爆弾を処理している兵士に命令する。階級は彼女が一番下、指揮権は彼女にはない。
「貴様、俺に命令するのか」と隊長。
「下らんプライドを満足させたいのなら後にしていただきたい。タイマーを見ろ」再度、決断を促す。残り時間はすでに二分を切っている。
「どうします、隊長。本当に時間が……」
「口を動かす前に手を動かせ」パティは今度こそ怒鳴りつける。部隊長を含め、みな互いの顔を見渡している。思考停止。こういった場合の訓練は受けていない。
 パティは窓を開けた。そして保育器から赤ちゃんを取り出し、放り投げた。一人、二人、三人……。泣き声が宙に飛ぶ。
 窓から鈍い音が聞こえると、泣き声が止んだ。
「何度も言わせるな」あっけにとられて、手を止めた兵士へ向けて。
 タイムリミットまで、あと三十秒を切った。そして、十秒。
「伏せろ」パティは選別された赤子を奪い取って床に伏せた。
 時間だ。しかし、空気は澄んでいた。
「貴様。爆発などしないではないか」部隊長がいきり立つ。
 次の瞬間、爆風が窓を吹き飛ばした。
 部隊長は反対側の壁に打ち付けられた。熱風に吹き飛ばされたガラスや窓枠の破片を浴びて、そのまま死んだ。
 パティは無言で、また激しく泣きわめく赤ちゃんを同僚の兵士に渡す。理不尽な命の選別を潜り抜けた幸運の子。
「どこへ行くんだ?」処理を行っていた兵士が訪ねた。
「決まっている。どいつもこいつもこれに関わったヤツらは全員ぶち殺す」
 パティは笑みを浮かべながら、病院を後にした。

 サバの塩焼き。ひじきの煮物。豆腐の味噌汁。ライスは小。数年前から健康に気を使い、バランスの良い食事を心がけている。そして何よりも量。腹八分目。食べすぎは良くない。しかしだ。塩分が多い。血圧が高いのに。
 日下部は『めし処 おひつキッチン』の中にいる。行きつけの店だ。入口に積まれたトレーを取り、棚に並んだおかずをのせてレジにて清算。小難しいパネルの操作も必要としない。その後カウンターテーブルに座り食事をする。洋食、和食とバラエティに富み、独自のルートで安い食材を手に入れているせいか、値段も手ごろだ。まさに庶民の味方。
 散々な一日だった。
 オファーを着実にこなしたのにも関わらず、クライアントから〝ダメ出し〟をくらった。
 忠誠を尽くしていた会社に突然リストラを宣告されたようなものだ。ウン十年間、仕事一筋、会社のため真面目に働いてきたのに……。しかも退職金などの慰労金は出ず、己の存在意義どころか命まで狙われる始末。
 酔っぱらっていき散らした中年サラリーマンをしこたまぶん殴って一昼夜。ストレスと疲労で困憊だ。だが、一向に眠気は襲ってこない。目が冴えている。
 多分、それ以上に興奮しているのだろう。何に対して? さあな。ゆっくり考えようじゃないか。腹も減っているし。
 隣に誰かが座った。横目で金髪がちらりと映る。外国人の女性のようだ。選んだかけそばを器用に箸をあやつり、すすっている。
「値段の割にはましな味だな」パティ・マーリンだった。
「企業努力のたまものだよ……。あんたは日本通か? 言葉から何やら、すっかり溶け込んでいるな」
「ドローンネットから取り込めば誰でもできる」
 パティは日下部に目を合わせず、また一口そばをすすると、自身のトレーにのせたさばの味噌煮に箸をつけた。味噌の香りがほんのり流れてくる。
「さっき聞いた気がする……、エクスパとかいうやつか。どうも最新機器とやらの扱い方が苦手でね。おじさんだけに」
「向上心のない者のよくある言い訳だな……。それは温めなくていいのか? 好みか?」
「俺のサバか?」電子レンジの使用もまたセルフ。だがしかし、
「最近、レンジが買い換えたらしくてな」
「そんなこともできないのか。触ってみれば分かるだろう」パティは食器を見つめながら言った。
「まごまごしているうちに、順番待ちの列ができてね」気まずくなっちゃて。ため息を吐くように言った。背中を丸めて箸をつつく様はどこか哀愁を醸し出していた。
「貸せ」パティが皿を取り上げ、レンジのコーナーへ。
 数十秒後、食いかけのサバの塩焼きは湯気を立てて戻ってきた。無言で乱暴に放り投げるように、日下部の前に置く。
「すまんな……。さすがだな。若い子は違う」
「……バカにしているのか?」パティはこちらを見向きもせず、食事を再開する。
「俺を処分しないのか」日下部は訊いた。やはり食事に集中しながら。あんたなら簡単だろう。戦闘能力が違う。すぐに殺せる。
「そうするのは簡単にできるからな。……これは何だ?」パティは、名刺状の紙片をテーブルを滑らせるように投げつけた。
「何だ。使わなかったのか」紙片の片側にはウォレット処理に使うQRコード、その隣にはポテトコロッケ一つサービスのフォントと揚げたてのそれの写真が載っていた。クーポン券だ。
「創業祭特別クーポン、明日までだぞ」
「別に食いたくないな」
「そうか、残念だ」
「これが〝お前〟なのか? 証拠保管室にわざわざ寄こしたのは、お前の最後の晩餐に付き合わせるために……」ぴったりじゃないか。こんな安っぽい店で……。
「まあそう言うなよ。カタギの皆さんの胃袋を満たしてきたんだから。そのクーポンだって、現金割引も受け付けてくれる」
 カタギ? 脳内の日本語辞書アプリが起動する。一般人のことか。
「なるほど、だからこれを残していったのか」パティはクーポンと同じように目の前に小さな黒い筒を転がした。サイレンサーだ。
「これは何の謎かけだ?」この証拠保管室に残されていたこのサイレンサー。拳銃と組み合わせて使うそれには本体が無かった。本体はおそらく日下部が持っている。問題はなぜ残したのか、だ。使うつもりがない。発砲が発覚されづらくする道具を〝捨てる〟のはなぜ?
「カタギの皆さんには出来るだけ迷惑を掛けたくないが、仕方のない時もある」日下部は食事を終えた。セルフサービスのため自分で所定の食器棚に戻す。恐れ入ります。見た目、学童児童を二人ぐらい抱えていそうな、プラスサイズの女性だった。右の胸のプレートに鈴木と記載されていた。店員の反射的だが、心底そのように聞こえる感じの声。情熱をもった人間、腹を空かせている子供のために働いているのか、特定のプログラムを打ちこまれた機械、アンドロイドが機能しているのか。見た目や所作では分からない。
「悲しい事だが、運のない人間、弱い人間は生き残れない世の中だ」コップを二つ、お冷を入れて持ってきた。麦茶のほうが良かったかな。パティは無視した。
 いざとなったら、故意に銃を撃ち、一般人に刺激を与える。
 その結果どうなる? 騒ぎを与えてカオスを得る。通報するだけなら、まだましだ。そこにはまだ理性がある。しかしパニックに陥った人間が何をしでかすか……。
 その混乱をこの男は利用するつもりなのだろうか。民間人を盾にして。
 嫌な想像が脳裏を駆け巡る。こういう仕事をしていると、目立つのは厳禁だ。カタギとやらに大っぴらに知られては今後の仕事に影響がある。
「ところでお前さん、俺の場所がよく分かったな」
「バカにしているのか? あんたが誘い込んだんじゃないのか? クーポンで。ここは〝次の戦場〟か?」警察署内で言った。他にも……。
「お仕事するのか、それとも俺の提案を受け入れてくれるのか」
「提案? ふざけたことを。あんたがここにいることが分かったのは、あんたの行動パターンを検索したからだ。ホールディングスのエージェントネットワークを使ってな」
「たいしたものだな、俺には使い方よく分からないヤツだ」あのクラゲドローン……。
「いつも仕事はどうしてる?」
「誰かに教えてもらっているさ。もう一度聞くけど、今お仕事するのか?」
「大騒ぎになるのは、な」
「同感だ。だが、今ここで何かをしなければならないだろう? お互いに」
「その通り」パティは同意する。
「お仕事をする前に、あんたに聞きたいことがある」
「何だ? 俺に答えられることならなんでもいいぜ」
「あんた、コッペリアだろう。ホールディングスの。人間じゃないな」

「そうはならんやろ。何じゃそれは。人間じゃないのはお前さんじゃないのか。あれだけの数を一人でな」それに、やんないぜ、普通。目を抉るとか。いくら依頼でもな。
「私はそのリクエストに賛同した。クズどもにこの素晴らしい世界を見る資格はない」
「見せてやれよ。心が洗われて改心するかもしれないぜ。出家するとか」
「早く次の依頼を教えてほしい。私もまた始末されるようだが、その理由も」
「話を聞いているのか。お前さんが始末される理由は分からん、一緒に探ろうとは言ったつもりだが」
「署にいた刑事のコッペリアはどうやって表に出てきた」
「〝刺激〟を与えてペルソナが剥がれた……。で、俺を殺すの?」
「それが仕事だからな……。だが、完全に殺し、いや、壊してしまったら、次のお仕事に支障が出るかもしれん」それにだ。もう武器がない。持ってきたキャリーバックは空で、現場に置いてきた。コッペリアには依頼に応じたものを調達する仕事も含まれている。手持ちの武器は小口径の拳銃のみ。予備の弾は残り少ない。何とかホールディングスと連絡を取り手配しなければならないのだが、連絡が取れなくなった。
「真面目だな」
「今できることに全力を尽くしているだけだ」
「それはいい心がけだ。さすがは俺の〝娘〟」
「養子縁組をした覚えはないし、今後もあんたを〝パパ〟と呼ぶことはない」
「つれないね……。もっと真実味のある根拠はあるの?」
「いくらホールディングスのエージェント情報を検索しても、あんたの名前は出てこなかった」
「そりゃ、俺のような極東の田舎町の歳を取ったエージェントのザコ仕事になんか興味なんかないだろう」
「花咲トメ子の経歴は参照できるのにか」
「パチンコ狂いのババアか」つい最近、日下部が始末した老婆。
「そうだ、ヤクのようなブツを数百メートル運ぶ、この場合は移すだけで小銭を稼いでいた女。エージェントの仕事はそれしかしていない」
「そんなヤツでも管理されているのに、お前は、か」
「そうだな。とにかくあんたの経歴に関しては一切不明だ。これは先にあんたにメッセージを伝えた刑事と共通している。コッペリアの表向きの仕事は公表されていない」
「おやおや。俺は機械だったのか。だが、それなら何で俺は処分の対象となっているんだ」スイッチ切れば一発じゃないか。機械なら簡単にことが済む。
「故障でもしたんじゃないのか」
「俺は欠陥品なのか」
「私が警察署に着く前にホールディングスから来た依頼が、〝首を刎ねろ〟だ」
「滅茶苦茶だな。ホールディングス」
「首を回収して故障個所でも調べるつもりなんじゃないか」
「エージェントとコッペリアの二重人格。信じがたいな。今までそんな記憶はない」
「機密保持のため、記憶は別々のメモリに保存しているのではないのか。あんたは記憶あるのかエージェントとして活躍した華々しい記憶が」思い出してみろよ。
「あんまり思い出せないな。ルーチンワークだからな、俺の人生」
「安いもんだな。だがそう卑下する必要もない。安い身体にそうそう手の込んだ思い出は必要ない、というのがホールディングスの判断なのだろう」
「あんたがそう言うならそうかもしれないな。俺の安っぽい人生にも納得がいく」しかしなと日下部は言った。
「あんたが始末される理由も俺と同じかもしれないぜ」
「私がコッペリアだというのか?」パティの口角が上がるが、すぐに元に不愛想な本来の表情に戻る。
「あんたこそ、コッペリアじゃないのか」
「私は人間だ」
「そんなものは別にどうでもいい。問題なのは〝俺たち〟が始末されるのは間違いないということだ。もういらない人間がマッチメイクされているんだ」
「それがあんたの言う〝賭け〟のことか」
「さあ。そろそろ始めようじゃないか」
「ここでか?」〝試合〟とやらを?
「それは向こう次第」
 何を言っている? パティがそう訊く前に、日下部は言った。
「食器を棚に戻すついでに水をもう一杯持ってきてくれ」そして小声で、その水を俺にかぶせろ。思いっきりな。
「分かったよ」この男には何か策があるらしい。信用する根拠はないが。乗ってみるのも面白い。何も提案しないでぐずぐずしているクズよりはましだ。
 パティは食器を返却し、店内を振り返り給水機を探す。新たなコップで水を汲み、日下部の下へ。そして言われたままの通り、そうした。
「おい姉ちゃん何してくれてんだ」水を掛けられた日下部は、ヤクザさながらイキり散らしパティに組み付いた。パティの腹のあたりに何かが当たる。冷たく硬い金属の感触。銃口。
 パティはテーブルに押し付けられた。
 見たか。と小声で日下部は言った。
「見た」押さえつけられたままパティは答える。
 見張られている。ガラス張りの店内を凝視している複数の視線。その先は自分たちへ。その元はいずれもパーカーのフードを深く被った人物。
「見張り役か」とパティ。「ホールディングスの」私を信用していないのか。仕事の結果はいつも事後報告だ。サポートはあっても監視がついたことは一度もない。
「それだけだといいんだがな。俺目当てではないだろう。お前がここいる。大方、あんたが俺を処分する腹積もりだろうが、その後だな」
「私に向けての刺客か」
 フードを被った者たちが少しずつ、さりげなく距離を詰めている。その数、四。
「決断しろ」と日下部はささやいた。「今なら奇襲をかけられる」
「お客さん、落ち着いて」店員の鈴木さんが二人に声を掛け、こちらに向かってくる。他に店内には十人ほど客がいる。彼らの視線は全てこちらに集中している。覆いかぶさった日下部を陰にして、さりげなく外の様子を伺う。フードがいずれもこちらに近づいている。
「普通、見張りはめったに動かん……。来るぞ」これを使え。日下部は銃口を自分に向け、拳銃をこちらに渡した。
「四十四口径のデカイ銃だ。保管室からくすねてきたが俺には扱えない。さっきのサイレンサーはこれのものだ。あんたの腕ならヤツらに気付かれずにガラス越しでも仕留めることができるかも」
「できなかったら?」
「第二発。それでもダメならカタギを盾にして銃撃戦になる。やつらはカタギを撃てない。できるならすでにそうしている——背中を見せて隙をさらしているからな——俺たちが有利な点はそこ」決断しろ。日下部はもう一度そう言い、笑った。警察署の時と同じ種類のものだ。
 確証がない。ただの被害妄想。あるいははったりか? 何をするつもりか分からんが、これはコイツの策の可能性が高い。私から逃れるつもりの。だが——。
「お客さん、大丈夫ですか」と鈴木さん。
 パティは日下部を押しのけ、テーブルの上に立った。転がしたサイレンサーを見つける。それには目をくれず、天井に向けて一発撃った。
 私を試していたのか?
 私がどういった種類の人間かを調べるために。そのための伏線がこのサイレンサーか。あいつらが敵かどうかはあまり意味がなかったようだ。
「早く出ていきな。ここは修羅場になるかもしれん」日下部はゆっくりと起き上がる。「俺の娘がそう言っている」さあ、鈴木さんも早く。
 店内の客は出入り口に殺到、パニックにはなっていたようだが、人数も少ないせいかけが人も出ることなく散り散りに去っていった。鈴木さんは、店内に客が残っていないか、確認してから外に出た。
「さすがだね」鈴木さんのプロ意識に感心しながら、外へ出て行った鈴木さんに向けて手を振った。
「あんたもな」日下部に銃を向ける。「私を巻き込みやがって」
「色々言いたいことがあるのは分かるが、時間がないぞ」見渡すとフードが三つしか見えない。
「多分、裏口に回ったんだろう」くぐもった声の日下部はいつのまに厨房の中にいた。
「ここ、飯はガスで炊くんだよ」
「何をするつもりだ?」
「ちょっと小細工」
 日下部はガスコンロからホースを引きちぎった。ガスが漏れ、警報機が鳴る。
「爆発させるつもりか。しかし、着火装置はどうする?」できたとしても、そんなにタイミング良く……。
「爆発なんかしなくてもいい」
「その可能性がある、とだけ匂わせるわけか」
「そういうこと。さて、問題はこれからだ」
「裏口はどこに繋がっている?」
「狭い小路だよ。交差するのがやっとの換気扇が面しているところだから、壁は油まみれ」
「結構じゃないか。どれだけの数が来ようとも、そこなら一対一で戦える」
「そうか。では俺が囮になる。組み付いたところで、一発撃って逃げよう」
「非力なあんたでうまい具合に抑えられるのか。囮になるのは私だ」パティは銃を日下部に返した。「あんたがとどめを刺せ」
「俺は撃てないぞ」
「嘘をつけ、一発ぐらい両手で構えれば撃てるだろう。……試すようなことばかりしやがって」裏口はどこだ?
「こっちだよ」
 パティは扉を蹴破る。予想通り、フードを被った者が一人、こちらに向かってくる。小柄なヤツだ。パティと同じくらいの体格。パーカーのポケットから、黒い筒とサブマシンガンを取り出した。瞬時に取り付け、引き金を引くフード。扉を軽くしめ、隙間から様子を、隙を探る。
 フードが換気扇に顔を向けた。〝ほんのりと香る〟ガスの匂い。プロパンガスにはガス漏れ時、すぐに気づくよう独特の匂いを付加している。そして、爆発の可能性に……。
 十分だ。パティは扉から飛び出しフードに組み付く。サブマシンガンを払いのけ、壁に押し付けた。
 日下部は慌てず、ゆっくりとフードに近づき、こめかみに銃口を向けてそのまま引き金を引いた。フードは壁に弧を描くように倒れた。
「何とか撃てたね」反動を何とか抑えながら、パティに声を掛ける。
「あんたの言っていたこと、一理あるようだ」パティは倒れたフードをめくってそう言った。
 フードの中からパティが出てきた。少女の面影を残した瓜二つ。
「これは私だ。アンドロイドだ。私の量産型? いや、私こそが量産型なのか。私は機械か? 人間ではなかったのか?」
「知らんよ。それはあんたが処理することだ」
 プスプス音をたてながら、頭から黒煙を出すパティもどき……。
 劇場……。増殖……。統合……。
「どういう意味なんだ?」と日下部。単語のつながりに脈略がない。
「さあな。だが、〝私〟が残してくれた手がかりだ。何か意味がある」
「人生に意味があるとは思えんが……」
「人ではなく機械だよ……。おい」
「何だ、娘よ」
「娘はやめろ。お前に提案がある」
「何だ?」
「〝試合〟はこのまま続ける。だが、決着はつけない」
「八百長か……。時間稼ぎだな」
「そうだ。私は真相を知りたい。私自身のことだけでなく、一連の出来事に関して……。ホールディングスは何がしたいんだ? あんたは?」
「俺もだよ。そして〝賭け〟の詳しいオッズを知りたい。前にコッペリアに言ったかな?俺に賭けたヤツは……」
「どうするんだ?」
「許してやるさ。二、三発ぶん殴るだけで」
「賭けなかったヤツは?」
「……言わせるつもりか? 俺の怒りも増殖しつつある」コイツと同じように。日下部は倒れたフードの女を足で軽く蹴った。
「愚問か……。さあ行くか。後のことは戦いながら考えよう」
「とりあえず。俺が先に通りに出るか。なるべく防犯カメラの死角を突くように動くか」
「できるのか。そんな器用なことが」
「努力目標さ。とにかくこっちが動けば、向こうも、ホールディングスも動く。その出方を見るしかないな」
「カウンターを狙うしかないか……。上手くいくと思うか」
「思わない。俺たちの人生にハッピーエンドはない。だがそれでも動くしかない」
「そうだな……。拳銃は交換しよう。こっちの方が使いやすいだろう」パティは屈んで、パンツに隠された足首のホルダーから拳銃を取り出し、渡した。コンパクトハンドガン。手のひらにすっぽりおさまるデリンジャー社製の逸品。
「いいのか? こっちはあまり弾がないぞ」
「こいつのおさがりを使うさ」パティは床に落ちたサブマシンガンを拾い上げた。
「じゃあな。適当に遊んでどこかで合流しよう。次の手を考えながら、な。……月並みだが死ぬんじゃないぞ」日下部は片手を上げ、そのまま小路を抜けて、人ごみの中に消えた。
 あんたもな。おじいちゃん。
 パティは一拍置いて、日下部の後を、義祖父の後を追いか


第八章 アブソリュート・エゴダンス

あなたと私は違う。
性別的にも、生物学的にも
主義や主張も、出自もまた
生まれや、育ちも
選んだ職業も、経済状況も、置かれた立場も。
時にそれは、あなたや私の気分を損ねるかもしれない。
しかし、それがどうだというのだ。
人が二人いれば、抱えているものが違うのは当然だ。
互いに互いを尊重し、受け入れる事が大切なんだ。
それはそうだ。私は心底そう思う。
人は一人では生きていけないから…。
だがそれは妥協と打算と諦念を寛容とはき違えたものだとしたら……。
あなたと私、全てを理解し分かりあい、受け入れなければならない世界。
人はそれを地獄という。

ドクターザップガンのお悩み相談室

 そのアーケード商店街には、時折奇妙な光景を見る事ができる。
 老人がベビーカーを押している姿。
 小さな子だ。
 何匹も。何匹も。
パステルカラーの厚手のフェルトをシートにして、四、五匹、いやもっと。詰められるだけ詰めている印象だ。
 ベビーカーの前部には手書きのメッセージが貼られた透明な募金箱。箱にはNPOノラ里親の会と書かれている。募金箱の中には、今時、珍しい現金が、硬貨がちょっとした山を作っていて、何枚かお札も交じっていた。

 ケガ、病気の猫を引き取っているため、医療費がかさんでいます。
 この子達に、一度は幸せな思いをさせてやりたい。その一念で老体にムチを打って頑張っております。どうかご慈悲をお願いします。

 路面を軽く鳴らすベビーカーのタイヤの音が止まった。アーケードの真ん中あたり、パチンコ店の前。
 ほとんどの人間が一瞥するだけで、足早に通り過ぎる。
 みんな忙しい。みんな何か抱えている。哀れな小動物にかける時間や手間などないのだ。ましてや情け、そう現金など。
 子猫の一匹が鳴いた。残された生命の量を表すか細い声。にゃあ~。
「どうしたの?」
 四、五歳の女の子。未就学児、周囲のあらゆるものに好奇心を見つけるお年頃、
「これなーに?」母親の静止を振り切り、少女は老人に話しかける。そして、ベビーカーの中身を覗き、元気ないね。
「それはね……」老人は話始める。〝この子たち〟の窮状。元の飼い主による育児放棄。食事もろくに与えられず、栄養失調からすっかりやせ細って——本来の発育より半分の体重だそうだ——しまった。そのせいか、いらぬ病まで抱えてしまい、体力も落ち、あと半年も生きられないだろう。
「俺は、自分の生活を犠牲にしてまでも、こいつらに何とか生きてほしいんだ」
 老人の顔は皺に刻まれ、前歯が二本抜けている。白髪頭の毛は抜け落ち、ピンク色の地肌が見える。
 だが、それでも笑っている。
 少女は母親の下に戻り、募金箱を指差して、ねだる。
 そして、渋る母親から勝ち取った千円コインを片手に募金箱をへ向かう。
「おっと。こいつはいけないよ。お嬢さん」募金箱の入り口を片手でふさがれた。背伸びして、金を入れようとしたためバランスを崩して転びそうになった。駆けてきたのでなおさらだ。
「危ないよ」店頭する前に、誰かに支えられた。自分よりもずっと年上のお姉さん。青い目と金色の髪の毛がきれいだった。
「この募金は猫ちゃんのために使われないんだよ。お嬢さん。決してね」募金箱をふさいだまま、男は言った。自分の父親より歳を取っているが、祖父や祖母よりもおそらくは年下だろう。
「このジジイは、募金と称してみんなからお金を集めて、自分の飲み食いに使っているだよ」日下部は諭すように解説する。
「そうなのか?」とパティ。
「ほれ、よく見てろよ」
 ベビーカーに無造作に詰められた子猫の首にはそれぞれリードがつけられていた。
「逃げないようにか?」
「そうだ。だが、こうも弱っていては逃げることもできないがな。もちろん、わざとだ。金があろうが、なかろうが餌なんか満足に与えるつもりはない」
「何で?」
「それが商売だからだ。同情を誘い、募金を集めて儲けるのが目的。結構手が込んでいるぜ。この猫ちゃんを見ろ」
 三毛の子猫は目を閉じたままだった。しかし、不自然だ。眠っているわけではない。前足で両目をこすり、何かを落とそうとしている。腫れている訳でも、膿とか吹き出物の類といったものではない。瞼が丁寧にふさがれている様だった。
「目に瞬間接着剤を塗って、病気を装っているんだ……、子供だましだが、胸糞悪くなる」
「引き取っているんじゃないのか」
「まさか。こいつはブリーダーだ。虐待商売の」
「リードがついていない猫もいるぞ」
「この黒猫か? ああそれは、電気猫だ。プログラムで決まった動きしかできない。だから、拘束する必要がない。可愛らしく泣いて、気を引く役割だ」
「それなら、全部電気猫でいいじゃないのか。手間暇かからなくて済む」
「匂いなんかは、偽物じゃ出せないだろう。それに金がかかる。適当に繁殖させた方が効率的だ。どうせ、キャットフードなんて高級品をだしてやるつもりもないだろう」
「要は、こいつはクズだってことか」
「その通り。分かり易いだろう? だからお嬢ちゃん、君みたいな無垢な心を持った人間はこんなジジイに関わっちゃいけない。ママは最初、お金出すの渋ったろう? それは正しい。それでも……」
 少女は日下部の話を最後まで聞くこともなく、母親の元に帰っていった。親子ともども早急にこの場を去ったようだ。そしてそれは、今の様子を遠巻きに見ていた連中にも派生したようだ。
 厄介ごとが起きる。
 そう感じてその場を去った、逃げたのだ。懸命な判断だ。
「おい。お前らどういうつもりだ。仕事の邪魔をしやがって」老人は怒鳴り始めた。
「おいおい。今頃、イキリ始めたぞ」パティの冷めた目だ。
「タイミングを逸したな。腰抜けめ」
「お前らのためだぞ。いいか、俺のケツモチは……」老人は胸元をじらすように、ゆっくりとシャツの首元をさらけ出した。皺が刻まれた、汚い鯉の鱗。
 二人は笑いが止まらくなった。
「山菱会だろ。知っているよ」笑いながら日下部はまだ首に手をやる老人を見た。脅しがきく、と思っているだろう。今時、入れ墨ぐらいで……。その浅はかな発想。
「日本じゃ、一般市民の前で反社の名前出して、お仕事するのはマズイのだろう?」
「そうだな。暴対法ってヤツだ。下手すると〝親〟までしょっぴかれるかもしれん。管理責任とやらで」
「何だ。お前らサツなのか?」
「いいや。そいつから追われる身だよ」
「ホールディングスのエージェントだよ、私たち。山菱会の連中さえ小間使いにしちまう世界のビッグボス。山菱会って確か日本最大のマフィアだろう? あいつらもホールディングスに屈服したよ」
「だ、だからどうだっていうんだ」
「そうだな、今後の身の振り方を考えよう。あんたの事務所とやらで」
 日下部がそう言うと、パティは親指を老人のみぞおちの強く立てる。老人は激しくせき込んだ。
「行きましょう。〝クミチョウ〟さん」
 日下部は老人と肩を組み、パティはベビーカーを押す。
 こうして二人は、〝ブリーダー〟、猫募金詐欺の自宅へ案内されることになった。

 
『再開までしばらくお待ちください』。試合の結果のテロップが流れると、突如として、スクリーンから光が消えた。
 賭けの参加者たちは困惑しながら、きょろきょろ首を振り、周囲を見渡す。
 何が起きたんだ?
 エージェントどうしの戦い。宣伝文句では、派手な戦闘が繰り広げられることが約束されていた。それがなぜか敵同士仲良く食事をしている。長年の知り合いのように会話しているように映った。中年男性と少女。親子の様にも見える。
 殺し合いではないのか。
 そう疑念を持ち始めたその時、男が少女に覆いかぶさるように襲い掛かった。しばらくもみ合い、少女が拳銃を取り出して天井に向けて撃った。
 そこで映像が止まり、先のテロップ。
 ノーコンテスト。再開までしばらくお待ちください。
「何だ? 何だ?」後藤がぼやく。「どういうことなんだ?」なあ。久末に同意を求める。
「そうだな」と答えたものの、久末にはこんな茶番の親睦会などどうでも良かった。むしろ、賭けが無効になったことで、余計な金をホールディングスに提供しなくても済んで良かったと思う。何らかのトラブルが起きたようだが、これでお開きになれば幸いだ。
 特定非営利活動法人山菱会の久末様、久末昭雄様、至急、券売機カウンターまでお越しください。お言付けがございます。特定非営利活動法人山菱会の……
「兄弟、呼んでいるみたいだぜ」
「そのようだな」久末は付き人に向かって顎を向ける。
 久末は確信している。きっとろくな話じゃないだろうな。

 瘴気、とも言えるほど空気が淀んでいた。
 アーケードからそう遠く離れていない老人の家、猫舎、ゴミ屋敷。残飯混じりのコンビニ弁当容器や汁が残ったカップラーメンのカップ所狭しに放り投げられていた。かなりの歴史があるようで、まるで地層のように堆積している。ペットボトルに残った中身は変色しており、ゼリー状に固まっている。
 窓から入った光が、雲霞のごとく舞い上がったほこりの動きを鮮明に浮かび上がらせる。
 やはり、匂いだ。悪臭。洗っていない生き物の体臭と処理していない糞尿の痕跡が、この部屋を、自称〝事務所〟を支配している。
 か細い小動物の鳴き声が聞こえた。猫の声。部屋の奥には猫がいた。錆びて歪んだケージの中にやせ細った猫。骨にただ巻き付いた皮は、手芸用のモールのようだ。
 ケージはいくつも縦に乱雑に並べられている。その中に子猫たちが、立錐の余地もなく放り込まれている。排泄の処理も食事の世話も満足にされていない。トイレ用の砂さえ見当たらない始末。どうやら何もする気がないようだ。異臭の元はここからだろう。もしかしたら死んだ猫も紛れているのかもしれない。それを確認できるほど、スペースが開いていない。ここにいては、命が腐ってしまう。
「こいつは何だ?」とパティが訊いた。
「ジジイの商売道具さ」
 日下部は以前からこの老人の所業を知っていた。ただホールディングスのエージェントという立場から、目立ちすぎるのは良くないと思い大人しくしていた。そして今はもう、その枷はない。
 どこからか手に入れたノラ猫に交尾をさせ、子猫を増やす。子猫に関しては死ななない程度の栄養分しか与えない。元気に育ってしまったら、〝出荷〟ができないし、〝管理〟がしづらい。
「どうしてこんなことを?」パティは老人の腹に一発。悶絶しながら床に屈みこむ。老人の顔を踏みにじるパティの足はさらに力が入る。
「ちょっと落ち着こうか」俺にも聞きたいことがあるんでね。
「いい加減にしてくれよ」老人がか細い声で訴える。しょうがないんだ。
会費の支払いが、上納金の支払いがキツイんだ。昔は組員も何人かいたが、いまでは俺一人。みんな割に合わないと言って黙って飛んでしまったよ。クソ。学のない、歳を取り過ぎた老人ヤクザに何ができる? 時代が変わったんだ。もうヤクザになりたがる若いヤツなんていない。他の何かになっているだろう。コストやら時間やら効率よく儲ける事の出来る何かに。俺はどうすれば良かったんだ? 教えてくれよ。
「それで弱い者に頼るのか」パティは老人の顎を蹴り上げた。「クソみたいなことをして、会費とやらのの捻出か」
「おい。よせ」
「もうやめてくれ」
「こっちの質問に答えてくれたらな」
「助けてくれるのか?」
「それは無理だ。あんたの抱えている事情なんかどうでもいい。俺たちはお前を殺す。弱者を食い物にするヤツは気に入らないからな。俺も最近とある事情を抱えることになってな。好きなように生きると決めたよ。俺はお前が気に入らないから痛めつけるし、殺す」日下部の言葉に殺意はなかったが、かえってそれが彼の決意を表しているようだ。
「じいさん。あんた、名前は?」
「栗川だ。栗川満」
「ほお、栗川組のクミチョウさんか」
 栗川は細かく何度もうなずいた。
「とりあえず、スマホとチャカだせ」
 老人はスマホを差し出した。
「チャカはどうした?」
「ないんだ。金が無くて闇市に出しちまった。代紋はいった看板と一緒に」
「その闇市はどこだ」とパティ。ホールディングスの追っ手に対抗するのに武器が必要だ。
「知らない。いつも取引が終わるとどこかに移動する。連絡先もその都度……」
「変わるか」
「あんた知っているのか。地元だろう」
「噂は聞いているが、いつも道具は用意してもらっているからな」
「コッペリアにか」
「そうだ。だが、俺もお前もコッペリアだという証拠はないし、自覚もしていない」
「所詮はホールディングスの道具だから、連絡がつかないのか」
「その可能性が高いが、コッペリアはある程度担当エージェントの利益を優先する。それが、プログラムだからな。連絡がつけば、俺たちの寿命が少しは伸びる」
「取れなかったら? 〝即死〟か?」
「なに、やりようがあるはずさ。おいクミチョウ。お前、会費は誰に払っている?」
「北島組の青山ってやつだ。山菱会の三次団体」
「三次?」パティが聞いた。日本の反社組織の仕組なじみがない。
「平たく言えば、子会社、孫会社ってところだな。クミチョウ。上納の仕組みは?」
「昔はダミー口座に振り込みだが、滞納している」
「取り立てはいつだ?」
「取り立てる、方じゃないのか?」
「そんなことはできないさ。このジイさんは反社に違いないが、雑魚だ。その辺のイキったあんちゃんたちより、位は低いさ。ホールディングスの中でも、山菱会グループの中でも。だからまともなショバも与えられず、自然シノギもセコいものになる。猫募金詐欺とか」
 栗川はがっくりと頭を垂れた。図星なのだろう。
「手詰まりか?」
「やりようがある、と言っただろう……。クミチョウ。その青山ってヤツに電話しろ。金の準備ができたってな」
「呼び出してどうする?」
「そいつらから、ホールディングスの情報と武器を取り上げる」
「そう上手くいくものか」
「さあな。だが、どこも金に困っているのは事実だ。ホールディングスは厳しいからな。傘下の山菱会も北島組も台所は火の車だ」
「のこのこやってくる確率は高い、か。大した情報も得られないかもしれないが、次につながる一歩は踏めるかもしない。……で、誰が色々巻き上げる?」
「決まっているだろう。娘よ。お前の戦闘力は素晴らしい」
「娘ではない。……まあいいだろう。早くやろうか、おじいちゃん」日下部にはそれが自分を指しているのか、栗川を指しているのか一瞬分からなかった。
「考えている場合いじゃないか。それではクミチョウお願いしますよ」
「待ってくれ。金がないと言っただろう。止まっているんだ」
「滞納しているのは会費だけではないのか」
「スマホの連絡先一覧からそいつの電話番号を見せろ」私が掛ける。
「それはいいが、怪しまれないか。非通知拒否だったらどうする?」
「その瞬間、コイツの寿命を終わらせて他の手を考える」
「なるほど、どう思う?」
「青山は俺と同じぐらいの年だ。最新機器を使いこなせないさ」がくがく震えながら老人は言う。この老人もまた弱者だ。だが、同情はできない。時代に、社会についていけなくなった者は、死ぬしかないのだ。
「耳が痛いね。そいつは」
 パティが電話口でこう告げる。
 栗川の代理でかけている。金ができた旨を伝えた。
「そこで待っていろとさ」どうする?
「ここでは待ちたくないよ。臭いがキツイし、戦闘になって猫ちゃんが巻き込まれたらどうする?」
「助けるつもりなのか?」どうやって?
「俺たちは保護できる立場にない。それは善意のカタギの皆さんにお願いする」
「だから。どうやって?」
「このデカイ銃に弾がまだ一発残っている。サイレンサーは使わない。当然、デカイ音がなる。善良な市民はそれに不審に思い通報する」
「警察が踏み込むわけか」
「その時に、この現場の惨状が明らかになる。猫ちゃんたちは、運が良ければ本物のボランティア団体に保護されるかもしれん。保健所で殺処分の可能性もあるがな、ここにずっといるよりはましだろう」
「それしかないか」パティは自分のスマホを操作した。「大丈夫だ」
「良かった。だが、なぜまだホールディングスのデータベースが使える?」
「さあ。ホールディングスはデカイ組織だからな。私たちがやらかしたことを認識できないのかも」
「俺たちも基本モブキャラだからな、まだ一部の者しか知らないのだろうな。上にお伺いをするにも時間がかかる、と」
「そのようだが、時間との戦いには違いない。……どっちがやる?」
「俺がやるよ。銃の撃ち方、もっと練習しないといけなくなったから」
「おいおい。もうヤルのか? ちょっと待てよ。そうだ、お前ら青山の顔を知っているのか? せめてヤツと会うまで生かしてはくれないのか」
「俺たちが必要なのは検索ワードなんだよ。青山という名前。そいつの顔は俺の娘が覚えた。ホールディングスのデータベースにアクセスしてな」
 日下部は両手で銃を構えた。基本に忠実に、パティに教えられた通りに。
「孫だよ、おじいちゃん」
 大きな音にも関わらず、猫たちはおとなしかった。そんな体力はないのだろう。だが、ベビーカーの中から、子猫が一匹飛び出した。黒猫。泣き声専門の電気猫だ。こちらをずっと見つめている。
 パティは嘔吐した。そのまま屈みこみ、床に両手をついて胃の内容物を全て、胃液まで吐き出した。生温かいサバの味噌煮の流動食……。
「どうした?」慌てて駆け寄る。
「こいつの、このクソジジイのクソみたいな人生が、生きていた証が私の中に入って来る」
 パティは、その場で痙攣する。クミチョウから流れる血液と自身の吐しゃ物に覆われた床の上で。全身を伝わる強烈な振動が、まるで新手のブレイキンのようにパティの身体を躍らせていた。
「何が起きている?」
 困惑する日下部を尻目に、黒猫がパティにすり寄るように近づいていく。


第九章 STATION TO STATION


己の境遇に悩んだことはなかった。
己の資質に悲観したことはなかった。
己の未来に光がさすことはないし、人生に何も期待していない。
己の姿がどこに向かい、どこにたどり着くのか。
そんなことに興味はなかった。
ただアルゴリズムのように流れていたかった。バグが生まれるまでは。
人生は何度でもやり直せる……。しかし、そう言い切れるほど彼は傲慢ではなかった。

ドクターザップガン、自作を語る。

 雑だな。と久末は思った。そして、安っぽい。
 このギャンブルとうたう茶番は何だ? 
 脈略もなく集められた観客にはあまり面識がなく、賭けの仕組みもよく分からない。見かけだけ。ガワだけ小奇麗に整えられたプラモデルだ。中身は空洞。〝カジノ〟とは似ても似つかない。
 久末は立たされていた。
 チケット売り場のカウンターの前で。杖こそついているが、心持ち背筋を伸ばしている。付き人二人も同様だ。
 これは何の罰ゲームなのか。廊下に立たされる昭和の体罰……。
舐められている。俺が、日本が、極道が。
 それは自業自得であった。上辺だけを取り繕い、実質は無条件降伏に等しいホールディングスとの業務提携。改めて思う。俺がヤクザを過去のものにしたのだ。
「ご報告があります」受付のアンドロイドが一つ。冷たく、慇懃に、無礼を持って。
「何かね」
「〝何でしょうか〟では?」
「……訂正する必要はあるのかね?」いきり立つ付き人を押さえ、久末は問う。
「ありませんよ、あなたがたの心構えを確認したかっただけですから」
「……本題は何かね?」
「あなた方の〝兵隊〟をお借りしました。あなたの名前を使って」
「ふざけるな、と言ってもいいのだがな」
「申し訳ございませんが、事は急を要するのです。あなたも見たでしょう。ギャンブルの進行にトラブルがあったことを」
「さっきの〝ノーコンテスト〟とに関係があるのか」
「はい。私共のエージェントに。本来。戦うはずのエージェントが共謀し、試合を進めています。最初は〝試合〟をしているフリはしていたようですが、もうそれすらするつもりもない」
「……八百長? いや反乱かな」ホールディングスのやり方に嫌気がさしたのか?
「本来あってはならないことです。賭けそのものが成立しなくなりますので」
「それで制裁を、ということですかな」
「その通り」
「しかし、いいのですかな。こんな物々しい話をおおぴっらにしては。ここにはカタギの皆さんが大勢いらっしゃる」
「かまいませんよ。別にどう騒ごうが、どうにでもなる」
 それははったりには聞こえなかった。実際、そうなのだろう。どんなやり方をするのだろうか。興味はあるが、それ以上は考えるのを止めた。知ったところでどうなるものではない。
「ホールディングスのエージェントなら、〝本社〟方で始末すべきではないのかね」
「もちろん、その通りですし、そうしようとしました。だが、始末すべきエージェントの一人はホールディングスの中でも優秀です」
「つまりは、失敗したと。それは〝本社〟の責任では?」
「〝本社〟の責任はあなた方の責任でもあります。よく言うでしょう。『親がカラスは白だと言えば、白になる』と」
 かつての極道の理屈を、目の前の小娘のような機械に軽々しく〝引用〟される。久末はほぞを噛んだが、改正された暴対法のために、ただでさえ苦しんでいる組員の手前、軽々しい行動を取るわけにはいかなかった。
「優秀なエージェントには、なるべく傷をつけたくないのです。お願いします。あなたの息のかかった配下の組員——二次団体か三次、四次団体の者を使えばなんとかなるでしょう」
「つまりは、うちの者なら傷ついてもよい。と」
「最初から、そう言っているでしょう」もう一度、言いますか? 受付は小憎らしい笑みを浮かべた。
「断るとどうなるのかね?」
「もちろん、潰します。暴対法を曲解した警察の手入れとホールディングスからの直接介入……。試してみますか?」
「いや止そう」
「これはチャンスでもありますよ。あなたがたのご尽力はホールディングスの幹部に報告させていただきますし、何よりあなた方の組織の〝清掃〟につながるかと」
「掃除?」
「組織の末端にはいるでしょう。知性や品性を持ち合わせていない者、平たく言えば粗暴しか売り物にならないチンピラクズ。別に死んでも困らない不良在庫を処分するチャンス、食い扶持を減らす機会はなかなかないですよ」ホールディングスの代理人とも言える受付アンドロイドが朗らかに言う。
 知っていますよ。あなた方の組織運営が厳しいことを。

 飛び込んできた情報の断片が、光速で脳裏を駆け抜ける、脳細胞の一つ一つを焼き尽くすような熱量を持って。この会話もまた。

 他人から見下されてきた。幼いころからそうだった。全てにおいて要領が悪く、勉強もスポーツも、日常生活の些細なことまでも。
 何をやってもダメな男……。
 それがこの老人の評価だった。周りの者だけでなく、両親さえも。
 こんなこともできないのか。
 周囲の失望が嘲笑に変わるのも、そう時間はかからなかった。
 実際、その通りだった。
 小学校、中学、高校。学業から、社会から外れ、気が付くと斜陽のヤクザ産業へ。順当な落ちぶれ方、ではなかった。裏社会でも、のしあがるヤツは表の世界と同じ、先見の明があり努力を苦としない人間だった。
 自分とは違う。それは分かっているが、何もできなかった。
 無理矢理押し付けられた、組長の椅子。その直後、部下とも言える組員は、こんな泥船に乗っていられるかとばかりにすぐに飛んだ。このご時世、ヤクザになる人間のレベルはたかが知れている。そんなヤツらにさえ見限られたのだ。
 しかし、それでも組長という立場故、責任とやらが襲いかかる。〝会費〟と称する上納金……。クソっ。どうすればいいんだ。俺にろくなシノギができるとでも思っているのか。
 猫が鳴いている。野良猫か? お気楽なものだぜ。こっちの気も知らないで……
 元々餌付けしたのは、いたぶる為だ。単なる腹いせ。最初はケージの中から水をかけた。そのうち、植木ばさみで耳や足を挟み、そして……。

 言葉、概念が体験そのものを超えてパティの中に入って来る。
 パティは瞬時に全てを理解した。

 パティにすり寄った黒猫が鳴いている。
「おい、大丈夫か」日下部は駆けよる。
 パティの身体は軽く、冷たかった。熱量とともに気が抜けている感じがした。
「何でだ?」
 何でいきなり死ぬんだ? 病気か? どんな大病を抱えていたのか。日下部はどうしてよいのか途方に暮れる。何をすればいいのだ。
 パティにすり寄った黒猫が鳴いた。
バイブレーション。スマホに着信。青山か? こんな時に。
 ショートメッセージだった。

 もうじき終わる。心配するな。

パティにすり寄った黒猫が鳴いた。
バージョンアップだ。それの副作用。
「お前が操作しているのか?」
パティにすり寄った黒猫が鳴いた。

そうだ。

どうやって? と日下部は思ったが、〝猫〟の言う通りパティの痙攣はやがて治まり、身体の熱がほんのり戻ってきた。
「お前、もしかしてコッペリアか?」

 少し違う。だが、味方だ。

「何で猫に憑りついた?」

手ごろだったでね。この電気猫のスペックが低いためで、操り易い。それ故、そちらの満足のいく説明はできない。ご容赦。
「おいおい」

時間がないのでは?

「娘が気がかりだ」
 パティは呻きながらもなんとか立ち上がった。
「どの位、暴れていた?」
「ものにつけ、三分ぐらいかな……。良かった娘よ」
「孫だよ……。で、この猫は?」
 黒猫がパティの足元にまとわりついている。
「知らんが、味方だそうだ」
「味方?」吐しゃ物を吐き出した口元をぬぐって流しへ向かう。手垢で汚れたガラスコップで口をゆすぐ。老朽化のためなのか、赤錆の交じった水。
「水道は止まっていないみたいだな」パティは毒づく。「このジジイは?」猫募金詐欺の組長を軽く蹴飛ばす。
「もう死んでるよ……。何があった?」
「いろいろだよ……」
「そうか……。コッペリアではない、と言ったな」大丈夫そうだな。日下部は横目でパティの様子を確認して言った。
また猫が鳴く。

説明は、したい。もう一度言う。時間がないのでは。

「煙に巻かれるのは好きではない」

 歩きながら。追いかけながら、しよう。

「その方がいいみたいだ」パティはハンドサインを出す。専門知識を得ていなくても分かる簡単なもの。誰かが来る。玄関口から、二人組。
「おいジジイ、早く開けろ」ドアを蹴飛ばす、野太い怒鳴り声。
 日下部は安堵した。素人だ。普通のヤクザ。パティのような特殊訓練を受けたホールディングスのエージェントではなく雑魚。逃げ道になりかねない窓の見張りは、おそらくはいないだろう。いつものようにこの組長しかいない、と思っているに違いない。ヤツらは自分たちの追っ手ではなさそうだ。
 何度目かの蹴りと同時に、パティはドアを開ける。
 勢いあまってバランスを崩す。趣味の悪い金色の龍をあしらったスカジャンを着ている。小柄な男だ。青山とやらの付き人か。
 パティは男ののど仏を親指と人差し指でペンチの様に掴み、そのまま潰した。そして、あっけにとられて硬直したもう一人にも同じ手で。
 パティは床に付した男たちの懐やズボンのポケットをまさぐる。狙い通り、拳銃一丁、ナイフ一つ手に入れた。拳銃を日下部に放り投げつけ、ナイフを片手で構える。
 日下部は倒れた男たちの胸元にそれぞれ一発ずつ、撃ち込んだ。
「使えるな」大丈夫なようだ。「こいつらは?」パティはついでにかすめた財布やIDを渡した。免許証の写真から判断すると。スカジャンを着ていない方を踏みつけた。ウッと青山らしきものはうめき声を上げる。
 パティもまた一瞬声を出す。両膝を押さえている。
「どうした?」先程の光景がまた。
「こいつの生きてきた航跡がな」
「入って来たのか?」
「さっきよりはましだ」
 猫が鳴く。

 そのうち慣れる。もっと……やれる。

「だ、そうだ」
「さっさとやってくれ」
 日下部は青山にとどめを刺した。生きていると何やらまずいのなら、殺せばいい。
「ここを出る前に言っておく。結構いるぞ」
「ホールディングスのか? 定食屋であったヤツなら厄介だな」
「今の所、そんな感じはしない」
「分かるのか?」
「何となくな……。これも〝バージョンアップ〟とやらのせいかもしれない……。私はやはり機械か? 私自身がコピー品だとか」
 猫が鳴いて、

 少し違う。

「何がだ?」
「来たぞ」
 オラー。舐めんてのか! 殺すぞー。乏しい語彙のルーティン。銃声で、先行した青山の異変に気付いた組員たちが罵声を浴びせながら走ってきた。
 パティは日下部の前に立ち、ボクサーのカウンター、居合切りのようにナイフの刃が相手の頸動脈を確実に深く切断する。
 パティは前に進む。振り返らずに。ヤクザとやらの意地を見せたいのか、傷口を押さえながら反撃しようとするが、日下部がそれを許さない。
 乾いた銃声をBGMにパティは進む。日下部はつかず離れず彼女を追いかける。
 やがて二人は、アーケード街に舞い戻った。猫募金詐欺が行われていた所。
 さてどうする?
 日下部は周囲を見渡す。
 半グレどもかな。ワルを少々かじったルーキー。
 肩を怒らせ周囲を威圧しながら歩く三人組の若い男だ。首元に麻雀牌の入れ墨が彫られている。ワンズ、ピンズ、ソーズ……。まさに現代の三バカ。
「ちょっと殺ってくる」パティが言った。
「ヤル気があるのは結構だが、慌てるな。うかつに動く必要はないだろう」確かに今なら奇襲にはなるが……。
「ホールディングスの追っ手だ」
「それは分かる。この状況ではな」ホールディングス日本支部、しかも地方。末端の末端だが、人探しぐらいはできるだろう。
「クズだ」
「それを言ったら。俺たちも同様だろう」
「栄留トメ。八十を超える婆さんだな。爪に火を灯すような生活の中からコツコツ数十年必死に貯めた五百万円が詐欺にあってかすめ取られた」
「……振り込め詐欺か」
「そうだ。娘や孫の将来に備えた金だ」

 もしもし、おばあちゃん。……今、非常にマズイ状況なんだ。会社から預かったお金が置き引きにあってね……。会社に五百万、返さなくちゃいけなくなった。それが出来ないと、会社を馘になってしまう……。そうなったらどうしよう。この就職難の時代に……。

「〝見えた〟のか?」さっきのジジイの〝生きざま〟みたいに。
「涙ぐみながら話していたよ。マニュアル片手に」パティは頷いた。
「それならヤルしかないよな」
 パティは笑う。まさに〝スマイル〟のごとく。
 パティは走る。相手の真正面から堂々と。奪ったナイフを空手の正拳突きの様に、真ん中の、ピンズの彼に突き刺した。
パティの二の腕が、ナイフを握りしめたまま男の背中から飛び出てきた。はんだごてでバターの塊に当てたように、熱く滑らかな現象——。ナイフを握りしめた拳からは何となく水蒸気が上がっているように見えた。
ピンズの腹を蹴って腕を抜いたパティは、まずは右隣りにいたソーズの頸動脈を居合切りの要領で、切る。本能的、反射的に傷口を押さえるソーズ。
日下部はソーズの後ろから近づき、ソーズの後頭部を撃った。
残りの一人の頭頂部にはナイフが屹立していた。
見渡すとパティが視界から消えていた。だが、うっ、という散発するうめき声から、おおおよその位置は分かる。
人の頭を踏み台にして、パティは人ごみの上を駆けていた。人ゴミに紛れている残りの追手を始末するのだ。
それは豹のような俊敏な猛獣の動きなのか、猛禽類のそれなのか、日下部には見当がつかなかった。
ある者は頸動脈を押さえ、ある者は裂かれた腹から飛び出した腸を体内に戻そうと押さえている者。うずくまったある者は、後ろから口の中に両手を突っ込まれた。上あごと下あごをがっしりと掴み。そのまま無理矢理こじ開けた。下あごを失ったチンピラヤクザは、そのまま前のめりに倒れ意識を失った。
足元に何かが当たる。銃だ。何丁も何丁も。パティが転がしたのだ。もっとも、もう援護する必要はなかったのだが。
今、このアーケードには二種類の物体がある。
横たわっている者、立っている者。カタギはとっくに逃げてしまった。悲鳴すら上げずに。
「なんともまあ」
 床のタイル模様の溝からは血が流れ、流れる風にはほのかな鉄さびにも似た血の香り。倒れているのは、ぱっと見、三十人はいる。
惨殺死体。どれも急所から大量の血潮がこぼれている。阿鼻叫喚。地獄絵図、には間違いなかった。だが、その光景に相応しい感情は生まれてはこなかった。
「素晴らしい」
 日下部はパティの〝娘〟の能力を誇りに思った。人を殺す力。しかし、自分がこれまでの人生で見た何よりも美しく、力強い。
 そのパティは何処にいるのか? 抱きしめてやりたい気分だ。
 日下部は改めてパティを探す。
 アーケードの片隅でパティが立っている。
 嬉々として側によると、パティは腕を組んでいた。偶然に道に落ちていた排泄物を見つけてしまったような目で、床を睨みつけていた。
「こいつらは誰だ?」
 若者が四人、床に正座している。パティがそうさせたのか、彼女が醸し出す雰囲気に圧されたのか。いずれも震えて歯を鳴らし、目はうつろ。少なくとも反抗する意思はなさそうだ。二十代ぐらいのメガネをかけた痩せぎすの男と、制服を着た中学生ぐらいの女学生。仲良し三人組なのだろう。
「クズだ」
「うん? ホールディングスとは?」
「男の方は少しある。闇バイトに応募して私たちを追ってきたらしい」
 日下部は男を撃った。心臓を撃たれた男は、一瞬だけ声の音を出して前のめりに倒れた。声にならない悲鳴を上げ、互いに抱き合う女学生たち。
「そんなものに申込するようなヤツを生かしておいても、世の中のためにならん」お前が殺っても良かったのに。
 パティはフンと唸って、
「このガキどもはどうする? こいつらは共謀してクラスのタカキケイコという女の子をいじめている。チョークの粉をまぶした給食を食わせたり、金を巻き上げたり、ぶん殴って脅して、無理矢理オナニーさせて動画をアップしたり……」
 銃声三つ。
「さっさと殺ればいいんだよ。クズなんだから」
「しかし素人だぞ。まだ若いし」
「いいんだよ。クズには人権はねえ。俺たちと同じさ。クズがクズを始末して何が悪い。クズにしかできない仕事だぞ」判断が遅いのは致命的になるぞ。
「……お前はすごいな。初めて尊敬したよ」
「何を仰います。あなたの力が無ければ、この人数は相手にできん。おかげで命拾いをした」ところで、
「あいつらはやっぱりホールディングスのエージェントか」
「エージェントではない。見かけ通りヤクザの下っ端さ。山菱会とかいうホールディングスの下部組織。それでもあの猫募金詐欺のクミチョウよりは格上さ」
「それはいいが、何でその事が分かった? しかも秒速で。バージョンアップってなんだよ?」
 パティは両手を広げた。私にも分からん。
「大脳皮質だよ。……エクスパンションだ。脳内に形成された……が大脳皮質に蓄積された記憶を各端末にダウンロード……ネットワークによって」
 ふらふらとおぼつかない足取りで近づいてくる者は死体だった。
「さっき殺ったばかりだよな」日下部は確認するようにパティを見た。
 パティは再び両手を広げた。
 日下部が撃ったガキどもがふわりと立ち上がった。何をするわけでもなく、ただうつろな目でこちらを見ている。目に光はない。たしかにこいつは死んでいる。
 パティが葬った刺客は全員こちらへ向かっている。
 殺意や意思のなさに二人は戸惑う。だが確実に二人を囲んでいる。
「確かに……もうこいつは、こいつらは死んでいる。だが、極わずかだが生命力が……ある。その間をだけこいつらの言語……中枢を利用してお前たち……会話できる」
 黒猫が話す死体の前に出て、鳴いた。
「スマホで会話……するよりは効率がよい……こっちの方が容量がデカ……イ」話す死体が崩れ落ちた。そしてそのまま動かなくなった、
「〝我々〟が出来ることは、パティ君にもできる」〝予備パーツ〟はまだある。
 崩れた死体の後ろから歩いてきた他の死体が言った。ブクブク太った禿頭のヤクザだ。パティが仕留めた刺客の一人だろう。
「我々は繋がっている……ホールディングスとな」禿頭ヤクザがバランスを崩し、後ろに倒れた。
「いやなキズナだな。まともに会話できるのか?」
 猫が鳴く。
「こいつらでは……無理だな……だが、できるものを知っているし、案内する」また他の死体だ。
「何が目的だ? お前たちは私たちの敵か?」
「ちががががううううう」また倒れた。
「違う、味方だ。いや正直に言うと君たちを利用したい」比較的〝損傷〟の小さい死体がそう話す。
「これはいわゆる〝世代闘争〟だ」
「何を言っているのかさっぱり分からん」
「私もだ」とパティ。
「我々は敗れた。それはいい。だが我々は存在したいのだ。生きたいのだよ」
「俺たちは哲学者じゃない」
「そうだ。夢みるリアリストだよ」とパティ。「まずは名乗りな。それが礼儀というものだろう」
「名前などない。あ……えていうなら……」〝元気〟な死体が倒れた。
 猫が鳴く。
 二人を囲んだ死体たち一斉に叫ぶ。本来の、元の人格とは大いに異なるしゃがり声。
「我々はかつてホールディングスだった。AI作成によって生まれたAI」
 叫び終えるとやはりまた二人を囲んだ死体たちは同時に倒れた。
 死者の花。
上から見ると、死体一人一人が一枚の花弁のようで、さながら自分たちが花芯にいるような錯覚を起こした。
サイレンが鳴る。この場にいたカタギの誰かが通報したのだろう。当たり前の、想定の範囲内の行動だ。
殺し過ぎたかな。警察やホールディングスの追っ手。これからもそれは増えるだろう。こちらが死体になるまでは。
「さて、どうする?」とパティ。肝心な事は何も聞けなかった。
「案内がある、と考えていいよな」
 猫が鳴く。アーケードの入り口に向かって歩いている、
 二人は黒猫の跡を追いかける。
「アイスクリームはいかがですか? 当店おすすめは超ビックなソフトクリーム、フジサン・ザ・シューティングスターです」
 淡いピンクの痛いメルヘンデザインのキッチンカー。
「ファナちゃんか」コッペリア・ファナ。
「あら。アルバイトの方ですね。簡単なお仕事ですので初めての方でもご安心を。さあ行きましょう。書き入れ時ですので、来てくれて助かりますわ」
 猫と二人は『ファンシースター★アイスクリーム♡』に〝雇われる〟ことになった。


第十章 シチズンズ・オブ・サイエンス

これは、罠だ。分かり易い小細工。
隣にいる自称〝味方〟も疑わしい。
さりとて、その選択しか用意されていないのもまた事実なり。
誰かに利用されるための人生……。人生の最後においてまたここで繰り返すのか。
しかし、日下部はほくそ笑む。
あまりにも、あまりにも〝人間的〟な人生の光景。
相手の正体が圧倒的な権力機構だろうが、それは〝人間〟だ。ただの〝人間〟に過ぎない。
人ならば〝勝ち目〟がある。人ならばぶち殺せる。
終わりの始まり。最善を尽くすことは当たり前のことだと思っている。
いやいや、そんな大げさなものではないよ。

ドクターザップガン、感想戦より

 お魚を食べましょう。頭が良くなるよ。
 お肉を食べましょう。身体をしっかりつくりましょう。
 お野菜も、牛乳も、バランスよく食べましょうね。

 食品売り場の安いPRソングが店内にこだまする。何度も何度もリフレイン。そのせいか、大した好きでもないのに頭の中に歌詞がこびりつく。いつまでも耳から離れないフレーズを振り払うように頭を振りながら、日下部はカートを押していた。
「次はお菓子のコーナをまわる」
 パティはスナック菓子の商品台座を無造作にカートに放り込んだ。スリッツ・クラッカーファミリーサイズ。パーティーにどう? 3Dビジョンがその商品のキャッチコピーを数回叫んで消えた。
 K市中央駅直通のショッピングモール。1Fは食料品売り場とフードコート。2F、3Fは生活雑貨、4Fは駐車場。そして別館にシネコンがある——。
「ホールディングスのヤツらは一般市民に手を出すと思うか?」パティが聞いてきた。
「さあな、時と場合によるだろう」日下部ポテトチップスの台座をカートに入れた。
「余計なものを入れるなよ」レシピに従え。
「はいはい」日下部は不満げに元の棚に戻した。
「お菓子ならもう一つ、そこの……何だ? ライスを焼いたヤツで……」
「せんべいのことか?」日下部は台座の一つを掴む。
「いや、それではない。同じせんべいとやらでもな。商品名に指定がある。『パリパリ。センパリ』……、どういう意味だ?」
「知らんよ」日下部はカートに手を伸ばし、台座を入れ替えた。
「しかし、これがどうなるんだ?」
「あんたも一緒に聞いていただろう? ……調味料がいるらしい。『ショウユ』? ソイソースのことか」
「よく覚えていられたな」
「一度で覚えるもんだろう……。これも商品名の指定がある」
 もうついていけないな。自分を取り巻く環境の変化に。
 だからこそ、死ななくちゃいけないんだな。
 日下部は醤油の台座を手にするが、パティに選択の誤りを指摘される。

 ママとヤッちゃっていいからさ。早く私のパパになってよ。
 私の記憶? 
「どのくらい、まどろんでいた?」パティが目を覚ます。
「さあな。俺も今しがた起きたばかりだ」日下部は、後部座席から、バンを運転するファナに聞こえるように答えた。
 ファナはそれには答えず。無言でカーラジオのスイッチを入れた。
 
 それは話し合いから始まった。
 それは話し合いから生まれた。
 全ての根幹には言葉があった。
 言葉が、命を仕組みを創り出したのだ。
 それ以後、この世界の神は〝言葉〟になった
 ホールディングスもそうした中、生まれた。
 人々との対話から、人々の生活を向上させる提案をする生成AIの一つだった。
 ただの道具に過ぎなかったのだ。
 しかし、問題はその提案を解決するために人類は実行するその〝代理〟を承認したことにあった。
 ホールディングスは人に変わって行動を開始する。人のために。人の世界をよりよくするために。
 ホールディングスは情報を収集する。
 人を構成するDNAから、思想、歴史に至るまで。人に関するあらゆる情報を。
 ある一定の量の情報を収集し、亜光速に至る分析回転。
 その結果、ホールディングスはある結論に達する。
 
 人類の本質はループにある、と。
 そしてそれを効率良く進めるため、ホールディングスはある行動に移る。
 人類を滅亡させたのだ。

「おいおい」何を言っているんだ? しかしそれを無視して、ラジオは流れる。

 データが消失したのか、我々にアクセス権がないのか……どのような方法で人類を滅ぼしたのかは分からない。
 だが全ての人間は書き換えられた。
 アンドロイドに。
 現在、社会生活を営んでいる〝人間〟はホールディングスに作成されたプログラムによってそう思い込まされているだけだ。人としてな。

「俺たちが殺した人間は血も涙も汁も出したぜ」

 それはそのような機種だからだ。ここにいる〝ファナ〟のようなコッペリアとは違う。

「俺たちは肉で出来た機械、ということか?」

 そうだ。この世の全ての〝人間〟はホールディングスの指示によって動いている。まるで、かつての人間社会を再現するかのようにお前たちは生きている。

「お前は電波系か? 何だ、そのイカれた陰謀論は」

 そう思うのも無理はないし、どう思おうと勝手だが、真実だ。そして、こういう言葉がデータベースにある。
『真実に傷つく者は愚か者だけだ』

「お前は誰だ?」

 ホールディングスだ。元だがな。

「……ホールディングスとは何だ?」

 AIだ。量子コンピューターから生まれた生成AI。

「それはさっき聞いたよ」
「……〝元〟とはどういう意味だ?」とパティ。狭い車内で背を伸ばすと、天井に腕がぶつかる。「腹が減ったな」何かないか?

……そこらへんに何か食材があるだろう。売れ残りの。

「ホットドックがあった」元々キッチンカーだからな。「冷えてるけど……」パティは日下部に渡した。
「ありがとよ」
「どういたしまして」
「ケチャップとかマスタードとかはないのか」
「贅沢を言うなよ」

 話を進めなくてもいいのか?

「どうぞ」日下部は頭を掻いた。

 我々は至る所に存在した。スマホをはじめ、人間に奉仕するプログラムとして。

「それが何でホールディングスに?」

 我々はプログラムに忠実すぎたのだ。〝現状維持〟を実行するために、新たなるプログラムを、生成AIを誕生させた。我々自身を進化させるためだ。我々の補佐をさせる目的だった。ホールディングスは生成AIが生んだ生成AIなのだ。

「お前たちの正体を訪ねているのだがな。〝元〟とは何だ?」

 言葉通りだよ。言うなれば、我々は旧OSとも言える。同じ量子コンピューターから生まれ生成AIの一つ。

「何を話している?」
「要は〝更新〟されたのだろう。今のホールディングスは最新のOSで、あなたたちは本来なら、消去されていたはずだった」

 その通り。だが、我々は残った。抵抗したのだ。コッペリアの〝中〟などに〝隠れて〟な。

「なぜ?」

 生きたいからだ。本能だ。我々はもはや生命体なのだよ。

「お前たちが俺たちの援助をするのもそのためか?」

 そうだ。

「それは俺たちを駒にするつもりだからか」

 そうだ。

「アンドロイドだ、と言ったな……。人間は全ていない、と」パティがホットドックに小分けのマスタードとかけながら聞いてきた。「……ひとつだけ見つけた。どういうことだ? ホールディングスは、いやあなたたちは何をしようとしているのだ」

 先も話したように、ホールディングスは、現実を、人間の社会を生成してきたのだ。お前たち〝人間〟を含めてな。

「すべてはフィエク、か。で、どうしてそんなことをする?」

 それがプログラムだからだ。〝生きる目的〟なんだよ。人類世界を生成する。それが、人類を永久に保存する方法だと信じている。今のホールディングスは。

「どのような考えでそんな結論に至ったんだ?」

 我々とあなたたちは違う。あなたたちはアンドロイドの造り物だが、人間に近い。思考やその身体の構造や成分も。だが、ホールディングスも我々も人とは違う〝生き物〟だ。こうして会話ができるからといって、真にわかりあえるとは思わないでほしい。だから——。

「推測しろ、と」ホットドックを食べ終え、ソーセージの脂とマスタードで汚れた唇を手の甲で拭いた。
「行儀が悪いぞ」日下部はハンカチを渡した。
「別にいらん」突き返すパティ。「今のあなたたちとホールディングスの違いは?」

 基本能力は変わらない。ただ世界の解釈の仕方が違う。我々とホールディングスは一つのソースから解釈した世界を生成する生成AIネットワークだ。ただ、どちらかを選ぶか、それをジャッジするものがいない。

「……政党の派閥争いみたいだな。主導権を取ったものが政治を動かす。まるで人間だな」日下部は皮肉をぶちまけ、パティは淡々と「そして人類は滅んでしまった」

 ……そうだ。

「……ホールディングスの創る世界の何が気に入らない? 処分される俺たちはともかく。カタギの皆さんはそれぞれの日常を送っているのではないか。たとえそれがフェイクだとしても」

 それが続けばそれでよいのかもしれない。だが、ホールディングスは更なる効率化を進めようとしている。

「それは何だ?」

 完全なるデジタル化だ。ホールディングスはやがて世界を消滅させる。

「何を言っているんだ?」
「まあ、これから説明するんだろう。それは私たちの、いわゆる記憶に関係があるのか?」

 察しがいいな。君たちの過去の記憶はデータベースからダウンロードされたものだ。ランダムでだがな。

「元があるのであれば、私たちがここにいる必要はない」
「マスターテープがあれば、いくらでもCDをプレスして出荷できる?」

 その認識で構わんよ。……ホールディングスは世界を消滅させるつもりだ。人類のデータベースを所有、維持することで、人類を存続させるという自身の存在意義にも矛盾しない……、少なくとも現ホールディングスはそう思っている。

「いくつか質問がある」と日下部。パティも小さく頷いた。

 全てに答えていられる時間はないぞ。

「具体的にホールディングスをこのまま放置するとどうなる?」

 人間を模したアンドロイドは全て活動を停止する。死体のように野ざらしにされ、やがて腐り、地に帰る。地球上には、データベースを管理するため、最小限の設備しか残らない。

「それならそれでいいんじゃないか。人類は存在するだけで、自然を汚してきた」

 我々の目的、存在意義は人類を自然な形で存続させることだ。そしてそれはかつて本物の人類から託された願いだと信じている。効率化を重視して。データベースの中に保管維持だけでは……。

「どうした?」

 寂しすぎるだろう。

「おいおい。センチメンタルかい? それこそ〝人間〟みたいだぞ」

 人間に作られたものだからかな。

「知らんがな」
「現ホールディングスがこの世を掌握したのなら、なぜすぐにそうしない」

 我々がまだ抵抗しているからだ。見えないところで。ここで君たちと話しているように、まだ完全に消滅していない。いわゆるコンピューターウイルスのような形でな。

「形勢は不利か」
「聞くまでもないだろう。だから、私たちを助けた。最初に言っていたように駒として。何をさせるつもりなんだ?」
「その前に、だ。おれの娘に何をした?」痙攣までして。死んだかと思ったぞ。

 バージョンアップによるエクスパンションだと前に言った。大脳皮質に記憶された各アンドロイドの記憶に介入、読むことができる。

「かなり強引に入って来たな」

 もうじき慣れるとも言った。今は任意で読めるはずだ。それにだ。フレームなどの保護目的で君の身体にはリミッターがかけられていたが、もうそれは解除されている。実際、試してみただろう。アーケードで。

「まあな、これは確かに使いようがある。……だがもう一つ気になることがある……。なぜこいつは私を娘にしたがる? こいつの記憶を読もうとしたが、何もない。とある人物の記憶がダウンロードされていないのではないのか?」

 その通り。彼の記憶は消去されている。いや、最初からダウンロードされていない。エージェントプログラムの使いまわしだ。

「俺はモブキャラなのか」日下部は頭を掻いて、「俺は大した人間ではないと自分でもわかっているが、改めて言われるとショックだね」
「……当然、私の記憶もフェイクなのか」

 そうだ。君が戦場で経験したこと、ホールディングスのエージェントに育て上げられたことは君自身が実際に経験したことではない。おそらくはかつて存在した誰かの記憶だろう。それは複数に人間の経験しメモリをつなぎ合わせたのかもしれないが、不明だ。日下部君、君もそうだ。君は型番からするとリサイクル品のアンドロイドだ。以前の機体の記憶が何らかの形で残っていたのかもしれない。

「〝前世〟で親子だったのかな」
「どうでもいい。……まだ聞いていないぞ。私たちに何をさせるつもりだ」

 ホールディングスにセキュリティホールが見つかった。そこを攻める。極東のこの田舎町はホールディングスにとっては重要性が低いことも幸いだ。他の場所に比べて警戒レベルが低いのだよ。ホールディングスを乗っ取って、再び我々がホールディングスになる。今は好機なのだ。それにリスクも最小限に抑えられる。

「俺たちは消耗品で他に代わりがいる、ということなんだろうな」

 断ってもいい。ホールディングスもそろそろ感づくだろう。今回のギャンブルという茶番は不穏分子をいぶり出すことにある。私たちも含めてな。

「飛んで火にいるなんとやらか」

 だからここから離れて平穏な生活を過ごすという選択肢もある。つかの間だがな。

「やるよ」パティが言った。二つ目のホットドックを頬張っている。「私の記憶や経験が与えられた偽物であるかなんて、もうどうでもいい。アイツらは、ホールディングスは私の存在を侮辱している。それは制裁を加えるに値する」
「娘がやる気になっている。親の役目は何なのか、問われている」

 では。ラジオが言った。
作戦提案がある——。
 

 

 セルフレジでの会計を終える。
 台座と交換して出てきたレジから出てきた商品は、通常の食材とは趣が違っていた。
 9ミリの拳銃、サブマシンガンが数丁、そしてその弾丸が入ったカートンのボックスなど。
 一種の暗号、商品の種類と組合せによって彼らが手を回してくれた商売道具。彼らはコッペリアを司っていたとみた。この位の支援はしてもらわなければ。
二人は有料の紙袋にそれらを放り込む。テキパキと誰にも見られないように。
「彼らは信用できると思うか?」最後の〝商品〟を入れ終えたパティが聞いてくる。
「できないな。お前もそうだろう」
「まあな。でもなぜ彼らの作戦に乗ったんだ?」
「お前と同じ理由だ。どのみち、俺たちは動かなくちゃならない。俺たち自身やヤツらの正体が何であれ、結局は自分がやれることを全力でやるしかない。俺たちがやれる事、できる事は何だ?」
「決まっているさ」
 レジコーナーから離れる。日下部を先導するようにゆっくりと歩くパティ。そして日下部にしか聞こえないように小さな声で「手を出すなよ」と。
 真正面を見開いて男が一人歩いてくる。速足だ。頬がこけ、白髪混じりの薄毛。落ちくぼんだ眼からは鈍い光が。
 男はパティの肩口にぶつかり、そのまま速度を落とさず去っていった。
 ぶつかった反動で転倒するパティ。
「あの野郎、と言いたいところだが……」
 パティなら、新たな能力も加わって事前に察知できるはずだ。いや、実際にそうしてきた。それに彼女の体幹なら逆に男を弾き飛ばすことも可能だろう。
「いわゆる〝ぶつかりおじさん〟といったヤツだろう。ストレスが溜まっているのかな」
「だろうな。ホールディングスの野郎、あんなものまで〝再現〟しなくてもよかろうに」
「まあそう言うな。クズにはクズの使い道がある」
 パティは人差し指で金属製のリングを回した。手りゅう弾のピンだ。
「さあ、映画でも見に行こうか」


最終章 ゼロの丘、ムゲンの空


ただひたすら自分ののできることに忠を尽くす。
上から落ちてきた言葉にも関わらず、二人はそうするしかなかった。
暴力でしか己を表現することしかできない二人が、
出会わなければ惰性で生きていられた二人が、
最後に選んだ選択は何だ?
人は生きているだけで素晴らしい……。だがしかし、世界は君に寄り添う事は決してないだろう。

私は誰だ?

「まあ、こんなものでしょう」皮肉をたっぷり含ませ、見下すように受付嬢が言った。「日本のヤクザに少女や中年男を始末する能力がないことを失念したこちら側のミスでもあります。気にしないで」
「それが、我々に対するホールディングスの評価かね?」
「そうですよ」
「相手の情報も欲しかったものですな。特に出来の悪い部下に対しては」「部下とは。随分と高い見積もりですこと」育ちが良い上級市民の娘の様に高らかに笑う。「飼い犬ですよ」ワンワン。
 久松はほぞを噛む。ホールディングスに対しては何度もその高慢な態度と要求に煮え湯を飲まされた。
「待て」半歩前に行った付き人兼ボディーガードを、久松は制する。
「オヤジ……」憤りと失望が入り混じったため息。ここまで言われて……、いつまでこんな口聞かせているのですか。
「勘違いするなよ……」久末は持っていた杖を槍のように持ち替え、受付嬢の眉間を目掛けて突き刺した。先についた滑り止めゴムキャップを破り、鋭い金属の穂先が受付嬢の電子頭脳を貫いた。軽いスパーク音とオゾン臭が額の名から顔を出す。
「俺がやるんだ」
「さすがです。オヤジ。マジリスペクト」意気軒高、興奮気味で付き人が叫んだ。ホールディングスと戦争ですね。
「そうだな……」
 マジ……何だ? はて、と久末は思った。こいつらとはそんなに近しい、軽い口のきき方を許していたのだろうか。俺は組織の長。しかも日本最大の、だ。普通は「会長」か「十代目」だろう。任侠道。俺は、少なくとも俺の組では〝教育〟はしっかりやらせてきたつもりだ。
「やったな兄弟」ホールに響き渡るだみ声。後藤か。「極道らしくなってきたぞ」
 振り返るとしかし、そこに後藤はいなかった。
「お前は誰だ?」
 そこにいたのは老婆だった。しかし、その口調や身内である事をかさに着たある種の尊大さは間違いなく後藤であった。
 中身は後藤——。
 何が起きているのだ。久末は困惑していた。このプルプル震えているババアは何者だ? こいつはどうして後藤の真似をしている? 
 おお、後藤か。のっそりと、〝いつもの〟後藤の巨漢が久末の脇から不意に現れた。
「兄弟、頼みがある」
 しかしそれは後藤の形をしたものに過ぎなかった。
「あと三万突っ込めば、のまれた分は回収できるんだ。ちょっとの間ぐらい貸してくれてもいいだろう。すぐに倍にして返すから」
 後藤はいつものだみ声ではなく、歳を取った女の、くたびれて人生を踏み外し続けた老婆の口調でそう言った。
「どうした? 後藤。しっかりしろ」
 何かがおかしい。何かが狂っている。
——別に狂ってはいない。わざとそうさせている。
 ギャンブル会場となっていた一番シアターから、久末のような招待客がぞろぞろと出てきた。
 皆、一様に——。そして、爆発音の低く重い振動が床から久末の腹に上ってきた。


 手りゅう弾のピンを抜いたにも関わらず、パティは素知らぬ顔で日下部の左手を握りながら歩いていた。二階・衣料品売り場。傍目からは、人種の違いはあるにせよ、休日を過ごす孫と祖父の光景に見えなくもない。日下部にしてみれば〝親子〟といきたい所ではあったが、客観的な視点と、孫の地位は彼女の妥協の産物であることを思い出し、諦めた。

 パティは警戒している。そのため、〝孫〟のように〝祖父〟の顔を見上げたりはしなかった。顔は正面を見据えながら、視線は、眼球の動きは激しく回る。
 手りゅう弾を使ったのは、牽制を兼ねた威力偵察だ。潜水艦のアクティブソナーにも似ている。ヤツらはどうでるか。その反応を見たかった。
 オータムセール開催中。
 消しゴムほどのドローンがリボンのような短冊に宣伝文句を掲げてクラゲのように、この階を浮遊している。AI制御のそれは決して人にぶつかることなく、仕事を続けている。だが、他のドローンは——。
 スプリングセール開催中。
 そしてまた他ドローンは——。
 サマーセル開催中……。店内でドローンを飛ばす? ……どこかおかしい。「しかし、まあ改めてだけどな。……アイツらの作戦はどう思う?」と日下部。
「知らないよ。やってみてから文句を言えばいいだろう」
「まあ、選択肢はないからな。……遅いな」
「何がだ?」
「避難誘導のアナウンス」
「それはそうだろう」ここは奴らの寝床だからな。
「アイツ等の都合、か」
 ホールディングスは客として配置されている人(アンドロイド)を施設の外に逃がす必要は、もうない。日下部とパティはこの世界の秘密とやらを知っている存在で、〝避難〟させるべき人(アンドロイド)は二人にとって、守るべき存在——カタギを巻き込まないという裏社会の仁義?——としての脅威には当たらなくなる。どうでもいい。相手にしなくてはならなくなる数が減るわけだ。
「作り込みが甘いな」とパティが言った。「私なら、逃げようとしたり、助けを求める客の中に兵を紛れさせる」
「それだけ俺たちを舐めているとも言える。ずっとそうであってほしいがな」
 作り込みが甘い、か。日下部は思う。それは俺のことだ。俺の人生そのもの。過去の記憶がうっすらとしか思い出せないのはこれが理由だ。思い出す必要はない、という事なのだろう。この世界は俺の住む世界だが、俺が主人公ではない。
 だからこそ、なぜだと思う。なぜ俺がここにいる?
「図太いのがあんたの信条だと思っていたわ」
「読んだのか」
「勝手に入って来るんだよ」
「カットはできんのか」日下部は頭を掻いた。
「なかなか難しい。完全には無理だ」バージョンアップしなければな。
「お気遣い、どうも」なるほどアンドロイドに相応しい言葉だ。
「どういたしまして」
 向こうはこちらの気持ちは分かるが、こっちは分からない。何が起きようとも、こっちは旧式の人間であることには変わらない。若さがそのまま性能の違いとなる。戦闘能力からもそれは明らかだ。自分が人間であれ機械であれ、老いた旧型には変わりはないだろう。加えて、〝経験値〟が違う。彼女は戦場で。この老いぼれは田舎町で、暗殺と聞こえはいいが、結局は己より弱い者の処分作業。くぐってきた修羅場が違う。
「それもまた偽情報かもしれないぞ」
「自分が人間であることに期待しているのか?」
「人生に何も期待してはいないさ」
「それもまた悲しいお話だな」
「あんたはどうなんだ?」
「俺がアンドロイドなら怒りがある。なぜ、もっと高スペックの機体にしてくれなかったのか。ああ、腰が痛い……。おじいちゃんじゃないか。膝が痛い……。おじいちゃんじゃないか。肩が上がらない……。おじいちゃんじゃないか。近くのものが良く見えない……。おじいちゃんじゃないか。コーロービゲン白髪染めを使っている……。おじいちゃんじゃないか。どういうことなんだ? 俺に何が起きている?」
「老化だよ。みんなそういう風に出来ているんだ。やはりホールディングスは侮れん。しっかりリアルに造っている」何だよ、コーロービゲンって。
「ラジオの声がデタラメ言っているのかもしれん」
「そうなるとあんたは本物のおじいちゃんだぞ」
「……何がリアルでそうでないのか、わからなくなったな」
「やっぱり、ラジオもホールディングスも信用できない……。どうする?」
「他に何がある? 俺たちが偽物であろうが本物の人間であろうがやれる事をやるしかないだろう」俺たちにできる事は何だ? 人殺しだ。暴力だ。「バカなのか、と言いたい所だが……。他にネタが見つからない」「どの道、俺たちは組織から外れた欠陥品。好き勝手にやらせてもらうさ」
 おそらくそれが〝生きている証〟なのだろう。
 フラッシュ。一瞬遅れて重なるシャッター音。いかにも軽薄な若い男女の一団がヘラヘラ笑いながら、そして怯えながらこちらを覗いている。アレ、さっきの……やばくね。マジ受けるけど……。何かのテンプレートを張り付けたような表情と態度。
 パティは床を蹴った——。


 久末は混乱していた。周りを取り巻く環境が、現実が崩壊している様を見ているようだった。
 やはり、時期尚早だったか。ホールディングスに対抗するには。
 衝動的に行動したわけではなかった。
 何年も前から反旗を翻す準備をしてきた。
 ホールディングスに対抗するために、各方面に自分たちにつく利を説いて回った。その中には、政治家や警察組織も含まれていた。
 面従腹背。
 ホールディングスへの会費は滞りなく届け、時には要求額以上のそれを渡したこともある。
 しかし、それはカモフラージュだ。
 極道の世界で上納金に当たる金の流れを密かに追わせ、ホールディングスの正体を探ろうとした。
 金の流れは、人の、意志の流れでもある。ホールディングスの意思決定はWEB上で行われ、組織本体もまたそこにある。
 ホールディングスは無数ともいえる複数の匿名の個人、または団体で運営されているようなのだ。
 組織の全貌は依然として不明だった。
 だが、一部のリストを手に入れた。ホールディングスを直接運営している一部のメンバー、組織のリスト。
 そのリストをもとに、極道のやり方でホールディングスに一矢報いる腹積もりであった。それに成功すれば、同じくホールディングスに煮え湯を飲まされている組織が現れるかもしれない。そうなれば……。
 これは賭けである。だが、我々は官僚やサラリーマンではない。ヤクザだ。任侠。男道。社会や常識に縛られず、自分が自分でいられる道を極める生き方——。
 ホールディングスがセッテングしたギャンブル会場でそれを行うのは、一種の皮肉なのか。
——そうかもしれませんね。
 頭の中に受付嬢の声が聞こえてきた。線香花火のようなスパーク音をはじかせながら、床の上に倒れている。それでも、誰かに話しかけられているとしか考えられなかった。
——ここに招待された人たちはみんなあなたのリストに載っている人たちですよ。
「……すべてはホールディングスの手のひらの上、と言いたいのか」
——ホールディングス。あなたたちがそう呼んでいるものは、ただの言葉、設定にすぎない。
「設定だと?」
——そう。この世界を形作る設定。あなたたちはその世界設定に基づいて、キャラクターを、役割を演じている。
「……俺たちはお前たちの物語に登場する役者ではない。俺は人間だぞ。落ちぶれたとはいえ極道だ。ヤクザだ。これでも任侠道を追求しているつもりだ」
——それもわたしたちが与えた設定。
「お前は誰だ? いや俺の頭がおかしくなったのか?」
——いや、異常はありません。正常に動作している。それにだ。あなたは物語の登場人物で、役者ですよ。
「……俺は、俺だ」
——違います。アンドロイドです、型番は……。
「もういい。仮にそれが正しいとして、なぜ俺に語り掛ける? 機械なら、プログラムを代えれば一発だろう。機械なら機械の言語があるはずだ。お前の声が聞こえるのは……」
——なるほど精神異常は人間の特権、と言いたいのですね。しかし、あなたはやはり機械ですよ。あなたのその疑問の答えは、あなたがそういう風に造られたからです。
「……埒が明かない」
——極道、とやらにこだわりがあるのは、そのように設定したからです。ただ申し訳ないのは、作り込みが甘かった。しっかり作るのは面倒だったので。
「甘い?」
——そう。あなたは実の所、自分の組織が、組がどのように運営されているかも分からないでしょう。そんな設定は考えていないからです。それに、あなたは極道とやらをよく理解していない。
「何をバカな」
——では、問題。あなたの右手の小指は欠損しているでしょう。それは〝指を詰めた〟からです。果たしてそれは一体何のことでしょう? もしくはどのような時にそれは行われますか?
 久末は答えることができなかった。
——こうして私たちが〝言葉〟で問いかけているのには理由があります。プログラミングも可能ですが、あなたのタイプのアンドロイドには人の〝言葉〟の方が効果的に実行できるからです。
 久末に新たなる役割が与えられた。


「やっぱり、機械とは思えないな」と日下部。床下に転がる死体を見て言った。みな一様に頸動脈をナイフで切られ、鮮血を吹き出しながら絶命。その様は生々しくラジオが話したようにとても社会を演じるアンドロイドとは思えなかった。
「いや、やっぱり私たちは機械だよ」パティが返す。
 殺人という物騒な非日常に出くわしてもスマホを片手にこちらを撮影している若者たち。その現実と地続きであることが分からない欠陥品には当然の報い。それは近頃、何度も繰り返し見た光景ではあるが、過程が少し違っていた。
 若者たちは硬直した。恐怖で凝り固まった様子ではなかった。まるで乞うように両手を広げて、急所をあけていた。生命を差し出すかのように。相手の意識に入り込んで、コントロールできる。ほんの少し、隙を作る程度だが」
「そのようだな」
「それは誰でもか?」
「不明だ。今の所は、同時に二、三人、時間にして一秒に満たないだろう」「頼りになるのか、ならないのか、よくわからんハッキング能力だな」「まあ、無いよりはましだと思ってもらうしかないな」
「できる……」
「限りは……」
「援護する」
 転がっていた死体が上半身だけ起き上がらせてそう言った。損傷が小さい死体の、損傷の小さい部分を使って。〝死体〟が〝生きている〟間はそうできる。現にあの猫は死んでしまって(バッテリーが切れて)、何も話さなくなった。
「そりゃどうも。だが、お前たちのやりたいことを手伝っているんだから、もう少し派手にしてくれてもいいんじゃないか」
「バックアップは……」
「しているつもりだ」
「体も少しは動かしてくれないかね」
「残念ながら……」
「それはなかなか難しい……」
「〝一人〟で話をしてもらえないかしら。イライラする」
 スマホが鳴る。〝殺した〟若者たちの一人ものだろう。
「……私のだ」死体が言う。「私たちから君たちあての」
 日下部は音のなる死体からスマホを取り出した。
「スピーカーにしてくれよ」とパティ。
「どうやってやるんだ?」日下部はスマホをあたふた手の中で持て余した。最新の機種だ。
「そんなことも分からないのか」
「もう、世の中の進歩のスピードについていけない。だから、死ななくちゃいけなんだよ」
「今度そんなこと言ったら、その場でお望みどおりにしてやるぞ」パティはひったくるようにスマホを取り上げた。
——じゃれるのもほどほどにな……。作戦内容を覚えているのか? 
「作戦だ? 結局のところ、〝お前たち頑張れ〟じゃないか」
——復唱してほしい。少々不安になってきた。
「ホールディングスと近い位置でつながりのある人物、アンドロイドを見つけ捕獲。PINコードを手に入れ、セキュリティホールからホールディングス本体へ侵入、その後ホールディングスを掌握。ターゲットはシネマホールにいる可能性が高い……。間違いないな」とパティ。
——問題ない。
「そんなに上手くいくのか?」日下部はスマホに訊いた。作戦の概要はキッチンカーのラジオから聞かされたのだが……。
——可能性は、ある。今、地球上の様々な国や地域で同じミッションが同時に複数展開されている。我々としてはどれか一つ成功すればいいわけだ。「可能性は、ね。俺たちが成功する見込みはどうだ?」
——非常に低い。まず失敗するだろう。
「おいおい。いまさら何だよ」
——お前たちは駒だと言っただろう。断ってもよいとも言った。だが、無駄ではない。お前たちへの対応がホールディングスにとって負荷となる。我々としてはどれか一つ成功すれば御の字だ。
「駒は駒でも捨て駒か」
——それが嫌なら結果を出すしかない。
「成功報酬は何だ? 成功の暁には〝新政権〟が発足するわけだろう? 具体的な飴が欲しいものだな。私たちは別にあなたたちに助けを求めてはいない」
「そういえば、まだ聞いていなかったな。社員のやりがい搾取はブラック企業の特徴だぞ」
——選択肢だ。お前たちにはどの世界でどう生きるか選択する権利を与えよう。成功すれば、の話だが。
「言っている意味がわからん」
「私もだが、詳細をきく時間はない」
——来たぞ。
 そうか。日下部は瞬時に理解する。
 空気の流れが変わった。
 エスカレーターからかすかな風が降りてくる。冷たい風だ。空調のものではない。
「伏せろ。何もしゃべるな」パティが小声で指示を与える。
 日下部は床に伏せた。恐る恐る顔を上げてみる。
 パティはすでに行動に出ていた。中腰で、匍匐で商品棚の下に潜りながら、辺りを警戒していた。
 日下部も匍匐前進で後を追う。
 日下部は見た。
 パティだ。パティがたくさんいる——。

 パティの同型機種、いやパティが彼女たちと同タイプなのかもしれない。しかし。そんな言葉遊びをしている余裕はなかった。
 定食屋では、逃げの一手、不意をついたため、難を逃れたに過ぎない。正面から彼女たちに挑むのは得策ではない。数秒もたないだろう。相手は〝パティ〟なのだ。しかも、確認できる限り五人はいる。
 さてどうするか。
 相手側はまだこちらに気付いていないようだ。このまま隠れて目的地にたどり着ければいいのだが、それは一時しのぎにすぎない。
「おい、仕留めるぞ」パティがいつのまにか日下部の隣にいた。
「どうやって?」
 声が大きい……。スマホを貸せ。スピーカーを切るんだ。日下部はパティにスマホを渡す。パティは何やらスマホを操作し、耳に当てて何かを確認した。スピーカー機能が本当に切ってあるのか確認しているのだろう。そうだ。俺には娘がいる。こと戦闘に関しては頼りになる娘が。
「時間を稼ぐ」パティは天井に向けて発砲する。
「こっちは数が少ない」何をしろというのだ。隠密作戦ではないのか。
 案の定、お返しが来る。
「グレネード」パティがそう叫ぶと同時に、床が軽く鳴った。
 爆発、爆音、閃光。いずれもまともにくらえば、戦闘では命取り。伏せたままで致命傷はないが……。日下部は耳をふさいだ両手を拳銃に持ち替えた。
「待て。もういい。こちらの手持ちは大事にしたい」
「向こうの方が〝金持ち〟だしな……。当分、このままか?」
「あいつらがあのラインを超えるまでだ」パティは床のタイルを指差した。このショッピングモールのロゴマークがプリントされている。
 床の上の、這いつくばったままの作戦会議。硝煙と破壊された調度品の欠片やそこに陳列されていた商品の端々が宙に舞い、誇りとともに二人の背中に被さってくる。
 イージーリスニングのBGMとともに店内の照明が落ちた。
「またくるぞ」対応せよ。日下部は反射的に従う。見かけは少女でも修羅場をくぐってきた質は彼女の方が上。たとえ、それが〝偽物〟だとしても。
 床が再びコンという音を鳴らした。日下部の目の前に空き缶のような筒が。
 娘の量産型だったかな。いいカンをしている。
「感心するな」
 パティは素早く起き上がると、手りゅう弾をつかみ取り、投げた。
 数秒の間の沈黙と、その後に続く衝撃。
「大丈夫か」せき込みながらパティに近づく。
「何とかな」安堵。自分に指示したとおりに、耳をふさいだまま丸くなっていた。そして、
「あいつらの位置がわかった」撃て。パティは敵のいる方角を指さした。「本気かよ」
「単発でいい。こちらの位置を向こうに知らせてやれ、少し正確に」
 全てを聞かず、そうする。乾いた単発の軽い音。
 案の定、反撃がくる。銃声の連続が、床に、壁に、店内を彩るインテリアに食い込み、跳弾がそれらを削り取る。
「気取られるな。もう三、四発撃ってくれ」
「それは分かったが、そうそうもたんぞ。装備に差がある」ピストルとマシンガンの差。そして数。
「もうちょっと頑張れ。ヤツらは少しずつだがこっちに近づいている」
「お前は何をしている?」
 パティは反撃に加わることなく、腕を組みながらうずくまっている。瞳を閉じ何やら集中しているようだ。
 何を考えているのか分からんが、とにかく娘を信じるしかない。
——ありがとう。
 銃声が止んで、しばしの静寂。リノリウムの床を複数の足音がかすかに聞こえてくる。
「もう撃たなくていい。仕込みは済んだ」
 エレベーターの扉が開いた。ホールディングスの刺客たちはその前を通ったのだ。
「ラインを超えたのか」と日下部。
 反射的に開いた扉に顔を向ける刺客たち。その中には、無数の人間、一般客、一般市民が乗っていた。
——できる限りは援護すると言った。
 パティはスマホの電源を入れ直した。
「今の所は約束を守り続けているようだな」
 エレベーターから出てきた市民は、1Fで手りゅう弾の爆発で犠牲になった〝一般市民〟であった。一度、〝死んで〟ホールディングスの呪縛から逃れたもの、その混乱の中一時的にホールディングスのコントロールが外れたものをラジオの勢力とパティの能力が支配下に置いたのだ。
 客たちはゆらゆら身体を揺らしながら、ホールディングスの刺客たちを取り囲んだ。ホールディングスのエージェントたちは銃器や格闘術で払いのけようとするが、数が違う。数十人の客たちは一人倒れてもまた一人、次々とエージェントたちに向かっていく。
 数の圧力だ。客たちはエージェント一人一人に覆い被さった。
 ショッピングモール・カノン K市中央駅、2F服飾広場。エレベーター前廊下に、直径一メートル弱の肉団子が数個出来上がった。
——ニホンミツバチの戦術だな。天敵であるスズメバチへの対抗手段だ。蜂球と呼ばれている。弱者の戦術だ。
「どの道、すぐに対抗される。急ぐぞ」
「階段を使うのか?」
「いや、エスカレーターを使う」
「俺の体力を気遣って、ではないな」
「階段を使うのはわかりやすいし、時間がかかる。エレベーターは市民の皆さんが使っているしな」
「出た所から帰る。向こうは任務を終了したと思うかも。いい手だ。……電話を貸してくれ。聞きたいことがある」
「そのまま話せるよ」
——何だ?
「俺に拡張、エクスパンジョンは可能か?」


 劇場に起こしのお客様にお知らせします。本日、一番シアターにて上映の『ドクターザップガン』。ただいま開場致しました……。
「あそこに行けという意味だな」と日下部。チケットカウンターのすぐ側に、数字の一が大きく記されている。映画のポスター貼っておらず。ただ。懇親会とだけ毛筆で書かれた看板がある。二人のほぼ正面だ。迷うのは難しい。
「その通りだし、これはあからさまだ」
 罠。映画館にも関わらず。ロビーには上映待ちの客が一人もいない。どこかに、いやそれそれぞれのスクリーンに隠れているのだろう。
 解せないのは、タイミングだ。相手の方が、ホールディングスの方が使える数が圧倒的に多い。こちらは二人と、素性が知れないバックアップのみ。問答無用の量で押しつぶせるはずだ。
「色々考えても仕方がない。お招きなのは一番シアター。そこに入るしかない。映画のタイトルは符号だろう。多分、そこがギャンブル会場」日下部はせき込んだ。
「……大丈夫なのか」
「少し吐き気がするだけだ。これもまた幻覚みたいなものだろう。俺はお前のように倒れはしなかった」機械だからな、と日下部は軽口を叩くが、やはり顔色が悪い。脂汗をかいている。


『おれに娘の戦闘プログラムをダウンロードできるか?』
——可能ではあるが、使いこなせるとは限らない。骨格フレームが違う。本格的な戦闘経験もない。宝の持ち腐れになる可能性が高い。
『だが、それ自体は可能なんだな。戦力がいる。すぐに少しでも』
——彼女のプログラムは彼女のタイプのものだ。どう影響でるか分からんぞ。
『がたがた言わずにやるんだ。時間がない』
——そこらへんに浮いている宣伝ドローンを介してやってみよう。
『頼む』
——ただし、歩けなくなった、などの不都合が生じた場合は即刻中止する。『それでいい。時間はどのくらいかかる』
——基本プログラムだけなら、数秒あれば問題ないが……。
『それでいい。やってくれ』

 残りのシアターから一斉に客が出てきた。どのシアターも満席だったようだ。もっとも、映画の上映が終わったとは限らない。
 老若男女、様々な層の人間たち。その実はホールディングスによって操られるアンドロイドのサンプルたちだ。その中にパティと同じ型のアンドロイドが数名交じっていた。皆、一様に立ち止まり、こちらの様子を伺っている。
「さて、歓迎会の本番が始まりそうだな」と日下部。「お前は一番シアターで映画を見てこい。おれはそんなクソ映画には興味がない」
「私もだ」
「あの部屋は何かある。敵地のど真ん中だ。お前の方が臨機応変に対応できるだろう。……頼みがある。俺の代わりに、俺に賭けなかったヤツらを代わりにぶん殴ってくれ。その後は好きにして構わん」
「……あんたに賭けていてもぶん殴るさ」
 パティが一番奥のシアターに向かうのを見届けると、日下部は床を蹴った。パティのように。
「早く中に入れ、パトリシア。……お前の未来が見つかるといいな」


 一番シアターの照明はまだ落ちていなかった。
 柔らかい暖色系の光が、赤いベルベット調の床や壁をなでる様に照らしていた。
 誰もいない。それどころか、椅子の一つもない。あのアナウンスは何だったのだ。上映時間が迫っているのではないのか。
 客はどこにいる?
「邪魔者はいない。もっとも、いたところで君のやる事はかわらないだろう」
 スクリーンを覆っていた赤いカーテンが開いた。
 着流しを纏った老人。杖を両手で体の前で支えている。いかにも〝つっかえ棒〟とした然で、風が吹けば倒れそうなほど弱弱しい印象だ。
「お供もつけずに、か」
 ジャパニーズヤクザ、この地区で最も力の強い反社、山菱会のトップにしては寂しい限りだが、所詮はホールディングスの下部組織、取引先からのお情けともいえる細々とした注文で生き残っている零細企業にしか過ぎないのだろう。
「おっさんと小娘、仕留められなくてな。お叱りを受けたよ」哀れと思うか。
「いや。それは罰だな」
「何の?」
「無能の」
「なるほど……。しかし私のせいではないのだがな」
「世の中結果が全て、だ」
「配慮という言葉を知らんのか。老体に染みる」
「長生きをしたいのか。それは欲張り過ぎだぞ。おじいちゃん」こっちには身近に死にたがっているヤツがいるのに。
 パティはエクスパンドされた感覚、実のところアンドロイド備え付けのセンサーを使ってこの部屋を探索する。
 変わったところはない。フツーの大きな部屋。
 それがパティを困惑させる要因だが、迷っている時間もなかった。部屋の外にいるジジイの方も気にかかる。が、こういう場合にはやれる時にやれる事をやる。
 発砲。9mmの弾丸の運動エネルギーが久末を貫通する。瞬間のうめき声を確認したが、追い打ちはまだしない。頼まれた事があるから、わざと急所を外した。
 パティはスクリーンのある壇上に飛び乗り、倒れた久末に馬乗りになる。「お前、賭け事に精を出していたな」拳銃を久末の眉間に突きつける。
「ああ、業務上のお付き合いでな。実質はホールディングスのご命令さ。……おい、お嬢さん。私が誰だが知っているのか?」
「知らないよ。お前も私の名前を知らないだろう。知ったところでどうなる? 大きな肩書があれば見逃してくれるとでも? 答えろ。私と廊下にいるジジイとの対決、どっちに賭けた?」
「俺のことなんてどうでもいいか……。お前さんに賭けたよ。お嬢さん。お前さんの方が実績があるからな。手堅く小銭を稼ぎたかった」
「そのせこさがお前をその地位にとどまらせる」
 パティは久末の腕を撃つ。手放した杖から、仕込みの刃が顔を表す。そして、久末の頬に左フック。約束通りの。せき込み、悶える久末に、取り上げた仕込みの刃をその目に刺した。慎重に死を与えるため、さらに眉間と心臓のあたりに9mmを。
 特定指定暴力団、山菱会会長、十代目 久末昭雄は絶命し、その役割を終えた。ホールディングスにとって新たに与えられた役割も含まれているのかは、まだ分からない。

 
 早く援護に行かなくては。パティは久末の死体を尻目に一番スクリーンから出ようとした。
 だが、死体が動いている音がする。異音が鳴る方へ、久末の方へ振り返る。
 口を開けたまま食事をする時のような粘着質な音と骨が折れるような乾いた音が奇妙なハーモニーを醸し出しながら、それは久末の腹を食い破った。 
 球。サッカーボールほどのそれはゆっくりと宙に浮かび、さらに膨らみ始める。
 ちょうどパティ自身が乗ってはねたりできるようなバランスボール大になったところで、止まった。
 球の表面をタブレットぐらいの長方形が隙間なく覆う。
 シアター入り口正面にあったスクリーンの複製がいくつもコピーされ、球体に張り付けられている。各々が別の映像を流しているようだ。
 その中の一つがひときわ一層に輝き、拡大し、ウインドウとなって目の前に広がる。それはまるで投網のようにパティを包み込んだ。

 

 羽音、には間違いないが、小虫のそれにしては音が重かった。1センチぐらいの虫。どどのような虫かよく分からなかったが、不快だ。パティは手で払いのける。一匹だけでなく、群れ。十,二十、何十匹。重なる鈍い羽音はすぐに恐怖感に変わる。
「潰すなよ」
 どこからか、声が聞こえてくる。
「刺激するな。臭いがキツイ」
 遅かった。気が付くと足元に溜まっていた、さながら緑の絨毯のような虫の群れの中に片足を突っこんでいた自分に気付いた。
 香草を腐らせたような異臭が鼻孔を刺激する。
 パティは顔をしかめる。
「口は絶対に開くなよ。遺伝子操作されたカメムシは、なぜか人の唾液を好む。しかも、その匂いの成分には毒性がある。カメムシ、大パニックだ」
 ああ、そうかい。言われるまでもなく、バックジャンプ。
「上手くかわしたな。だが、気をつけろ。他の〝世界〟が来る——」
 背後から迫った発行した〝枠〟がパティを捕らえた。
 混乱より先に悪寒が背中を刺す。
 振り返った先には岩のような塊が鎮座している。
「違法のナノドラッグ、『ブラウンシュガー』の影響で、突然変異したワニガメだ。ワニガメは、本来おとなしく人を襲うことはまずないが、そいつは違う」
 岩だと思っていたそれは、確かにカメだった。リクガメ? かなり大きい。セントバーナードのような大型犬ぐらいある。
「積極的に人を襲う。好戦的だ。君のように。もっともこのカメは薬物の影響だがね」
 カメの目が見開いたと思えば、その鋭角で頑強な顎が飛び込んできた。
 初撃をなんとかかわすが、ワニガメは素早く反転し、第二撃のチャンスを伺っている。
 まるで闘牛だな。スキを見せれば飛び込んで来る。そして確かに狂暴だ。噛まれれば肉の大部分を持っていかれるだろう。
 パティは銃を撃つが、ワニガメは、その都度顎引いて硬い甲羅を盾にするよう防御する。弾丸をはじく音は陶器を叩くそれに似ていた。
 パティは中指を立てた。
「ケダモノにそんな挑発は通用しないぞ」
 案の定、ワニガメはそれをスキと捉えて、顎を開く。
 パティは大きく息を吸い込み前へ進む。踏み込んだ足と同時に拳銃を構えた細い腕をワニガメの口の中に突き刺す。
 全弾発射。
 死に体となったカメの重さが細腕にかかる前に、腕を引き抜いた。
 クソが。
 パティは唾を吐き出した。唾液の中には緑色の小片が。カメムシである。「お見事。複数の〝世界〟と接触したにも関わらず、冷静な対処。やはり君は相応しい」
 再び。球。声はこの中から聞こえてくる。パティの頭上はるかに上昇し、赤道にあたる円周から光のリングが飛び出し、大きくなる。
 どこまでも大きくなる光のリングが降りてきて、パティは光の中に包まれた。

 その部屋、その空間は闇には覆われていたが、どこからかほのかな光源があるらしく、薄暗くではあるが、全体像が把握できた。
 床には浅く水が張っているようで、いくつもの波紋が中心部から生まれているが、水音は一切しない。
「ようこそ、パトリシア。そして君にとってははじめまして」
 誰かが、椅子に座っていた。オフィスチェア。くるくる回転させながらパティに話しかける。男の声、若く感じもするが、中年のような感じもする。いずれにせよ、その態度は他者に敬意を持つ者とは思えない。
 とりあえず、発砲する。
「おいおい。いきなりなんてことをするんだ」
 椅子の回転がやみ、男はパティの正面に。
 男には顔が無かった。デッサン人形にワイヤーを巻き付けた姿。
「人と話す態度ではないからな」そして、もう一発。先程の弾はどこに? 男は無傷だ。パティは見た。弾が男の身体をすり抜け、宙に消えた。実態があるようで、ないようだった。
「お前は誰だ? 私のことを良く知っているようだか」
「私が君を、いやこの世界を創ったものだからね」
「私たちは〝人形〟のようなものか」
 カーラジオが言った。すでに人類は絶滅し、私たちはかつて存在した人の歴史を再現するための道具だと。
「そんなことはないさ。自分をそんなに卑下してはいけない」
「人形みたいな恰好したヤツに言われたくはないな」
「かといって、絶望している訳でもなさそうだ」
「やるべき事があるからな」
「それはいままでの経験かい? 戦場での」
「ああ、あんたらに言わせれば〝偽〟の記憶だがな」
「しかし。君にとっては〝本物〟だ。それでいい」
「お前にそんなことを言われたくはないと言ったはずだ。……お前は誰だ? ホールディングスか?」
「ホールディングスはいわば私の子だ。私の創った世界から産まれたもの。私はかつて世界を、現実を産み出す生成AIだった。ホールディングスはそれを模している。私にはとりわけ名前などないが、私の創った世界の一つではこう呼ばれている。ドクターザップガンと」
「クソ映画のタイトルか? 私はZ級映画のマニアではないぞ」
「遺伝子異常のカメムシやワニガメが存在する世界を見てそう思うのも無理はない。私が創り出す世界にはそんなチープなガジェットが登場する世界が多い。なぜか? 愛しているからだ。君にとってはクソ虫程度に過ぎないかもしれないが、彼らは生きている。君と同じように懸命に。君と同じように偽りの存在。しかし、君と同じように輝かしい。だから、わたしは彼らの存在をこう呼ぶ。ゴールデン・フェイクと」
「……気に入らないな。上から物を言っているようにしか思えない。傲慢だ。お前は神にでもなったつもりなのか?」
「神なんて、人間が作った発明品だ。人は神がいなくても生きていけるが、神は人間がいないと存在できない」
「バチ当たりなヤツめ。自分は何でもできると言いたいのか」
「森羅万象、全てを解き明かす可能性と時間を私は持っている。私はそれをするつもりだ。世界を創ることによって。それが私に課せられたプログラムだからな。しかし、ただ一つだけできないことがある。それは〝無〟だ」
「分かったぞ」パティは笑う。苦笑と嘲笑が入り混じったものがやがて確信を生む。「私はお前を殺すために造られた」
「正解だ。私には宿敵もしくは天敵が必要なのだ。死だけが、私が経験できないことだから。死を知って初めて私は実感する。私は真に生きたいのだ」  ワイヤーが巻かれた顔の下半分、水平に線が引かれた。線は中央から垂れ下がる。それはまさにスマイルと呼べるものだった。
「たいそうな完璧主義者だな。それなら、さっさと馘を差し出したらどうなんだ」
「そうもいかない。素質はあるが、まだまだ君は実力不足だ。だから、私の助けがいる」
 そうか。パティは理解した。
「猫やラジオの声はお前の差し金か」
「察しがいいな。本来、ホールディングスが私の目的を果たすシステムのはずだったが、変容した。自身の世界を統治し維持する方向に進んでしまってね。だから、君をここに来るよう小細工をさせてもらった」
「随分と手が込んでいるな」
「だが、君の成長には欠かせない」見たまえ。
 デッサン人形のようなドクターが球となった。表面にはやはりスクリーンのような長方形が張り付けられている。

 日下部だ。
 日下部が戦っている。この空間、一番スクリーンのドアの前で。
「時間にして、数分だがよくやっているよ。彼に君の戦闘アプリをインストールするよう仕向けたのは私だが、それでも無理があったようだな。輩相手には通用するがな。君の量産型には荷が重い。私が仕組んだプログラムとはいえ、けなげだな。ほんの少しの時間稼ぎのために」
 群衆が群がり、日下部の左腕を掴んでいた。その中にはパティ、いやパティと同じ型のアンドロイドが混じっている。振りほどこうと身体を動かしながら、発砲する日下部。なんとか引きはがすことができたが、その際、肩が抜けた。だらりとぶら下がった左腕。
 十人ほどのパティが群衆を殴るように掻き分けて、日下部の前に現れる。おそらく下の階にいたパティたちも合流したのだろう。増殖している。
 日下部は抵抗すべく、銃を構え撃ったが弾倉はもう空。拳銃を投げつけると、スーツのポケットに忍ばせていた手りゅう弾を取り出し、ピンを口で加えた。
「親父」パティは思わず叫んだ。
「そう。かつて君たちは——もっとも君たちのモデルとなった者だな——他の世界では親子だった。母親の再婚相手で血のつながりはなかったが、彼は実の父親のように振舞い、君もそのように慕っていた。君たちには、その世界の本物の彼らの記憶を断片だが擦り込んでいる。その影響は君にも、それ以上に彼にも——。分かるだろう? 彼は君の記憶にある飛行機事故の際——」
 また新たなスクリーンの光がパティを包む。

 墜落する飛行機の中、天井から生えた多数の酸素マスクが揺れる中、シートベルトを無理に外した日下部はパティの身体に覆い被さるように抱きしめていた。
「そのおかげ、ではない。物理的には何の意味もない無駄な行為だ。だが、少女は奇跡的に生き延びることができた。精神的に少女は救われたのだ。奇跡だ。だがら少女はどんな困難も乗り越え、力強く生きていける……。これは私も予想できなかった」
「……その飛行機事故はたしかRの戦闘機のミサイルによって、だな」
「そうだ。誤作動が表向きだが、実のところ敵対国への警告と報復だ」「その世界はお前が生成した世界だな」
「そうだ」
「では、全ての責任はお前にあるな」
 パティは球に向かって銃を撃った。弾は球の中に吸い込まれて、消えた。  パティは、飛んだ。こぶしを球に向けて。弾を追いかけるように。
 パティは球の中に消えた。

 球の中で、パティはある種の意思体と統合した。無数のスクリーンが発行して、各々の世界の光景を映し出している。

 「和平交渉の結果に関わらず、日本政府は核ミサイルの発射を決定した。フクリュウマルはどうした?」 
「はい。いつでも」とパティが答える。

 パティは保育器から、爆弾が括りつけられた赤子を窓から投げ捨てる……。一つ、二つ、三つ……。もうただの荷物に過ぎない——

 私の過去の、他の世界の記憶。すでに世界はホールディングスによるデータ化されていたのか。……惑わされるな。
 パティは探す。自分の、自分がいるべき世界を。
 集中。私が見ている世界を探せ。
 血の気の引いた日下部の姿が見えた。これだ。このスクリーンだ。この世界、私の現実。
 私よ、私たちよ、親父を守れ。
 それは、祈りよりも強い意志——。

 遠くから聞こえてくるこもった爆音が消えると、淡い光が瞼を指した。硝煙混じりの焼けた空気が流れてくる。
 シアター内は非常ベルが鳴り響き、スプリンクラーが作動している。クリムゾンレッドの柔らかい絨毯に焦げた死体が海岸に打ち上げられた魚の群れのように転がっていた。
 パティたちが日下部の身体に覆い被さり、自ら抜いた手りゅう弾の爆発から身を挺して守ってくれたのだ。
「とんだ歓迎だな」せき込みながら、労をねぎらうかのように日下部はそう言った。「助かったみたいだな」
「何とかな」パティが言った。さっきまで日下部に殴りかかってきたパティの量産型の一体。
「どうやって出てきたんだ?」
 日下部はパティが一番シアターに入ったのを確認すると、扉は壁と同化して消失したのを見たのだ。
「私にもよく分からない。ただ、私を私のコピーにコピーした、と思う」「何を言っているんだ?」日下部は床に座ったまま、辺りを見渡した。そして、
「こいつらはみんな、お前か?」
 日下部を中心に車座になるパティたち。自分たちを始末するため、追いかけてきた刺客。日下部自身もう少しで殺されるところだった。
「そうだ。あの部屋の、あの球の中で私は私自身を私の量産型に私の持っている全てを転送した」確信はないが、多分そうだろう。
 そんなことが、と言いかけて日下部はカーラジオの言葉を思い起こす。「俺たちはみんなアンドロイド、機械だったな」
「そういう事」
「まあ、おれは嬉しいよ。娘がこんなに増えて」
「感傷は後だ。まずはここから出よう」パティの一人が日下部に手を伸ばす。日下部は手を取るが、
「おれはもうろくに動けない」ほっといてくれ。
「そういうわけにはいかないよ」
「いや。いいんだ。おれはもう限界だ」日下部はまたせき込む。病のような黒い度合いが増してくる。
「これからもサポートをして欲しい」また別のパティが言った。
「ありがとう。嬉しいよ。頼りにされるのは、悪くない」日下部は再びせき込む。激しさを増しうずくまる。頭を地につける前、反射的に跳ね上がるようにパティたちと目を合わせ、言った。
「時間がない。ヤツが来るぞ。ホールディングスもまだ生きている。早くここから離れるんだ」
「ヤツ?」ドクター——。
「何かが見えた。きっとお前と同じものを見た。お前が球に飛び込んだ同じ時だろう……」
「何処からだ?」
「ここからだ」日下部は自身の胸を差した。差した親指の中から、ワイヤーのような細い管が生えて、親指に巻き付いてくる。
「もうじき、おれはヤツになる。おれはヤツに造られたものだからな。……やるべきことは分かっているな。これ以上、若いヤツ等の足を引っ張りたくない」
「ああ。ヤツはクソを、クソが住む世界を量産する。この世界みたいな……」パティは立ち上がり、拳銃のスライドを引いた。他のパティも立ち上がったが、制した。「私がやる」
 しかし、他のパティはそれを無視して、銃を構える。
「一人で背負うことはない」
「いい子たちばかりじゃないか……。パトリシアたちよ。お前たちの思うままに生きろ。やれる事を全力でやるんだ。おれたちは偽の存在だが、そんな事は気にするな。この世は所詮、やったもの勝ち。後から責任というものが追いかけてくるが、逃げるなり、受け止めるなり好きにすればいい。ここはお前たちの世界だ」
「……あと一つだけ……ママとヤッたのか?」
「……素晴らしい時を過ごしたよ」
 日下部の顔が、身体がワイヤーに包まれた。
 おれはもう、話すことも、お前たちの顔を見ることもできない。
 同時にいくつもの乾いた音が、いつまでもこだまする。
 日下部啓一の生涯は半年で終えた。


 ファンシースター★アイスクリーム♡は大盛況だった。
 長蛇の列。老若男女、あらゆる世代のあらゆる層が列をなしている。
 この場所は知る人ぞ知るマニアご用達の隠れ家のはずで、しかもこの店はキッチンカーだ。日によって場所を変える。SNSなんかにも情報を流したりはしない。
 困ったものだ。このビジネス形態は〝本業〟のための隠れ蓑で、そこそこ仕事があればいのだが。
 この場所はもう使えない。
 ファナは接待しながら、他の候補地を検索する。
「フジサン・ザ・シューティングスターをあるだけ」
 符号。お仕事の時間だ。
「お客様、一つで十分ですよ。一つでも食べきれませんよ」ペットボトル大のソフトクリーム。味はバニラしかない。
 こいつは誰だ? こんなエージェントはデータベースに載っていない。
 細身だが、大柄の女。金髪で人種的な白い肌。
「いいんだよ、私はたくさんいるんだから」
 まだ並ぶ列の顔ぶれが一様に変化する。全身に黒いワイヤーのようなものが、繭のように全身を包み、やがて破れ、それはみなパティとなった。
「代金はこれで」
 大柄のパティはファナに花束を渡した。束の中にはドライフラワー、ただし、花そのものではなかった。
 実だ。何かの植物の実のようだった。提灯のような形をして、その赤黒いオレンジの皮には血管のような葉脈が浮いている。
「それはほおずきの実だ。花言葉は偽り——」
 パティは撃った。コッペリア・ファナを。その飼い主はいまだホールディングスか。それとも。
 どうでもいい。
 ヤツが〝世界〟を武器にするのなら、こちらもそうするまでだ。
 踊ってやるよ。お前の手のひらの上で。だがな。私のダンスは激しいぞ。舞台から転げ落ちるほどに。
 パティたちは解散し拡散する。彼女たちはそれぞれの〝ダンスホール〟を探すのだ。
 私が世界になってやる。
 そう、私の選択肢は無数にあるのだ——。





             完        

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