ドリー・ファンク・ジュニア、ありがとう――私をプロレスの世界へ連れていったザ・ファンクス
昨日、ドリー・ファンク・ジュニアが、85歳で亡くなったというニュースを見た。
悲しい。
2023年に弟のテリー・ファンクが亡くなり、今度はドリーも旅立った。私をプロレスの世界へ引っ張り込んだ張本人であるザ・ファンクスが、二人ともいなくなってしまった。
私とザ・ファンクスとの出会いをたどれば、昭和52年、1977年12月15日の蔵前国技館に行き着く。
世界オープンタッグ選手権の最終戦。
ザ・ファンクス対アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組。
日本プロレス史に残る、あの伝説の試合である。
血まみれのテリーに心を奪われた
ブッチャーのフォーク攻撃を受け、テリーは右腕を血まみれにされる。
傷ついたテリーはいったん退場。残されたドリーが、ブッチャーとシークを相手に一人で耐える。
そこへ、腕を包帯で固めたテリーが戻ってくる。
血まみれになりながらもリングへ帰ってきたテリーは、怒りを爆発させてブッチャーたちに向かっていく。
最後はシークの反則によってザ・ファンクスが勝利し、世界オープンタッグ選手権を制した。
公式記録では、試合時間14分40秒、反則勝ちとなっている。
それまでも、プロレスは漠然と見ていた。
何しろうちの母親は、ジャイアント馬場の同級生である。
土曜日に母親の実家に行くと、必ずプロレス中継が流れていた。
漠然と、プロレス中継は見るようになっていたのだ。
しかし、私は、この試合でプロレスに心を掴まれ、そしてテリー・ファンクのファンになった。
血まみれにされても戻ってくる。感情をむき出しにして悪役へ立ち向かう。子どもにも分かる、熱くて格好いいヒーローだった。
しかし、そのテリーのすぐそばには、いつもドリーがいた。
どこが強いのか、分からなかった
ドリー・ファンク・ジュニアは、ファンクスとして活躍しただけでなく、日本では復活したインターナショナル・ヘビー級王座にも就いた。
もちろん、強いレスラーなのだ。
それは分かっていた。
ところが中学生の私には、ドリーの何が強いのか、実はさっぱり分からなかった。
テリーのように感情を爆発させるわけではない。
ハンセンのウエスタン・ラリアットや、ブロディのキングコング・ニードロップのような、見た瞬間に「これは強い」と分かる必殺技があるわけでもない。
スピニング・トーホールドも、子どもの目には、相手の足を持ってクルクル回っているように見えた。
ファンクスの試合でも、ドリーは感情をあまり表に出さない。
なんとなく、いつも相手にやられているようにも見える。
ドリーが耐え、そこへ怒ったテリーが飛び込んでくる。
そんな印象だった。
それでも、ドリーは負けない。
派手ではない。
感情も表に出さない。
やられているように見えるのに、最後までリングに残っている。
今思えば、これこそがドリーというレスラーだった。
喉が枯れるほど吠えた新潟の夜
ドリーの強さを私が実感した試合がある。
昭和58年、1983年8月30日。
会場は新潟市体育館。
友人と生観戦をしたのだ。
翌日の8月31日、蔵前国技館ではテリー・ファンクの引退試合が予定されていた。
つまり新潟大会は、引退前日の試合だった。
その日のメインイベントは、今考えても信じられないほど豪華な6人タッグマッチだった。
ジャイアント馬場、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組。
対するは、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、テリー・ゴディ組。
私の大好きなレスラーたちが、一度にリングへ上がったのである。
記録によれば、新潟市体育館は観衆5,800人の超満員。
試合は12分3秒、両軍リングアウトに終わっている。
当時の自分の日記を読み返すと、その興奮ぶりがよく伝わってくる。
とにかく観客が、ものすごくエキサイトした。
試合の早い段階から、レスラーたちは惜しげもなく得意技を繰り出した。
ブロディはフライング・ニードロップを放つ。
ハンセンが「ウィー!」と叫ぶ。
ブロディが「ウォッ、ウォッ!」と獣のように吠える。
私は観客席で、ハンセンやブロディと一緒になって吠えていた。
日記には、
「おかげで喉が枯れた」
と書いてある。
それほど興奮したのだ。
馬場まで手に唾を吐いた
あの日は、ジャイアント馬場も違っていた。
地元・新潟での試合だったこともあるのだろう。
馬場は手に唾を吐き、気合を入れて16文キックを放った。
馬場も、ドリーも、テリーも、ハンセンも、ブロディも、ゴディも、全員が異様な熱気に包まれていた。
なにしろ、翌日はテリーの引退試合である。
テリーが引退する前に地方で戦う、最後の試合だった。
試合は大乱戦となり、最後は両軍リングアウト。
普通なら、両者リングアウトという結末には不完全燃焼を感じることもある。
しかし、あの日は違った。
生観戦した試合の中で、あれほど満足した両者リングアウトはない。
勝敗など、どうでもよかった。
六人のレスラーが全力でぶつかり、観客も一緒になって叫び、会場全体が一つの巨大な熱の塊になっていた。
プロレスは、勝ち負けだけで満足度が決まるものではない。
あの夜、私はそれを体で知った。
ハンセンのラリアットに沈んだドリー
この試合は、両者リングアウトの裁定が出ても乱闘は終わらなかった。
リングの中でも外でも、延々と殴り合いが続いた。
その大乱闘の最後だった。
ドリーが、ハンセンのウエスタン・ラリアットを食らった。
ドリーの体が、ガクッと崩れ落ちた。
そして、そのまま運ばれていった。
当時の日記は、こんな心配で締めくくられている。
「明日の試合は大丈夫か。」
翌日は、弟テリーの引退試合だ。
しかし、あれほどのラリアットを受け、運ばれていったドリーが、本当にリングへ上がれるのだろうか。
私は本気で心配していた。
何事もなかったようにリングへ立った
翌日、1983年8月31日。
蔵前国技館で行われた、テリー・ファンクの引退試合。
対戦カードは、ザ・ファンクス対スタン・ハンセン、テリー・ゴディ組だった。
最後はテリーがゴディをトップロープからの回転エビ固めに捕らえ、ザ・ファンクスが勝利した。公式記録では試合時間12分35秒、テリーがゴディをフォールしている。
強く印象に残っている名勝負である。
しかし私は、試合を見ながら別のことも考えていた。
ドリーは大丈夫なのか。
昨日、ハンセンのラリアットをまともに食らって、運ばれていったではないか。
ところがドリーは、何事もなかったかのように試合をしていた。
痛そうな様子も見せない。
前日のダメージなど微塵も感じさせない。
いつものように飄々と、弟の引退試合で自分の役目を果たしていた。
その姿を見たとき、私は初めてドリーの凄さを感じた。
ドリーの強さとは何だったのか
ドリーが感情を表に出さなかったのは、感情がなかったからではない。
ダメージを感じさせなかったのは、ダメージがなかったからではない。
痛みも疲労も、自分の内側に抱え込んだままリングに立つ。
弟にとって大切な試合で、自分の苦しさなど一切見せない。
そして、いつもどおりに戦う。
ドリーの強さとは、一発で相手を倒す強さではなかったのだろう。
壊されそうになっても壊れないこと。
どれほど攻撃を受けても試合をつなぐこと。
倒されても、次の日には何事もなかったようにリングへ戻ること。
そして、最後まで自分の役割を果たすこと。
子どもの頃、私はドリーのどこが強いのか分からなかった。
でも、負けない。
その「負けない」という言葉の意味が、今なら少し分かる気がする。
表舞台から姿を消しても
テリーの引退後、ドリーはジャイアント馬場とタッグを組み、世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場した。
1983年のリーグ戦では、馬場、ドリー組は上位に入っている。
派手に目立つわけではない。
それでも、気づけば上位争いに残っている。
簡単には崩れない。
そこでも、ドリーは私の知っているドリーのままだった。
しかし時代が移り、新しいスターが次々と登場するにつれ、ドリーの姿を日本の表舞台で見る機会は少なくなっていった。
それでも、ときどきニュースの中にドリーの名前を見つけた。
ドリー・ファンク・ジュニアが日本に来た。
高齢になってもリングに上がった。
今も現役を続けている。
そんな知らせを目にするたびに、
「ドリーは、まだリングに立っているのか」
と驚き、同時に、なぜか安心した。
80歳を超えてからも日本で試合を行い、最後まで「生涯現役」を思わせる姿を見せ続けた。
何歳になっても、何事もなかったかのようにリングへ上がる。
その姿は、新潟市体育館でハンセンのラリアットに倒れた翌日、何事もなかったように蔵前国技館へ現れた、あの日のドリーと重なる。
やはり、ドリーは最後までドリーだった。
私をプロレスの世界へ連れてきてくれて、ありがとう
私をプロレスの世界へ引っ張り込んだ張本人、ザ・ファンクス。
血まみれになりながら、感情を爆発させて立ち上がったテリー・ファンク。
その隣で、静かに耐え、弟を支え、決して崩れなかったドリー・ファンク・ジュニア。
炎のようなテリーのそばには、いつもドリーがいた。
テリーが思い切り燃えることができたのは、ドリーがリングを守っていたからなのかもしれない。
テリーは数年前に亡くなった。
そして、ドリーも亡くなった。
私をプロレスの世界へ連れてきてくれた兄弟が、とうとう二人ともいなくなってしまった。
寂しい。
本当に寂しい。
けれど、昭和52年12月15日の蔵前国技館から始まった、私のプロレスへの熱は今も消えていない。
新潟市体育館で、ハンセンやブロディと一緒になって吠えたこと。
喉を枯らしたこと。
ラリアットを受けたドリーを心配しながら、日記を閉じたこと。
そして翌日、何事もなかったようにリングに立つドリーを見て、その強さを知ったこと。
あの興奮も、あの感動も、私の中に残り続けている。
ザ・ファンクスがいたから、私はプロレスを好きになった。
ドリー・ファンク・ジュニア。
テリー・ファンク。
私をプロレスの世界に連れてきてくれて、本当にありがとう。
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