走る民ララムリに会いにメキシコへ旅して
時空を越えながら長距離移動したからか、
羽田空港に帰ってくると、
「本当に行ったんだっけ?」と、夢のような感覚もあった。
数日後、服に残った犬や猫の毛を見て、
「ああ行って来たんだな」としみじみ感じた。
ララムリの衣装やアクセサリーも買ったけど、
やっぱり生き物の細胞が一番ピンと来る。
そしてまだ身体からはメキシコ時間が抜け切らない。
今朝からようやく少し、日本時間の感覚を取り戻しつつある。
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2025年7月の満月、
今回のメキシコ旅行への参加を決めた。
その日は、
はだし&マンサンダルで、
ほぼ誰も居ない道を雨の中42km歩いた、
小さな冒険の1ヶ月後。
もっと大きな冒険をしたくなっていた。
その時、ララムリが何者なのか知らなかった。
『BORN TO RUN』を読んだこともなければ、
ワラーチに思い入れも無かった。
主催者マンさんに会ったことも無かった。
でも周波数だけを感じ取ったのか、
「行かなければならない」と強く感じた。
2025年6月18日、
マンサンダルを知って18日目。
気になっていたマンさんに、
初めてメッセージを送ってみた。
「話しかけたりして、いいんだろうか…」
そう思いながら、恐る恐る(笑)
写真から伝わってくる圧が強いし、
登山の動画をチラッと見たら、
どうもペースが速いような…
まさかとは思うけど、
ずっと走って登り下りしたりするの!?
私も参加してみたいけど、
私なんかが行って大丈夫なのかしら…
そう思ったので、
最近行った縄文杉トレッキングにかかった時間、
自分の体力について説明してみて、
申し込んでも大丈夫か相談をしてみた。
「直感エントリーで大丈夫ですよ!」とお返事いただき、
「そっか!」となり、
三禅定(三大霊山へのはだし登山)へ申し込んだ。
富士山の前に2回もウォーミングアップがあれば、
富士山にも登れるかもしれないと思ったから。
マンさんと一緒に山に行ってみたかったのは、
なんだか濃厚な文章の数々、
例えばこんな詩に影響されてだった。
【お山と一つになる】
はだしの足裏が
山肌に触れた刹那に
エネルギーが行き交う
自分の中の不元気がお山に消えて
お山の生命力が足裏から全身にみなぎる
お山を足踏みマッサージするように
お山のカタチを変えてしまわないように
一歩一歩やさしくていねいに
足を差し出しているうちに
お山がわたしを受け入れ認めてくれる
そんな瞬間が訪れる
それが自己肯定感を支え
自尊感情をも支え
そしていつしか
いにしえの私たちの祖先へ思いは駆け巡る

メキシコへのエントリーは、
そうして勇気を出して三禅定にエントリーした、
そのまた約10日後。それが7月の満月。
ちょっと緊張しながらZoom説明会に出席したら、
なんだか大体の人が、
「インストラクターです。『BORN TO RUN』を読んで行きたいと思って…」
みたいな自己紹介をしていた。
(あれ…もしや場違いか?笑)
ていうかまぁ、全員知らない人なのでアウェイ感満載。
はだしとの出会いや約1ヶ月のはだし歴を説明し、
「よくわからないけど、行かなければならない感じがするんです!!」
と緊張の裏返しからかテンション高めの自己紹介をし、
みんなはややポカーンとしており、マンさんはニヤニヤしていた。
現地集合・現地解散を希望している人がおり、
「じゃあチワワIN・チワワOUTで」と言われた。
みんな普通に頷いていたが、
「どこそれ!?…犬?海外で現地集合って何?私、大丈夫か…?」
と内心焦りつつ。笑
この人達は何なんだろうと思いつつ、
何故か参加を決めた。
そして私も、行きは現地集合することにした。
頼れるガイドにチケット手配を委ねる選択肢もあったが、
少しでも冒険ぽいことをして、旅の経験値にしたい。

このとき、なんとなく考えていたアフリカへの一人旅を諦めた。
その代わりに、マンサンダルのイベントに一通り参加しようと決めた。
何か雄大なエネルギーに触れる冒険に行って成長したかった。
でも、どこか遠くに行くよりも、
今私に必要な学びはここにあるような気がした。
実際、そうだった。
最初は好奇心と向上心。
途中からは、
「自分がこれから仕事にするのが何なのかを知りたい」
という気持ちも加わっていった。
主要なイベントに全て参加したけれど、
そのすべてが、
はだしを深めることに繋がった。
はだしは、想像以上に奥の深い世界だった。
それを理解するには、体験するしかない。
体験的な理解だけが、
その人にとっての血肉になる。

今回、海外旅行は人生で2回目。
当時2019年の旅をキッカケに、
全ての国に行きたいと思った。
なので帰国後は言語学習にハマり、
言語交換アプリで色々な国の人と話した。
多少の英語さえできれば、
翻訳アプリを参考にしながら、
ほとんどの国の人と話ができる。
世界でニュースがあれば、
すぐにその国の人に直接感想を聞いた。
日本とは違う視点が面白かった。
でもたくさんの人と話せば話すほど、
表面的な文化が違っても、
人は本質的には同じ存在なんだと感じた。
「なんだ、じゃあ、わざわざ遠くに旅しなくてもいいや」
そう思うようになり、旅への欲求は消えていった。
それが何故こんなにも、
今回のメキシコ旅に行きたかったのか?
旅は楽しかったけど、
旅の中で明確に「これだ」と確信する瞬間は無かった。
ややそれっぽい瞬間はいくつもあったけど。
例えば、息を呑むような絶景とか。
例えば、メキシコに来てから、
長いこと曇っていた第1頚椎と第2頚椎周辺の感覚が再浮上したとか。
何をどうしても、そこにあり続けた何かが無くなった感覚。
気付かないうちに何かを清算したんだろうか。
でも帰りの飛行機で、
少しずつ整理されていった。
そして帰国して日本の土を踏んだ時に、
唐突にわかったことがあった。
行く前は不安の方が大きかったけど、行って本当によかった。
6年前には見えなかったものが見えた。
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🇲🇽4月7日🇲🇽

羽田空港、初めての国際線。
移動時間は合計33時間28分。
そのうち19時間31分はダラス空港で待機。
乗り継ぎの時間が長い代わりに航空券が安い。
飛行機の座席に座るまでは、
どうしても出発できる実感が持てず、
ワクワクするという感覚が無かった。
というより、
楽しみにして楽しみにして、
何か思いもよらない不備で羽田で帰ることになったら、
どれだけガッカリするだろうと思うと、
心に予防線を張りたかったのかも。
期待した状態でガッカリするより、
無の状態でガッカリする方がダメージが少ないから。
物事が期待通りに行かない経験を積み重ねすぎたんだろうか。笑
「もうすぐ出発だね、行ってらっしゃい」と言われても、
「行ってきます」と中々言えなかった。
でも行くと決めないと行けないような気もしてきて、
不安を振り払い、直前には「行ってきます」と答えることにした。
アメリカン航空からは何度も出発時間変更のメールが来て、
数日間承認しなかった時は電話も来た。
人間と対応して初めて、
「あ、本当にチケット買えてるんだな」と思った。
それでも何故か、
「本当に買えてるの?」という不安がまだあり。
搭乗手続きに足りない情報を準備し忘れていないかの不安。
でも、出国するんだというのも、それはそれで不安。
いろんな不安が重なって怖かった。
搭乗して、ようやく「あ、行くんだ」と実感した。
乗客の多さにビックリ。
こんなに乗って飛んで大丈夫か、鉄の塊よ…。
高所恐怖症なので、
11時間50分も空の上に居るのかと思うとそれも不安。
列が中々進まないと思ったら、
あるところで上の荷物棚の扉が閉まらず渋滞中だった。
「あれが邪魔なんだ、違った、奥のあれもだ」とか、
CAが遠くから指示して何度もやり直していた。
そしてようやく閉まったら、何人かが指笛と拍手で盛り上げる。
なんだこのパリピ達は。ちょっと国内には無いテンションだ。笑
日本人はほぼいなかった。
アジア人ぽい顔は数人居たけど、日本人かは謎。
ダラスに着くまでは日本語でいいと思っていたけど、
早くも容赦無い英語シャワー。
忘れすぎてて意味不明だけど、なんとか乗り切る。
初機内食に嬉しくてワクワクしたが、
3回目で慣れて飽きて嫌になった。笑

荷物は25L~35Lリュック一つに収めた。
嘉徳浜の4泊5日野宿の日々で、
人って意外と数日間着替えなくても全然大丈夫なんだと学んだ。
その数日間でよく晴れている日があれば、
洗って濡れた服を着ながら乾かして一着を無限に着ることもできる。
トイレットペーパーも荷物リストにあったけど、
無かったら拭かなきゃいい。
小はコツを掴んでいるし、大もノーパンなら拭かなくても大丈夫だろう。
手で拭いて水で洗うこともできるし、何とかなる。
その他、持ち物リストを自己判断でどんどん削った。
後で文句を言わなきゃいいのだ。
慣れない環境では、色々な負荷が体力を削りに来るはず。
荷物は軽い方がいい。

ダラス空港についた。
初めての入国審査、
ドキドキしたけど、予習はバッチリ。
想定外の質問は無く、英語で受け答えできた。
ここからの19時間待機がずっと不安だった。
でも、未知への不安はあるけれど、
さすがに19時間もあれば、
どんなにモタついても解決できる時間はあるだろう。
そう思っていたけど、
ちょっとでかくて日本語が無いだけで、
作りはむしろ羽田よりわかりやすいぐらいだった。

あっさり明日の出発ゲートに着いてしまい、
ホッとしてボーッとしたらウトウトして一眠り…😪
一応リュックを脚に絡めながらだったけど、
あまり同じところで長時間寝るのも何かの標的にされやすいかと、
小刻みに場所を変えながら、
程よく人目のあるところで睡眠を取る。
眠って副交感神経優位になったからか、
緊張が取れた。
夕飯は携帯食の予定だったけど、
気持ちが緩んできたので外食してみることに。

これからの旅にワクワクしながらメキシカン。
20ドルくらいならまぁいいかと思って選んだタコス。
ついサイドメニューにポテトをつけ、レモネードを頼む。
チップはほんの少しテーブルに置いてレジに行こうと思ったら、
席での対面会計だった。
差し出された端末にチップ選択画面があり、
選択肢は「18%、20%、25%、Other、No tip」
咄嗟のことで早くしなきゃいけない気になったのと、
笑顔の圧に負けて18%を押してしまった。
総額7000円ぐらいかかった気がする。
郷に入っては郷に従え…
テイクアウトや売店ならチップを払わないのも自然だけど、
テーブルについて配膳してもらったら、
No tipはかなり不満があったという意思表示になることもあるらしい。
店員の時給が低めに設定されていて、
チップ込みで生活する前提の文化らしい。
あの時は失敗したと思ったけど、一応払っておいてよかったかな。
お姉さんの明るく優しい接客は嬉しかったし、
円安なのはあの人のせいじゃないんだし。
23時頃、
一人の仲間と合流できることになった。
一人でベンチで寝る予定だったので心強い。
夜、飲食店が閉店すると、ぐっと人が減る。
まだまだ眠かったので、
また人目につきやすいベンチで眠る。
すると空港のスタッフらしき人が声をかけてくれた。
「明日の飛行機なの?」
「そんなところにいるのも何だから、ラウンジで寝るといいよ」
「そこなら寝てる人もたくさんいるから」
そんなことを言いながら、案内してくれた。
スパの仮眠室みたいなものをイメージしていたが、
連れて行かれたのは6畳間ぐらいのかなり暗めの部屋。
入口で「ありがとう、そうします」と言って別れ、
とりあえず様子見に入ろうとした。
そしたら突然男性に声をかけられた。
一見良い人そうだけど何故か何となく嫌だったので、
言葉がわからないフリをして見送ろうとした。
彼は「翻訳アプリがあるから大丈夫、ニイハオ?」と食い下がる。
渋々要件だけ聞くことにすると、
「アメリカン航空のインフォメーションを探しているの?」と。
違うと答えてラウンジに入ると、
「お、なんだ、いいところがある」と独り言のように呟き、同じタイミングでラウンジに入ってきた。
とは言ってもその後は私に興味がある素振りは無く、
奥の席で早速くつろいで、寝始めた。
ソファはふわふわ、確かに寝やすそう。
でも、航空チケットを持ってる人だけ利用できると書いてはあるが、
入口はノーチェック。
人数は4人?5人?
パッと見男性しか居ない。
日本の岩盤浴の暗室ぐらいの感覚なんだろうか。
空港スタッフが「寝るならここにいなよ」と言ったけど、
なんかこっちの方が危ないんじゃ…
なんて自意識過剰かしら…
でもなんかどうしても落ち着かない…
さっきの人は悪い人には見えないし、
こんな場所で何かが起こるとも思えないけど、
でもこれからもっとスタッフは少なくなるし、
奥のスペースは入口から見えない。
悪い人が悪い人に見えるとも限らない。
考えすぎだったとしても、
ここでは安心して意識を落とせないと思い、
せっかく連れてきてもらったけど、
ラウンジから離れてまた寝床を決め直すことに。
そして、あの時は深く考えず流してしまっていたけど、
よく考えたら、あの謎の質問はやっぱり違和感。
困った素振りは見せていなかったはずだった。
キョロキョロせずに前だけ見て早足で歩いてた。
実際困ってなかったし。
そして今思うと、
妙に明るくて印象が良かったのも、違和感に繋がってた。
もしも親切心で声をかけるなら「Are you OK?」ぐらいで、
そんなにニコニコしないのでは。
同じ人気が無い場所でも、
明るいところの方がまだマシ。
誰もいなくても、
誰かに見られているかもと思うだけで犯罪は減るはず。
搭乗ゲートのベンチはたまに警備と思われるスタッフが通り、
同じ旅行者の夜明かし男子が目視できる範囲におり、
壁を背にでき、
人が近付いたら速攻で目が覚めそう。
やっぱりここで良いや。
女性の服装とわかりにくくして、
強く見える(はずの)サングラスをかけると、
起きてるか寝てるかわかりにくくもあるはず。
更に起きてるか寝てるかわかりにくいよう、
腕組みしながらじっとしてみる。
そうしたら、通るスタッフに声をかけられなくなった。
ようやくホッとして、そこで一眠り。
・
・
・
人の気配。
何でだろう、時計も見てないのに、
姿を見る前に、きっと仲間が来たと思った。
よっちゃんと合流!
女子でも2人居ると一気に心強い。
しばらくお話して、また眠る。
やや深く眠れたらまた余分な緊張感が薄くなり、
どこか自宅に居るみたいな感覚にもなり、
怖くなくなった。

🇲🇽4月8日🇲🇽
朝。
第一関門、ダラスの夜が明けた。
チワワ行きの飛行機へ。
ちょっと英語に慣れてきたと思ったら、
機内は既にスペイン語多め。
新しい刺激。
入国審査にちょっと苦戦。
「アメリカーノ?」と訊かれて、日本人だと答えているのに、
何度も「VISAは?」と言われる。
一瞬、必要だったのかと思って焦った。
荷物は切り干し大根をめっちゃ怪しまれた。笑
チワワにて、りゅうさんと合流!
ホテルにチェックインし、近所を観光。

教会前で、
パルマ(ヤシの葉)で花や十字架を編んでいる男性が居た。
近くに行くと、編むところを見せてくれた。
ものすごい技術でビックリ。
花を差し出された。
「こ、これは…受け取ったら買わなきゃいけないやつ?」
とりあえず値段を聞いてみる。
「できる限りのことをしてください」と。
なるほど、宗教的な工芸品らしく、お値段もガツガツしてない。
これぐらいかなと思う小銭を渡して、お花を一輪いただくことにした。
こういう人がいるのは、
セマナサンタ(聖週間)という行事の時期だったからみたい。
それを持って教会で祝福を受けるとお守りになるらしい。
他の国でもヤシは使うけど、
編んで美しくするのはメキシコならではなんだとか。
ヤシ職人さんと記念写真が撮りたくなり、
調べたスペイン語を10回繰り返して覚えて、
ちょっとドキドキしながら
「¿Puedo tomar una foto contigo?
(一緒に写真撮っていいですか?)」
と話しかけてみた。
画面を見せた方が確実だろうけど、
ちょっと味気無いし、
喋れる余裕のある時はトライ。
返事はほぼ聞き取れなかったが、
「Sí(いいよ)」だけキャッチした。
「まぁ別に構わないけど」的なニュアンスだったと思う。
愛想が良いわけじゃないけど印象の良い人だった。
数少ない元々知っているスペイン語、
「Gracias(ありがとう)」を言ってお別れ。

楽しくなってきたところだったが、
何だかおどろおどろしい雰囲気の物乞いさんに遭遇。
悲壮感強めの笑顔が怖い…
そんなに強引じゃなくソフトな感じだったけど、
ちょっと怖くなったのをキッカケに、
「そういえば疲れたなぁ」ということが気になってきて、
ホテルに帰って一休みしようということに。
ホテルについてから洗って干した洗濯物が、
1時間も経たないうちに、完全に乾いていた。
喉が渇くはずだ。
短時間で深く眠り、
少しはスッキリして夕食へ。
一旦休息モードになったら疲れが出てきて、
もう食べなくてもいいかもと思ったけど、
行った店が大当たりで、何もかもおいしかった。
特にヘビのお酒のエネルギーで、
一気に疲れが吹き飛んだ。

タコスやチキンサラダの謎のソースのおいしさに感動した。
これが本場の味か。
メキシカンってこんなにおいしかったのか。
スペイン語のあまりのわからなさが、面白くなってきた。
英語だってわからないと思っていたけど、
言えなくても知ってる言葉は多かったんだなと実感する。
スペイン語は音に何のヒントも無い。
本当にわからないとは、こういうことか…笑
チワワは標高1500mくらい。
軽度の高山病なのか、ちょっとむくみが強く出ている。
早めの就寝。
🇲🇽4月9日🇲🇽

朝食で全員と合流!
この日はひたすら移動。
ウーバーでバス乗り場へ。
ドキドキしながら2回目のスペイン語トライ。
「¿Dónde está el baño?(トイレどこですか?)」
一瞬間があったが、通じた。
使い方の説明らしき言葉ほぼわからなかったが、
「あっちにある」ということはわかった。笑
行ってみると10ペソ投入してお釣りの1ペソで紙を買う形式だった。
多分この説明をしたんだろうな。
メキシコはトイレで小銭が必要らしい。
売店で予備の小銭を得るべく買い物し、
「¿Me puede dar el cambio en monedas?(お釣りを小銭でください)」と伝えて小銭を獲得。
小さなやりとりだけど、達成感。

クリールまでバスで5~6時間。
停留所ごとに物売りが乗り込んでくる。
カゴいっぱいの飲み物か食べ物を抱えて。
しばらく続くリンゴ畑を眺め、
リンゴを食べたくなってきた頃、
袋いっぱいのリンゴを抱えたおじさんが乗車してきた。
販売だと勘違いした仲間が、
「ひとつください」のジェスチャー。笑
おじさんは最初「なんだコイツ…」という目で見て、
無視して席に座った。
でも意味を察したら「食べる?」という感じでたくさんくれ、
私もおこぼれに預かった。
おじさんは、ついでにという感じで、
目が合った反対側の座席に座った2人にもリンゴをあげていた。
そこでビックリしたのは、
リンゴをもらった方々が、
あまりに自然な出来事のように受け取ったこと。
知り合いという感じでもなさそうだったのに、
言葉も少なく「どうも」って感じで。
ララムリのコリマという文化をふと思い出した。
あなたが分けることができるものは何でも、
即座になんの見返りも期待せずに分け与える義務がある。
そういう感覚らしい。
そんなコリマの意識は無いだろうけど、
食べ物をシェアする感覚はメキシコ人には割とあるらしい。
余ってるなら理由無くあげるのが自然だし、
だから、もらうことに遠慮も抵抗も無い文化。
そういうやりとりが、何だか気持ち良く感じた。
昨日の物乞いさんが当然のように手を出した時、
少しでもあげればよかったかな、とほんのり思った。
今の私は余裕があるわけではないけど、
おそらくあの人よりは豊かなんだし。
「一人あげるとキリなく寄ってくるのでは」というのは、
まだ起きていないことの想像だし、
起きたらまたその時考えればいいことだったかもしれない。
不安が先に来てしまうのは、
私自身の中には「見返り無く差し出す」という文化が無いからだ。
コリマには理想を感じるのに、実践は怖いのか。
このリンゴの場面のような、
美しいやり取りができたらよかったかな。

クリールに到着。
標高2300mらしく、少し涼しい。
空気はチワワよりは少し湿った感じがする。
周辺に植物が多いからか。
宿に着くと、ご主人が
「Buenas tardes, Mucho gusto!(こんにちは、はじめまして!)」と。
数少ない知ってるスペイン語が出てきて興奮!
「ホントにこういう感じでハッキリ発音するんだ~」
と思いつつ「Mucho gusto!」を返す。
ララムリの服を着た女性がチラホラ居るけど、
普通に靴を履いているので、
本物なのかララムリコスなのかわからない。
ふと、露店を開いているララムリ服の女性が。
座っているので足元は見えないけど、
商品にはララムリを模した雑貨もある。
これはさすがに本物…!?
ドキドキしならだララムリ語の挨拶「クイラ・バ」を言ってみる。
同じように挨拶を返してくれた。
すごく嬉しかった。
欲しいものは特に無かったけど、
初めて話したララムリの女性から記念に何か買いたくて、
ビーズで編んだネックレスを買った。

夜でも爆音で陽気な音楽を鳴らしている車ばかり。
なんて愉快な街なんだ。
メキシカンを食べに行き、帰ってきてテキーラで2次会した。
酔いながらマンサンダルの紐組み調整を練習し、酔いが醒めた。
🇲🇽4月10日🇲🇽

「はっ…今、メキシコにいるんだ!!」
朝起きて、急に実感が湧いてきた。
来たのは8日なのに、
どこか現実感が無く、
感覚に時差が。笑
トレッキングへ。
犬がついてくる。
犬が増えていく。
気付けば5匹の同行者。
犬達と歩いたり走ったりしながら、
時々舞い立つ砂埃を吸って、
メキシコの一部になった気がした。

日本じゃ不快なだけの砂埃が、
何故か妙に心地良かった。
でも多分これのせいか、
メキシコに来てからやたら鼻くそが多めに分泌される。
身体はビックリして、砂を防ごうとしているのかも。

洞窟のような岩の隙間で休む。
ララムリが住んでいたと思われる痕跡があった。
とても居心地が良く、住んでも良いと思った。

近くにはララムリの家(多分)があり、
タイヤが転がっていて、
ワラーチを作っている人がいるのかなと盛り上がる。

VALLE DE LOS HONGOS (きのこの谷)
という奇岩地帯についた。
すっかり犬達に仲間意識が芽生えていた。
街へ戻ろうとすると、
疲れた一匹が眠っていて、ついてこなかった。
「行くよー!」と声をかけたら、
ハッと目を覚まし、
慌てた様子で駆けてきて可愛かった。
帰り道、右足小指の関節が痛くなった。
そんなに大した距離ではないし、初めてそこが痛くなった。
太ったせいかちょっと股ズレし、
それを微妙にかばって歩くことで、
接地の質が変わってしまったのかもしれない。
一度止まって小指をほぐそうとしたら、
あまりに固まっていてビックリした。
やわらかくほぐしたら、また歩けるようになった。
やっぱり固いと衝撃を受け流せず、
痛みに繋がってしまうんだな。

街に帰ってきて、
ワラーチを売っている雑貨屋を初めて発見!
ララムリ服も気になりつつ、
普段着ることが無いんじゃないかと迷っていたら、
「これが似合う」と何人もに言われて、
ついつい調子に乗ってそれを購入。
私は紫か赤か黄緑かで迷っていたんだけど、
似合うと言われたのは、全く見向きもしていなかった白。
鮮やかな色がララムリ服っていうイメージがあったので。
でも着てみたら気に入った。
まぁ、大人しくて控えめで清純だからね~。
うんうん☺️

昨日とは違うお店でメキシカンディナー。
必ず最初に出てくるトルティーヤチップス。
ソースだけじゃなく、
チップスの味もなんだか毎回微妙に違うような気がしていたけど、
実際トウモロコシの種類は3000以上あるんだそうだ。
日本だと品種は統一されてることが多いが、
メキシコは原産地だから在来種が豊富みたい。
乾燥の仕方や焼き方でも味が変わる、結構奥が深いものらしい。
🇲🇽4月11日🇲🇽

突然ヨーガのバンダ(内臓を引き上げて整えるみたいなの)を思い出し、
やってみたら内臓の調子が良くなった。
来てから食欲が微妙でたくさん食べられないのは、
時差ボケもあり内臓が混乱しているからだと思う。
ウリケを目指してバスに乗り、
乗り換えの場所でトイレが無かった。
探し回っても中々見つからず、
暑くてバテてきて、
「バーニョ…バーニョ?」と言いながら彷徨う。
でもどのお店にも断られてどうしようかと思っていたら、
よっちゃんが「バーニョ?」と声かけてくれた民家のご婦人が、
すぐにNoと言わずに私の方を一瞥。
ものすごくトイレに行きたそうな顔で感情を訴えたら、
「こっちおいで」のジェスチャー。
本当にありがたかった。
何かお礼したいけど、何も持っていない。
ウーバーの運転手さんが「日本のコインをくれないか」と言って、
受け取ったらすごく喜んでいたので、
お礼になるかなと思ってあげようとした。
でもペソ通貨を出すと思ったのか、
出す前に「いいから、いいから」とガンとして受け取らない態度だった。
じゅんちゃんはお煎餅をあげていて、
それは受け取ってもらえた。
私もこういう時のちょっとした交流のための、
日本っぽいちょっとした何かを持ってくるんだったなぁ。
その後レストランを見つけ、
食べたい人は食べることに。
食べたくないけど、ビールは飲みたい。
普段そんなにビール党じゃないけど、
水よりも他の酒よりもビールが飲みたい。
暑くて乾いているメキシコの気候だと、
そんな気分になる。
ビールそのものも、
日本よりおいしいような気もする。
Tomoさんがスペイン語を話せるのもあるけど、
マンさんが喋っていたスペイン語の80%は、
「Cerveza(ビール)」と「Gracias(ありがとう)」だった気がする。笑
予約していたプライベート車に乗り、
ウリケの渓谷へ近付いていく。
なんか景色がものすごすぎて、みんな感動。

ウリケは夏だった。
人々の雰囲気も全然違う。
まるで別の国に来たよう。
個人的なイメージだと、
クリールはスイスの田舎をもっと生々しくした感じで、
ウリケはバリって感じ。
まぁ、スイス行ったこと無いけど。
でもクリールの昼と夜、
いや昼の中でさえも寒暖差がすごかった。
気温も風も刻一刻と変わる。
はだし以前は動物としては弱っていたので、
今までのマンサンダルのイベントで鍛えられていなかったら、
この気候だけでやられていたような気もする。
🇲🇽4月12日🇲🇽

『BORN TO RUN』に出てきた、
カバーヨブランコがララムリ達と走った50マイル走のコースを最初だけ、
夜明け前からみんなで走った。
ピノーレを飲んでそれっぽい気分で。
それぞれのペースと距離。
私は多分、5マイルほど。
この日は滝までのトレッキング。
気温は30℃越え~もしかしたら40℃近くだったらしい。
多めに持っていた飲み水を、
少しずつかぶる用に使いながら歩く。
暑さでバテ気味だったので、
滝の目の前の大きな池で服のままダイブ。
気持ち良かったけど、何故か誰もやらなかった。
もう15分歩いて滝に到着。
みんな水着になって泳ぐ。
水が冷たくて気持ちいい。
脱いで置いておいた服は、
30分もしないうちにカラカラ。

帰り道、
ヤギの群れに出会った。
ヤギってそんなにハッキリ、
「めー!!」って鳴くんだって初めて知った。
ヤギ飼いのララムリも一緒にいたが、
あんまり交流はしたくないようだった。
はだしで歩くけど、
路面が暑すぎて途中で断念。
でもすごいエネルギーもらった気がする。
ふと、下りの一歩の感覚が変わった。
今までより、踵をつけ切らず、
ちょっとつま先で地面を転がす感じにしたら、
安定感が増して滑りにくそうな感じに。
後ろ重心すぎるとはよく言われていたけど、
ちょっと前に行って安定したのかも。
こんなちょっとの時間でも、ふと新しい発見があり、
歩き方がアップデートされるものなんだな。

近くのララムリの小さい集落へ。
バナナ売りのおじさんの家に居たおばあちゃんが、
テスグイノ(とうもろこしを発酵させた酒)をくれた。
売っているなら買いたいくらいおいしかったけど、
家庭で作るもので、商品としては出回ってないらしい。
売店で、普通の冷蔵庫を開けたら商品が詰まっていた。
チリソースとパウダーかけたマンゴーシャーベットおいしかった。
なんと5ペソ。50円ぐらい。日本なら500円はしそう。
マンゴーは高級イメージがあったけど、
輸送コストがかかってたからか。
水道水が飲めないから、水は30ペソと相場が高め。
価格は希少性で決まるんだな。

ウリケに戻り、街を歩いていてふと、
ここでも何かがアップデートされた。
四次元ナンバはエネルギーが中心に凝縮されるので、
一見するとそんなに大袈裟な動きではなく、
普通に歩いているようにも見える。
だから実際の歩行を観察して真似しようと思っても、
初心者にはわかりにくい。
いつかのNextでマンさんが胴体の動きを止めて手足だけを振って歩いた時、
まるでお人形さんみたいで違和感がすごかった。
かといってその時は、普通に戻した時に胴体の動きはそんなによくわからなかった。
それが何故だか急に、
自然な歩行の中で肩甲骨がめちゃくちゃ動いてるのが、
筋肉の蠢きや繋がりが、
今までよりよく見えるようになった。
嬉しくて報告してみたけど、
ものすごく僅かにニヤッとされただけだった。笑
🇲🇽4月13日🇲🇽

ウリケを発ちクリールへのバス。
思い切って、最前列のメキシコ人女性の隣に座ってみた。
運転手さんと知った仲のようで話が弾んでいる。
地元の人みたい。
話してみたい…
けどスペイン語の雑談力なんて無いしなぁ…
と迷っていたら、
向こうも気になっていたみたいで、
「スペイン語はできないの?(多分)」と言われて、
できませんと答えた。
これだけで終わっては、
コミュニケーションの意思無しと思われる…
そこでふと、
唯一知っているスペイン語の曲ラ・バンバの歌詞に、
「Soy capitán(俺はキャプテン)」ってあったなと思い出し、
旅行中に仲間が使っていた「ハポネス」は文脈的に日本人のことだろうと思い出し、
合わせて「Soy japonés」と言ってみた。
(帰宅して調べると正確には女性はjaponesa(ハポネサ)らしい)
「なるほどね」という顔をして、
なんかずっと喋ってるけど全くわからない。
そのうちに、一つの質問を何度も繰り返される。
「×××××ウリケ?」
なんで地元の人(多分)が、
ウリケの質問をしてくるんだろう。
悩んでいると、
後ろの男女2人組の女性の方が、
「彼は英語ができるよ!」と助け舟を出してくれた。
英語全然できないと思っていたが、
99%わからない言語から20%でも知ってる言語に切り替わると、
急に安心して「やった!英語使える!」ってなる現象ウケる。
私の貧しい語学力でも、そんなんなるんだな。
隣の女性はやっぱりウリケの住人で、
あだ名はローラ。
私も名乗ったが、一瞬変な間ができた。
なんだ、この沈黙は。
と思ったけど、よく考えたら、そうか。
「あき」の音はスペイン語では「Aquí(ここ)」という意味。
「私は“ここ”…?」
「???」
「あ、もしかして、それが名前なの?」
みたいな混乱が起きてたんだ。
My name is がMe llamo(メ ジャモ)だと覚えてなかったけど、
私の場合は大事みたい。笑
質問の意味は「ウリケは気に入ったかしら?」だった。
咄嗟に英語もスペイン語も出てこなかったけど、
ものすごく気に入ったことを伝えたくて、
笑顔で激しく頷きまくった。
伝わったようで、
「次はうちに泊まって行って」と言ってくれた。
後ろの彼は、
彼女と一緒にチワワ大学で歯科医を目指して勉強中だそうだ。
彼女のおばあさんがウリケに住んでいて会いに来て、
チワワに戻る途中らしい。
一つ気になっていたこと、
イスキアテはどこに行ったら飲めるのか訊きたくて通訳してもらった。
チワワの2人はイスキアテの存在も知らなかった。
メキシコ人なら知っているというわけではないらしい。
彼がローラに質問を伝えると、
それは家庭の飲み物だから店には出回ってないんだと教えてくれた。
旅先のちょっとした会話がとても嬉しかった。
言語が堪能な人が居たら、
ついつい全てを任せてしまうけど、
全員遠く離れた席に座っていたから。
大して深い内容ではないし、
簡単なことを理解するのに時間もかかったけど、
翻訳アプリ無しでこれだけの情報を得られたのが、
自分には充分な達成感だった。
これが旅のハイライトかも。
日本の持ち物をプレゼントできるとしたら、
これが最後の機会だという気がして、
「私はこの会話ができて嬉しかったので記念に日本のコインをあげる!」
と3人に1枚ずつあげた。
ちょっと大袈裟だったかもしれないが、受け取ってくれた。
羽田から飛び立つのも怖がっていたけど、
なんだか急に一人でも海外を旅できるような気がしてきた。
困っても、なんとかなるんじゃないかなって。
バスを乗り換える時、ローラが、
まるでホームステイで迎えた旅人を送るような温かく寂しそうな表情で、
「Aki, Mucho gusto…」と言った。
一瞬「???」となったけど、そうか。
「Mucho gusto」は「はじめまして」だと思い込んでいたけど、
別れの挨拶でも使うらしい。
名残惜しくなって、
食べかけだけど練り梅のパックをあげた。
一応味見してもらって、おいしいと言うので。
電話番号を教えてくれた。
…が、しかし、どうしようかな。笑
バスを乗り換えて、
ワクワクしながら笑顔で隣のおじさんに話しかけてみた。
…無視された( ´△`)ガーン
そうよね…
色んなメキシコ人がいる…
気分もあるだろうし。
でも、お喋りするならやっぱ女性だな…
お腹が空いてナッツを食べていたら、
隣の男の子が食べようと手を伸ばしてきた。
お母さんが「こらこら」って感じで止めたけど、
量が多くて味にも飽きていたので、
「食べる?」と差し出してみた。
リンゴをくれたおじさんを思い出しながら。
お母さんをチラ見すると抵抗は無さそうなので、
袋を男の子に近付ける。
思ったのと違う味だったのか、微妙な表情をしていた。
お母さんとお父さんにもすすめると、
2人は好きみたいでたくさん食べてくれた。

クリールに帰ってきた。
ただいまって感じ。
ララムリの女の子に話しかけられる。
「今夜食べるものが無いので1ペソいただけませんか」
少しお金をあげることにした。
それを見ていたのか、もう数人対応することになった。
レストランに行くと、
この前も居た行商人の少女が入ってくる。
飲食店に入って行って、
この前も話しかけた(のを憶えているかわからないが)外国人に営業するなんて、
相当勇気が要るんじゃないかな。
夜になっても頑張っている小さな行商人に敬意を表したく、
買う予定の無かったお土産を増やした。
ところでラ・バンバはもう流行ってないのかな?
唯一知ってるスペイン語の歌で、大好きなのに…
と思ってレストランでラ・バンバ歌ったら、
店員さんがBGMをラ・バンバに変えてくれた。
う、嬉しい…🤣
🇲🇽4月14日🇲🇽

クリールからチワワ行きのバスに乗る時、寂しくて涙出た。
こんなに家から離れた場所に居るのに、
旅先でこんなにも心身落ち着いてるのって初かも。
内臓も落ち着いて便通も良くなってきたし、
トウモロコシや辛さも心地良い。
帰りたくないなぁ…。
バスで度々物売りが乗ってくるのには慣れてきていたけど、
今度はなんと突然ライブが始まった。
ラッパーのお兄ちゃん2人組。
ダメ元で「ラ・バンバ歌える?」って訊いたら、
「それかよ笑」みたいなリアクションだった。
「お前歌える?」「いや~…」って相談しつつ迷っていたけど、
結局歌ってくれた。
スペイン語ネイティブとのラ・バンバ、夢に見た瞬間~~~♪
楽しかったので、気持ち良くチップを払った。笑
向かいの席にいたララムリは、
こちらを静かに珍しげに眺めていた。

チワワに到着。
8日に初めて来た時は、
メキシコについた瞬間だったから感動した。
でもクリールやウリケから帰ってくると、
「神聖な存在がほとんど感じられなくて寂しい」
「なんだか色々な臭い匂いがする都会だなぁ」
と、かなり印象が変わる。
でも8日は昼の早い時間に歩きまわらなかったので、
あの時は会えなかったララムリにたくさん会えた。
チワワのララムリはややフレンドリーな傾向。
さすが都会に(出稼ぎに?)来ているだけある。
少年が近距離でしばらく後ろをついてきた。
同じ距離感で歩いてても気にならない人もいるけど、
こちらに興味があるわけでもないのに、
不自然に近いような違和感を感じた。
スリかもしれないと思い、
見えないところに居られるのは嫌だなと思って、
立ち止まって少年の後ろに回ろうとした。
そしたら少年も同じタイミングで立ち止まり、
じっとこっちを見た。
これは本当にそうかも。
警戒度を上げる。
店の人に邪魔だと追い払われても、
まだついてきた。
何か行動に及んだらすぐ反応できるよう心身の準備をする。
自分の持ち物の中で何が威嚇になるか考えて、
水ぶっかけるかペパーミントの原液を目に噴射するなどを思いつく。
例え相手が悪くてもできる限り避けたいけど、
もしも必要ならアッパーか金的か…などと考えつつ。
ついてくるならずっと警戒してるよという意志を込めて直視し続け、
しばらく歩いていたら諦めたのか居なくなった。
ちょっと怖かったけど、
やりたくてやってるんじゃなくて追い込まれているだけだと思うと、
あの無機質な表情がなんだか忘れられず、
帰りの飛行機の中で彼のことを何度も思い出した。
ついでに今回の旅で出会った、
苦しそうだった方々みんなのためにお祈りすることにした。

メキシコ最後の夜。
メキシコ初日の夜に来た、Nómadaというレストランへ再訪。
個人的には、ここの食事が今回の旅の中で一番おいしかった。
「既にこんなに疲れていて旅なんてできるのか?」という状態から、
枯れていた元気を復活させてくれた場所だからという、
思い入れもあるのかも。笑
🇲🇽4月15日🇲🇽

帰りたくないとは思いつつ、
祖国を離れている不安は僅かにあるから、
深夜に頼んだウーバーが来てくれてホッとした。
帰りの飛行機は早朝なのだ。
チワワを発ち、
ホッとした気持ちと寂しい気持ちとが入り混じる。
ダラスで飛行機を降りた時に会ったメキシコ人が、
外国人が居ることにテンション上がった感じで、
「メキシコのどこに行ったの?」と話しかけてくれた。
地名だけ答えると、
「それで、どうだった?メキシコは気に入った?」
多分そう言った。
そのフレーズは憶えていなかったけど、
ローラが言ってたから聞き覚えがあった。
なので即答でイエスと強く答えると心底満足そうに頷き、
「それはよかったよ」的なことを(多分)言いながら去っていった。

ダラスでハンバーガーを食べる。
ペソの感覚でつい50ドルをチップに渡してしまった。
まぁ外貨が一度ゼロになるのは、
リセットされるようでスッキリしていいか。
ほんの少しだけペソの小銭が残った。

ダラス空港。
行きはあんなに緊張していたのに、
なんか国内ショッピングモールに来たぐらいの感覚で歩いている。
すごい感覚の変化だな。
飛行機を待っていたら、
「それってララムリの衣装じゃーん!」という感じで、
チワワで医者をやってた人が話しかけてくれた。
これから京都に行くらしい。
名前を名乗ったが憶えてもらえず、
「なんだっけ?ジジだっけ?」って言われてウケた。
アキとジジって似てるか?笑
帰りの飛行機の機内英語は聞き取れるようになっていた。
特に勉強はしていないけど、
CAはほぼそういう内容の会話しかしないとわかっている前提で聞くと、
びっくりするぐらい行きよりクリアに入ってきた。
語学ってほんと慣れなんだな~。
でもアジア人顔のCAが水をウォーターって発音したから日本人なのかと思いきや、
テキーラのオン・ザ・ロックが通じなかった。
With iceの方が伝わりやすいらしい。
2回目のオーダーではウイスキーを頼んだけどグリーンティーが出てきた。
彼の耳が悪いのか、私の発音がひどいのか、
日本人はグリーンティーよく飲むというイメージか。笑
でも確かに子音が弱かったら似てるか…?
CAは「What a difference!」と言いながらウケていた。
🇲🇽4月16日🇲🇽

帰りの飛行機は、風の関係で、行きより長い13時間半。
長すぎて、メキシコの実感がだんだん薄れていく。
あれは夢だったのかしら、とさえ思えてくる。
ようやく到着するという頃、
私以外はほとんど外国人の乗客達が、
ものすごくワクワクした表情で日本を眺めている。
小さく歓声を上げたり、
撮影している人もたくさんいる。
あまりに目がキラキラしているので、
きっと初めて来たんだなと思った。
初めて空から見下ろしたメキシコの大地を思い出す。
私は旅の終わりにいるけれど、
この人達にとっては、ここからが始まりなんだ。
そう思ったら、不思議とその空気につられて、
自分の中にも「新しい始まり」のような新鮮な気持ちが生まれていた。

でも、
その感じで別の便に乗っていた仲間と合流したら、
またメキシコにいるような気分になった。
なんとも言えない不思議な感覚だった。
でも久々の日本食にしみじみ感動。
私って日本食こんなに好きだったのか。
知らなかった。
名残惜しいモードは、もう終わっていた。
早く、早く、次のことがしたい。
家に帰って、疲れていたけどお風呂にだけは入りたくて入る。
そして、その日はそのままパタリ。
半覚醒状態でウトウトしながら、
頭の中をたくさんのスペイン語が駆け巡る。
翌朝3時にスッキリ目が覚め、
朝はだしに行き、
地に足をつけ、
ようやく帰ってきた実感が少し湧く。

今回の旅では、
『BORN TO RUN』に出てきたような、
走るララムリには会えなかった。
「探したけど会えなかった」と話すと、
ローラは「そりゃあそうだろうねぇ…」という表情だった。
昔、日本に忍者が居ることを期待して、
「どこにいる?」と聞かれたことがある。
そういう感じなんだろうか。
バスに乗ってきたララムリが、
割と短い時間乗ってすぐ降りた時、
ちょっと残念な気持ちになった。
勝手な感情だけど。
本の中のララムリは「滅多に会えない存在」のように描かれていたから、
ララムリという民族にたくさん会え、
ララムリ語で会話できたのは感慨深かった。
でも野生的なパワーを感じたララムリは数人、
それも想像していたような気配ではなかった。
ララムリが悪いわけじゃない。
私だって必要に迫られたら走るだろうし、
走ることを好きになったかも。
でも目の前に便利な道具があれば、普通は使うよね。
でも、まだ走るララムリが、
居ないとは言い切れない。
今回は会えなかっただけ、かもしれない。
本の中にだって、書いてあった。
有名な冒険家が旅をしても集落を素通りしてしまうくらい、
ララムリは隠れるのが上手だったって。
今回行けなかったような山奥の、一見何も無いようなところに、
そういうララムリも暮らしているんじゃないのかな。
レースに出れば会えるのかな。

中1の頃、
文明とは麻薬だという主旨の詩を書いたことを、
突然思い出した。
文明という単語は使っていなかったかも。
便利さとは、とかだったかな。
当時はそれを悲観していたけど、
今はそうでもない。
何も無いところから、
文明が育っていくのは必然。
それは悪いことばかりじゃない。
変化は楽しい。
でも人々の流れがそちらに偏れば、
失われるものがある。
前の方が良かった面もあるよと、
そちらに変化したがる存在が登場する。
文明が育った時のように、
長い時間をかけて、
また変化していく。
振り子が行ったり来たりするように、
何も一定じゃない。
完璧っていうものは無いのだから、
よりよい何かを求めて変化したがるのは自然。
変わらないものは無いということ、
それだけが宇宙の真実だと、
そんな詩も中1で書いていたっけ。

人は差異によってしか感じられない。
初めからパラダイスで、
ずっと平穏なパラダイスだったら、
それはもはやパラダイスではなく、
きっと退屈。
生きている実感を見出せない人も多いはず。
少なくとも3次元的には。
5次元以上の世界には、無限の上昇がある。
らしいですよ。
その筋の師匠によると。
解脱してそこに行けるまでは、
変化の躍動感に身を委ねよう。

私が前回の2019年で旅に出たのも、
今回と似たような動機だった。
砂漠の中、
直感で水脈を見つけるアボリジニ、
歌で病を治すナンガリ(アボリジニのヒーラー)に会いたかった。
でも、会えなかった。
アボリジニに会うツアーに申し込んだのだけど、
砂漠が50度を超えて疲れるからと、
アボリジニにキャンセルされてしまった。
私が会えたのは、
シドニーの駅前で、
ディジュリドゥのパフォーマンスをして稼ぐアボリジニ。
その時はガッカリしたけど、
今回はそうでもない。
一緒に行った仲間達のおかげで、
旅は旅として、
ものすごーーーーーーーく楽しかったから!

でも。
かつてのアボリジニやララムリに会いたいのは、
そういえば、何故なのか?
ただ衝動だったから、
理由を考えたことが無かった。
改めて考えた。
「すごーい!」と感動して、それで?
それで終わり?
いや、自分もなりたいからだ!!!
類は友を呼ぶ。
私が本当に走る人になった時、
もっと野生を取り戻した時、
そういう人とも出会えるようになるんじゃないかな。
自分が手に入れたいと思うものをたくさん持っている人に、
最近よく出会う。
そんな人が人生のページに登場しただけでも、
良い兆し。
今までの人生を振り返ると、
「そりゃあ、あの感じじゃ周波数が遠すぎて会えないに決まってるよね」
と思うもの。

今回の旅に出かけることを、
母は「世界では今色々あるようだから気を付けて」と心配してくれた。
でも、私はその事情を知らないので、
そこに関しては特に何も思っていなかった。
昔はニュースを気にしていた。
一瞬だけど、
政治家になろうと思っていた時期とかは特に。
そして当時の仕事仲間が、
それを当然の嗜みだと考えていたから。
異業種交流会で、
出会う経営者達に舐められないためでもあった。
政治経済の流れを把握していないと、
一人前だと見てもらえなかったから。
でもある時から、ニュースを積極的に見なくなった。
ニュースをキッカケにポジティブな感情や行動に結びついたことは、
そうそう無い。
むしろ大体ネガティブな波動で邪魔をされる。
だから知らなくていいと思った。
本当に今知るべきことは、
このメキシコのイベント情報のように、
公開後数分で自分のところへ届く。
宇宙はそういう風にできている。
総理大臣が変わったことにしばらく気付かないことの弊害はせいぜい、
「そんなことも知らないのか」
「ニュースに関心が無いなんて意識が低い」
と時々バカにされるくらいだ。
そんな狭い尺度で何かをジャッジする人達の評価は、
どうだっていい。
誰でも知っている情報をみんなと同じタイミングで知り、
それに対して何か行動をしたのだろうか。
表面的な情報を知ることは、そんなに重要ではない。
起きていることの本質は、目の前にある現実を通して、
感じることができるから。
嘉徳浜の体験から、より強く思う。
最近は、結局何を知っても、はだしに辿り着く。
私は、私のことをするのが一番。
心の底から魂がイエスという選択だけをするのが一番。
自分の命という時間を、誰でもない自分が納得できるよう使うのが一番。
それが巡り巡って、きっと、どんな問題の答えにもなるよ。
そういうことをする力を、一つの野生と呼ぶ。
旅は終わったけれど、
人間の可能性を追求する旅は、
あと何十年かできる。
おとぎ話のヒーロー達を追いかけて、
人生という旅を楽しもう。
そんなフレッシュな気持ち。
走ろう!!!

