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【新人の私がワークショップの価格を倍額にした理由】

この価格で活動することを、
去年の12月に決めた。

これはとても勇気が必要な行為で、
頭だけで考えていたら、
とてもできないことだった。
 
それでも、
ここから目を背けて逃げたら、
私の中で何かが死んでしまう。
 
魂が望む人生から逸れてしまう。
そんな気がした。
 
だから直感を信じて、
肚を括った。


なぜ勇気が必要だったか。
現在ほぼ全ての先輩インストラクターが、
11000円で活動している。

新人が最初から約倍額って、なんなんだ?
頭ではそう思う自分もいるんだから、
他人にはどう思われるだろうとか。

そもそも販売ページに一覧で並んで、
普通に考えると、安い方が良いに決まってる。
やっていけないんじゃないかと思った。

でも私は、
初めてマンサンダルのワークショップを受けた時から、
ずっと違和感があった。

これは本来の価値より、ずっと安い。

それはインストラクターが、
相応の対価を得て然るべきという意味ではない。
 
インストラクターの価値の話じゃない。
ワークショップそのものの価値の話だ。


価格とは、
内容のエネルギーを表現する記号。
 
だけど、
何かを売ろうとし始める時、
「とにかく低価格にすることが相手のためには良い」
と錯覚してしまう場合がある。
 
自分も駆け出しの商人だった頃はそう思っていた。
とにかく何か少しでも、
世界にとって有意義なことがしたくて。
 
ほんの少しでも世の為人の為になるなら、
自分が捨て石になって構わない。
 
その想いが本物だということに自信があるから、
無給でさえ構わないと。
それが気概だと曲解していた。
 
実際に昔小さなパン屋を8年間共同経営していた時代、
ほぼ不眠不休で働いているのにも関わらず、
店としては成長してゆくのに、
何故か不思議と自分自身の利益を黒字化することが難しく、
マイナスだった時期も長かった。
 
でも生き方に納得していたので、
どこか充実していた。
 

それでも何度か必要に迫られて店が値上げに踏み切った時、
出会う人達が微妙に変わるということを知った。
 
その値段だからこそ買っていたから離れていく人がいて、
その逆に、
上がった値段だからこそ興味を持つ人との出会いがあった。
 
だから値上げ、
というより適正価格に修正することは、
全く悪いことじゃない。
 
むしろエネルギー的には、
伝え手と受け手の双方が豊かになる。
 
その波動に合わない人とは出会うことが無い。
ただそれだけのこと。
 
本当は、
難しく考えることはない。
上昇には、
ただ上昇というエネルギーがあるのみ。
 
今まで生きてきて、
色んな場面で何度もそう感じてきた。


ところが、
いざ自分が伝える側になると、
急に20000円が高く感じ始めた。
 
立場が変わると感覚も変わってしまう。
でも、だからこそだ。
「こちら側の感覚」がわかった上でやることに意味がある。
 
でも怯むこともわかっていたから、
前もって日付を決めておいたのだ。
 
適正価格と現実とのズレ。
そんな小さい違和感は、一見大したことではないように思える。
慣れてくると次第に薄まっていってしまう。
 
だから、最初にやるしかない。
時間が経てば立つほど、この純粋な感覚は薄れ、
エゴの下敷きになってしまうのだろうから。
 
 
このワークショップの内容と、
それを体感してきたこの1年間を見つめ直すと、
20倍くらいの価値はあったとさえ感じる。
 
つまり20000円というのは、
私の感覚では90%OFF。笑
 
でも人間は、
知らないものに触れる時、
価格が安いと価値も安いという先入観を持ってしまいがち。
 
ある程度の金額を支払うと、
それくらいのものなんだという姿勢でインプットするから、
情報の入り方が変わってくる。
 
私は今まで生きてきて、
これほど強烈な学びに出会ったことがない。
 
それをより深く伝えたい。
だから20000円にした。


しかし価格を上げてから2週間、
実はまだ1件も予約が入らずにいる。
 
試されている期間。
そんな風に感じている。
 
ここで自分の在り方を保てるかで、
次のステージに行けるか行けないかが決まるんだろう。
 
最初は生きていけなくなるかもしれないという不安から、
うっかり、ちょっと鬱になりかけた。笑
いや、ステージが変わる時の好転反応ということに(自己暗示)
 
焦った私はうっかり脳内が商売モードになり、
いかにも販促っぽいけど、
しかし自分が無いような宣伝投稿してしまったりとか。
ポスティングしようとしたりとか。
 
できることを全てやって数ヶ月~半年は様子を見て、
それでもダメなら価格を下げるしかないかという考えも浮かんだりした。


あれ?
でも待て。
 
この頑張り方、
15年前の私じゃないか?
死に物狂いでパンを売っていた時の。
 
目的を履き違えてはいけない。
私の目的は、ワークショップを売ることじゃない。
 
内部の方に語弊があることを承知で敢えて述べるなら、
はだしの人を増やすことでもない。
 
もちろん、全く意識していないわけじゃない。
けどそれらはあくまで副次的な産物でしかない。
 
それらを人生の主目的にすると、
それが「幸せの条件」になった瞬間、
私は自由ではなくなってしまう。
ㅤㅤ
新たな価値観で自分を縛ってしまう。
自分で自分を殺してしまうのだ。
 
仕事を選ばなければ、もちろん生きていける。
贅沢言うなという考え方もある。
 
でも納得できないことをやると、
魂が死んでしまう。
それを生きていると言えるのかは甚だ微妙だ。


はだしは、現代社会へのアンチテーゼ。
でももちろん、唯一絶対の正義じゃない。
 ㅤ
例えば、全員はだしの原始時代に生まれていたら、
私は夢中になって文明へ向かいたがったような気がする。
常に変化したがるのが魂のサガだ。
 
現象を点で見ないこと、
エゴのフィルターでジャッジしないことが肝心。
全ての道が正解であり、必然であり、尊い光であり、最高、最善。
 
その前提で物事と向き合うと、
歪んでいたのはいつも自分だった。
 
清濁織り交ぜた全てのものが輝いて感じられ、
不完全性の中にも完全性を見出す。
そういう感覚をもっと思い出して、
そこからブレない自分になっていきたい。
 
エゴで何かをコントロールしようとせず、
ただ大きな流れを感じて、
自分が一番快適であるよう身を任せるのみ。
 
そんな温度感を前提にした、
一つの提案でありたい。
 
深刻ぶらず、
こどもが遊ぶように、実験していきたい。


私は何のために生きているのか?
 
私自身の魂を歓びで満たすためだ。
 
今ここで私が求めている成長とは、
苦労して商品を売ることではない。
 
もちろんそれも尊い経験で、
だからこそ、心血注いで死ぬほどやってきた。
 
今は、
信じたものを信じ続ける胆力を育てる。
魂がそういう経験をしてみたいんだろう。
 
つまり、結果に執着しないことだ。
結果に執着したくなるような状況に身を置いてなお、
それができてこそ、
知識が血肉になるような深い学びとなる。
 
追い込まれると、
 
「やっぱり間違ってるんじゃないか?」
「やっぱり無理なんじゃないか?」
「やっぱり自分がやったって…」
ㅤㅤ
次々に不安が顔を出す。
 
でもそれは現実が難しい局面だから、
初めて出てきたものじゃない。
きっと潜在意識下にはずっとあった不自由さ。
 
困難という燃料で炙り出されたからこそ、
認識することができ、
向き合うことができる。


少しうまくいかないくらいで、
軸を自分ではないところへ移して行動を変えるのは、
他人の人生を生きるということ。
 
それでは魂は少しずつ枯れてしまう。
 
宣伝そのものが悪いわけじゃない。
ただ、重いエネルギーを乗せたら、ここまできた意味が無い。
 
だって私は、
その先を見たくてここまできたんじゃなかったっけ。


私が教員だった時、良い教育とは何だろうと悩んだ。
 
「学校教育で習った一切のことを忘れてしまい、それでも残るもの、それこそ真の教育だ」
アインシュタインの言葉と向き合ったからだった。
 
私は、良い先生に巡り合うことができた。
学校教育を通して、自分の中に一生残る財産を育んだ。
 
私も知識を伝えるだけではなく、
人生に残るものを伝えたい。
 
でも自分の授業は、
目の前の子達の魂に刻まれている気がしない。
 
「じゃあ私のやってることって一体何なの?」
 
何が、残るような教育なんだろう。
 
 
怒られながらカリキュラム無視して色々やったけど、
そもそも大学を出ただけの自分には何かが足りない気がして、
それは学校の外にあるように感じた。
何かを探しに行くような気持ちで学校を辞めた。
 
まずは、自分が本当に伝えたいことを探そう。
そして、それを伝えられるような自分になろう。
 
そんな想いをどこかにしまいながら、
パン屋の経営、整体屋の活動を経ての約15年後、
やっとここに辿り着いた。
それも遠回りではなく、全てが繋がっていた。
 
そんな風に感じるのが、マンサンダルのワークショップ。


私が最初マンサンダルのワークショップに興味を持った理由は、
「富士山にはだしで登った」エピソードだった。
 
「サンダルを作るけど座学が長い」と言われて、
「え、はだしは…?」と思ったが(笑)
富士山をはだしで登った人の話なら聴こうと思った。
 
もしもその時に価格が30,000円だと言われても、
私は行ったと思う。
むしろ私なら、より強く興味を持ったはず。
 
でも実は、
私が初めてマンサンダルのパーツを見た時、
正直一瞬ガッカリした。
 
「こんなペラペラでまっ平らなだけのゴムと紐だけでサンダルって…?」
と思った。笑
 
というのは、
パン屋で行商をしていた頃、
毎日8時間重い箱を抱えて朝から晩まで街を駆けずり回っていたのだけど、
足に問題が起きて歩けなくなったことがあった。
 
陥入爪という、
巻き爪のひどいやつみたいなもので、
手術まですることになった。
 
それからドイツのFinn Comfortというメーカーに出会い、
そこの靴を履いてから、
足の問題を起こさなくなった。
 
その靴はインソールが平らではなく、
足の形にがっしり合っていて、
更に靴屋さんが私の足に合わせて調整してくれた。
 
価格帯は3~5万円。
安くはないと思ったけど、ㅤㅤ
その靴を履いてから、
全く爪の問題が起きなくなった。
 
1万円以下の靴と違って、
たくさん歩いても陥入爪が再発することは無く、
靴って大事なんだと、その時は思った。
 
デザインのバリエーションはあまり無いので、
たまに浮気してデザインが気に入った他メーカーの靴を履くと、
履き心地が全く違って、
10分もしないうちに疲れた。
 
「やっぱり底が真っ平らの靴は私に何もしてくれない」
そう愕然とした。
やっぱり靴には数万円必要なんだという確信を高めた。
 
だから、
マンサンダルのソールへの第一印象は悪かった。
 
誰もコンビニに家宝が売っていると思わないように、
一瞬、先入観で判断してしまった。


でもワークショップの話を聴くと心底納得した。
 
ワークショップを受ける前の数年間、
「失ってしまった大切な何かを取り戻したい」とは、
日々ぼんやり感じていた。
体力やエネルギーかなと思っていた。
 
だから、
WSの会場に入ってマンサンダルのショップカードの文言、
「文明に飼いならされた野生を取り戻せ」
というメッセージを見た時、
ああなるほどと思った。

あの時あの靴が私の足を守ってくれたのは、
それはそれで、ひとつの事実。
 
でもあの靴は、
私を目先のダメージから守ってくれるけど、
私の足を育ててはくれない、
対処療法だった。
 
靴に何かしてもらおうと期待するんじゃなくて、
自分の足で自分を守り、
育めるようになりたい。
 
それが次のステージなんだな。
そっちへ進みたい。
 
当時の私は画家になろうと決めたばかりで、
準備の真っ最中だった。
 
けれど何をするにも自分が源だから、
今の自分には、はだしで歩く経験を積むことが、
他の何よりも人生において優先順位が上のことだ。
 
そう強く思えた。
 
そして翌日から、
これが何より大切な仕事だという直感を信じ、
はだし歩きに励んだ。
 
頭で考えるとバカみたいだという声も最初は大きかった。
 
「はだし」が仕事に直結する、
とまでは思っていなかった。
 
よくわからない。
何も見えない。
 
「でもとにかく今はこれだ」という直感に従い、
ただ全力で生きてきた。
 
不安に負けそうになることもあったけど、
何度も何度も、
最初に感じた直感を思い出して、
信じて行動し続けた。
 
そんな中で、
はだしをより深く教えてくれる学校のような、
マンサンダルのイベントに出会い、
そのどれもがあまりに濃厚で驚き、次々に参加した。
 
必要なところへ出かけたり、
必要な物を揃えたりした。
 
それらの活動にかかるお金を細かく数えていないけど、
推定300万~400万。
もっとかもしれない。
 
とにかく進み出したら、
お金は無かったけど、
期待していなかった方面から必要な時に必要なだけ入ってきて
なんだかんだ1年過ぎた。
 
時間とお金とエネルギーと、
私の全てを賭けて、
はだしと向き合ってきた。
 
それで正解、
そう確信する日々だった。
 
そしてこれから山岳ガイドに必要なスキルを本気で学びたいと思うと、
勉強会の参加費、道具を買うお金、交通費、
もっと経費が必要になってくる。 
 
それらが落ち着いたら画家として活動するつもりだけど、
まず制作にもかなり時間がかかる。
実際どうやって生きていけばいいのか全くわからないが、
ひとまず先のことは考えない。


そんな、はだしを優先した画家は、
いつの間にか、はだしのプロになった。
 
自分がどういう周波数を放つかで、
起きる出来事が変わる。
 
それが本当なのか、
自分で実際に試してみたい。
 
自分がブレずに歩みを進められたとしたら、
天が私を生かすと決めてくれるのなら、
例えばどんなことが起きるのか見てみたい。
 
というより、
人生の次の段階に向けて、
こういう力は必須。
 
画家として、
333,333円という金額と向き合うことになる。
既に最初の作品のご依頼もいただいている。
 
そういう価格帯に立つための器を、
今育てているのかもしれない。
 
10分の1以下の価格に怯んでいては、
次のステージに進めるわけもない。
 
だからこれこそが今、
魂が一番したい経験なんだろうな。
 
ある程度負荷がかかった状況でも、
ワクワクの波動からブレない力を育むこと。
 
さて、 
魂が知っている5次元的な価値観を、
3次元の現実に落とし込めるかの瀬戸際。
 
ターニングポイントだけど、今回は剃髪しない。
今はこの細胞達を愛していて、一緒にいたいから。


はだしは、
ただの気持ちいいアーシングじゃない。
とっても奥が深くて、面白くて、役立つ。
 
それが伝わる人には一瞬で伝わり、
伝わらない人には永遠に伝わらない。笑
 
別に、はだしだけが幸せの道ではない。
 
でも例えば、
インストラクターを本業として選ぶ若者が増えたりしていって、
はだしの人々の人権が拡大し、
全てではないにしろ、
海外のどこかの国みたいに、
アスファルトが剥がされて自然に還る場所が、
少し増えたらいいなとは思う。
 
 
はだしの世界に来てみませんか?
 
はだしと相性がいい人は、
自分の可能性に限界が無いことを、
成長や学びには限りの無いことを、
世の中に不可能と言い切れることはないことを、
魂のどこかで憶えている人。
 
色んな可能性を疑うことを楽しめる軽さを持ちつつ、
好奇心と向上心が旺盛な人。
 
誰でも自分の人生と精一杯向き合って生きているから、
現在の自分が、自分という作品の集大成。
 
過去と比べると良いに決まってるので、
それが完成された状態のような気がすることもあるかもしれない。
積み上げてきたのだからと。
 
でも例えば10年後の自分は、
絶対に今より成長しているはずでしょ?
じゃあ、何がどう変わる?
 
試しに、はだし方面へ遊びに来てみるのはいかが?
 
実際私自身、
自分にそこまで大きな問題があると感じていたわけじゃなかった。
 
だから、
まさかこんな方面に伸び代があったなんて、
本当にビックリだ。
異次元への隠し通路を見つけたみたいだと思った。
 
そしてそれが自分の土台になるから、
他の何をするにも影響して、
人生が丸ごとアップデートされたみたい。
 
はだしと本気で向き合うと、
自分で無意識にかけて、
気付いてすらいなかった制限が外れたりする。
 
「自分はこう、だってずっとこうだったから」
「それは自分にはムリ」
「でも別に望んでもないし」
 
そう思ってたことが、
色々と変わっていく。
 
それは肉体的な話だけじゃないけど、
でもシンプルに、
体力があればあるほど、
できることの幅が増える。
 
そうすると視野が広くなり、
見えるものが変わってくる。
体験できることが変わってくる。
 
想像もできなかった自分に出会わせてくれた「はだし」
また想像もできない未来が起こったら楽しいな。
 
だから私は、
今日も自分の感じたことを信じて歩いてみる。


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