掌編「after you」(古賀コン8)
いつも私は2番だった。
テストも、マラソンも、ピアノコンクールも2番だった。書道も、作文も、絵のコンクールも、銀賞だった。1番になれそうでなれなかった。惜しかったねといつも言われた。
なんでも器用にこなしたけれど、存在感がないらしい。発表したくて手を挙げても、先生に気づいてもらえないことがたくさんあった。送別会に一人だけ呼ばれないこともあった。
「がんばっているのにどうしてだろうね」
一人だけ教授の懇親会に呼ばれなかった私を不憫に思ったいつも1番だった友人から、そう声を掛けられたこともある。
取り柄といえば、身体が丈夫なことだけだった。
最初に他人よりも丈夫だと自覚したときのことが思い出される。
鍋パーティーをした翌日、私以外が急性胃腸炎で講義を休んだ。友人が親戚から大量に送ってもらった牡蠣を持ってきたのだ。私が家族とメールでやりとりをしている間に、一人あたり何粒も食べたらしい。
友人A「一生分の牡蠣を食べちゃったな!」
友人B「本当だ」
私「本当だ!」
私は本当は二粒しか食べていなかった。
私がお腹を壊さなかった理由が単純に身体が丈夫だったせいなのか、それともみんなよりも多くの牡蠣を食べられなかったことが幸いしたからなのか、今となってはもうよくわからない。
どうしても1番になってみたかった。筋トレした。脳トレした。大食い競争にも挑戦した。私がついに1番になったとき、振り返ったら誰もいなかった。そういえばと思い出す。1番になるためなら私は、友を裏切り、後輩を見捨て、なんの足しにもならない実家と縁を切り、性に合わない会社は即効見放して転職を繰り返し、私より年収が低いという理由で見切った彼氏と別れ、気づいたらたった独りだった。
岩牡蠣の殻むき大会で念願の1番になったときのインタビューで「努力の天才だ」と褒め称えられたけれど、そんなものただのレッテルだ。上っ面のキャッチコピーだ。だって私は身体が丈夫なだけだったのだ。
その頃には、風邪をひかないのはもちろんのこと、大きな病気をしないし、花粉症も治った。胃腸が丈夫でなんでも食べられる。肉も、魚も、草も、花も、プラスチックも、金属も、ゴミ捨て場にあるあらゆるものも、産業廃棄物も。
君、いったい何歳なの? などとよく聞かれたものだし、正直に年齢を答えると「そんな馬鹿な」と笑って去っていく場面を懐かしく思い出せる。ボロボロになってしまったワークジャケットのポケットの中にいつもしのばせている割れた鏡のかけらに映る私は、殻むき大会で一等を獲った時に地方新聞に載った354年前の顔写真とあまり変わらない。
みんな私を追い越して死んでいく。私は人一倍丈夫なのだ。みんな死んでいくけれど私はピンピンしている。
「君、元気みたいだから、やってくれないか」
次第に弱っていく人たちは私になんでもかんでも肩書きを投げて寄越した。「もう君しか出来る人間はいない」とか耳ざわりの良い言葉を言い添えて。最後の自治会長、最後の町長、最後の市長、最後の山本周五郎賞受賞者、最後の日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー、最後の営業部兼総務部兼企画部兼品質管理部長、その他多数、この世から消えてしまったら悲しい自身の肩書きを、死に際に偶然そばにいた私に託して、みな死んでいった。
いつも一番だったあの子がうらやましい。67歳で亡くなったとき、すべての肩書きを誰かに託して皆に囲まれ見守られ、惜しまれながら死んでいった。代わりに私は単に生きているという理由だけで惜しくもない肩書きを抱えたままだ。
雨が降っても、風が吹いても、川が氾濫しても、地震が来ても、津波が襲ってきても、フォークリフトが倒れてきても、キャタピラーに轢かれても、T-1000が運転するトレーラーに追いかけられても、エスターとミーガンに同時に襲われても、私はただここにずっと立っている。熊本城のように。
足元にはやせ細った小さな犬が丸くなっている。きっと以前はヒトに飼われていたのだろう。だってこれだけ痩せこけ飢えているだろうに、私を襲ってきたりしない。
この犬もきっともうすぐ息絶える、他の者たちと同じように。どうせ私はまだ生きていくだろう。自治会長、町長、市長、山本周五郎賞受賞者、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー、営業部兼総務部兼企画部兼品質管理部長、その他多くの肩書きを抱えたままで、生きなければならない。
どうぞお先にいってください。
