李舜弦「蜀宮應制」(付・ペルシア詩訳)
李舜弦(900頃〜926)は、中国五代十国時代の女性。ペルシア系商人の家に生まれた、恐らくはネストリウス派キリスト教徒で、前蜀の後主王衍の側室となり、詩人として活躍した。前蜀が後唐の荘宗李存勗に滅ばされると、王衍や他の側室らとともに李存勗によって虐殺されその生涯を閉じた。
李舜弦は漢語詩人であり、作った詩ももちろん漢詩であるが、ペルシア系の人物であり、広い意味でのペルシア詩人の一人と言えるかもしれない。また、「ペルシア詩人の父」として知られるルーダキー(860頃〜940頃)と同時代の人であり、生年こそルーダキーよりかなり後だが没年はルーダキーより前である。後のペルシア文学との繋がりは殆ど無いだろうが、ある意味では最初期のペルシア詩人の一人と言えるかもしれない。
本稿では、李舜弦の詩のひとつ「蜀宮応制」を紹介する。その名のとおり、皇帝(王衍)の命により作られた、前蜀の後宮の庭の情景を詠んだ詩である。原文、書き下し文、現代日本語訳とともに、ルバーイー(四行詩)形式のペルシア詩としたペルシア語訳、およびその和訳も付す。
李舜弦「蜀宮應制」 - 漢詩
原文
濃樹禁花開後庭
飲筵中散酒微醒
濛濛雨草瑤階溼
鐘曉愁吟獨倚屏
書き下し文
濃樹、禁花、後庭に開く
飲筵は中に散し、酒は微に醒む
濛濛たる雨、草、瑤階を溼し
鐘は曉を愁吟し、獨り屏に倚る
現代日本語訳
木々は深く繁り、禁苑の花は後庭に咲く。
宴は中途で幕となり、酔いはほのかに覚める。
煙る雨は草を濡らし、玉石の階段を潤す。
鐘は夜明けを愁い歌い、独り衝立にもたれる。
李舜弦「蜀宮應制」 - ペルシア詩訳
ペルシア語訳
در بیشه، گلِ حریم در باغ شکفت
آن بزم تمام شد، ز هوش اندک رُفت
نمنم باران، به یشمِ پله خیساند
چون زد سحر و دلم به غمپرده خفت
ペルシア語訳の日本語訳
茂みの中で、禁苑の花が庭に咲いた。
あの宴は終わり、意識からわずかに酒気を失わせた。
霧雨が、翡翠の階段を湿らせた。
夜明けが来たとき、私の心は悲しみの衝立に伏した。
ペルシア語訳の発音
Dar bēsha, gul-i harīm dar bāgh shikuft
Ān bazm tamām shud, zi hōsh andak ruft
Nam-nam bārān ba yashm-i pilla khīsānd
Chūn zad sahar, u dil-am ba gham-parda khuft
(古典音風)
Dar bīshe, gol-e harīm dar bāgh shekoft
Ān bazm tamām shod, ze hūsh andak roft
Nam-nam bārān be yashm-e pelle khīsānd
Chon zad sahar, o del-am be gham-parde khoft
(現代イラン音)
付記
書き下し文、現代日本語訳、ペルシア詩訳、ペルシア詩訳の和訳は、Google Geminiの助けを借りつつ作制した。書き下し文、ペルシア詩訳の和訳は、Gemini版に多少の手直しを加えるだけで済んだ。原詩の現代日本語訳は、もう少々手を加えた。ペルシア詩訳は、Geminiは脚韻には不完全ながらある程度対応していたものの、韻律についてはまだまだであり、作成に苦労した。
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