【東京に住んで10年。まだ知らないことが好きだ】
【はじめに】
気がつけば、東京に住み始めて10年目になった。
それでも私は、まだ降りたことのない駅がある。
まだ歩いたことのない街がある。
まだ知らない路地がある。
10年という時間は、東京を知り尽くすには全く足りなかった。
正確に言えば、足りなかったのではない。
どれだけ時間があっても、東京を知り尽くすことはできないのだと分かった。
それが10年という時間が教えてくれたことのひとつである。
東京は付き合っていく場所だ。
そしてもうひとつ気がついたことがある。
私は今、知らないことが増えていることを恥ずかしいと思っていない。
むしろ、まだ知らないことがたくさんあることを、どこか楽しみにしている。
それが10年目の今の、私なりの東京との向き合い方である。

【結論】
東京を知り尽くそうとする必要はない。
自分に合う場所を選び、自分なりの東京と付き合い続けることが、この街との正しい向き合い方だ。
第1章【上京して最初に驚いた3つのこと】
東京に来る前、私が持っていた東京のイメージはおそらく多くの人と似ていた。
高層ビル。
満員電車。
渋谷のスクランブル交差点。
原宿の竹下通り。
六本木の夜景。
芸能人。
最先端の流行。
世界都市。
そういうイメージだった。
テレビで見る東京。
雑誌に載っている東京。
SNSで流れてくる東京。
それらが積み重なって、私の中の東京像を作っていた。
しかし実際に住んでみると、最初に驚いたことは三つあった。どれも、事前のイメージとは全く違うことだった。
ひとつ目は、とにかく坂が多いことだった。
実際に歩いてみると、驚くほど坂が多い。東京は立体的な街だった。
有名な坂は数え切れないほどある。
神楽坂。外苑東通りの坂。
渋谷の谷地形から上る坂。
乃木坂。
道玄坂。
宮益坂。
坂の多さは地形の複雑さでもある。東京は川と谷と丘が入り組んでいる。それが坂を生み、坂が街の表情を作っている。平らな道だけを歩いていたら見えない景色が、坂の上や坂の途中にはある。
東京の知り方として、坂を追いかけていく方法は意外と面白い。
二つ目は、意外と緑が多いことだった。
上京前の私は、東京をコンクリートジャングルとして想像していた。都心部には自然などほとんどない場所。そういうイメージだった。
しかし現実は全く違った。
代々木公園がある。
新宿御苑がある。
日比谷公園がある。
皇居外苑がある。
石神井公園がある。
都心部を歩いていても、街路樹がある。神社の杜がある。寺の木々がある。大使館の庭が塀越しに見える。マンションの植栽が歩道を彩っている。
私が驚いたのは、場所によっては地方都市の中心部よりも東京の都心部の方が緑が多いと感じる瞬間があることだった。
もちろんトータルの話ではない。
しかし、計算された都市計画の中に緑がきちんと組み込まれているという意味では、東京は思っていたよりはるかに緑を大切にしている都市だった。

三つ目は、オシャレな人はごく一部だということだった。
東京へ来る前は「東京の人はみんなオシャレ」というイメージがあった。都会の人間は垢抜けている。
ファッションに気を遣っている。
そういう先入観を持っていた。
しかし現実はそうではない。
もちろん洗練されたセンスを持つ人はいる。
ファッション感度が高い人もいる。
表参道や青山を歩けば、確かにそういう人たちの密度は高い。
しかし東京全体で見れば、大半は普通の人たちだ。
普通に働き、普通に暮らし、普通に生活している。
東京は特別な人だけが集まる場所ではない。
普通の人たちの膨大な日常によって成立している街だった。

第2章【東京のイメージは嘘ではない。ただピラミッドの頂点の話だ】
だからといって、東京の華やかなイメージが嘘だとは思わない。
渋谷のスクランブル交差点は本物だ。
六本木の夜景も本物だ。
銀座のブランド街も本物だ。
東京から発信される最先端の流行も、世界を動かすカルチャーも、本物として存在している。
東京はそうしたブランディングを自ら積極的に行っている。
世界都市として。
流行発信地として。
最先端の街として。
そのブランドイメージは正しく機能している。だから世界中から人が来る。
観光客が来る。
インバウンドが増え続ける。
しかしそれらは、東京という巨大なピラミッドの頂点部分の話だ。
テレビに映る東京。
SNSで流れる東京。
観光ガイドに載る東京。
雑誌が切り取る東京。
それらはすべて本物だが、ピラミッドの一番上の小さな三角形の部分である。
その下には、圧倒的に大きな日常が広がっている。
普通の住宅街。
普通のスーパー。
普通の商店街。
普通の公園。
普通の暮らし。
東京の大部分は、こうした日常で構成されている。
新宿が大きいことは知っていた。
渋谷も池袋も知っていた。
しかし驚いたのは、
それ以外の駅だった。
一駅ごとに独立した街が成立している。
しかも地方都市なら主要駅クラスの規模を持つ駅が、次々に現れてくる。
品川の次は大崎。大崎の次は五反田。五反田の次は目黒。目黒の次は恵比寿。恵比寿の次は渋谷。
どこも大きい。どこも街として成立している。どこにも人が暮らし、働き、商店があり、文化がある。
東京の凄さは、巨大な中心地がひとつあることではない。
中規模都市が無数につながって存在していることにある。
それが東京という都市の圧倒的な厚みなのだと思う。
ピラミッドの頂点だけが東京ではない。
その下に広がる分厚い日常こそが、東京を東京たらしめているものだ。

第3章【行きたい場所と、行かなくていい場所と、行く必要のない場所】
東京に住み続けると、自分なりの街との付き合い方ができてくる。
全部の場所へ行く必要はない。
全部を知る必要もない。
自分に合う場所を選んでいい。
私はそう思うようになった。
例えば、私は六本木が好きだ。
しかし私が好きな六本木は、多くの人がイメージする六本木とは少し違う。
私が好きなのはアートとしての六本木だ。
森美術館。
国立新美術館。
21_21 DESIGN SIGHT。
東京ミッドタウンの前に広がる芝生広場と公園。
秋に開催されるアートフェスティバル。
森美術館は53階にある。エレベーターで上がるたびに、少し気持ちが切り替わる感覚がある。展示を見終わって外へ出ると、六本木の街が違って見える。
国立新美術館の波打つ外壁は、近くで見るたびに建築としての面白さを感じる。
21_21 DESIGN SIGHTは安藤忠雄の設計で、地面に潜るように作られている。
東京ミッドタウンの芝生広場では、季節によって全く違う表情の空が広がっている。
そういう六本木が好きだ。
一方で、よくイメージされる華やかな側の六本木には、ほとんど興味がない。
芸能人が集まる店。西麻布の夜。クラブ。高級な夜の社交場。それらを否定するつもりはない。そういう六本木を楽しむ人もいる。
しかし私には必要ない。見なくても構わない。
これは六本木が嫌いなのではなく、自分なりの六本木を選んでいるだけだ。
銀座も同じだ。
銀座というと、高級ブランド。高級クラブ。高級料亭。高級レストラン。そうしたイメージを持つ人が多い。実際、それらも銀座の一部である。しかし正直に言えば、私にはそうした場所へ行く経済的な余裕がない。高級店は通り過ぎるだけになる。
だからといって、銀座を楽しめないわけではない。むしろ私は銀座が好きだ。
特に好きなのは、銀座三越付近から日比谷方面へ向かって、一直線に歩く時間である。
「銀ブラ」という言葉がある。昔からある言葉だが、本当に言い得て妙だと思う。銀座は歩くだけで十分に面白い。三越前あたりから歩き始めると、少しずつ街の空気が変わっていく。歩いている人の層が変わる。建物の雰囲気が変わる。聞こえてくる音が変わる。銀座の中心部から有楽町へ。有楽町から日比谷へ。数百メートル歩くだけで、街の表情がどんどん変化していく。
何かを買わなくていい。高級店に入らなくていい。ただ歩くだけで成立する価値がある。それが銀座という街の面白さだと私は思っている。
行きたい場所がある。
行かなくていい場所もある。行く必要のない場所もある。
それは街を否定しているのではなく、自分なりの東京を選んでいるだけだ。
東京は巨大だからこそ、自分に合った付き合い方を選ぶことができる。

第4章【東京と付き合うための、私なりの方法】
東京を知るのではなく、東京と付き合う。
それが10年かけてたどり着いた、私なりの結論だ。
東京は観測地点として使える。
流行を追いかけたいわけではない。
誰かより早く情報を得たいわけでもない。
しかし私は、東京を歩くことで世界が今どう動いているのかを感じたいと思っている。
銀座を歩けば消費の空気が見える。
渋谷を歩けば人の流れが見える。
原宿を歩けば若い世代の感覚が見える。
六本木を歩けばアートや文化の動きが見える。
東京は常に変化している。
数か月後に同じ場所へ行くと、景色が変わっていることがある。
新しい建物ができている。
店が入れ替わっている。
人の流れが変わっている。
私はその変化を見るのが好きだ。
変化そのものが時代の痕跡だからだ。
そしてもうひとつ。とにかく歩く。
電車で移動するだけでは見えないものがある。車で通り過ぎるだけでは分からないものがある。
風の流れ。
夕方の光。
街路樹の色。
人々の表情。
街の音。
街の匂い。
すれ違う人の会話の断片。
夕暮れ時の空の色。
そうしたものを少しずつ自分の中へ保存していく。
写真では残せないものがある。
SNSでは伝わらないものがある。
実際に歩いた人だけが持てる記憶がある。
私はそれを集めているのだと思う。
街を知識として保存するのではない。
感覚として保存していく。それは頭ではなく体に積み重なっていく。
それが10年間の積み重ねだと思っている。

【まとめ】
私は東京を知り尽くそうとは思わない。
これからも知らない街は残るだろう。
降りたことのない駅も残るだろう。
行ったことのない路地も、気づいていない場所も、たくさん残るだろう。
それでいいと思っている。
全部を知る必要はない。
全部を体験する必要もない。
自分に合う場所を選ぶ。
自分に合う東京を選ぶ。
無理をしない。
背伸びもしない。
そのすべてを含めて東京だと思っている。
10年住んで、まだ知らないことがたくさんある。
でも私はそれを残念だとは思っていない。
まだ知らないことがある。
それは、まだ歩ける場所があるということだ。まだ感じられるものがあるということだ。
東京を知るためではない。
東京と付き合い続けるために。
それが、東京10年目の今の私なりの結論である。

