癒しも気づきも、起こるもの。
癒しも気づきも、起こるもの。
という感覚がある。
癒す人と癒される人、
教える人と教えられる人、
という関係性があるようにみえるけれど、
同じ人同士で何度も癒しの手法を行なっても、
十分癒される時と癒やされない時がある。
あるいはそうと感じられない時がある。
気づきも同じ。
同じ教えを何回聞いてもピンと来ない。
言葉を変えて、アプローチを変えても、
ピンとこない時はこない。
でも散歩していて、ふとある言葉を思い出した時が、
ユリイカモーメントになったりする。
その人がいつ、どうやって癒やされるか、
気づきを得るかは、謎。
癒し、教え、それを伝える方法を、
どのように、どれほど解析しても、
それがどう作用して癒されたか、気づきを得たか、
たぶん、真髄はわからない。
そういうもので、それだからこそ意識なんじゃないかと思う。
こうするとこうなる、
ということがすべてわかったら、拡張はない。
パターン運動が継続するだけ。
揺らぎ、不確定さがあるから、
進化・成長する生命なんだと思う。
癒したい、癒やされたい、
教えたい、知りたい、
という思いのある人々が集まると、
癒し・気づきが起こる時がある。
顕在意識で求めることは基本。
でも、結果には確実性を求めない方が良いんじゃないかって思う。
結果至上主義・成功信仰・タイパ最優先、
あるいは救世主・ヒーロー・自分は特別願望蔓延の現代社会で、
癒しやカウンセリングを仕事にすることは大変だろうと思う。
誰のせいでもないのに、何かが、どこかで歪む。
その構造は、家父長制・階級制と共に壊れていくかもしれないけど。
個々の魂のタイミング。
それが合う瞬間。
ふと、通じる、通じ合う瞬間。
その時、癒しが起こって、
癒し手も癒される人も、
たまたま周りにいる人も、
ごっそりみんな癒される。
至福の瞬間。
みんな平な大地に立って、
いっしょに喜びを共有する瞬間。
それが好き。
