SaaSのビジネスサイド運営において、PL的視点だけでは不十分ではないか?
SaaSのビジネスサイド(マーケティング・営業・カスタマーサクセス)を議論する際、しばしばPL的な視点が中心になる。
つまり、「いくら投資して、どれだけ売上・利益が増えたか」「効率的にアウトプットを増やせているか」という視点である。
例えば、広告費や人件費を投下し、短期間でリード数や受注数を最大化する。
その結果として、売上や利益がどれだけ積み上がったかを見る。
この考え方自体は当然重要であり、否定されるものではない。
一方で、最近このPL的な“運用”の視点だけでSaaSのビジネスサイドを設計することには、限界があるのではないかと感じるようになった。
特に、中堅・大手企業を主な顧客とするBtoB SaaSにおいては、その傾向が顕著だと考えている。
中堅・大手企業の購買は「合理的な集団意思決定」である
中堅・大手企業における購買行動は、個人の瞬間的な感情によって決まることはほとんどない。
多くの場合、購買は組織としての合理的な集団意思決定の結果として行われる。
具体的には、以下のような特徴を持つ。
稟議・決裁プロセスが存在する
複数部門・複数ステークホルダーの合意が必要になる
年度予算や中期経営計画との整合性が問われる
数ある施策の中で「今すぐ着手すべき優先順位があるか」が判断軸になる
このような構造上、商談の場で即決されるケースは稀であり、意思決定は中長期的な検討・比較・情報収集を経て進められる。
実務上、検討から意思決定までにかかる期間は、3か月や6か月で収まるとは限らない。
中堅・大手企業では、3年から5年といった長期スパンになるケースも十分にありうる。
例えば、
初年度は情報収集や課題整理のみで終了
翌年度に一部部門でのPoCや限定的な導入を実施
さらにその翌年度以降に、全社展開や本格導入を判断
といった段階的なプロセスを踏むことは珍しくない。
特に、部門横断での利用が前提となるSaaSや、既存の業務プロセス・システムへの影響が大きいプロダクトほど、この傾向は強くなる。
また、導入判断は単年度の予算だけで完結するものではない。
中期経営計画(3〜5年)との整合性、既存ベンダーとの契約更新タイミング、組織再編や人事異動といった要因にも大きく左右される。
そのため、「今は買わない」という判断は、「将来も買わない」という意味とは必ずしも一致しない。
このような購買行動を前提にすると、BtoBにおけるマーケティングや営業活動は、「短期的に売上が立つかどうか」だけで評価することは難しい。
むしろ重要なのは、
「3年後、5年後の意思決定フェーズにおいて、選択肢として残っているか」
という視点である。
ここをPL的な視点だけで判断してしまうと、
今期の数字に直結しない活動は切り捨てられやすくなり、
結果として、将来の意思決定フェーズに参加する権利そのものを失ってしまう可能性がある。
BtoB営業における「中長期フォロー」が前提になる理由
このような購買構造を前提にすると、BtoBにおける営業活動の多くは、
「その場で売る」よりも「将来の意思決定に向けて関係性と情報を積み上げる」活動になる。
つまり、
直近で購入する可能性が低くても
将来、条件が整えば購入に至る可能性がある顧客
を、どのようにフォローし続けるかが重要になる。
ここでPL的な視点に強く引っ張られると、
「今期中に売上が立ちそうな顧客」だけを優先し、それ以外を切り捨ててしまう意思決定が起きやすくなる。
短期的なPL最適化としては合理的に見えるが、
中長期的に見ると、将来の売上機会を自ら削っている可能性がある。
ここで言いたい「BS的視点」とは何か
ここで言うBS的視点とは、会計上のBSに計上されるかどうかという話ではない。
多くのマーケティング・営業活動は、会計上は費用としてPLに計上され、BSには残らない。
それでも重要なのは、
将来のキャッシュフローを生み出す源泉を、どれだけ蓄積できているか
という視点である。
言い換えると、
今年の活動が
来年以降の売上期待値を
どれだけ高めているか
を評価する視点が、ここで言うBS的視点である。
マーケティングにおけるBS的視点
マーケティングは、短期的に購入可能性の高いリードを集めることが重視されがちである。
もちろん、それ自体は重要だ。
一方で、BS的視点に立つと、以下も同じくらい重要になる。
現時点では導入しないが
中長期的に顧客になりうるリード
をどれだけ獲得できているか。
逆に言えば、
ICP(Ideal Customer Profile)から構造的に外れている
予算規模や意思決定構造的にLTVが成立しない
リードを大量に集めることは、
短期的にはKPIが良く見えても、中長期的には将来価値を生まない。
BS的視点では、
「将来売上の期待値を持つリードの母数をどれだけ形成できているか」
が問われる。
営業におけるBS的視点
営業も同様である。
直近の売上を最大化することは重要だが、それだけでは不十分である。
BS的視点では、
その顧客が中長期的に売上を生む可能性があるか
を見極めることが重要になる。
そのためには、
決裁構造
予算の考え方
課題の優先順位
導入検討のタイミング
といった情報を獲得し、
それに基づいた中長期的なフォローアップを設計する必要がある。
これらの情報は会計上は資産にならないが、
将来の売上確度を高めるという意味では、明確に「価値の蓄積」である。
カスタマーサクセスとランド&エクスパンション
短期的な売上最大化だけを考えると、受注=ゴールになりがちである。
しかしSaaSにおいては、中長期的に売上を最大化するための中心は、ランド&エクスパンションである。
初期導入(Land)で関係を作り
活用を通じて価値を実感してもらい
利用範囲や契約規模を拡張する(Expand)
この設計がなければ、中長期的なキャッシュフローは安定しない。
カスタマーサクセスは、PL的にはコストに見えるが、
BS的には将来売上を生み出す確率を高める活動と言える。
PLとBS、短期と中長期をどう両立させるか
ここまで述べてきた通り、
PL的視点とBS的視点は対立するものではない。
PL的視点:短期的な成果と効率を測る
BS的視点:将来のキャッシュフロー創出能力を高める
SaaSのビジネスサイド運営において重要なのは、
この両方を意識的に使い分け、同時に設計することだと思う。
短期の数字だけを追えば、将来を削る可能性がある。
中長期の理想だけを追えば、今期のPLが耐えられない。
だからこそ、
「いまの活動は、短期PLと中長期BSのどちらに効いているのか」
を問い続けることが、SaaS経営において重要なのではないか。
