【小説】夏雨パラディドル
あらすじ
県立高校の文芸部に所属する一年の広瀬知美は、私立女子高校に通う幼馴染の泉ノエルから、共通の友人の彼氏・若林真人の二股疑惑を調査してほしいとの依頼を受ける。調査に乗り出した知美は、話の流れで若林が所属する軽音楽部に仮入部することに。
若林の周辺から聞き込みを始めた知美は、軽音楽部部長の富澤すず音を二股相手と想定して調べを進めるが、関係者の証言が食い違い、錯綜する情報に翻弄されて調査は暗礁に乗り上げる。真相究明を諦めかけた知美とノエルが最後に見つけ出した真相とは。
初夏の高校を舞台に、文学少年と女子高生ドラマーのコンビが謎解きに挑む、ロックでポップな青春日常系ミステリー。
一 幼馴染からの依頼
7月に入ったとたんに気温は三十度を超えてきた。夕方になっても気温は下がらず、学校から駅まで歩いている間、ワイシャツに汗が滲んだ。
この日、僕は小中学校の同級生と市営地下鉄の青葉東駅で合流することになっていた。そいつは僕と違う高校に通っている。家が近所なのでたまに登下校の途中で顔を合わせているが、こうして呼び出されるのは高校に入ってから初めてのことだった。
集合場所には少し早めに着いたので、僕は体を冷やすために地下鉄入口の隣にあるコンビニに入った。雑誌コーナーに進むと、そこにはアッシュカラーのショートヘアを団扇でパタパタと仰ぐ小柄な女子高生が佇んでいる。待ち合わせの相手、泉ノエルだ。
「おうノエル。もう来てたんだな」
不意だったのか、ノエルはビクッとして振り返る。
「なんだ知美かよ。もう少し声の掛け方に気をつけなよ。驚くじゃないか」
「いったいどうしろと? いちいち面倒くさいやつだな相変わらず」
「いや、あたしから声かけようと思ってたから、逆にかけられてビビったつーか。まあ、いいや。とにかく、さあさあ、地下鉄に乗ろう」
ノエルは僕の脇をすり抜けてコンビニを出る。髪の香りに引かれるように僕はノエルのあとを追う。駅の改札を過ぎ、ノエルと僕は横に並んでホームで電車を待った。
さて、
「今日は何の用だ?」
僕の顔に視線を移したノエルは僕との距離を一歩詰めて言う。
「そうそう、相談があって呼んだんだ」
自分自身に確認するような言い方だな。そう突っ込もうとしたところでノエルが先に口を開く。
「若林先輩の二股疑惑が浮上している」
「若林先輩が?」
「そう。あの若林先輩だ」
「そうか。かの若林先輩が」
――間もなく電車が到着します――
電車がホームに到着し、僕らは最後部の車両に乗り込む。
「で、相談って何?」
「知美、わざとだろ? つまるところ、宮城野つばきがヤバいのだよ」
「だろうな。若林先輩と言えば、宮城野つばきの彼氏様だ」
「そう。そして宮城野つばきは若林先輩の彼女さんだ」
「しかし、僕にそれを話してどうなるというのだ?」
「知美は若林先輩と同じ高校だろう。だから、少なくともあたしよりは若林先輩と近しい存在だ。物理的にね。だから若林先輩の周辺を調査してほしいんだ」
ノエルとつばきは青葉市内唯一の女子高である私立上杉学園に通っている。そして若林先輩と僕は青葉市内の県立青葉高校の生徒だ。
「確か若林先輩って軽音楽部じゃなかったか? 僕ね、文芸部なの。学校は違えど、お前は軽音楽部でバンドやってんだから、バンド繋がりで接点とかあるんじゃねえの?」
「知美は全然分かってないね。高校の軽音部なんて、基本は学内での活動だし。外でライブやってるバンドなんてごく一部。対バンとか言って夜な夜な遊び回ってるパリピたちなんだよ」
「おい、世の中全てのバンドマンに謝れ。パリピにもだ」
「誰の代弁者? とにかく、あたしは若林パイセンとは現状では接点がない。つばきのためなんだ。知美もひと肌脱いでくれてもいいっしょ? 中学時代、共に青春の血と汗と涙とヨダレを流しあった仲ではないか」
「ヨダレも流していたのか……そんな時代も確かにあったかもしれんな」
そう、僕とつばきとノエルは同じ小中学校の出身で、中学時代は三人とも文芸部に所属していた。僕は小説を、つばきは詩を、ノエルは……特に何もやってなかったな。学外でバンドをやっている(担当はドラムらしい)とのことで、バンドで演奏する曲の歌詞を書きたいとは言っていたが、僕はノエルが書いた歌詞を見たことがない。というか、書いているところさえ見たことがない。まあ、そんなことは今どうでもいい話だが。
「あのつばきがあたしに相談してくるなんて、一大事だと思いませんか?」
「確かに。あの冷静沈着、ともすれば冷徹冷血と言えなくもないつばきがノエルに相談するなんて。かなりヤバいかもしれんな」
ノエルは僕の答えに赤べこのように首をカクカクと縦に振る。そんな赤べこに僕は質問する。
「その、若林先輩の二股疑惑の根拠は何だ?」
「えっと、6月の休日に、若林先輩がつばきとは違う女の子とデートをしていた、との目撃情報があった」
「情報の信憑性は?」
僕の言葉を聞いたノエルは不満そうに顔を歪めて言う。
「信頼できる情報筋からだよ」
「あ、そう。んで、その二股の相手とやらについてもう少し詳しく話せるか?」
「ああ、うん。ええとね……」
以下、ノエルの知り得る情報。
一 小柄
二 黒髪のショートボブ
三 色白
四 年上らしい
五 可愛らしい
「以上」
説明を終えたノエルは、満足げな表情を浮かべる。
「なるほど。その年上らしいっていうのはなんだ?」
「あ、それは若林先輩が敬語で話してたからだって」
「ふーん。でも五は個人的感想ってやつじゃないの?」
「目撃者の主観も入ってしまうのは仕方ないっしょ。でもさあ、先輩も極端だよね。二股の相手がつばきとは正反対のタイプとは」
確かに。つばきといえば、背は高くて髪は腰までのロング。見た目も可愛いというよりは綺麗って感じだ。若林先輩も長身で整った顔立ちをしているので、傍から見ればまさにお似合いのカップルなのだが。
「でもなー。あのほんわかした草食系男子を具現化したような若林先輩が二股なんて、ちょっと想像できないんだよ」
「そう、その想像についてなのよ。大事なのは」
首を傾げた僕に対してノエルが続ける。
「あたしの貧相な想像力では解決方法がイメージできない。お手上げってやつ? そこで現役の文芸部員である知美の出番ってわけ。先輩に関する情報を集めて、その豊かな妄想力で女の影を、なんだったら尻尾まで掴んでほしい」
「妄想力ではなく、想像力と言ってくれ。そしてずいぶん丸投げな依頼だな」
「お願い! 協力してくれたお礼はするから」
「まあ、分かったよ。ただし、僕だって暇じゃないから、使うのは空いた時間と想像力の一部だけだからな」
「ありがとう。何か分かったら、都度、報告願う」
「了解」
あまり乗り気ではなかったが、ノエルにここまで熱心にお願いされるのは初めてだったので、僕はその依頼を受けることにした。
でも僕が書いている小説は主にSF・ファンタジーだ。恋愛小説やミステリー小説はあまり読まないし、書いたこともない。それでも依頼を受けた以上、やれるだけのことはやってみるさ。
二 青葉高校軽音楽部
僕は次の日から動き出した。まずは若林先輩に近い人物、かつ、話しかけやすい人物を探す。僕のクラスに軽音部員は一人しかいない。いつもギターを背負って登校する中山美怜だ。席が近いこともあり、僕は中山にすぐに話しかけることができた。まずは、若林先輩の部活での様子を聞く。
「若林先輩? まあ、軽音部の良心だよね。二年生を代表して副部長もやっていて面倒見がいいし優しいし。友人関係? うーん。みんなと平等に仲良しかなー。確か、他の学校に年下の彼女がいるんだっけ? 若林先輩の彼女がどんな人か見てみたいなー」
概ね好評価だ。もう少し突っ込んだ質問をしてみる。
「部活の中で、仲の良い女子とかいる?」
「あー、それなら三年生で部長の富澤すず音先輩かなー」
「その、富澤先輩と若林先輩はどんな関係?」
「うーん。同じバンドだから仲が良いって感じかな。でも広瀬がなんでそんなこと聞くの?」
「ああ、その若林先輩の彼女って、おれと同じ中学校の友達なんだよ」
「え、そうなの?」
「うん。ちなみにその富澤先輩ってどんな人?」
その富澤先輩が若林先輩の二股の相手かもしれない。
「広瀬、やめておきな。富澤先輩は断崖絶壁に咲く孤高かつ高嶺の花。広瀬の手が届く存在じゃないよ」
「そうなの?」
「軽音部の部長でカリスマと呼ばれてる絶対的エース。家がお金持ちらしくて、高価なギターをたくさん持ってて、その腕前もプロ級。さらに、容姿端麗、成績優秀。ほんと、私なんかは嫉妬する資格がないってくらいの天上人よ」
容姿端麗かつ年上……調べてみる価値はありそうだ。直接話ができればと思うが、この時点で具体的なアプローチ方法は思いつかなかった。
放課後。文芸部の部室。
僕はノートに今回の件で若林先輩に関して知りえた情報を人物相関図を書きながらまとめた。
登場人物は渦中の若林真人と宮城野つばきのカップル。今日話を聞いた軽音部一年の中山美怜と三年で部長の富澤すず音。あとは直接関係はないと思われるが、枠外に泉ノエルと広瀬知美(僕)も書き込む。現時点で六人。若林先輩とつばきが付き合っていることと、富澤先輩と若林先輩が同じバンド仲間というところまでは分かった。それらをノートに記し終わったとき、部室の扉が開いた。そこには僕の知らない女子生徒が誰かを探すように部屋の中を見渡していた。扉の近くに座っていた文芸部の部長がその女子生徒に声をかける。
「どうした富澤? 何か用か?」
「ああ。文芸部に広瀬知美って一年生はいるか?」
部長が振り返って僕を見る。
「あの、僕です」
「あ、君か。ちょっと時間はあるか? 話がしたい」
「え、まあ。少しだけなら……あの、もしかして、富澤すず音さんですか?」
女子生徒は「そう」と言って頷く。なるほど、中山の言っていたことは本当だった。成績が優秀かどうかは分からないが、少なくとも容姿端麗は間違いない。芸能人と言われても信じてしまいそうな外観。高校生にしては小柄で幼い顔立ちにも思えるが、育ちの良さからか、その仕草には気品さえ感じられる。そして髪は美しい濡れ羽色のショートボブ。
「はじめまして。軽音部部長の富澤すず音だ。君のことは一年の中山から聞いた。今日、軽音部のことを広瀬くんに話したってな」
僕は中山の口の軽さを計算に入れていなかったが、何らかの形て接触しようと思っていたから結果的に良かったのかもしれない。
「ご要件は何でしょうか?」
「君、バンドに興味があるらしいじゃないか」
「え?」
「実は我が部も人員不足でな。私たち三年はもうすぐ引退なのだが、そうなると部員がかなり減ってしまうので困っていたところなのだ。一度、見学に来て、もし良ければ入部してもらいたい」
中山のやつ、適当なことを言いやがって。でもこれは軽音部の内部事情を知るチャンスだ。
「ええと、軽音部の活動について詳しい話を聞かせてもらえますか?」
「勿論だ。じゃあ、今から軽音部の部室に来てくれ」
僕は言われるがまま富澤先輩についていく。
軽音部の部室は中庭に建てられたプレハブだった。それなりの広さはあるが、十数名いる軽音部員全てが入れる程ではない。話を聞けば、曜日と時間を区切ってバンドごとに練習時間を割り振っているらしい。この日は富澤先輩と若林先輩が所属するバンドの練習日だった。
富澤先輩に続いて部屋に入ると、そこに二人の男子生徒が待っていた。
「あ、文芸部の子って、広瀬だったんだ」
ドラムを叩く手を休めた若林先輩は、見た目に相応しい優しい口調で言った。
「お久しぶりです、若林先輩」
高校に入ってから校舎内で若林先輩を見かけることはあったものの、話す機会はなかった。
「若林は知り合いみたいだな。それでもう一人のメンバー、ベースで三年の藤塚凪。スリーピースバンドでやってるんだよ、私たち」
藤塚という名のもう一人の男子生徒は、表情を変えずに僕を見つめるが、話しかけるつもりはなさそうだった。坊主頭で色白。大人しそうな印象。
「じゃあ、まずは模範演奏とまではいかないが、私たちの演奏を聴いてもらおうかな。準備するからちょっと待ってくれ」
富澤先輩はそう言うと、部屋の隅に置いてある漆黒のギターを肩にかける。同じように藤塚先輩がベースを持ち、若林先輩はドラムセットの椅子に腰かけてシンバルの位置などを調整する。アンプから出るギターとベースの音量が想像よりも大きいことに驚く。音の調整が終わったところで、富澤先輩がマイク越しに声を出す。
「あーあー。ああ。じゃあ行こうか」
三人が目線を合わせ、若林先輩のカウントで曲が始まる。富澤先輩の外見からポップで爽やかな曲をイメージしていたが、その予想は完全に裏切られた。バスドラムとベースのうねるようなグルーヴに、富澤先輩の歪んだギターが絡み合う。歌い出し、富澤先輩のアニメ声はどこかに消え、その歌声は憂いを纏って震えるように部屋に響き渡る。歌詞の詳細は聞き取れなかったが、人の悩みや苦悩を歌っていることだけは理解できた。曲が一番の盛り上がりを見せるサビ部分、独特の変拍子とベースのリズム、ギターのカッティングと富澤先輩の叫びが混ざり合う。サイケデリック? だんだんと変な気分になってきた。気が付けば曲は後奏に入っていたようで、富澤先輩の情熱的なギターソロで曲は締められた。
「どうだ?」
息を切らせて僕に問いかける富澤先輩の声は、従前のアニメ声に戻っていた。
「あの。すごい演奏でした。感動してます」
「良かった。じゃあ、とりあえず仮入部ということにしておくからな」
軽い興奮状態のまま文芸部の部室に戻る。まずは、今日のことをノエルに報告しよう。僕はスマホでメッセージを送った。
――17時、地下鉄青葉東駅隣のコンビニに集合
送信とほぼ同時かと思うくらいのタイミングでノエルから敬礼をしたカエルのスタンプが返ってきた。
三 悩めるつばきとベースのススメ
青葉東駅隣のコンビニに到着したのは、集合時間の10分前だった。コンビニに入ってすぐに長身の女子高生が目に入る。腰まで伸びた黒髪に、銀縁ラウンドフレームのメガネを装備している。制服を着ているから女子高生と判断できるが、私服であれば20代半ばと言われても納得してしまいそうな大人びた雰囲気を醸し出している。宮城野つばきだ。
「あ、知美。早いじゃん」
つばきの陰からノエルがひょっこり顔を出す。
「なんだノエル。つばきも一緒なら連絡しろよ」
「私が来ると、何か不都合でも?」
メガネの奥の鋭い眼光から目を逸らすように僕は首を振る。
「とりあえず、電車乗ろう」
ノエルに促されて僕たちはコンビニを出て地下鉄の階段を下りていく。電車は数十秒と待たずにやってきて、僕たちはほどほどに込み合った車両に乗った。
「で、今日の収穫は?」
電車のドアに寄りかかりながらノエルが僕に訊く。
「ああ。今日、軽音楽部に行ってきたよ。で、仮入部させられた」
「は?」
怪訝な表情のノエルとつばきの視線が痛い。
「流れでそうなっちゃったんだよ。仕方ないだろ。でも若林先輩が部活で組んでいるバンドのメンバーと会うことができたぞ。同じバンドのギターボーカル、富澤すず音先輩が目撃された女子の特徴とかなりの部分で一致している」
ノエルの目が一瞬だけ大きく開いたように見えた。
「でもその件についてはまだ何も確信めいたことは聞き出せていない。まだ調査初日だし。もう少し時間が必要だ」
「まあ、それもそうだねえ。あ、今日つばきと一緒に来たのは、つばきからも話を直接聞いた方がいいかと思ってさ」
そう言ってノエルはつばきを一瞥する。一呼吸おいてつばきが口を開いた。
「私の話が参考になるかどうかわからないけど。なんと言っても私は当事者だから。おもいっきり主観も入っている上に感情的な物言いになってしまうかもしれない。それでも話した方がいいのかしらね?」
「そうだな。情報は多いに越したことはない。それを正しく扱えるかどうかのほうが大事だと思う」
僕はそう言ったものの、自分が情報を正しく扱える自信があったわけじゃない。一般論としてそう言っただけだ。
「6月30日の日曜日、午後4時頃。高校のクラスの子からメッセージが届いたの。若林先輩が私ではない女の子と街を歩いてたって。最初は何かの間違いだと思った。でもね、メッセージを送ってくれた子は、間違いなく若林先輩だって言い張るのよ。その子は嘘をつくようなタイプじゃないし、私たちと同じ中学の子で若林先輩と接点もあったから、見間違えるということも考えられないし」
そうか、つばきが直接現場を目撃したってことじゃないのか。ノエルの話は又聞きだったってことだな。なにが『信頼できる情報筋』だ。
「で、つばきは先輩に確認したのか?」
「もちろん。次の日に直接訊いてみた。その日は有限町のスタジオでバンドの練習があって、午後はバンドの男の先輩と一緒にいたって。なんなら今からその人に電話するから直接話してみろって。ちょっと怒ってた」
なるほど。証言が食い違う。その目撃情報が誤っているか、もしくは若林先輩が嘘を言っている可能性も否定できない。
「その、メッセージを送ってくれた子って、僕も知っている人?」
「同じ中学のバスケ部だった早坂侑里ちゃん。知美は面識ないかなー」
ノエルの出した名前に聞き覚えはあったが、顔が思い浮かばない。
電車が自宅最寄り駅に着く。駅の改札を過ぎ、つばきは一人で駅から南方向へ帰って行く。僕とノエルは駅から北方向へ少し歩いて、国道沿いにあるハンバーガーショップに入った。注文を済ませてから二階に上がり、窓際の席に座る。
「当事者である若林先輩から話を聞くことは避けて通れないな。外堀を埋めるのも一つの方法だけど、本人に当たって真相を聞き出すのが正攻法だし、最短経路だ」
「でもさあ、つばきに対して正面切って無実を主張するパイセンに、あなた嘘言ってますよね、なんて聞けなくね?」
向かいでフライドポテト(L)を頬張るノエルが気だるそうに言う。
「ノエルのくせに正論を言うんじゃないよ。でも若林先輩をクロだと決めつける態度も良くないよな」
ノエルのポテトを摘まみながら僕は答える。思考のバイアスは判断を誤らせる。
「確認すべきことは二つ。いや、三つかな。一つ目は、若林先輩の証言の信憑性。二つ目は、目撃情報の信憑性。そして三つ目、仮にどちらかが嘘をついているとした場合、その嘘をついた理由」
「ちょっと待って。その三つ目って何さ?」
指を舐めながら、ノエルはその大きな目をさらに大きく開いて言った。
「ああ。人は理由なく嘘をつかない。今回の場合、若林先輩の証言が嘘であれば二股を隠したいっていうシンプルな理由だろうな。でも若林先輩がシロだったら?」
「早坂ちゃんが嘘をついているってこと?」
「嘘と言うか、見間違いってこともある。でも仮にその早坂ちゃんが嘘を言ったとなると、次の疑問は、なぜ早坂ちゃんはそんな嘘をついたのかということだ」
「若林先輩を陥れるため?」
「それもあるかも。あとは若林先輩とつばきを別れさせたい、とか」
「そうか。そうすれば二人がフリーになって後釜を狙える。でも早坂ちゃんも確か彼氏いたはずだよ。そんなことするかな?」
まともな感覚であればそんなことしない。誰かに頼まれたとか。いや、それでも早坂ちゃんには何の得もないはずだ。
「とにかく、僕は若林先輩と話をしようと思う。ノエルは早坂ちゃんにあたってくれ」
「了解」
店から出ようとしたとき、ノエルが思いだしたように言う。
「そうだ知美。楽器やるならベースが良いよ」
「なんで?」
「知美に似合いそうだから」
理由を聞き出そうとしたがノエルがさっさと店を出て行ってしまったので、それきり理由を聞きそびれてしまった。
翌日の放課後、軽音部員(仮)の僕は軽音楽部の部室へ向かった。まだ音は響いていない。若林先輩は部室にいるだろうか。
「こんにちはー」
「あ、広瀬くん?」
部屋の奥からベースの藤塚先輩が坊主頭をにゅっと出した。
「あ、今は藤塚先輩だけですか?」
「ああ、まだ時間が早いからね。そう言えば広瀬くん、楽器は何にするか決めた?」
藤塚先輩はドラムの丸い椅子(ドラムスローンと言うらしい)に座ってベースを鳴らし始める。細い指が別の生き物のように滑らかに動く
「はあ。バンドをやっている友達がいるんですけど、そいつからはベースをやってみろって言われました」
僕の言葉を聞いた藤塚先輩は嬉しそうに目じりを下げる。
「広瀬くん、ベースとギターの違いってなんだか分かる?」
突然言われた僕は答えに窮する。名前が違う? 浮かんだのはそんな小学生みたいな答えだった。藤塚先輩はニコニコしながら話し出す。
「似たような形だけど、一番の違いは音の高さ。ベースはギターが奏でる音よりも一段低い音を奏でる」
確かに、藤塚先輩が鳴らしている音は、腰に響くような低音だ。
「あと、重要なのはリズムだね」
「リズム?」
「そう。ベースはバンドの中ではドラムと同じ『リズム隊』って呼ばれるんだ。低音とリズムでバンドの演奏を支えるとても重要なパートだよ」
藤塚先輩は小気味よく跳ねるようなリズムでベースを奏でた。
「ぼくは若林のドラムとすず音のギターを結びつけている。それがぼくのバンドでの役割」
「なるほど。藤塚先輩は、お二人のことどう思っているんですか?」
藤塚先輩は演奏をしながら少し斜め上を見つめる。
「若林は自分のリズムを持っていて、しっかり者の頼れる後輩。すず音は、ぼくの憧れ。一年の時にバンドを組んでから、ぼくはずっとすず音のことを見てきた。彼女みたいになれれば良いなって思って来たけど、今はもうあきらめている。持って生まれたものってあるからね。それは仕方ないことだと思うし」
藤塚先輩は富澤先輩に強い思い入れがあるようだ。
僕は藤塚先輩の次の言葉を待ったが、それからしばらく沈黙が続く。我慢しきれず、僕から声を発する。
「あの、富澤先輩ってどんな人ですか?」
「すず音はいい子だよ。見た目から誤解されやすいけど、誰に対しても平等に接するし、面倒見はいいし、繊細で、優しい。もしかして広瀬くん、すず音に興味あったりするの?」
「いえそんな。僕みたいのが、畏れ多いです」
先輩の手が止まる。
「そんなこと、誰が決めたんだい? ずず音と仲良くなるのに何か資格が必要だとでも?」
「そんなことはないですけど……」
僕は何を話しているんだろう。それほど親しくもない先輩に。
「そう言えば広瀬くんって、下の名前ってなんだっけ?」
「知美です」
「いい名前だね」
「僕は嫌いです。女の子に間違われるから」
「そうか。それでも、ぼくはその名前、好きだな」
「はあ。ありがとうございます」
名前を褒められるなんてことあまりないから、僕はどんな表情をしていいのか分からなかった。僕の気持ちを察してくれたのか、先輩はまた話題を変える。
「そうだ、夏休みに入ってすぐにライブがあるんだよね。ぼくら三年にとっては軽音部での最後のライブ。いわゆる引退ライブってやつだね」
「そうなんですね」
「ぼくは最後のライブであることを打ち明けようと思っている。覚悟を決めたんだ」
「え?」
「突然ごめんね。こういうことあまり話す機会ないし、君とぼくはあまり接点がないからちょっとだけ話してもいいかなって思って」
その後の句を継ごうか迷っていたタイミングで部室の扉が開く。若林先輩だ。
「おや、広瀬、いらっしゃい。今日から活動するの?」
「いいえ。ちょっと顔を出しただけです。先輩たち、これから練習でしょうからまた出直してきます」
「そうか。じゃあ、またな」
僕は手を振る若林先輩に一礼した。部屋の奥から、藤塚先輩が儚げな笑みを浮かべて手を振っていた。
四 若林先輩とバスケ部の早坂ちゃん
夏休みを前にして、期末試験やら文芸部の活動やらで慌ただしくなってしまい、前回軽音部の部室に行ってから一週間が経過してしまっていた。しかし、若林先輩と話すタイミングは突然やってきた。学校帰りにノエルと合流して地下鉄に乗ろうとしたとき、ホームで若林先輩とばったり会ったのだ。若林先輩とノエルと僕。滅多にない組み合わせに少し緊張しながらも、電車で移動した後、家の近くの公園のベンチで若林先輩と話すことととなった。僕から質問を始めるつもりだったが、口火を切ったのは若林先輩の方だった。
「最近、つばきの元気がないみたいなんだ」
ノエルと僕は目を合わせる。
「えっと……つばきは悩みを抱えているみたいですよ」
先輩の二股疑惑でね。なんて思っても口に出せる訳もなく。
「そうだろうな。おれもそう思ってはいるんだ。たぶん、おれが女の子と街を歩いていたとかいう噂が原因だとは思ってるんだけど」
分かってるじゃないですか。僕は深く息を吸ってから先輩に質問する。
「その件について、つばきに対してそれは事実ではないと言ったそうですが、本当にそうなんですか?」
「もちろんだ」
揺るぎない強い口調。たぶん嘘は言っていない。直観的にそう思った。
「おれはどうしたらいいんだろう。事実を話しても信じてもらえないとなれば、もうどうしようもないよ」
うな垂れた先輩にかける言葉を探すが、僕には適切な言葉が見つからなかった。
若林先輩の寂しそうな後姿を見送った後、ノエルと僕は公園に残って話を続ける。
「先輩はシロなんじゃないかな?」
「ああ、僕も同感だ。そうなると街で若林先輩をみかけたという証言の方が怪しくなってきた。ノエル、そのバスケ部の誰だっけ?」
「早坂ちゃん」
「その早坂ちゃんにはいつ頃会えそう?」
「ええと、たしかこの前大会が終わったから、早坂ちゃんもそろそろ時間取れるんじゃないかな。連絡してみる」
そう言ってノエルはカツカツと携帯をタップし、数十秒後に予定が決まった。
「今週末、日曜日に会えるってさ。じゃあ、後で集合時間とか決めたら連絡するから」
集合時間は日曜日の11時に決まった。場所は青葉東駅近くのカフェ。僕は本屋に行きたかったので、少し早めに家を出て地下鉄に乗り込む。青葉東駅の一つ前、青葉市の玄関口である青葉駅で降りる。駅ビルには市内で一番大きな書店があり、僕はそこで愛読している作家の新刊を買った。シリーズもので、10年ぶりの新作。その作家のファンになったのは高校に入ってからだが、情景描写がスッキリしていて、でも心理描写はとても綿密で、作品一つ一つが丁寧に書かれていてすぐにハマってしまった。これから集合場所近くのカフェに行って早速新刊を読むのだ。
カフェに着いたのは10時をちょっと回ったくらい。午前中でまだ人もまばら。アイスカフェオレを注文し、奥にある一人掛けのソファーをめがけて歩いていくと、そこには見たことがある小柄な女性客が一人で座っていた。
「お隣、よろしいですか?」
スマホを見ていたノエルがハッとして顔を上げる。
「なんだよ、知美か」
相好を崩したノエルにつられて僕も少し笑ってしまった。
「どうした、早いじゃないか」
「今朝は早く目が覚めてさ。家に居ても邪魔者扱いされるから出て来たんだよ。そういう知美だって早いじゃないか」
僕は手に持っていた新刊をノエルの顔の前に突き出す。
「これを読むんだ。邪魔すんなよ」
「うわ。せっかく隣に座ったのに本読むとか、無くね?」
「そうか? お互い自由な時間を過ごすってことでいいじゃん」
「いやいや、あたしは暇してんのさ。お喋りしようよ」
仕方ない。少しだけ付き合ってやるか。僕はノエルと横並びのソファーに座って本をカバンにに仕舞う。
「で、何を話す?」
「そうだな。まずは服の話かな。お互い私服で会うの久しぶりだけど、知美の服装は小学生のころから変わり映えしないよな」
「余計なお世話だ。つーか、よく僕の小学生時代を覚えているな」
「そりゃ覚えてるよ。知美、目立ってたから」
ん、僕が目立っていた? そんなことはない。僕は勉強も運動もそこそこ、見た目も地味で、これと言って特徴のない子どもだった。
「どこが目立ってた?」
「どこがって。どこだろうな?」
「ほら。特にないじゃん」
顎に手を当てて考え込むノエル。そんなに無理して絞り出さなくてもいいぞ。
「確かに、どこって言われると言いにくいんだけどさ。何か、オーラっぽいがの出てるような気がすんだよな」
「え? お前大丈夫か? ちょっと医者に診てもらったほうが……」
「そーいうんじゃないから。とにかく、あたしは知美のことをよく見ているってことよ」
「そうか。それはどうも」
「それはもういい。んで、あたしの服はどうよ?」
ノエルはお洒落だ。昔から。でも、僕にはそれがどういう風に良いの分からない。僕にはファッションに関する感性が備わっていないのだろう。でも、一つ言えるとすれば、
「いつもは制服で短いスカートだけど、今日みたいな長めのスカートも似合っていると思う」
「そうだろう、そうだろう。もっと褒めろ」
「青空みたいなシャツも似合ってる」
「もっと来い」
「ネイルがキレイ」
「もう一声」
「顔がかわいい」
「……それは言い過ぎだ」
なんだよ。加減が分からん。急に黙るし。ああ、そうそう、
「今から会うバスケ部の早坂ちゃんってどんな子だっけ?」
「ああ、早坂ちゃんは一年生にしてうちのバスケ部のエース。でも背はそんな高くなくて、バスケ女子で想像するような元気溌剌な子でもない。どちらかって言うと物静かな感じ」
「ふーん。でも、そういう子が嘘をつくかな……」
「まあ、それは分からないよ。知美も言ってたじゃん。嘘をつくには理由があるって」
「そうだな。大事なのはそこだ」
人は嘘をつく。そして物事は多面的だ。一側面から見た真実が、他の側面から見たときに嘘となることもあるわけで。
11時5分前に青葉東駅に到着したバスケ部の早坂ちゃんをノエルが迎えに行き、僕たち三人はカフェで顔を合わせた。早坂ちゃんはブラックコーヒーを注文して席に着く。軽く挨拶をした後、僕から早坂ちゃんに質問を始める。
「6月30日の午後4時ごろ、街で若林先輩がつばきじゃない女の子と歩いてたっていうのは本当?」
「本当です。ちょうど雨が降り出した時間帯だった。若林先輩は黒い大きな傘をさしていて、女の子もその傘に一緒に入っていました」
早坂ちゃんの目は真剣そのもので、嘘は言っていないようだ。それにしても、相合傘かあ。僕がその場面を妄想している間にノエルが早坂ちゃんに質問する。
「でもね、若林先輩はその日、女の子とは一緒じゃなかったって言ってんのさ」
ノエルの説明の意味が全く分からないという表情で早坂ちゃんは首を大きく傾げた。
「そんなこと言われても。見たものは見たんです」
証言が矛盾する。そして現状、僕たちはどちらの証言が正しいのかを判断する材料を持ちえない。
それから僕は早坂ちゃんにその時見た女の子の特徴を詳しく訊いた。以前聞いていたように、小柄で黒髪のショートボブ。でもそれが富澤先輩だったのかどうかまでは確信を得られなかった。早坂ちゃんは富澤先輩と面識がなかったからだ。
「ああ、でもギターを背負ってました」
なるほど。街でギターを背負ってる小柄で黒髪のショートボブ。ほぼ、限りなく富澤先輩だな。
1時間ほど話した後に、早坂ちゃんはカフェをあとにした。結局、真相からますます遠ざかったようにしか思えない。
「知美、どう思う? 早坂ちゃんが嘘を言っているようには思えなかった。若林先輩の証言を検証すべきなのかな?」
「いや、僕たちは入り口を間違っているのかもしれない。そもそも、この事案の問題点が何なのかをもう一度整理し直す必要があると思う」
僕の言葉をノエルは理解できなかったかもしれない。そう、僕たちはこの調査で何を解決しようとしているのか。そして解決が何を意味しているのか。僕はもう一度考え直し始めていた。
五 藪の中からこんにちは
バスケ部の早坂ちゃんと話したその日から、僕は少し視点を変えることにした。それは、とりあえずだけど、若林先輩の証言と、早坂ちゃんの証言がどちらも正しいという前提で話を進めること。それを周辺の証言や事実関係から検証し、どちらの証言がより正しいかを確かめるのだ。骨の折れる作業。でも、それが真相にたどり着く唯一の手段だと思う。
終業式の前日、僕は文芸部での活動を終えてから軽音部の部室に向かった。部室に入ると、二年生で組まれているバンドが練習を開始しようとしているところだった。
「あの、富澤先輩は来てませんか?」
「ああ、先輩ならさっき帰ったばかりだよ」
僕は部室を出て富澤先輩を追う。昇降口を出たところで傘を広げようとしている富澤先輩を見つけた。
「富澤先輩!」
雨の音にかき消されそうになりながらも、僕の声はなんとか富澤先輩の耳に届いた。途中まで開きかけた傘を閉じて富澤先輩が振り返る。
「お、広瀬か。どうした?」
「先輩、歩きながらでいいので、ちょっとお話してもいいですか?」
「ああ」
富澤先輩と僕は傘をさしながら並んで校門を出た。僕はの黒の傘、先輩のは背負ったギターケースまでスッポリと隠れるような大きな赤い色の傘だった。
「あの、富澤先輩。つかぬことをお聞きしますが、先輩は若林先輩をどう思っていますか?」
あまりにも直球過ぎるけど、分かりにくいよりはいいだろう。
「私は若林が入部した時から彼のドラムに惚れ込んでいる。初めてセッションしたときから、私のギターと藤塚のベースに若林のドラムがピタッとハマったんだ。相性ってやつかな」
「若林先輩個人についてはどう思ってます?」
「そうだな。素直でいい奴だと思っているぞ」
表現が微妙だが、少なくても悪い印象は持っていないってことだな。
「すいません。ちょっとプライベートな話で恐縮なんですが、先月、6月30日の日曜日、先輩は街に出かけたりしてました?」
「先月の話なんて覚えて……ああ、あの日曜日か。夕方から雨が降った日だな。その日は確かに街に出ていたぞ。バンドの練習があったからな」
よし。これで早坂ちゃんの証言の裏が一つとれたことになるだろう。ここまでは想定どおり。あとは……。
「そのとき、誰かと一緒でしたか?」
「…………」
黙秘。ちょっと踏み込み過ぎたか……。
「すいません、立ち入ったことを訊いてしまって」
「構わないよ。それより広瀬、入部は決めたか?」
「いえ。まだ決めてません」
「無理は言わない。でも、もし入ってくれたら私も嬉しい」
いつの間にか話題を変えられてしまった。つかみどころがない人だ。いずれにしても、早坂ちゃんの証言が信用に足るものであることは確認できた。もう一度、若林先輩から話を聞かなくてはならない。
翌日、登校すると僕の席に軽音部の中山美怜が座っていた。僕を見るなり話しかけてくる。
「広瀬さあ、軽音部で探偵まがいのことしているらしいじゃない」
余計な奴が絡んできた。体よく誤魔化そうかと思ったが、今さら隠しても仕方ないだろう。
「ああ。ちょっと人から頼まれて6月30日の富澤先輩の行動について聞いてたんだ。中山は何か知ってるか?」
「6月30日って、あれでしょ、夕方から急に大雨になった日」
「そうだ。よく覚えてるな」
「意外かもだけど、わたし記憶力だけはいいんだ。富澤先輩なら、その日街で見かけたよ」
「え、お前も見たの? じゃあそこに若林先輩も……」
「はあ? 何言ってんのよ。富澤先輩は女の子と一緒だった」
「女の子……場所は有限町か?」
「いや、全然違う。わたしが先輩を見たのは長者町。広瀬は何の話をしているんだよ」
「何の話って。あ、富澤先輩を見たのって何時頃?」
「雨が降り出した時間だったから、午後の4時頃だったはずだよ」
有限町は青葉市の中心にある歓楽街。長者町は市町村合併で青葉市と一緒になった旧川内町の中心地だ。両町を直通で結ぶ公共交通機関はなく、移動するにも車で30分はかかる。目撃時間がほぼ同じであるとすれば、富澤先輩は同時刻に二カ所で目撃されたことになる。
「中山、お前が見たのって本当に富澤先輩か?」
「部活の先輩を見間違えるわけないよ。ほら、いつも雨のときに使っている大きな赤い傘もさしていたし」
赤い傘。中山の証言も正しいと言わざるを得ない。
終業式の間も、僕は何度も三人の証言に疑わしい部分がないかどうかを検証した。しかし、僕は話を聞いているだけの第三者で、思考や想像だけでは真実にたどり着けないという答えしか出てこない。ノエルの言う通り、完全に詰んだかもしれない。
その日僕は、文芸部にも軽音部にも顔を出さなかった。
そもそも、自分がノエルの依頼を受けたこと自体が間違いだったんだ。僕は自分がもう少し能力のある人間だと思いあがっていたのかもしれない。人のプライベートを嗅ぎまわった結果、何の真相にも辿り着くことができず、つばきの悩みも解決できない。地面に目を落としながらトボトボと駅に向かって歩を進めていると、駅の入り口近くで誰かに呼ばれたような気がした。顔を上げると、そこにはノエルの姿があった。
「なんだよ知美。人生に疲れたおっさんみたいな歩き方して」
「ほんと、そんな感じだ。ちょっと疲れている」
僕は地下鉄で移動する間、富澤先輩の話と中山の話を詳細にノエルに伝えた。
「マジか。富澤先輩にそんな怪奇現象が起こっていたなんて」
「怪奇現象なわけないだろ。誰かが嘘を言っているんだよ」
「でもほら、なんかそういうのあったじゃん。進化したポケモンみたいな、なんつったっけ?」
「ドッペルゲンガー」
「それ! ドッペル!」
「いや、それを言うならバイロケーションのほうだろ」
「知らんし。どっちでもいいわ。じゃあそのバイロなんとかだと説明つくんじゃない?」
「ホラー小説じゃないから。もっと現実的に考えようぜ」
そうだ。現実的に考えるんだ。誰かが嘘をついているとして、それを突き止めれば証言の矛盾も解決するはずだ。
家に帰った僕は、若林先輩、早坂ちゃん、中山美怜のうち誰かが嘘の証言をしているとしたパターンを考えてみた。
(1)若林先輩が嘘を言っているとした場合
若林先輩は有限町で富澤先輩と密会しており、それを早坂ちゃんに見られた。でも、中山が長者町で富澤先輩を見たという証言と矛盾する。
(2)早坂ちゃんが嘘を言っているとした場合
若林先輩は富澤先輩とは一緒におらず、中山が長者町で富澤先輩を見たという証言と合致する。
(3)中山が嘘を言っているとした場合
若林先輩は有限町で富澤先輩と会っており、それを見たという早坂ちゃんの証言と合致する。
こうなると、少なくても若林先輩が嘘を言っている場合のみ証言に矛盾が生ずるため、若林先輩の証言は正しいという結論になる。
でもちょっと待て。誰も本当のことを言っていない可能性もあるのでは? あー、もうだめだ。この方法では埒が明かない。こんなこと考えているうちに僕が人間不信に陥ってしまう。大きくため息をついてベッドに仰向けに寝転び、目を閉じる。そのまま寝落ちしそうになっていたところで机の上の携帯が震える。ノエルからの通話だ。
『知美、起きてた?』
「ああ。今ふて寝しようとしたところだ」
『あのさあ、明日、知美んち行っていい?』
唐突過ぎる提案。急に不安と緊張が走る。
「いや、ああ。別にいいけど……」
『あたしさあ、今ドラムの練習してんのよ』
明日の話はどうした。明後日の方向に行くなよ。
『パラディドルっていう練習なんだけどさ』
「なんだそれ。新しい怪奇現象?」
『パラディドルってのは、ほら、こうして右左右右、左右左左っていう順に叩く練習のこと』
「ごめん、さっぱ分からんわ」
『いや、パラディドルはどうでもいいのよ』
「どうでもいいんかい」
『んでさあ、気が付いたことがあったんだよね』
「え、何?」
『それを明日話そうと思ってんの』
「ずいぶん回りくどいな」
『でも、百聞は一見に如かずっていうじゃん』
「それは言う。昔から言う」
『だから明日、知美んち行くから』
「なんだか分からんけど、分かったよ」
ノエルはお昼ごろに行くとだけ言って通話を切った。僕はもう何も考えたくなかった。人の悩みを解決しようとして自分が悩んでしまっているこの状況から、一刻も早く介抱、いや、解放されたかった。
翌日、ノエルは午前中のうちに僕の家に来なかった。お昼ごろという曖昧な約束だったから仕方ないが、僕はノエルがいつ来ても良いように、早朝5時に起きて部屋を掃除していた。10時には掃除を完了し、ソワソワしながら待っていたが、結局、家のインターホンが鳴ったのは午後1時。どうやら昼飯を食べてから来たようだ。
「ごめんごめん、ちょっと準備に時間かかっちゃってさー」
玄関を開けると普段通りのノエルがそこに居た。
「ほう。準備に時間かかった割には、いつもとなんら変わらないように見えるが?」
そう言い終わったとき、ノエルの背後の人影に気が付く。僕の知らない女子が立っていた。小柄なノエルから頭一つ飛び出るくらいの背丈の子だ。
「こんにちは」
挨拶をしてきたその女の子をじっくりと見て、僕は全てを理解した。そしてノエルはドヤ顔でこう言った。
「だから百聞は一見に如かずって言ったでしょ?」
六 全ては祭りのあとにして
青葉高校軽音楽部のライブ会場は市内の繁華街、有限町の端にあるライブハウスだった。学生だけの利用のため、午後一の時間帯で開演される。富澤先輩のバンドはトリを務める。僕はノエルと二人で地下鉄に乗った。青葉東駅近くのハンバーガーショップで昼食をで済ませ、会場に向かって歩き出す。
ライブハウスの入り口には、バスケ部の早坂ちゃんが待っていた。
「すいません、私までご招待いただいちゃって」
早坂ちゃんは恐縮していたが、軽音部員(仮)の僕が早坂ちゃんをお招きした。今回の件で早坂ちゃんにも迷惑をかけた。罪滅ぼしになるとは思っていないけど、せめて、今日のライブで真相を知ってもらう権利が早坂ちゃんにはあると思う。
僕たち三人は、薄暗い階段を下ってライブハウスのドアを開けた。ライブハウスのおねえさんにチケットを渡し、ドリンクオーダー用のピック型の引換券を受け取る。会場には学校で見かけたことのある顔をいくつか見つけることができた。
「お、広瀬!」
会場の奥から若林先輩の声が聞こえた。その隣には宮城野つばきがいる。
「広瀬は入部しないんだってな」
「はい。興味はありますが、やっぱり僕には文芸部が合っているみたいですから。ある意味、僕もこれが引退ライブです」
僕は一人、若林先輩に連れられて楽屋に入る。そこに藤塚先輩と富澤先輩が座って楽器の調整をしていた。僕は藤塚先輩に歩み寄り話しかける。
「藤塚先輩、覚悟はできているんですね」
「うん。見ててよ。ぼくの晴れ舞台だから」
その表情は晴れ晴れしている。ステージに上がるためのメイクもばっちりだ。
開演時間になった。軽音楽部のバンドは全部で6組。ほとんどが有名アーティストのコピーやカバーだったが、中にはオリジナル曲を演奏するバンドもあって、なかなか聴きごたえがあった。
あっという間に5組目の演奏が終わり、いよいよ富澤先輩たちの登場だ。暗転の中、三人がステージに上がる。若林先輩のカウントで1曲目が始まると同時に、ステージが光で満たされる。一瞬目が眩み、そして目が慣れてくるに従い、会場がどよめき始めた。ステージに上がってる三人のうち、二人が女性だったからだ。一人はギター、もう一人はベースだ。三人は吹っ切れた表情で演奏を続ける。最後の曲は、僕が初めて軽音部の部室に行ったときに演奏していた曲だった。その歌詞はあのときからちょっとだけ変わっていたように思ったが、それは僕の思い違いかもしれない。あのときから一番変わっていたのは、ステージの上で演奏する三人の気持ちだっただろうから。
*
夏休みもあと一週間で終わってしまう。ライブが行われたのが遥か昔のように感じる。というか、あの時間は夢だったのではないかと、時々思う。
富澤先輩たちのバンドはあのライブを最後に解散した。富澤先輩と藤塚先輩は受験に向けて勉強漬けの夏休みを送っているそうだ。若林先輩は、富澤先輩から軽音部の部長を引き継ぎ、部活をまとめる役割を担うとともに、新たなバンドを組むためのメンバー探しに奔走している。
若林先輩の二股疑惑について。
6月30日、若林先輩は藤塚先輩と有限町にいた。藤塚先輩が初めて女性の格好で街に出るのに付き添っていたということだ。それをたまたまバスケ部の早坂ちゃんに目撃されてしまった。
若林先輩の証言は嘘ではなかった。その日に藤塚先輩とバンドの練習をして、午後はずっと一緒にいた。「女の子と一緒にいたか?」と聞かれれば、その答えは当然「NO」となる。
早坂ちゃんと中山の証言も事実だった。つまり、今回の場合は、誰かが嘘を言ったことによる証言の矛盾はなく、証言は全て事実だったのだ。ただ、早坂ちゃんが見たのは女性ではなく、女性の格好をした男性だったということ。
最初から答えは出ていた。なのに、僕は先入観から正しい答えを早々に放棄してしまった。
真相に気が付いたのはノエルだ。ノエルは若林先輩が「その日はバンドの練習があって、午後はバンドの男の先輩と一緒にいた」と言っている以上、そこに居たのは藤塚先輩であると考えた。あの日、ノエルは僕の家に来る前に藤塚先輩を説得し、連れてきたのだ。女性の格好をしてもらって。
たぶん、富澤先輩も事情は知っていたと思う。確認した訳ではないが、おそらくラストライブでの藤塚先輩の行動は、ずいぶん前に決まっていたはずだ。だから若林先輩は、つばきに誤解されるリスクを背負っても藤塚先輩のことを話さなかった。
藤沢先輩が富澤先輩に憧れていたというのは本当だろう。そうでなければ、富澤先輩とそっくりな姿になんてならないはずだ。実際にステージに上がっていた二人を見比べた時、事情を知らなければ双子か姉妹だと思ったかもしれない。
早坂ちゃんが藤塚先輩を小柄な女の子に見間違えたのは、長身の若林先輩との身長差から相対的に女の子の身長を判断したからだと思う。背負っていたのもギターではなく、一回り大きいベースだったはずだ。僕もそうだったけど、バンドでもやってない限りギターとベースを区別できる人はそう多くないだろう。
勘違いや間違いばかりだった僕だけど、今回の件で多くの事を学んだ。問題や質問の設定によって答えが変わってきてしまうこと。意見が食い違ったとき、どちらかが間違っているという考え方は危険であるということ。人にはそれぞれ事情があり、また想いがあるということ。
言葉では分かっていたつもりでも、僕は他人の気持ちを思いやるような想像ができていなかったということなんだろうな。
「知美、なに真剣な顔で悩んだふりしてんのさ」
目の前でフライドポテト(L)を貪るノエルの言葉に、ふと我に返った。
「僕だって真剣に悩むことくらいある。でもノエル、僕は今回の件、お前が真相に気付いたことにどうも納得がいかないんだよ」
「ふふ、悔しいんだな。あたしに先越されたことが」
勝ち誇ったノエルの態度は気にくわなかったが、全くそのとおりだ。
「パラディドルだよ」
「え?」
「パラディドルって、同じリズムパターンの繰り返しにしか聞こえないけど、フレーズごとに叩く手が左右入れ替わっていくんだよ」
「はあ」
「だから、もしかして若林先輩が会ってた人って、女の子じゃなくて男の子なのかもしれないって思ったの。そこからは若林先輩の証言のとおり、一緒に居た藤塚先輩に話を聞いて事実を確認しただけ」
「僕にはそんな発想はできなかった。お前、本当はすごい奴なのかもな」
「見直した?」
「ああ。ちょっと見る目が変わったよ」
僕の言葉が嬉しかったのか、ノエルは顔を赤くしてウンウンと一人で頷いていた。
「でもさ、藤塚先輩とはどうやって連絡とったの? つばきを通じてとか?」
「ああ。それは教えられないな。企業秘密ってやつ」
「あ、そう」
結局、ノエルがどうやって藤沢先輩とコンタクトを取ったのかは分からずじまいだった。でも別にそれはどうでもいい。僕がもう、あの人たちに関わることはないだろうから。
「知美、夏休みの残りはどう過ごすつもり?」
別れ際にノエルが僕に言う。
「秋の学園祭に向けて、家に籠って小説でも書くよ」
「そうか。でもそれじゃあ不健康だな。あたしが誘ってやるから、たまには飯でも食べようよ」
僕はノエルの提案に乗ることにした。
ああそうだ。ノエルが依頼のときに言っていた「お礼」ってなんだったんだろう? まあ、真相にたどり着いたのはノエル自身だ。だからそれを知ったところで僕はお礼を受けるわけにはいかない。それについてははまたいつか、思いだしたときにノエルに聞くことにしよう。
七 エピローグ
夏休みが終わって新学期が始まった。始業式の日、駅から高校に向かう途中にあたしは富澤先輩の後ろ姿を見つけて駆け寄る。
「すず姉、おはよう」
「お、ノエル。おはよう。その後、広瀬とはどうなった?」
「どうなったもこうなったもないよ。あいつの鈍感さは筋金入りだね」
「そうなんだ。せっかく若林の件で距離を縮めたと思ってたんだけどね」
「まあ、あれからちょくちょく会うようになったし。少しずつ心の距離も縮めていくよ」
「人の心が分からないっていうことも無いと思うんだけど。私が話した感じでも、性格は良さそうだったしな」
「知美は自分のことに関しては想像力が及ばないんだな。まあ、そこがまた良いところなんだけど」
あのライブが終わってからも、あたしとすず姉(あたしは親しみを込めて富澤先輩を『すず姉』と呼んでいる)は長者町のスタジオで密かにセッションを繰り返していた。すず姉とは中学時代にバンドの友達を通じて知り合った音楽仲間だ。知美にはパラディドルとかなんとか言って誤魔化したけど、あたしが藤塚先輩のことに気が付いたのは閃きでもなんでもない。あの日、長者町ですず姉と会っていたのはあたしだったんだから。でも、知美に依頼した手前、その事実を伝えられなかったんだ。
「でも、藤塚のこと、広瀬に話さなくて良かったのか?」
すず姉はずっとそれを気にしている。
「あの日、藤塚先輩がどうして女装のまま街へ出たかってこと?」
「ああ。藤塚はスタジオで女装していることはあっても、そのまま外に出るなんてことは一度もなかったし、お披露目はラストライブって決めてたから、変だなって思ってるんだよ」
すず姉の疑問は、あたしにとっては疑問でもなんでもない。藤塚先輩はあの日、意図的にそうしたってだけの話。もう、その時点で藤塚先輩の覚悟は決まっていた。誰に見られても構わない、いや、むしろ若林先輩と二人でいるところを誰かに見て欲しかったんじゃないかって思ってる。藤塚先輩の行動に計画性があったどうかは分からないし、もちろん、今さらそれを確認するつもりなどないのだけれど。
「すず姉、もう問題は解決したんだし、それでいいじゃん」
「そうか。お前がそう言うのなら。でも広瀬は勿体ないな。ベース、なかなか筋が良いって藤塚が言ってたのに」
「それはまだ諦めてないよ。あたしは知美とバンドを組む。そのためにすず姉と秘密のセッションを繰り返してきたんだし」
「そうだな。今度、連れて来いよ。私のベースを貸すからさ」
「うん。そうする」
今回の件であたしは確信したんだ。あたしと知美は良いリズム隊になれるって。相性がピッタリかどうかは分からないけど、あたしはそう信じてる。まあ最悪、知美がバンドをやらなかったとしても別に構わない。あたしは知美と一緒にフライドポテト(L)を食べることができればそれでいいのだ。
「じゃあすず姉、また日曜日にね!」
「ああ、楽しみにしてるぞ」
すず姉と別れたあたしは学校に続くイチョウ並木の下を歩く。強い陽ざしに照らされた緑の葉が、少しひんやりした風に吹かれてサワサワと揺れていた。
<了>
