序章:笑い合う未来を託された者は【ファンタジー小説:黎明の器たち】
火の粉が、夜空を裂くように舞い上がった。
夜闇を焼くようにして、赤い炎が谷を呑み込もうとしていた。
熱風が頬をなぶり、焼けた樹皮の匂いが喉に刺さった。
「火が……誰か! みんな、逃げて!」「おかあさーん!」「放してーいやー!」
炎の轟きの奥から、何かが這いでるような低いざわめきが近づいてきた。枝葉が揺れる音ではない、湿った何かが地面を這い、踏みしだくたびに土がじわりと鳴くような音。闇を裂くその足並みは、不気味なほど揃っていた。
谷を包む炎の光が、影を幾重にも伸ばしていく。どこまでが木で、どこからが“それら”なのか見分けがつかなくなっていた。
やがて、そのざわめきに混じって声が響く。ひとことごとに間を置き、湿った喉を鳴らすような声だった。
「……そっちに……パボラムってのは……いたかぁ……」
返す声は炎の轟きにかき消され、途切れ途切れにしか届かなかった。何を言っているのか判別できないまま、冷たさだけが耳に残る。
「いや……まだだ……めぼしいのは……二つ、三つ……確保した……」
その言葉は、別の場所で耳をそばだてた誰かの背を、ひやりと撫でた。
会話は短く途切れ、また湿った音と足並みだけが続く。火の粉が舞う中、その動きは一度も迷わず谷を目指していた。
獣や野鳥たちの囁きすら、もはや聴こえなかった。
枝を掴み、はばたこうとした瞬間――
闇の奥で、乾いた何かが弾けるような小さな音がした。耳がそれを捉えたのと同時に、空気が細く裂けて迫ってくる。何かが一直線に、自分へ向かっている――その確信が背筋を冷たく撫でた。
ヒュッ、と鋭い風音がした。次の瞬間、矢が右脇をかすめ、飛膜に裂けるような痛みが走った。
「ぐっ……!」
体勢を崩し、飛膜をまともに広げきれないまま、斜めに滑り落ちるようにして木の幹に叩きつけられる。
枝の間に引っかかり、ようやく落下を免れた彼は、息を荒げながら周囲を見回した。背後の下草が音もなく揺れ、何者かの接近を示している。
「ブラヌウェルさん! どこですか――!」
闇の中、木立の間を割って、黒き影が増していく。
まるで何かの意思に導かれるように、無駄なく、迷いもなく、一直線にこちらへ向かってくる。
その足取りが地を震わせ、火の粉が空に散る。
「何とかいうガキはいたか?」「まだだ!」「早く探せ!」
燃え盛る炎の音、大きな音を立てて崩れる家屋、泣き叫ぶ声の隙間から闇に紛れて発せられたその声を耳にしていた者が一人いた――ブラヌウェルだった。
胸の奥に、冷たい怒りが立ち上る。ようやくこの襲撃の意図にたどり着いた。
脳裏に、以前聞いた赤く染まった村の話がよぎる。
とすると、狙いは――パボラムが危ない!!
四方の黒き影から発せられる声を避け、木の陰に身を潜める。
逃げ道は高みしかない。飛膜を拡げきれない痛みに耐えながら、彼は爪先と指で幹をつかみ、よじ登りはじめた。
焙られた炎の熱気が身を焦がす。早くあの人に、会わなければ。
火の向こう、空に浮かぶその背を見つけたとき、息が止まりそうになった。 その瞬間、音という音が耳に入らなかった。
燃え盛る炎のうねりも、崩れる家のきしみも、一度に世界から引きはがされたように、すっと“消えた”。
森の広場、炎の中でただ一人、黒影に立ち向かうその姿――それは、まぎれもなく彼だった。 胸がきしんだ。生きていてくれた。その事実に、込み上げるものがあった。
しかしその姿は飛膜は破れ髪は燃え、辺りには血しぶきが炎で照らされている。
「お師匠!」
気付いたパボラムの声だけが、ブラヌウェルの耳にこだまする。
炎の揺らめきの奥、黒き影がこちらに気付く。周りの炎に照らされて、高く掲げた斧が目に入る。
左手に持った杖にこのる精霊の気配はあとわずか。杖を胸に当て精霊を体に流し込む。右手を近寄る影に向けて放つ。
グアッ!――パボラムの背後から、走り寄る影の革の鎧ごと胸に衝撃が走る。手に持った斧は投げ出され、地面の上に沈んだ。
愛弟子の姿は倒れそうな体を気力で支えさせた。
お前が狙われている、早く――それでも、最後に――
「これをお前に……」
血にまみれたその手には、翡翠の羽飾りを抱いたフリカネリアの杖が握られていた。彼が絶対に手放さなかった精霊器だ。
「お師匠……そんな!」
「もう俺はもたん……」
息を詰まらせながら、それでも師は言葉を続けた。
燃える家々の熱が二人を包んでいたが、互いの目だけが強く、強く輝いていた。パボラムは、その口からこぼれる言葉を待ち構えるように息を呑んだ。
「俺に代わり、国や肌で違えない……誰もが手を取り笑い合える日を……つくってくれ。」
言い切った途端、胸の奥から押し上げられる咳が漏れ、血が唇を濡らした。呼吸が乱れ、言葉をつなぐたびに肩が大きく上下する。
何度も聞かされた言葉だった。
朝の風の中で、火を囲んだ夜のそばで、師は何度も語っていた。
知ってるよ、お師匠。
でも僕が聞きたかった言葉はそんなのじゃない――
一緒に、その日を作るっていってたじゃなかぁ!
堪えていた嗚咽が、燃えさかる音を遠ざけていた。
「……パボラム……お前の未来はこれからだ……こんな場所で……終わってはならん……」
言葉を吐き出すたびに胸が上下し、大きく開いた口から荒い息がこぼれた。肩が震え、血の気を失った唇がわずかに動くだけで、次の声を紡ぐのにも力を振り絞っているのが分かった。焼けた空気を吸い込むたび、その呼吸は短く途切れ、今にも尽きそうな命の残り火が揺れていた。
遠くで、子供の叫び声が聞こえる。すぐ近くで家屋が崩れ、火の粉が風に舞う。
「ここはこれ以上収穫がないぞ!」「大多数は次の目標に向かってる!」「俺はもう少しここで探す!」
炎はさらに燃え広がり、赤い渦が黒き影の行動をも制していく。にもかかわらず、その隙間を縫うように、影の一部がまだ残っていた。うごめく数は減っても、探す視線は鋭く、迫る足音は止まらなかった。その足音がブラヌウェルの最後の声を振り絞らせた。
「お前の成長する姿を見たかった……そして、もっと伝えたかった……精霊のことも……人の心も……未来も……しかし……今は……俺の為に……生きてくれ……」
遂に訪れた最後の言葉と悟ったパボラムは、目の前の師匠を力いっぱい見詰め、全てをこぼすまいと耳を澄ませた。炎の揺らめきの中、その声の一音一音を全身で受け止めた。
「お前……なら……でき……もう……行…………」
言葉の途中で、倒れるブラヌウェルを抱きしめる。
その手から杖が転がり落ち、パボラムがとっさに手を伸ばし飛膜に隠す。
その時焼けた巨木が火を噴いて倒れ来る。炎を避けようと、咄嗟に身をひねる。飛膜に熱が走り、痛みが背に抜けた。
気がつけば、師匠とのあいだにある倒木から炎が立ち上がり、二人を遮った。
背後からも火が音を立てて迫る。反射的に跳び立った――それ以外の選択肢は、もう残っていなかった。
傷口から血がしたたり、飛膜の羽毛を焦がし、気が付けば宙に居た。
「お師匠ぉぉぉぉ!」
その叫びの背に、突風が吹いた。熱を孕む追い風はパボラムの飛膜がふるりと震わす。
同時に、その風は炎を巻き上げ、地に伏した師の亡骸を包みこんでいった。
火の粉が旋回し、風に乗って舞い上がる。赤く揺らめくその中に、もう姿はなかった。
師は、風と火とともに昇っていった。
パボラムは空中にいた。けれど、次の一手を踏み出すことができず、熱と煙にあおられながら、そこにとどまっていた。
涙に滲む視界の向こう、燃える拠点がゆらゆらと揺れている。
あんなにいた家族が最早一人もいない。逃げれたのか、襲われたのか、それとも……木の上にあった家屋は全て炎に包まれ、財と呼べるものは何もなくなっていた。
このまま飛べば、すべてが過去になる――そんな予感が、身体を鈍らせていた。
でも、手の中の精霊器である杖がまだ熱を持っていた。代々、最高術者に託されてきた宝でもある、それは師の命の名残りだった。
それを握りしめたとき、選ぶしかないと歯を食いしばり決断した。
飛膜の傷をこらえ、燃え盛る業火を眼下に、涙を落として、風に乗って空へ舞い上がる。
師の願いを、胸に抱いたまま。
生きて、未来を紡ぐために。
涙を風にさらわせながら、パボラムはそのまま翼を伸ばし、さらに高く舞い上がる。
月光の届かぬ、濃い梢の森。
風の通り道だけが、彼を導いていた。
誰のはばたき音も、誰の声もなかった。ただ葉擦れの音だけが、かすかに続いていた。
パボラムは振り返る。
遥か遠く、月を覆いだした低い雲が――まだ赤く燃えていた。
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黎明の器たち 第1章第1話第1部『泣かぬ子』|あきじいプロジェクト/黎明の器たち
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黎明の器たち序章と知るとより理解が深まる物語の情報|銀英伝GoTリスペクト 術と絆が世を創る群像戦記 設定と腹落ちの交響曲 あきじいPRJ/黎明の器たち|note
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