小学生の私は、母専属のあんま師さんだった話。
「#はじめてのお金」
何となしに見てたXでぶーさん(@buta_no_money)がリポストしてて、何となしに面白そうだな~と思ったこの企画。決して100円チップに釣られた訳ではなく、今は色んなnoteが書きたいと思ったので参加させていただきます!
主催はレンタル無職ズボラ(@nojob_zz)さんです。素敵な企画ありがとうございます!
(字に書いてみるとレンタル無職ズボラさんって字面が強すぎる)
後援に瀬戸内note研究所さん(@seto_note_labo)もいらっしゃいます。添削企画の際はお世話になりました!
さて本題に入り、はじめてのお金の原体験ってあらためて何だったんだろう?と記憶を辿ることにします。
はじめていただいたnoteのチップ。
漫画を受賞したときに貰った賞金。
はじめてのアルバイトでのお給料。
どれも嬉しい感情はありますが、原体験という程強烈なものではなく、じゃあ私はどこで「お金」を強く意識したんだろうか、と考えた時に出てきた答えは、
母親の「あんま」の記憶でした。
「足が痛いから、ふくらはぎだけ「あんま」してくれない?」
私が小学生の頃、パートから帰ってきた母の一言。
「あんま?あんまって何?」
「足揉んで~」
あんま(按摩)という言葉をこの時はじめて知りました。マッサージとは厳密には違うかもしれないけど、ああ、マッサージすればいいんだなと理解して、とりあえずうつ伏せになった母の足をさすり始めた私。
「痛い?」
「ううん、丁度いいよ。ありがとう」
さすったり揉んだりして、母の足をほぐしていく。
母のパートは立ち仕事で、大型スーパーの一角の飲食店で働いていました。
テレビを見ながら、ぽつぽつと話をしながらあんまをし続けて、そのうちに仕事で疲れたのか気持ちよかったのか、段々と寝息をたてはじめた母。
私は上手に「あんま」が出来たのかとなんだか嬉しくなって、母が起きないように力加減を弱めながら、母の足をさすっていました。
◇◇◇
「あ~気持ちよかった。これお駄賃ね。20分やってくれたから、200円」
そう言って、母がくれた200円。
「もらっていいの!?」
私は大喜びしました。
我が家は中学生になるまでお小遣いがなく、文房具などが必要なときだけその分のお金を貰うスタイルでした。
そういう時とお年玉以外で貰った、はじめてのお金。
その日から、ちょくちょく私は母のあんまをして、お金を稼ぐ様になりました。
漫画が買いたい時。
かわいいカラーペンが欲しい時。
駄菓子屋さんに行きたい時。
2時間やれば1200円貰える!と沢山やろうとした時は「そんなにやらなくていい」と止められました。
途中から上の姉にあんま代を貰っているのがバレて、2人で代わる代わるやったりもしました。
右足と左足でわけてやった時もありました。
(その時の母は払うのが2倍なので渋々顔だったと思います)
その時の私は、自分でやったことでお金が貰えるのが嬉しくて母へのあんまを楽しみにしていました。
でも、お金以上に嬉しかったのが母の役に立てているかも、という気持ちです。
私は三姉妹の末っ子で、末っ子あるあるのマイペースで甘えん坊な性格でした。
すぐ上の姉は友達も多く器用で何でもそつ無くこなして、私は運動神経もなく友達と遊ぶことも少なく家で絵を描いていることが多くて。
何でも出来る姉に少しコンプレックスを持っていたんだと思います。
そんな時、母のあんまを頼まれ始めて。
母がある時言った、些細な一言がありました。
「上手だったよ~。いいあんま師さんになれるね」
姉より得意なことがひとつできたかもしれない。
小さかった私にとって、そんな言葉を母にかけてもらえたのが嬉しくて、母に喜んで貰えるのが何よりも嬉しくてたまらなくて。
大人になって次第に時間が取れなくなるまでの間は、お金を貰うことはなくなっていましたが私はそれでも時折、母の「あんま師」であり続けました。
◇◇◇
多分、これが私のお金に関する原体験の記憶です。
誰かの役に立って、貰ったお金。
人の役に立てて、自分の自信にも繋がること。
こういう経験を日々の暮らしの中でできたのは、すごく幸運だったのかもしれない、と書きながらあらためて気づきました。
母はもう亡くなっていて、もうあんまをしてあげることはできませんが、誰かのために何かをすることを最近は擦れた大人になっちゃったのでしてないなぁ…と思ったりしたので、すこしだけ心のゆとりを持ち直したいなと思います。
お読み頂きありがとうございました!
