Claude Codeを作った男は、日本の農村で味噌を仕込んでいた
世界のコードを変えた男の、意外な履歴書にはこう書いてある。「味噌職人、奈良」。Claude Codeの産みの親Boris Chernyは、Anthropic入社前に日本の農村で味噌を仕込んでいた。その経験がClaude Code開発に生きているかもしれない、とHead of Claude Code: What happens after coding is solved | Boris Chernyにて彼自身が語っている。少し深掘りしてみる。
赤味噌4年、Claude Code1年——Boris Chernyが日本で学んだ長期思考
Boris Chernyは元Meta社のPrincipal Engineer。2024年9月にAnthropicに入社し、入社初月にターミナルで動くAIコーディングツールの原型を作った。それが社内でまたたく間に広がり、2025年5月にClaude Codeとして一般公開された。
Claude Codeがもたらしたのは、コードを書かずにソフトウェアをつくる「バイブコーディング」という新しい開発スタイルの定着だ。Borisは自身のコードを2025年11月以降100%AIに書かせており、毎日10〜30本のプルリクエストを出す。GitHubの全コミットのうち4%がすでにClaude Code由来とも言われ、「コーディングはもはや解決済みの問題だ」と彼は言い切る。
町で唯一のエンジニアが、週2回チャリで農産物市場へ
Anthropic入社前、Boris Chernyは日本の農村に住んでいた。
インタビューでLennyに問われたとき、彼はこう言った。「本当に全然違うライフスタイルだった。町で唯一のエンジニアで、英語を話す人間も自分だけだった」
週に2、3回、自転車に乗って農産物市場へ向かう。田んぼのあぜ道を抜けながら。サンフランシスコとは正反対のスピードで、時間が流れていた。
市場に行くと、季節がそのまま並んでいた。ある週はピーマン売りが20軒並ぶ。次の週にはもうぶどうに変わっている。誰もそれを告知しない。ただ、そういう季節だというだけで。
テック業界では、1週間で状況が一変する。新しいモデルがリリースされ、昨日のベストプラクティスが今日には古くなる。彼はそういう世界のど真ん中にいた人間だ。それがある時期、全速力とは正反対の場所を選んだ。
なぜそこだったのか。なぜそのタイミングだったのか。彼は多くを語らない。ただ、「全然違うバイブだった」と笑いながら言う。
その笑い方が、少し味噌に似ている気がする。じっくり時間をかけないと、出てこない味がある。
「味噌と漬物」が近所付き合いの通貨だった
その町には、独特の文化があった。
近所付き合いは、言葉ではなく食べ物で始まる。誰かが漬物を作ったら、おすそわけする。味噌を仕込んだら、分け合う。Borisもその輪に自然と加わっていった。
「近所の人たちと仲良くなった方法が、漬物の交換だった」と彼は言う。外国人で、エンジニアで、英語しか話せない。それでも、差し出された漬物の前では、そういう属性はあまり関係なかった。
やがて彼は自分でも味噌を仕込むようになった。町の人たちがみんな作っていたから、というのが理由だ。気づけば何バッチも作り、腕前も上がっていった。今もまだ続けているという。
ここで少し立ち止まって考えてみると、これはかなり特殊な経験だ。
シリコンバレーのエンジニアが近所付き合いをするとしたら、どんな形になるだろう。Slackで連絡を取り合うか、コーヒーでも飲むか。でも彼が選んだのは、一年かけて発酵させた味噌を、黙って隣人と分け合うという方法だった。
コードは書いたらすぐ動く。プルリクエストは当日マージされる。フィードバックは数分で返ってくる。そういうループの中で生きてきた人間が、結果が出るまで何ヶ月も何年もかかるものに、なぜのめり込んだのか。その答えが、次の章にある。
白味噌3ヶ月、赤味噌4年—そのタイムスケールがAI開発に響いた
味噌には、時間がかかる。
白味噌で最低3ヶ月。赤味噌になると2年、3年、4年。仕込んだら、あとは待つだけだ。混ぜて、重しをして、ただ置いておく。急いでも意味がない。焦っても何も変わらない。時間だけが、味噌を味噌にする。
Borisはインタビューでこう言った。「味噌は、長期的なスキルで考えることを教えてくれる。エンジニアリングとは全然違う感覚だ」
エンジニアリングの世界では、速さが正義だ。デプロイは今日。フィードバックは今すぐ。イテレーションは週単位。Claude Code開発中、Borisは1日に10〜30本のプルリクエストを出す生活をしている。それが彼の通常運転だ。
だからこそ、味噌のタイムスケールは異質だった。
3ヶ月後にしか答えが出ないものを、今仕込む。4年後にしか食べられないものを、今混ぜる。その行為には、未来への静かな信頼が必要だ。「これはきっと、ちゃんとなる」という根拠のない確信。それを毎年繰り返す。
AIの世界も、実は似た構造を持っている。
今日のモデルの判断が正しいかどうか、すぐにはわからない。安全性の研究が実を結ぶのは、何年も先かもしれない。それでも積み上げ続ける。Anthropicがそういう会社であることを、Borisはずっと重視してきた。
味噌を仕込む人間だけが持てる、ある種の時間感覚。それが彼の中に静かに根を張っていた。
田舎でSFを読みながら、彼はAnthropicに入ることを決めた
農村での暮らしには、余白があった。
味噌を仕込んで、市場へ行って、漬物を交換する。テック業界の密度とは無縁の、ゆっくりとした日々。その余白を、Borisはサイエンスフィクションを読むことで埋めた。
「あの頃、SFをたくさん読んでいた。そしてあの場所にいながら、長い時間軸で物事を考えるようになっていた」と彼は言う。
季節が食卓を決める町で、発酵に何年もかける文化の中で、彼は人類の数十年後、数百年後を描いた物語を読み続けた。AIがどこへ向かうか。それが良い方向に進むか、悪い方向に向かうか。SFは、その問いに対する無数のシミュレーションだ。
そして彼は思った。「自分はこれがどう転ぶか、なんとなくわかる。だったら、少しでもいい方向に進むために、貢献しなければならない」
Anthropicを選んだのは、ミッションだった。安全なAI開発という軸が、会社の隅々まで染み込んでいる場所。廊下で誰かを捕まえて「なんでここにいるの?」と聞けば、答えは必ず「安全性のため」だという。それが彼には必要だった。
一度だけ、Anthropicを離れてCursorに移ったことがある。2週間で戻ってきた。理由はシンプルだった。「ミッションが恋しくなった。それだけだった」
農村で長い時間をかけて醸成されたものが、ここに繋がっていた。焦らず、でも確実に、大事なものに向かって進む。味噌を仕込む人間の判断だった。
Claude Codeは「急いで作った産物」ではなく、長期思考の結晶かもしれない
Claude Codeは、2024年9月にBorisがAnthropicに入社した月に生まれた。
最初は小さなハックだった。ターミナルからClaudeに話しかけて、今聴いている音楽を教えてもらうツール。それがファイルシステムへのアクセス権を得た瞬間、社内でまたたく間に広がった。誰もそうなると予測していなかった。でも、なった。
表面だけ見れば、これは「速さ」の産物だ。入社初月のプロトタイプが、8ヶ月後に世界を変えるツールになった。GitHubの全コミットの4%を占めるまでになった。どこからどう見ても、シリコンバレー的なスピードの話だ。
でも、少し違う角度から見てみる。
Borisがこだわり続けたのは、モデルの能力に先回りしてプロダクトを設計することだった。「今のモデルではなく、これから来るモデルのために作る」という考え方。すぐに結果が出なくても、半年後、1年後に正しくなるように仕込んでおく。
これは味噌の論理だ。
今日食べるために作るのではなく、来年の食卓のために今日仕込む。赤味噌なら4年後のために。その発想が、プロダクト設計の中に静かに生きている気がする。
もうひとつ、Borisが繰り返し口にする言葉がある。「まだ1%しか終わっていない」
世界中でClaude Codeが使われ、GitHubのコミットの何パーセントかを占め、Anthropicが数千億円規模の評価を受けていても、彼はそう言い続ける。これは謙遜ではない。長い時間軸で物事を見ている人間の、素直な現状認識だ。
4年かけて作る赤味噌の、まだ最初の冬。そういう目で見ている。
AGIが来たら、また味噌を作る
Anthropicの共同創業者Ben Mannから、Lennyへ質問のリクエストがあった。「Borisに聞いてほしいことがある。ポストAGIの世界で、彼は何をしているか」
Lennyがそれを伝えると、Borisは少し笑ってから答えた。
「AGIが来たら、たぶんまた味噌を作っていると思う」
会場が笑いに包まれた。でもこれは冗談ではない、と私は思う。
AGIが実現した世界では、エンジニアがコードを書く必要はなくなる。プロダクトマネージャーが仕様を書く必要も、デザイナーがツールを操作する必要も、おそらくなくなる。人間がやるべきことの輪郭が、根本から変わる。
その世界で彼が選ぶのが、味噌だ。
急いでも意味がなく、焦っても何も変わらず、ただ時間だけが答えを出してくれるもの。テクノロジーがどれだけ加速しても、発酵だけは加速できない。麹菌は、締め切りを守らない。
日本の農村で過ごした日々が、彼にそれを教えた。稲田の横を自転車で走り、季節ごとに変わる市場を眺め、隣人と漬物を交換しながら、人間の時間というものを体に染み込ませた。その経験が、世界で最も速いコーディングツールを作った人間の、もう一つの顔になっている。
Claude Codeは今日も世界中でコードを書き続けている。毎日何万本ものプルリクエストが、AIによってマージされていく。
その一方で、どこかの棚の上で、Borisの味噌がゆっくりと熟成している。
彼がいたのは、奈良だった
記事を書きながら、どうしても気になってしまった。
「日本の農村」とだけ語られていた場所。稲田のあぜ道を自転車で走り、近所の人たちと味噌を交換した、あの町。Lenny's Podcastでは具体的な地名は出てこなかったが、別のインタビューを掘っていくと、答えが出てきた。
Pragmatic EngineerのGergely OroszとのPodcastの中で、Borisはこう話している。「奈良ってrural Japanって感じだよね」。さらに彼自身のブログにも記録が残っていた。2021年頃から約1年半、MetaのInstagramチームのリモートワーカーとして奈良に暮らし、そこから全米のチームと仕事をしていたのだ。
奈良。
1300年前に日本の首都だった場所。鹿が街を歩き、世界最古の木造建築が今も立っていて、時間の感覚そのものが他の都市とは違う。サンフランシスコのテック業界から最も遠い場所のひとつと言っても過言ではない。
その奈良で、彼は味噌を仕込んでいた。
赤味噌4年。Claude Code1年。どちらも、まだ途中だ。
奈良の棚の上で静かに熟成を続ける味噌のように、Borisの長期思考もまた、今もゆっくりと、世界のコードの中に染み込んでいる。
Claude Code博物館、奈良に建ててほしい
この記事を書いてる間にこんな夢が広がった。
老後のBorisには、ぜひ奈良に戻ってきてほしい。鹿と一緒にClaude Codeの歴史を振り返る博物館が奈良にできたら、世界中のエンジニアが聖地巡礼に来るはずだ。
「ここで味噌を仕込みながらAIの未来を考えた男がいた」
そんな石碑が境内の片隅に立って、縁側で味噌をかき混ぜながらBorisが静かに言う。「AGIはもう来てるけどね」
奈良以外、考えられない。
7月7日付でTBSでもBoris Cherny氏にインタビューしていたので共有。
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