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実践編6:Bow Tie Framework STEP4 ナラティブを構築する

Build the Narrative

STEP1では、企業価値を実現するためのStrategic Objectiveを定義した。STEP2では、その実現に影響を与えるステークホルダーを特定した。
STEP3では、それぞれのステークホルダーがどのような価値観を持ち、どのように企業を理解しているのかを考えた。

ここまで来ると、多くの企業は次のように考える。「では、それをどのように伝えるか。」しかし、実際には、この問いの立て方自体が間違っている。本当に難しいのは、伝え方ではない。

企業として何を伝えるのかを、決めること、しかも、発散しないように一つに決めることである。

ナラティブとは何か

私は、ナラティブとは、Strategic Objectiveを、ステークホルダーが理解し、納得できる論理へ翻訳したものである、と考える。

ここでいう「翻訳」とは、言葉を言い換えることではない。企業の論理を、ステークホルダーの論理へ置き換えることである。

例えば、工場閉鎖という意思決定を考えてみよう。企業にとっては、生産能力を再配置し、競争力を維持するための戦略かもしれない。しかし、地域社会にとっては雇用の喪失であり、従業員にとっては生活の問題であり、行政にとっては地域経済の問題である。企業は「競争力強化」という言葉だけを語ればよいわけではない。なぜ今その決断が必要なのか。その決断は企業価値とどのようにつながるのか。従業員や地域社会に対してどのような責任を果たそうとしているのか。こうした論理が一つにつながって初めて、ステークホルダーはその意思決定を理解できる。

これがナラティブである。

ナラティブは「選択」の結果である

ナラティブを構築することは、文章を書くことではない。経営として選択することである。

マイケル・ポーターは『What Is Strategy?』の中で、戦略の本質は、何をしないかを選ぶことにあると述べた。

戦略とは、すべてを実現しようとすることではない。限られた経営資源をどこへ集中するかを決めることである。ナラティブも同じである。企業には、語りたいことが数多く存在する。成長、利益、ESG、DX、どれも重要である。しかし、それらをすべて同じ重みで語れば、結果として何も伝わらない。

良いナラティブには、必ず優先順位がある。何を最も重要な価値として語るのか。何を今回は語らないのか。どのリスクを受け入れるのか。それを経営として決断するのである。

この意味で、ナラティブはStrategic Objectiveの延長線上にある。
STEP1でStrategic Objectiveを定義した時点で、経営はすでにトレードオフを選択している。
STEP4は、その選択をステークホルダーが理解できる論理へ翻訳するプロセスなのである。

ナラティブは社内をまとめるプロセスである

ここで、もう一つ重要な点がある。ナラティブは、社外へ発信するためだけのものではない。むしろ最初にまとめなければならないのは、社内のステークホルダーである。

企業の中には、多くの「正しい意見」が存在する。そして営業は顧客、IRは株主や投資家、人事は従業員など自分の所管するステークホルダーを第一に考える。更に個々人によって意見が大きく異なることも少なくはない。それぞれの主張は正しい。しかし、そのすべてを残そうとすると、企業として何を目指しているのかが見えなくなる。

これは、日本企業で特に多く見られる現象である。多様な意見を尊重し、合意形成を重視することは、日本企業の強みでもある。しかし、その結果として、「誰も反対しない文章」はできても、「企業として最も伝えたいこと」が曖昧になることが少なくない。

それはナラティブではない。単なるメッセージの寄せ集めである。

ナラティブとは、企業が言いたいことを並べることではない。企業として何を最も重要なメッセージとして伝えるのかを決断することである。

だからこそ、経営が決断しなければならない。どの論点を中心に据えるのか。のリスクを受け入れるのか。どこまでを説明し、どこから先は説明しないのか。この決断は容易ではない。時には社内の反対もある。短期的には批判を受けるかもしれない。それでも、一つのナラティブへ統合する勇気がなければ、企業はステークホルダーから信頼されることはない。

ナラティブとは、経営の覚悟そのものなのである。

ナラティブは言葉だけでは完成しない

しかし、経営として一つのナラティブを決めたとしても、それだけでは十分ではない。

企業がどれほど美しい言葉を語っても、その言葉だけでステークホルダーの信頼を得ることはできない。特に投資家、主要顧客、規制当局、NGOなど、企業価値に大きな影響を与えるステークホルダーほど、「何を言ったか」よりも「何をしているか」を見る。

したがって、本書では次のように考える。Proof Pointまで含めて、ナラティブである。

一般にナラティブというと、企業理念やブランドストーリー、あるいは経営者のメッセージを思い浮かべることが多い。しかし、それだけでは単なるスローガンで終わってしまう。

企業が「人的資本を重視する」と語るだけでは、人は納得しない。「人的資本を重視する。そのために教育投資を三年間で二倍にした。」「管理職評価に人材育成を組み込んだ。」「経営会議で人的資本を主要な経営指標として管理している。」ここまで語られて初めて、人はその言葉を信頼する。

つまり、ナラティブとは、ストーリーと、それを裏付けるProof Pointが一体となったものである。

ストーリーだけでは理念で終わる。Proof Pointだけでは事実の羅列になる。両者が結びついたとき、初めてステークホルダーは企業の意思決定を理解し、納得するのである。

この考え方は、リチャード・ルメルトのいうCoherent Actionsとも重なる。ルメルトは、良い戦略はDiagnosisとGuiding Policyだけでは完成せず、それを支える一貫した行動が必要であると述べている。その一貫した行動こそがProof Pointであると考える。Strategic ObjectiveがGuiding Policyであるならば、Proof PointはCoherent Actionsなのである。

良いProof Pointとは何か

では、どのようなProof Pointが優れているのだろうか。

重要なのは数ではない。ステークホルダーが、「この企業は本当にそう考えているのだ」と納得できることである。そのためには、少なくとも五つの条件がある。

第一に、具体的であること。抽象的な理念ではなく、制度、投資、商品、組織改革など、実際の行動として示されている必要がある。

第二に、経営資源を伴っていること。企業は、本当に重要だと思うものには、人、お金、時間を投入する。逆に言えば、経営資源が投入されていない約束は、ステークホルダーから見れば本気とは受け取られない。

第三に、継続性があること。一度だけの施策ではなく、継続的に取り組んでいることが信頼につながる。

第四に、客観的に確認できること。財務指標、KPI、第三者評価、制度変更など、企業の外からも確認できるものであるほど説得力は高まる。

第五に、Strategic Objectiveとつながっていること。どれほど優れた取り組みでも、今回の戦略課題と関係がなければProof Pointにはならない。Proof Pointとは、単なる実績紹介ではない。

Strategic Objectiveを実現するという経営の意思を、具体的な行動で示したものなのである。

Bow Tieの結び目が意味するもの

ここで、改めてBow Tieの図を見てほしい。多くの人は、Bow Tieの中央には「ナラティブ」があると考える。

ここでは少し違う解釈をしたい。Bow Tieの結び目にあるのは、単なるナラティブではない。経営としての意思決定である。企業の外には、多様なステークホルダーが存在する。投資家、顧客、従業員、行政、地域社会、NGO、メディア。それぞれが異なる価値観を持ち、それぞれ異なる期待を企業に向けている。一方、企業の中にも、多様なステークホルダーが存在する。それぞれが異なる視点から、異なるリスクと機会を見ている。

Bow Tieの結び目とは、この二つの多様性が交わる場所である。社内の多様な意見をStrategic Objectiveの下で統合し、経営として一つの意思を固める。その意思を、Proof Pointを伴ったナラティブとして構築する。そして、そのナラティブを、それぞれのステークホルダーに合わせて展開していく。

つまり、Bow Tieはコミュニケーションのための図ではない。経営の意思を社内で統合し、社外へ展開するためのマネジメント・プロセスなのである。

だからこそ、結び目はBow Tie全体の「要」である。ここで意思が固まらなければ、IRはIRの説明を行い、広報は広報の説明を行い、人事は人事の説明を行う。企業は一つであるにもかかわらず、ステークホルダーには異なる企業像が伝わってしまう。これは、企業価値の実現にとって大きなリスクである。

逆に、この結び目が強ければ、すべてのステークホルダーとの対話は一本の軸を持つ。投資家への説明も、従業員への説明も、行政との対話も、それぞれ表現は異なっていても、伝えている意思は一つである。それが、企業への信頼を生み、長期的な関係を築いていく。

Bow Tieをコミュニケーション・ツールではなく、経営フレームワークとして位置づける理由も、ここにある。

ナラティブを構築するための中核となる問い

STEP4の目的は、企業として一つのナラティブをつくることではない。

企業として一つの意思を固めることである。

その意思をステークホルダーが理解できる論理へ翻訳し、Proof Pointによって裏付けたものがナラティブである。そのためには、次の問いが重要になる。

① この戦略課題において、私たちは最終的に何を実現したいのか。

ナラティブはStrategic Objectiveから始まる。戦略目標と結び付かないナラティブは、美しい言葉であっても企業価値にはつながらない。

② 私たちは、何を最も重要なメッセージとして伝えるのか。

言いたいことは一つではない。だからこそ、経営として何を最優先に語るのかを決めなければならない。

③ 今回、あえて語らないことは何か。

すべてを説明しようとすると、何も伝わらなくなる。ナラティブとは、選択の結果である。

④ このナラティブによって、ステークホルダーはどのように意味づけるだろうか。

企業が伝えたいことではなく、相手がどのように理解するかを考える。STEP3で得たステークホルダー理解は、この問いのためにある。

⑤ このナラティブを裏付けるProof Pointは何か。

言葉だけでは信頼は生まれない。行動、投資、制度、実績など、経営の意思を示す具体的なProof Pointが必要である。

⑥ 社内は本当に一つのナラティブで一致しているか。

IR、広報、人事、営業、法務、経営企画。それぞれが異なる説明をしていないか。企業として、一つの意思が共有されているか。

⑦ このナラティブは、企業価値の実現につながるか。

ナラティブはコミュニケーションのために存在するのではない。企業価値を実現するために存在する。

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