実践編5:Bow Tie Framework STEP3 ステークホルダーを理解する
Understand Stakeholders
STEP2では、Strategic Objectiveの実現にとって重要なステークホルダーを特定した。しかし、誰とエンゲージメントを行うかが決まっただけでは十分ではない。次に必要なのは、そのステークホルダーを理解することである。
ここでいう「理解する」とは、相手の情報を集めることではない。役職や経歴を調べることでもない。ましてや、企業に賛成か反対かを分類することでもない。
重要なのは、相手がどのように世界を見ているのかを理解することである。
組織論の研究者カール・ワイク(Karl Weick)は、人は客観的な事実そのものに基づいて意思決定するのではなく、自ら意味づけた現実(Sensemaking)に基づいて行動すると述べている。企業が「十分説明した」と考えていても、相手が同じように理解しているとは限らない。同じ事実でも、投資家、行政、NGO、地域社会、それぞれ異なる立場から異なる意味を見いだす。だから、まず理解すべきなのは事実ではなく、その人がどのような意味づけをしているかである。
この考え方は、二千年以上前の『孫子』にも通じる。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉は広く知られている。しかし、その本質は戦い方ではない。相手の立場、目的、制約を理解し、自らを理解することの重要性を説いているのである。
さらに、ロジャー・フィッシャーとウィリアム・ユーリーは、『Getting to Yes』の中で、交渉では相手の「立場(Position)」ではなく、その背後にある「利害・関心(Interest)」を理解することが重要だと述べている。人は、「何を主張しているか」だけで動いているのではない。なぜその主張をしているのか。何を守ろうとしているのか。何を恐れているのか。そこまで理解して初めて、本当の対話が始まる。
戦略課題対応型マルチステークホルダーエンゲージメントも同じである。まず相手を理解し、その上で、自社のStrategic Objectiveと相手の関心がどこで一致し、どこで一致しないのかを見極める。エンゲージメントは、そこから始まる。
相手を理解する目的は、「説得」ではない
ステークホルダーを理解するというと、説得するための準備だと考えられがちである。しかし、それは本質ではない。戦略課題対応型マルチステークホルダーエンゲージメントで目指すのは、相手を論破することでも、自社の考え方を押し付けることでもない。
まず理解すべきなのは、相手は何を正しいと考え、何を問題だと認識しているのかである。そして、その中で企業として同意できることは何か。反対に、どこは立場が異なり、簡単には折り合えそうにないのか。その仮説を持って初めて、エンゲージメントを設計することができる。
私自身、アクティビスト対応を支援するときには、まずアクティビストの提案を、賛成か反対かという先入観を持たずに読み込むことから始める。実際には、その主張の多くが、社内でも既に議論されていたテーマであることは少なくない。資本効率の改善、事業ポートフォリオの見直し、政策保有株式の整理などは、多くの企業が以前から課題として認識している。もし、その提案が企業価値の向上につながると考えられながら、組織内の事情などから十分に取り組まれていなかったのであれば、それは企業にとっても変革を進める好機となる。その場合には、アクティビストとの対立として捉えるのではなく、他の株主との重要な対話テーマとして、自ら取り組みを進めることも選択肢となる。一方で、企業として受け入れられない提案もある。その場合に重要なのは、アクティビストを説得することではない。他の株主が企業の考え方をどの程度理解し、支持してくれるのかを見極めながら、エンゲージメントを設計することである。
以前、食品企業がNGOから批判を受けた案件でも、同じ考え方を用いた。私たちは、まずNGOそのものを理解することから始めた。そのNGOは中央集権的に統制された組織なのか、それとも複数の団体が集まるフェデレーション型なのか。過去にはどのようなキャンペーンを行ってきたのか。どのようなテーマで社会的な支持を集めてきたのか。仮に不買運動を呼びかけるのであれば、その発信力や動員力はどの程度あるのか。こうしたことを理解した上で、その主張が企業価値へどのような影響を与えるのかを評価した。さらに重要だったのは、そのNGOを説得することではなく、その主張によって影響を受ける小売企業を理解することであった。どの企業がNGOの主張に耳を傾ける可能性があるのか。どの企業は現時点では大きな影響を受けないのか。それぞれが何を懸念し、何を判断基準としているのか。そこを理解した上で、各社に対するエンゲージメントを設計した。
つまり、実務で重要なのは、相手の主張を理解することではない。相手の主張の背景にある関心や価値観を理解し、自社との接点を見つけることである。どこなら一致できるのか。どこでは立場の違いを明確にすべきなのか。その仮説を持って初めて、次のステップであるナラティブを構築することができる。
ステークホルダーを理解するための中核となる問い
① この人は、どのような世界を見ているのか。企業とは異なる立場、責任、評価軸から物事を見ていることを前提に考える。
② この人は何を主張しているのか。表面的な要求や発言は何か。
③ その背景には、どのような関心(Interest)があるのか。何を実現したいのか。何を守ろうとしているのか。何を恐れているのか。
④ 私たちと一致できる点はどこか。企業として受け入れられる提案は何か。共通の利益は存在するか。
⑤ 一致できない点はどこか。譲れない価値は何か。長期的に説明し続けるべき論点は何か。
⑥ この人は誰から影響を受けているのか。上司、投資家、顧客、行政、NGO、メディア、SNSなど、意思決定に影響を与える主体は誰か。
