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銀河縄文人とは誰か?

銀河縄文人とは、
特別な能力を持った存在ではない。


どこか遠い星から来た
選ばれし魂でもない。

むしろそれは、
すでにここにいて、
ただ思い出しはじめた人
のことだ。


銀河縄文人は、
知識よりも先に
感覚が動いてしまう

説明を聞く前に、
「なぜかわからないけど、懐かしい」
そんな反応が、先に起きる。

縄文、レムリア、星、
大地、風、祈り、音。

それらの言葉に触れたとき、
理解ではなく
身体の奥が震えるなら、
もうその扉は開きかけている。


銀河縄文人は、
過去へ戻ろうとはしない。

同時に、
未来へ逃げようともしない。

この地球に生き、
この身体を持ち、
この時代に立ちながら、

星の視点と
古代の記憶を
同時に抱いている。

上を見るが、
足は大地についている。

それが銀河縄文的な
在り方だ。


銀河縄文人は、
争いを嫌うが、
戦わないわけではない。

戦う相手は、
外側の誰かではなく、
分離してしまった意識だ。

自然か文明か、
精神か物質か、
宇宙か地球か。

そのどちらかを選ぶのではなく、
「両方を生きる」という
第三の道を、静かに選ぶ。


銀河縄文人は、
声高に語らない。

教えようともしない。

ただ、
在り方そのものが
周囲の周波数を
少しずつ変えていく。

なぜなら彼らは、
世界を変えようとしていない。

世界との関係性を
思い出しているだけ
だからだ。


そして重要なことがひとつある。

銀河縄文人とは、
「なる」ものではない。

資格も、
修行も、
認定もいらない。

ただ、
思い出してしまったら、
もう戻れない。

それだけだ。


もしこの文章を読みながら、
どこかで
「これは自分のことかもしれない」
という感覚がよぎったなら、

それは偶然ではない。

銀河縄文とは
思想ではなく、
共鳴だからだ。

この文章もまた、
答えではなく、
あなた自身を映す
水面として
ここに置いておく。



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