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お金 − アラカン16


お金


「はぁ〜……。」

夕食の後、娘がスマホを見ながら、
深いため息をついています。
何か嫌な予感がします。

「……バイト代、これだけかぁ……。
 もっとシフト入れておけば良かったなぁ。
 来週、友達に会いに九州まで行くし、
    激安チケットで買ったとは言っても、
    お金いっぱいかかるのになぁ……」

娘はちらりと横目で私を窺います。
これが何を意味するかを熟知している私は、
反射的に話題を逸らす方向へ舵を切ります。

「お金、お金って……、
   そもそも、お金って何か知ってる?」

「うわ出た、パパの論点ずらし……」

娘の猫のような瞳が、細い川に変貌します。

横で皿を拭いていた妻までが

「都合が悪くなると話が飛ぶのは昔からよ。」

と、痛い合いの手を入れてきます。

二人の冷たい視線に負けずに気を取り直し、
私はいつもの調子で解説を始めます。


「現代のお金のことは国定信用貨幣って
   言うんだけど、知ってる?
   それは、中央銀行のバランスシート上に
 “負債”として記録されてるんだよ。」

娘が箸を止めてこちらを見ています。

「バランスシートは簿記で習ったけど、
   お金が負債なの?誰に対して?」

「そこが面白いとこでね。
 あくまでもバランスシート上の記載なんだ。
   “中央銀行が価値を保証するという約束
   =債務”として発行されてるから名目的にね。
    まぁ、返済はしないんだけどね」

「じゃあ、お金の正体って
    返済しない約束手形みたいなもの?」

妻がすかさず、私に詰め寄ります。

「私の知らないところで、
    借金なんてしていないわよね?」

的外れなツッコミを入れてくるおかげで
話が脱線するので、注意深く返答します。

「……いや、僕のじゃなくて国家の話だよ。
    国家の。」

私は娘の方を向いて話を続けます。

「しかし、返済しない約束手形とは凄いな。
    それ、核心だよ。そう、言われてみれば
    お金は返済義務のない約束手形なんだよ。」

「わたしってすごい~?」

娘は褒められて有頂天です。
このままいけば、パパにたかろうという
考えも忘れてくれるかも……。

「お金の正体が返済義務のない約束手形なのは
    なんとなく分かった。
    でも、なんで私が生まれてからず~と
     デフレで、今はインフレって騒いでんの?」

「本来はさ、貨幣の発行量を
    “国内の財・サービスの総量”と
    一致させていれば、インフレもデフレも
    理論的には起きないんだよ。」

「へぇ、シンプルなんだね。」

「ただ、現実はそうもいかなくてさ、
    みんなが抱くイメージがデフレ続行って
    感じだとモノ買うより現金で持ってた方が
    得ってなっちゃうよね?
     まぁ、これも “国内の財・サービスの総量”
     よりもお金の方が少ないっていう感覚
     なんだろうけどね。
  まぁ、そういった相対的な信用評価で
     決まるんだよ。」

娘はやや真剣な顔になっています。

「つまり、私たちがどう思っているかに
    拠るってこと?」

「そうだな。
 だから通貨の価値って、
 “風評”によるところが、大きいと思うな。
 理屈じゃ説明できない期待とか不安とか。」

「……なんか、私の就活みたいだね。
 噂で振り回されて、疲れちゃったよ。」

妻は横から微笑みながら声を掛けます。

「でも、いいところ就職出来たんだから、
    良かったじゃない。文句言わないの〜。」

何か私に対する態度と違って、なんか優しい。

「それでも、わりかしシンプルだね。
    みんなのイメージで動くなら、
    今流行りの積極財政しても
    問題起きないって、国民みんなが
    信じられれば、本当に 問題起きない
    ってことでしょ?
     高市さん、頑張れって思っちゃうよ。
     わたしたちの明るい未来の為に、
     積極財政 GOGO!!」

「そう、国内だけならね。」

娘はピンときたように、不安げに答えます。

「……でも違うんだよね?」

「そう、現実には“外国”が割り込んでくる。」

「国境を越えた外為市場が通貨を売買する
   せいで、通貨の価値は証券(アセット)と
    同じ評価構造”に置かれるんだよ。」

娘がハーゲンダッツのスプーンを止めます。

「つまり、お金が株みたいに扱われる
   ってこと?」

「そう。通貨はもう単純な“国内財の交換手段”
   じゃない。“国家そのものの将来価値を
    織り込んだ金融商品”になっているんだ。」

「へぇ……なんか怖いね。」

「だよね。
 しかもその評価は株式と同じで“美人投票”
    みたいに主観によるの。
    期待と恐怖が一気に値段に反映する。」

妻は横から的外れな発言を繰り返します。

「パパは美人投票だったら、即、落選よ。
    顔面偏差値低いんだから、
    私に感謝してよね。」

「……。」

ここで、何も言い返さない方が良いことを
長年の経験で知っている私は、更に続けます。

「でね、この構造のせいで本来は国内だけで
    整合的に管理されるはずの国定信用貨幣も、
    国債の発行も、外の相対的評価が
    割り込んでくるんだ。」

娘が眉をひそめます。

「ってことは……国が国債をいっぱい
   出したら、本当は大丈夫な筈なのに、
   外国の人たちが
    “え、ちょっと大丈夫?”
    ってなるってこと?」

「そう。その評価は完全には避けれないんだ。
 だから自国建て国債でも信用低下のリスクが
    ゼロにはならないんだよ。」

「ふーん……。
 お金って、外の目線で揺れるんだね。」

「そう。
 通貨は“信用映す鏡”なんだよ。
 国家を反映する鏡。」

娘は静かにハーゲンダッツを口に運びます。

「そして、全く関係のない国の都合でさえ
    円の価値に影響を与える。
   他者の内部構造が生む揺らぎに、
 通貨は常に晒され続けているんだよ。」

娘が目を丸くした。

「なにそれ。私のテスト勉強してる日に、
 隣のクラスの誰かが失恋したら、
    私の成績が下がるみたいな話じゃん!」

「そう。全然関係ないはずなのに、
 “世界の情緒”が通貨にそのまま反映される。
    たとえばね、
 アメリカの政治がゴタつく、
 ヨーロッパの銀行がひっそり破綻しそう、
 どこか遠い国でクーデターが起きる。
 それだけで日本円の価値は影響を受ける。」

娘はあきれた表情で私をみつめます。

「世界って、メンタル弱すぎじゃない?」

「そう、通貨って理屈で動くように見えて、
 実は“世界の感情”に引きずられてる。
 だから美人投票なんだ。」

「ねぇパパ、
 外の国のメンタルで揺れるなら……
 通貨って, “クラス全員の情緒”で
    成績つけられてるみたいだね。」

「本当にそう。
 誰かがくしゃみをしただけで、
 どこかの国の為替レートが
    動くことすらあるかも。」

妻が食器を置きながら小さくうなづきます。

「……なんか、人と同じね。
 自分の問題だけじゃなくて、
    他人の都合でも振り回されるところ。」

私は苦笑しながらも頷くと、
娘が今の子らしく表現してきます。

「それって、
   マッチングアプリで、人が人を値踏みしてる
   みたいに国も値踏みされてるってこと?」

「……まぁ、そんなもんかな?」

娘はちょっと考えて、ぽつりとつぶやきます。

「じゃあ私は、
    せめて家では自由に揺れてもいい?」

妻が微笑み、娘はにやっと笑います。

「じゃあ……バイト代足りないから……」

娘の華奢な右手が、私の方に向かって
にゅっと真っ直ぐに伸びてきます。

「……忘れてなかったの?」

妻は笑いながら、

「ほら、財政出動よ」

私の背中を、結構強めに叩いてきますが、
いやいや、あなたが財務の総責任者でしょ?
下級官吏のわたくしめが……と思いつつ、
月の少ない小遣いからでも、父親らしく、
娘に旅費代を渡します。

「気をつけて行って来いよ。」

どうやら、私の内部構造は
二人の内部構造に直結しているみたいです。


※ お金について深く考えてみたい方は、
   こちらをお読みになって頂ければ幸いです。
   このエッセイの背景にある考えを
    極力簡単に説明しています。

※ 国債に関しての考察はこちらです。
     1 を公開した後に利払い費の内訳を再検証し、
     実質コストの削減にまで踏み込んだのが 2 です。
     そして国際の制度分析を阻む認知バイアスを
      解き明かしたのが 3 となっています。


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