初デート【せりふ三題噺】【観覧車靴下マシュマロ】
まだまだ寒い3月上旬の土曜日。
冷たい風で冷える身体に温かいココアが嬉しい。ほら!見て、私のココア。マシュマロ入ってるよと、はしゃぐ妻。
カップの中にはココア風呂に浸かるシロクマの形をしたマシュマロがいた。ジワジワ溶けつつあるシロクマの姿は少し悲しい。
私、この観覧車ずっと乗りたかったのよ!
少女のように目をキラキラさせて妻が言った。
観覧車の順番が来て、係員の手を借りて妻をゴンドラに乗せ、続けて私も乗り込んだ。
ゆっくりと地上から離れて行くゴンドラ。12分間の空中散歩。
高いねーと、座席に膝立ちになり窓を覗きながら妻が言う。足元からヒールの靴がポロリと脱げて、赤い靴下が剥き出しになった。
初めてのデートは絶対、この観覧車に乗ると決めていたの、だから実現出来てうれしいと無邪気に笑う妻。
俺もだよ、これから何度でも来ようね。
小さく見えていた地上の景色がだんだん大きくなり、空中散歩も終わりに近づく。
係員の手を借り、妻を背負ったまま私はゴンドラを降りた。
帰ろうとする私たちを係員が呼び止める。
明日でこの観覧車は営業を終了するらしい。老朽化で取り壊すとのこと。
今までご利用いただきありがとうございました、という言葉で見送られ、私たちは観覧車乗り場を後にした。
妻は私の背で眠っていた。
介護施設の個室に戻る頃には妻も目を覚ましており、すっかり元の状態に戻っていた。何も語らず無表情に、静かな妻。
20年前の事故で妻は脳に傷害を負った。結婚してすぐの頃で私たちはまだ若かった。働き盛りの私は会社勤めをしながら妻の介護は難しく、妻を介護施設に預けることにした。
週末だけ施設の妻の部屋で一緒に過ごす日々を20年。妻は徐々に私のことも忘れていった。
5年くらい前だろうか。ふと思い立って、ある商業施設内にある観覧車に妻を誘ってみた。そこは私たちが初デートをした場所だった。妻の手を引き、観覧車を見上げる。ふと妻の方を見ると、無表情だった彼女の顔つきが意思を取り戻したかのように、生き生きとした表情になっていたのだ。あまりの状況に追い付かなくなっていた私に妻は、観覧車に乗ろうよと笑みを浮かべて言った。
それから天気の良い週末には、観覧車に乗るのが常となった。
飲み物を飲みながら順番を待ち、観覧車に乗るだけのデート。その時だけ妻は正常な状態となり、会話が可能となった。いや正常ではない。その時は、初デートをした頃の20才の妻となった。
その観覧車もなくなってしまう。もう20才の妻には会えなくなるのか。
観覧車が取り壊されてしばらく経った。係員をしていた俺は、同じ商業施設内の別の業務についていた。
ふと、女性を乗せ車椅子を押す男性を見かけた。あ、週末に観覧車に乗りに来ていたあの夫婦だ。
男性はあの頃より少し白髪が増えたように見えたが、二人で何か話しながら幸せそうに笑っていた。
よかったな。
穏やかそうな二人を見て、午後からの業務も頑張ろう俺、と自分を奮い立たせた。
