「人身事故の“正解”」
あの朝の人身事故。
昔なら怒っていたかもしれない。
でも、その日は少し違った。
遅れて届いた、ぼくなりの“正解”。
3分で読める、小さな気づきの詩的備忘録です。
あらかじめ決めていた予定が、崩れることが何よりも苦手だ。
そんな我ながら身勝手な性格をもうずいぶんと長く抱えている。
明日は街に出て午前中に喫茶店で熱く濃いブラックコーヒーを飲み、
お昼から古本屋とレコード屋を巡るつもりだ。
まだ手にしていないUSオリジナルのエリック・カズの『Cul-De-Sac』なんかと、思いがけなく出会えたらと考えながら眠りにつく前日の夜がいちばん胸の高鳴る時間だ。
そして朝。昨日の夢の続きをカバンに詰めて、
晴れやかな気持ちで最寄りの駅にたどり着いたそのとき、
「◯◯駅で発生した人身事故の影響により…」
という構内アナウンスが耳に流れ込んできた。
そのときの絶望といったら、ありゃしない。
前日に思い描いていた
“ぼくがかんがえたさいきょうのいちにち”
が、音もなく崩れ落ちた瞬間だった。
スマホを開けば、
SNSには人身事故に対するいらだちや憤りが、いくつも渦を巻いていた。
若い頃のぼくも、同じような気持ちを抱いていた人間のひとりだった。
けれどいつの間にか、その気持ちは、
心の片隅のほうで、そっと折りたたまれていった。
歳を重ねることで反射神経が鈍り、
少しずつ理性とやらが幅をきかせるようになってきたのだろう。
亡くなってしまったかもしれない誰かの人生に、
自然と思いを馳せるようになったのだ。
パートナーや家族、友人、喫茶店や古本屋、レコード屋でさえも
繋ぎとめることができなかった何かが、
彼や彼女の中にあったのかもしれない。
そして、後処理にあたる駅員さんたちが背負うことになるであろう
何かを思うと、怒る気持ちなどもうどうでもよかった。
1時間半ほどして、ようやく電車が動き出した。
どこの誰かもわからない彼や彼女は、
もうこの世には存在しないのかもしれない。
そう思った瞬間、自分の予定などけし粒のように思えた。
“ぼくがかんがえたさいきょうのいちにち”は失われてしまったけれど、
それでもぼくの人生は、これからも続いていく。
それだけで、じゅうぶんではないか。
ぼくは自らにそう言い聞かせていた。
だいぶ遅れて入った喫茶店で、
こんな形でしか交わることができなかったぼくと彼や彼女の人生を苦々しく思い、いつもなら頼まない甘いカフェオレを注文した。
体中に広がった苦くてやるせない一日のはじまりを、
ほんの少しでもやわらげたくて、
ぼくはそれをゆっくりと身体に流し込むのだった。
