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スーパーロボット大戦Tとダイナミックプロ:「ケダモノ」とか「野獣」とか(自分メモ03)

「ケダモノ」とか「野獣」とか。

石川賢『ゲッターロボ』 ebook
永井豪『ガクエン退屈男』 ebook

実は永井作品とも跨って、共通認識として「最低評価」の一つとして使われてた?
はたまた『ガクエン退屈男』は「実質永井石川共著状態」ともされたから、石川先生の意見がネームとしても顔を出してた?

しかしこの辺まではタツマの方がまとも。
門土に一足早く豹変させて、タツマも続けて本性を見せさせるにしても、ここまではタツマちゃんと嫌がってるよなあ
この寸前までは女言葉だったタツマ≒ハレンチ学園の十兵衛だったのかな、大戦争の時も八十八の言動がおかしくなるほうが、早かったし?

素直にケダモノぶりを見せた門土に対し、タツマは理性ある者として立つも、「ケダモノ」サイドに落ちた学生たちの嘲笑を受けたことでいとも容易く激し、彼らを皆殺しにすることで『やつのほうがよっぽどけだものだぜ』評を受ける。

この辺で彼はかなり良い子成分があった十兵衛でなくなり、理性的を装いつつそれを制御しない、邪悪な過去を持つケダモノならぬバケモノでありニセモノ(人造人間)としてのキャラになる

かたや、「ケダモノ」というのでダイナミックプロ著名作の中でも思いつく魔獣戦線の慎一は、当人が実験の失敗体であり、獣たちと溶け合った肉体の崩壊が止められず死に向かっていたのと同様、その際の言動からしておそらくその状態では精神面も均衡を保てなくなっていた。
青年として現れた時にはその目に野獣と「最後の無意識にさえ我が子を守ろうとした母」を共に宿しており、獣達の爆発性と共に慎一の中にあるのは、母が改造された後もその獣性に食われずに持っていた、合体事故で息子にも宿らせた「心」だった。それは理性よりは愛と呼ぶべきものだろうか、しかしそれはいつしか「マリア」ともなる
それは「慎一から失われてはならないもの」である、その上で世界から失われてはならないものでもある。
「愛」のような善性よりもっと普遍的なものでありつつ「俺のおふくろであり俺の体であり俺の血、目、鼻、耳だ」
では本来誰にでもあり、失われてはならないものである。

石川賢『魔獣戦線』 e book
(そして血は目でも心でもある?=本当は理解しやすい、和合しやすい筈のもの、ぐらいの何か……?)

ここまでで70年代「きれいな」ダイナミックプロ作品では「ひとりひとり、個々の内に自分をも他者をも等しいほどに愛せる理知的な心あれかし」が基本なのだろうと思われる。

しかしそうするとスパロボTで流竜馬を「野性」だけ担当とする脚本は少々じゃない軽々しい判断をしてしまってないか?

先日スパロボファン界隈で小耳に挟んで気になったことです。過去タイトルにしちゃ、これが正解だ原作がそもそもこういう話なんだみたいに非常にデッカイ声で周知されちゃってるようですが、これ相当違ってないですか???

勿論スパロボプレーヤーが各イベントをあくまで「原典の大筋だけ押さえた微翻案再現(たまに思い切った原作救済ルートなども含む)程度である[ときもある]」と理解しているの前提のお話である

スーパーロボット大戦T

スパロボはチェンゲのグラフィックを使用するようになって久しい。チェンゲの竜馬の衣装デザイン(および精神状態を含むキャラデザ!)は石川先生の『魔獣戦線』由来であることも知る人ぞ知る程度にはなっているかと思われる、その上でこのスパロボではよく知られたイベントとスパロボにおける彼らの人格を見直してみたいと思う

今回確認にお借りしました 双観フタミ ゲームch. 様

なお自分がゴリゴリにやったスパロボはFとF完結編だけです。
(イデオンゲージが暴れるたびにセガサターンからカセットメモリーを引っこ抜くという無茶をやっていたらカセット一本死亡しましたがその程度で済んでよかったよ!)


「俺達」ではなく「俺」ですと?
OVAでも聞いたことのない突然の新設定

竜馬は「一方的被害者」と「選ばれし特別存在」設定がOVAからくっつきつつ野性「だけ」担当。浅慮担当、悩まなくていい反省しなくていい、いわゆる「脳筋」キャラとして、作中人物としての思考活動、様々な当然の責任感等から放免されてしまったようである。

隼人は「ゲッターに魅入られし者」という脚本家の日本語大間違いながらおそらくゲッター線にハァハァしてる人認定(そんな設定はOVAのオリジナル設定にさえ存在しないが、ファン界隈のwikiではそういうパリピ編集をされるようになって久しいようである)で、上位存在的な御都合パワーに「選ばれてない」、戦闘中の理性的、まともな判断担当にして基本新ゲッター由来の「ブレーキ」「安全弁」。つまるところ、その超パワーのおこぼれにあずかる格好の下位存在化、友という名の手下、目下。

そして武蔵に至っては新ゲッター由来の「ブレーキ」でさえない、「前者二名には並ぶこともできないミソッカス」を自認、発言させられた上で「仲間を思う心だけは誰にも負けない」その思いのたけを込めて死ぬことで野性と理性がようやくはじめて和解共存可能になるというとんだ感動ポルノ、「死ぬことによってようやく価値ある存在になる」かのごとき最下位のコマ、パーツ、けなげな奴隷扱いである。

なお原作。この局面でできる最大最善を考えただけで、自己の過小評価から生じた判断などではない。

これを魔獣戦線の慎一的な野獣と理性(愛、人として不可欠なもの)の合一に倣ったと仮定するにしては随分な人間性否定理性sageであるし、手術失敗による異形化欠損、惨劇からのサバイバーが「奪われ、その穴を辛うじて塞いだ」設定を何故五体満足のでかい図体の大人で幼稚な和解のようなかたちでやる?なぜ彼らが個々に理性を持ちそれぞれが独立し自分の責任を持てた上で心を一つにできない?スパロボはゲッターロボを『バロム1』的な、「お前はこの巨人の構成要素だけ提供できればあとはどうでも」と解釈したのかもしれないが、あれだってあくまで「力」(体力→タフネス?)だ。個人の「野性」(と価値あるもののように称した暴力衝動)は個人個人が自制できなくてはいけないのがゲッターのみならずダイナミックヒーローでは?とは、デビルマンレディーでの自制心を失って暴力性と性欲まで交えた戦いの果てに描かれた失意の表情を思い出しもする。

またこれは「特別な存在」と「ブレーキ×2」にagesage仕分け、「身分差」をいきなり作られた、「三つの心などいらなかったのだ」と突然設定した新ゲッターの系譜でもあるだろう。これは生じ始めたレベルで終わる「友情」の陰でその実「仲間」を実質奴隷化している系譜でもある。(そもそもこの「野性」とは、野性--->爆発力<<クリティカル発生率<<<<<本来起きない奇跡が起きる唯一の条件ぐらいの無理矢理な翻訳というかジャブジャブ水増しの我田引水計算が発生している脚本、ありえない人間関係ではあるまいか)

それを「仲良し」「友情」「絆」のコーティングでごまかし、健全なコミュニティであるかのようにごまかすのは実のところ相手を尊ばないナアナアのただの「群れ」である、野生動物たちが「死なない」為に得た最低限の知恵である、つまりガクエン退屈男いうところのケダモノなのである。

キャラアイコンだけきれいにして、テキスト内容は随分と酷い事やってるね?と思うし、この章を見た知人の十代相互さんは「武蔵を、みんなを馬鹿にしている」とご立腹であるし、これは原作に通底するものでは全くないと思う。

(終わり)

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