生命科学にかかわる情報の選別の仕方

AKIRAです。
本日はちょっと違う角度からのお話。


情報とは本物からガセまでピンキリ

皆さんは、最近ワクチンのことやウイルスのことでいろいろな科学的な情報を手に入れることが多いと思います。
しかし、あまりにもいろんな情報がありすぎてどれをどれだけ信用していいかわからないときはありませんか?

特に、今ではmRNAワクチンのことだけではなく、ウイルスの起源についての話題や治療薬の効き目についての話まであります。
それらの情報の海からエッセンスを抽出することは、専門的なノウハウがない限り非常に困難であると言えるでしょう。

というわけで、本日の記事ではその圧倒的な情報量の中から生命科学の分野に限って、どうやって信憑性の高い情報を選別するか、その方法論について述べてみたいと思います。

生命科学

まず。
生命科学、という分野は、情報科学とは一線を画します
ここでややこしいのは、公衆衛生分野の情報は生命科学とは少し違う分野であるということなのです。

だから例えばですが、「感染者の推移を追ってみた」的な情報だと、生命科学ではなく公衆衛生学になります。
一方、「ウイルスの細胞内生活環(ウイルスが細胞に侵入してから出ていくまで)について調べました」という話は、生命科学です。

要は、数字のトレースで一から十まで話が済んでしまう情報は、生命科学から外れた専門分野になるのです。
ですので、ここではっきりと定義しておきたいのですが、生命科学とはすなわち、

「分子細胞生物学的、あるいは細胞生理学的な基礎知識をもとにして、細胞や組織、生体に与えられる生物学的な影響を、統計の知識を利用して解き明かしていく学問体系」

と定義します。

基準その1:前提条件のない情報は、信用に値しない

前提条件、とは前に私が記事にしたいわゆる「条件ありき」の話です。

例えば、「心臓作業心筋組織において~」とか「初代神経細胞において~」とかそういう条件が書かれていない記事、情報は注意した方がいいですね。
本来は、限られた条件の上でしか起こらない現象を、まるでどんな状況でも起こりうるかのように書いている情報は、いわゆる拡大解釈です。

もちろん、こんなのもダメです。
「最近話題の〇〇〇製剤!ついに臨床試験へ」

書き方としては、臨床試験が始まったかのように見える内容ですが、実際は前臨床だったり、試験管内の実験系での検証が済んだだけの場合があります。
もちろん、記事の中身を見て、「臨床試験第Ⅲ相段階」と書いていれば、それは大丈夫ですが、一番厄介なのは「薬物動態試験をやっている」という表現です。これは、臨床試験段階ではありません
非臨床の段階なので、大きな誤解を招くことになります。

ですので、そういった記事に釣られたりだまされたりするリスクを避けるためには、臨床試験のことをしっかりと理解しておく必要があるのかもしれません。(まあ、テレビのようなマスメディアがそんな公平な報道倫理をわきまえているとはとても思えませんが)

基準その2:論文を提示するだけして、中身について一切解説しない

これもまたマズイです。
専門家向けの情報サイトならいざ知らず、一般に向けた情報提供において、提示した論文の中身を一言も言及せず、「これでも読んどけ」といわんばかりに論文を投げつける輩の情報は、早々に切りましょう

下手をすると、論文を投げた本人が中身を全く理解していない可能性があります

基準その3:背景について一切語らない

これは、インフルエンサーに多いパターンなのですが、生命科学に精通していない、いわゆる情報だけを拡散する連中は、部分的な情報を切り貼りしてつぎはぎだらけの中身のない情報を提示してくる傾向にあります。

ただし、これについては条件つきで、様々な情報をただただ雑多に、エンターテイメントとして扱っているだけのものだと提示した本人としては「ただの都市伝説的なノリ」で提示していることもあります。
あるいは、「こういう情報もあるんだが」という意図で発信しているものについては場合によって情報を修正する必要性があります。
その場合は、受け取る側がどうとらえようと受け取り側のアンテナ次第ですが、「これこそ真理である」といわんばかりの大広告を貼る連中は要注意です

ワクチンに関する話でも同じようなパターンがあるのですが、彼らは「ワクチンの本来のコンセプト」を知らずしてそのメリット(と彼らが考えている)を拡散しています。
それをうのみにしてしまうと、「中和抗体を阿保みたいに誘導できるワクチンは優秀」なんていうトンデモ科学を信じてしまう羽目になりますのでご注意ください。

基準その4:存在否定説にこだわる

ウイルス非存在説がまさしくこの例なのですが、残念ながら時間の無駄と言わざるを得ません。
それを主張するのであれば、ウイルスに代わる存在の立証が必要になります

ただ、連中は「ウイルスの存在を示す証拠はない」なんていう論拠にこだわっているようで、そこを主張しても無駄だということを早く理解してほしいですね。
むしろ、ウイルス以外でそういう現象を引き起こせる存在の立証ができたら学説がひっくり返りますね。

あ、ちなみに細胞自身が引き起こす毒性はウイルスの引き起こす毒性とは全く別物なので、その手の主張は通りませんよ。

基準その5:主張の根拠を人にゆだねる

これが一番悪質ですかね。
まあ、はっきり言うと、「~が言ったから」でしょうか。
日本だと、「だってお医者さんが言ったんだもん」ですかね。

じゃあ、聞きますけど。
お医者さんは神様ですか?医者の言うことならトンデモ科学であろうと信用するのでしょうか?

まあ、一応?患者の治療をする権利を与えられている分、当然それ相応の責任が医者には存在するわけなのですが。
当然、扱っている医療製剤についての専門的な判断や知見を持っているであろう(・・・・)人たちだから、患者からしてみれば、信用することしかできないわけなのでしょう。

ただ。それとこれとは話が別です。
専門家が言ったからといって、判断の根拠にはならない。
なぜなら、専門家同士でも意見が食い違うことはままあるから

それなら、自身の良識に従って、専門家と呼ばれる人たちの発言のどの部分にどう思って意思決定をしたのかという考え方をした方が、100倍マシです
所詮どこまで行っても看板は看板以上の意味は持ちません。

とりあえずは以上

こんなところでしょうか。
今回は、「信用できないポイント」を軸に科学情報の取捨選択法について述べましたが、気が向いたら逆の「この性質をもった情報は仕入れたほうがいい」という視点の記事も書こうかと思います。

それでは。

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