「うるさい」と感じるのは、その人を知らないから #ソーシャルアパートメント
カフェで作業をしていると、ふと気が散る瞬間がある。
視界の端で、誰かが貧乏ゆすりをしていたり、
近くの席の人のタイピング音がやたら耳についたり。
「なんか気になる・・・」
でも、それがもし友人や知っている人だったら?
「まあ、あの人はそういうクセがあるしな」と、案外すんなり受け入れられる気がする。
むしろ、「集中してるな」と微笑ましく思えるかもしれない。
どうしてこうも違うんだろう?
きっと、「知らない人だから」なんじゃないかと思う。
「うるさい」の正体
自分はもともと、図書館や自習室のような「静かすぎる場所」が苦手だ。
逆に、カフェのように適度な雑音がある場所のほうが、作業がはかどる。
これは自分だけの話じゃない。
実際に、「適度な雑音が集中力を高める」という研究結果もあるらしい。
完全な静寂よりも、周囲の音が脳を適度に刺激し、創造性や思考の流れを促してくれる(たとえば、「コーヒーショップの環境音」を再現した“Coffitivity”というアプリもある)
つまり、音が「うるさい」か「心地いい」かは、その音の大きさが問題ではなく、
それに紐づく“意味”や“関係性”によって、大きく変わるんじゃないかと思った。
雑音が、安心に変わるとき
関わりのない人のクセや音は、ただの「ノイズ」になる。
でも、知っている人のものなら、「その人らしさ」として受け入れられる。
この感覚は、住まいの中でも同じように感じる。
夜、自分の部屋で過ごしていると、隣の部屋から生活音が聞こえてくることがある。
くしゃみの音、壁に何かが当たる音、上の階から響いてくる足音。
それが知らない人の音だったとき、
「うるさいなあ」「何時やと思ってんねん」とイライラしてしまう。
静かになるまで気になってしまうこともある。
でも、もしそれが知っている人だったら、
「ああ、帰ってきたんやな」
「今日も元気そうやな」
と、音の受け取り方がガラッと変わる。
気にならないどころか、安心感さえ生まれる。
シェアする暮らしで気づいたこと
昔から音に敏感なほうだった。
子どもの頃、深夜寝静まった頃に聞こえる、
暴走族や救急車のサイレンで目を覚ますことがあった。
だから最初は、他人の生活音がどうしても気になった。
でも、ゲストハウスでスタッフとして暮らした経験や、
介護付きシェアハウスでの暮らしの中で、認知症の人の徘徊や夜中のうめき声があっても、少しずつ、気にならなくなっていった。
それは、
顔を合わせて話す機会が増え、
その人の名前を知って、
何気ないやり取りが増えていったから。
その人の存在自体を知ることができたから。
気になっていた音が、無意識に許せるようになった。
同じ音が、まったく違って聞こえてくるようになった。
「関係性があるだけで、同じ音が心地よくなる」
それは、実際に暮らしをシェアするなかで得た、ちょっとした発見だった。
足音の向こうにある、安心
今、都市部では一人暮らしの人がどんどん増えていて、
アパートやマンションで、隣人の顔を知らないことも珍しくない。
でも、もしちょっとした挨拶や、何気ない立ち話があったとしたら?
その人の名前を知っているだけでも、生活音の感じ方はきっと変わると思う。
快適な住まいとは、「立地」や「周囲の静けさ」だけでつくられるものじゃない。
「安心できる関係性」もまた、快適さをかたちづくる大切な要素だと思う。
それを、ある日聞こえた足音ひとつから実感した。
