【せりふ三題噺】残り香をさがして|待っててね
第二西暦512年。ある夜、バスの中で彼女は新聞を広げていた。見出しは『桜の在来種、絶滅』。
彼女はため息をついて街路を見た。ホログラムでできた、永遠に散らない夜桜が夜の闇を彩っている。
この世界の色々なものが滅び、前時代以上に人々の暮らしは豊かになった。紙の本は絶滅。食糧生産は全て培養。建設や物流は機械が行い、医療や司法もAIが担っている。
バスを降り、行きつけの店へ向かう。店の看板は『前時代遺物・発掘屋』と書かれてある。
「いらっしゃい」
中に入ると、店主の男がいた。
「ほらよ、あんたが落札したブツだ」
そう言って男は小さなクリアケースを差し出した。中には桜の花びらでできた栞がある。かつてこの世界には押し花という手芸品があった。
「しかし桜は絶滅して、富裕層が培養株を独占しているのみ。紙の本が無いから栞なんて使い道なんて無いのに、あんたも物好きだな。その歳で骨董品集めが趣味とは」
よく言われることだ。彼女は胸の内でため息を吐いた。すると、陳列台に何かを見つけた。前時代のフィルムカメラだ。
「ねぇ、これも売り物?」
「ああ、だがその栞より数百倍は高いぞ」
そのフィルムカメラには『骨董品』のラベルと値段が書かれてあった。
第一西暦2000年代の遺跡が発見され、彼女はこの街に引っ越した。彼女を落胆させたのは、誰もこの遺跡に関心を示さないという現状だった。
皆古いものに見向きもしない。紙の本など非効率だと、桜など遺伝子工学でどうとでもなると、今あるものを進歩させることにしか興味が無い。
それが悪いことだとは言わない。立派なことだ。しかし、紙の本だって、前時代は人々に必要とされたから普及した。フィルムカメラも、人々に必要とされ、愛されたから広まった。確実に人の役に立った媒体なのだ。
古いものを捨てるだけがアップグレードではない。先人が築いた足跡を辿ることも進歩ではないか。
かつて桜は出会いと別れの象徴だった。家族や友人で写真を撮り、旅立った相手にその写真を送る文化があった。美しいではないか。
形骸化などさせない。廃らせはしない。たとえ現代人が忘れた風習だろうが、それが人の想いから生じたものである以上、やはり人が人を想う一つの形であるのだ。
彼女は名札の裏に押し花の栞を挟んだ。新しい名札を見ると、気持ちが引き締まる。それが美しければ、なおさらだ。
今は手が届かないフィルムカメラ。いつか手にして本来の使い方をしたい。君は、置物なんかじゃない。
「待っててね」
小さく呟いて、彼女は店を後にした。
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