【せりふ三題噺】終末世界と灯台守
列島も大陸も半分以上が海に沈み、海上プラント生活が主流になった。それから幾つかの世代交代の末、陸を知らない世代が当たり前になった。
「で、月面シェルターでの農業研究データが地上農業でも活かされるんですよ!」
月から帰ってきた後輩がグミをつまみながら言った。灯台守は、レンズを磨きながら耳だけ傾けていた。
「だとしても陸地は政府か富裕層の物だ。農業データを持ち帰ったって使い所が無いだろう。海上農業でもやれば有意義じゃないのか?」
灯台守の仕事は過酷である。小さな水上拠点に住む灯台守は、この小さな人工島の居場所が分かるよう、日中は毎日灯台のレンズやガラスの清掃、日が暮れる前に燃料を灯台最上部に補充し、夜通し消えぬよう守る。
孤独と、体力の限界との闘いである。精神の摩耗が灯台守の天敵である。だからこうして後輩が遊びに来てくれるのはありがたい。
「海上農業も確かに有用ですが、どうせ今だけですよ。観測記録によれば、今度は海が乾いて陸地まみれの環境になるって予測です。だからむしろ乾田栽培を進めるべきなんですよ!」
「その”予測”とやらは、地球水没の予測を外したろ」
「昔と今じゃ予測の精度が違いますよ!」
レンズの乾拭きを終え、油汚れを丹念に拭いていく。水平線まで広がる水面が白く波打って輝いている。
「先輩、地平線ってみたことあります?」
「映画くらい見たことある」
「実物の地平線っすよ!俺アメリカや欧州、中国の残存大地に行って本物の地平線見たんですよ!」
後輩の仕事は研究員だ。仕事柄、世界中を飛んでいるのは聞き及んでいる。
「で、感想は?」
「圧巻の一言に尽きます。いや、尽くしきれない!」
後輩は立ち上がり、両手を広げて、まるで劇場俳優よろしく大股でぐるりと歩き出した。
「この海水がすべて土か岩になったと想像してください!」
「土なんて見たことない」
「現在の天然の地表面積は1%も無い!それなのに我々は地平線を目にできる!なんとこの世界の広大なことか!たった1%未満を砕いて世界中に散りばめたそのひと欠片ですら、一望しきれない!」
乾いた布でレンズの溝に溜まる黒い汚れを落とす。目も指も疲れてきた。それを忘れるように、後輩の演説を傾聴する。
「広大な世界。その言葉の持つ重みが、何度も俺の中で更新される。世界の広さを知るだけで一生が足りなくなる!そして俺たちは、紛れもなくその一粒なんです!」
後輩は海に向かって恭しく一礼した。
地平線か。たしかに作り物の世界でしか見たことがない。しかし、どの絵画も映画も地平線は美しく描かれている。
「先輩、もし予測が当たって海が干上がったら、灯台守は食い扶持を失くしますよ」
後輩がこちらを振り返り、真摯な眼差しで言った。
「最後の船一隻が渡るまで、灯台守は火を守る。それが俺の仕事だ」
「先輩なら、そう言うと思いました」
後輩はグミのパックを差し出してきた。油汚れが付いていない小指と薬指で受け取る。甘いリンゴ味だ。
すると、雲行きが怪しくなった。キラキラした水面は太陽を遮られて濁り、風が冷たくなる。
時化だ。
「迎えの船が遅れそうだな。この天気じゃ電波も途切れるかもしれん。泊っていけ。傘を差して歩いて帰るわけにもいくまい」
「お、先輩。傘って陸上でしか使わない道具ですよ。海上プラントの住人は濡れるのなんて気にしませんからね」
グミが残した甘みが蘇る。
「灯台守は使うんだよ。雨合羽じゃあ燃料を雨から守れんからな」
時化た空が暗くなってきた。いつもより早めに点火しなければならない。
レンズはおよそ磨き終えた。
「せっかくだ。いいもの見せてやる」
灯台守はランタンの芯をハサミで真っすぐに切り揃え、マッチで火を点けた。温かい光がレンズの中で満ち、反射を繰り返して一方向へ伸びる。
回転装置を作動させ、その温もりを帯びた光は水平線への呼びかけを始める。
「食い扶持の話だが、俺は仕事柄、お前みたいにあちこち飛び回るのは性に合わん。しかし、一か所を守り続けるのは得意だ」
灯台守は傘を差し、後輩とともに階段を降りた。少し離れたところに居住室がある。
「乾田農業の話、一応だけ聞かせてもらおうか」
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