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【シロクマ文芸部】シャボン玉を飼うOL

 シャボン玉を飼い始めて半年になる。

 今年で35歳になる彼女は安い1LDKに住んでいる。趣味無し、恋人無し、一人暮らし。仕事は新卒入社で十年以上勤務していながら、昇進の見込みがない。
 
 仕事と生活のために時間と金をすり減らし、何のために生きているか分からない日々の中、シャボン玉と出会い、今に至る。

「ただいま」

 夜11時、彼女は帰宅した。翌朝6時には起きて出社しなければならない。

 シャボン玉は寝室にいた。直径30センチほどの薄明るい球体。緑や紫に反射する表面は油膜で覆われ、さながら液状の虹である。彼女がベッドに腰掛けると、シャボン玉は彼女の隣まで漂ってきた。

「また怒られちゃった。私どうしてこんなに仕事できないのかな」

 彼女はぽつりと零す。シャボン玉は答えも無視もせず、油膜をゆらゆらと揺らすばかりである。

「後輩が産休に入るの。その間の仕事を私がやることになって、今までより忙しくなる。その後輩は私が教育した子で、私より先に昇進して、その子がやってた業務の引継ぎの時、私が教わる立場になってた」

 荒れて白髪の混じった髪をほどきながら彼女は続けた。

「その子が結婚した相手、私の同期で、昔告白したの。そして、振られちゃった。その人は後輩に告白して、今結婚に至ってるわけ」

 彼女はスーツ姿のままベッドに横たわった。古びたアパートのやや黄ばんだ天井を見上げる。

「いつ”私の番”が来るの?私なにを目指して頑張ればいいの?私もう、限界だよ」

 彼女の声は震えていた。涙は既に枯れており、気持ちを吐き出すだけで手一杯だった。足に鋼の鎖でも巻き付いているかのように体が重く、目の周りは常にピクピクと痙攣している。

 シャボン玉がふわふわと寄ってきた。子供の頃、近所の友達とシャボン玉で遊んだことがある。シャボン玉が綺麗で、手に取ろうとしたら割れてしまった。そして友達は泣いてしまった。

 それ以来、彼女は臆病になっていた。壊れやすい物が怖い。目に見えない物ならなおさらだ。

 シャボン玉は宙に浮いたまま、床にも壁にも触れようとしない。今まで風に当てたこともない。シャボン玉の漂う姿を見ると癒されるのである。シャボン玉を拾ってからの半年間、ずっと共に過ごし、癒しを求めてきた。

 だが、ある時期から日に日に癒されなくなってきた。むしろ一緒にいることが苦痛になってきた。餌やトイレの世話、散歩が必要なわけではない。たまに小さいシャボン玉を食べさせればいい。しかし繊細に扱わないといけないこと、物や体の一部がぶつからないよう気を付けねばならないことなど、心労の面が大きいのである。

 もう、疲れたな。彼女は思い始めた。

「ねぇ、君、名前はあるの?」

 シャボン玉は答えない。

「どこか行きたいところは無いの?」

 シャボン玉は答えない。

「私と一緒にいて楽しい?つまらない?」

 シャボン玉は答えない。

 時計は夜12時に差し掛かろうとしていた。

「私、これからどうなるのかな……」

 その時、シャボン玉は音もたてず割れた。彼女は静かに驚き、シャボン玉の無くなった部屋の中で、じわじわと喪失感が胸の内に広がる。しかしすぐに、「ああ、少し楽になった」という思いに置き換わっていった。


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