【短編】ある兄弟の晩飯
「よう兄貴」
ある夜、玄関を開けて出てきた兄は、冷たくくたびれた目をしていた。夜に訪問したのは申し訳ないとはいえ、無言で睨むことはないだろうに。
「何の用だ、リョウ」
「今日、誕生日だろ」
リョウが兄にラッピングされたプレゼントを渡した。兄は目の色を変えず、そっと受け取る。
「着払いで送ればよかったろう」
「ありがとうも言えねぇのかよクソ兄貴」
「中身による」
そう言って兄はプレゼントを開けた。中には一冊の手帳。表紙と背表紙が板チョコの見た目をした、可愛げのある一冊だ。
「二度とふざけた物を送るな」
「ストロベリーチョコが良かったか?」
手帳を突き返そうとする兄の手を、リョウは掴んで止める。
「聞いたぜ兄貴、嫁さんが出て行ったってな」
「そういうお前も、また仕事をクビになったそうだな」
兄はリョウの手を振り払い、冷たく睨む。
「兄貴、良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースは、あんたがろくに飯を食えてなさそうに見えることだ。悪いニュースは、俺が料理が得意だってことだ」
兄はため息を吐き、顎で入室を促した。
兄が稼いで借りた高級マンションの一室は整理整頓されていた。しかし、新しい散らかりが目に付く、まるで、片付ける人が最近いなくなったようだ。
冷蔵庫の中は新鮮な野菜と高級肉、玉子や醤油に至るまで高価な食材ばかりだ。
「いい暮らししやがって」
「文句があるなら帰れ」
「はいはい、飯食ったら帰りますよ」
国産コシヒカリの米袋の、半分ほど残っているものが床にある。炊飯器には2合ほど炊かれているのが、冷たく残っていた。色と匂いに問題は無い。
玉ねぎ、ベーコン、エビ、玉子を台所に並べ、フライパンに油をひいて熱する。刻み青ネギの冷凍があったので、電子レンジで解凍する。
「辞めたのは清掃の仕事だったか?」
「それは前の前の仕事だ。今回はコンビニだよ」
「なんで辞めたんだ。次の仕事のアテはあるのか?」
「うるせぇなあ。嫁さんが出て行った理由教えてくれたら言ってやるよ」
兄は黙った。居心地の悪そうに、ソファに腰掛けている。
「その手帳、チョコの香りついてんだぜ。すげぇだろ」
「うるさい。こんなもの使いたくない」
「じゃあ早く使い切って捨てろよ。兄貴メモとるの得意だろ。ガキの頃から」
そう言うと兄は黙った。
スマホもパソコンも無い子供時代、幼い二人の知的好奇心はメモ帳を常に満たした。
見たことのない虫、テレビで見た驚き情報、学校の秘密。リョウと兄は見知ったことをメモにとり、毎日の終わりに共有して楽しんでいた。
兄は物知りで、子供の頃から言葉を多く知っていた。だからメモをとるのが早く正確だった。
リョウは感性が機敏だが語彙力が低く、絵を描いて残していた。
それでもページの消耗が早いのは、いつも兄だった。
「できたぞ、真夜中チャーハンおまちど」
底の深い皿に盛られたチャーハンが二人前、リョウと兄がいただきますをして蓮華をとる。
「仕事人間の俺に愛想を尽かしたんだとさ」
「……へぇ」
兄がぽつりと零し、リョウは素っ気なく返す。兄弟二人きりの晩飯、言葉よりも空気で会話しているようだった。
「お前がくれた板チョコの手帳、あれを見せたら嫁が喜びそうだと思ってしまった。もう遅いのに。俺ももう少し、お前に似たらよかったのにな」
「俺は、兄貴に似たいと思ったことは無いぜ」
「だろうな」
兄は何でも知っていて、いろんなことに気付いて、世界の機微を教えてくれて、困った時はいつも助けてくれた。
あんたに近づけるわけない。あんたに貰った恩を分割でも返せるとは思えない。だから俺は俺なりの生き方をする。そう思って、自分の世界を信じた。
そのせいで、無意識に兄を遠ざけてしまった。
「美味いな、このチャーハン」
兄がぽつりと言った。皮肉でも言い返そうと思ったが、リョウは何も言えなかった。
「なぁ兄貴、仕事探すの手伝ってよ」
兄がちらりとこちらを見る。「自分で探せ」とでも言われると思ったが、そうはならなかった。
「じゃあコンビニを辞めた理由を言え」
蓮華でエビを食べながら兄は言った。
「遅刻しまくって怒られた」
兄が咳き込んだ。
「相変わらずだな、馬鹿」
うるせえよ。軽く言ったが、兄の顔は呆れと懐古が混じっていた。
「リョウ、良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースは、俺は生活費が一人分浮いたことだ。悪いニュースは、当面の仕送りを必要とする弟がいることだ」
「要らねぇよクソ兄貴」
「じゃあどうやって家賃を払う?安心しろ、貸しにしてやる」
「クソ、ぜってぇ仕事見つけてやる」
リョウはチャーハンを大口で掻き込んだ。兄の口角から目を逸らしながら。
