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ヴァン・ダイク・パークス "ディスカヴァー・アメリカ"を勉強する〜Jack Palance (4)

 では、「Jack Palance (Early Version)」を聴きながら、じっくり歌詞を見ていこう。

なんてこったい、なんと恥ずかしい話だろう
誰が悪いのか、俺にはわかんねえけど
年増の女たちがディスコで
たった1シリング稼ぐためにウロウロしてやがる
若い女の邪魔すんな
もう引退してくれよ
ヨボヨボすぎるぜ
キャロラインやジョセフィン
信じてくれ、あいつら50歳を超えてるんだぜ
疑いの余地なく
あいつらは俺の婆ちゃんだと言える年齢
それでも夜中にふらついてやがる
まるでジャック・パランスみたいな顔をして
どっか行けよ! 邪魔すんな!
さっさとどいて、若い女にチャンスを譲れよ
俺は経験じゃなくて若さが欲しいんだ!

去年のカーニバルのことだ
大聖堂の前でよ
タンティ・ミルドレッドがすまして立ってた
俺は物乞いだと思ったんだ
だからミルドレッドに
「おばさん、パンでも買いな」って
1シリング投げた
そしたら、あいつ振り返って
腰に手を当てやがって
その場でめちゃくちゃに
俺を怒鳴り散らしてきたんだ
おい、言っておくがよ……
あのおばさんを見ろよ、兄弟
もう50歳は超えてるぜ
疑いの余地なく
俺の婆ちゃんって言えるくらいの年齢なんだ
それでも夜中にふらついてる
まるでジャック・パランスみたいな
皺だらけの顔で
どっか行けよ! 邪魔するな!
さっさと引退して、若い女にチャンスをくれ
俺は経験じゃなくて若さが欲しいんだ!

親友とディスコで酒を飲んでたんだ
週末を過ごしに来た友達なんだけどよ
振り返ったら、誰だと思う?
俺の家族の一人がいたんだ
「うわっ!」って叫んだんだ
「ママ・ジェイコブ! ディスコでいったい何やってんの?」
その瞬間、ロックンロールが流れ始めた
そしたらあいつはアメリカ男と
くっついて踊りだした
おい、言っておくがよ……
あのおばさんを見ろよ、兄弟
疑いの余地なく
あいつらは俺の祖母だって言えるくらいだ
それでも夜中にふらついてる
まるでジャック・パランスみたいに
干しブドウみたいな顔をして
どっか行けよ! どいてくれ!
若い女たちにチャンスをくれよ
そう、俺は経験じゃなくて若さが欲しいんだ!

こないだ俺はこんな面白いことを思いついた
政府はマジで50歳以上の女をディスコに入れるべからず、って法律を作るべきだ
なあ兄弟、俺の忠告を聞けよ
これじゃいずれディスコはガラガラになるぜ
だからあいつらを放っておけ
怒んなさんな
酔っ払ったアメリカ男は年齢なんて気にしねぇんだからよ
おい、言っておくが……
24歳だろうと、25歳だろうと
80歳だろうと関係ない
酔っ払ったアメリカ男は関係ねぇだろうよ
スコッチソーダを飲んでりゃ
どんな年寄りだろうとおかまいなし
アメリカの男が望むものを手に入れりゃ
それでいいんだからよ

Mighty Sparrow "Jack Parance"(Early Version)

 歌詞は基本的に「Give The Youngsters A Chance」を踏襲する展開で、Bandcampのコメントにあったとおり「再録音」といった感じだ。

 ただ、よく読むと、『ディスカヴァー・アメリカ』収録の音源では「60歳は超えてる」と歌われていたはずのママ・ジェイコブが、「50歳は超えてる(more then fifty)」と微妙に変わっている。

 しかし、先に録音されたはずの「Give The Youngsters〜」は「60代は……(more then sixty)と歌っているので、訳が分からない。演奏はともかく、歌に関しては同一のテイクではない可能性が高くなってしまった。

 これに気がついた時は、せっかくの発見が無駄になるかも、と、かなり動揺したのだが、配信された「Jack Palance(Early Version)」と同じレコード番号のSP盤で、『ディスカヴァー・アメリカ』に入っている「60代(Sixty)」ヴァージョンもあるそうだ。*1

 ただ、これ以上の深堀りは困難と判断し、この点については、後続の研究によって明らかにされることを期待する。

*1 細野晴臣『Daisy Holiday!』2025年9月7日放送より。


悪漢と英雄

Jack Palance as Harlan "Mountain" McClintock from "PLAYHOUSE 90"

 ジャック・パランス(本名 Volodymyr Palahniuk)は1919年、ペンシルベニア州の炭鉱町ラティマーで、ウクライナ移民の家庭に生まれた。

 父は炭鉱夫。パランスも少年時代から鉱山で働き、肉体労働の厳しさを体験した。そして、体格の良さと運動能力を見込まれて、アメリカン・フットボールを始め、奨学金をもらってノースカロライナ大学に進学したが、あまりにも商業化された競技環境に失望して、2年で退学。その後、「ジャック・ブラッソ」のリングネームでプロボクサーに転身し、鍛え上げられた肉体と持ち前の打たれ強さで戦歴を重ねた。

 しかし、第二次世界大戦中、搭乗していた爆撃機が訓練中に火事を起こし、頭部や顔面にひどい火傷を負った。その際に受けた手術の影響で、特徴的な高い頬骨や鋭い表情が形成された、と言われている。*2

*2───火傷は事実として、整形手術で人相が変わったというのは、映画会社が宣伝のために捏造した逸話だという説もある。

 復員後はスタンフォード大学に進学して、演劇と出会った。1947年にブロードウェイでデビュー。『欲望という名の電車』でマーロン・ブランドの代役を務めたことがきっかけとなり、映画界への扉が開かれた。『欲望という名の電車』の演出家だった恩師、エリア・カザンの『暗黒の恐怖』(1950年)で映画デビュー。続く『突然の恐怖』(1952年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、1953年の『シェーン』で冷酷なガンマン、ジャック・ウィルソンを演じた。厳しい生い立ちと戦争で負った傷跡、舞台で培った表現力が結びつき、「悪役スター」として不動の地位を築いたのである。


 ここで疑問に思うのは、どうしてジャック・パランスが引き合いに出されたのか、という点。

 もちろん、歌のモチーフとなった女性たちの顔が、本当にパランスそっくりだった───という単純な理由かもしれない。VDPが原曲から切り出した1分程の短い引用だけなら、そんな推測でも納得できた。

 ところが歌詞全体を読むと、他の年増女たちもまとめて「ジャック・パランスの顔」というスパロウのからかいのターゲットになっている。全員が同じような顔つきをしていた、というのは、やはり理由として考えにくい。

 もう一つ思うのは、パランスと同時代に活躍した他の悪役スターたち……リー・ヴァン・クリーフやジャック・イーラムでは、なぜダメだったのだろうか。パランスを引き合いにしたのは、他にもっと特別な意味が潜んでいるのではないか?

 映画『シェーン』でジャック・パランスが演じた殺し屋、ジャック・ウィルソン。傲慢な牧場主ライカーの手先となり、彼と敵対する開拓者たちを暴力で制圧しようとした(そして開拓者の味方だったシェーンにあっけなく返り討ちにされる)。彼こそ、ハリウッドが世界中に輸出した、不遜で、暴力的で、計算高く、しかし、抗いがたい魅力を持つ〈アメリカン・バッドアス(American Badass)〉の先駆的存在だった。

 とりわけトリニダードの観客にとって、ジャック・ウィルソンは単なる悪役ではなかった。歴史の中で姿形を変えて何度も島に現れる「抗いがたい力」の最新ヴァージョンだったからだ。爬虫類のようなパランスの微笑には、奴隷船の船長の冷酷な眼差し、プランテーションの監督官が振るう鞭、そして米兵たちの我が物顔が重なって見えたに違いない。

 スパロウが「Jack Palance」をリリースしたのが1956年で、『シェーン』の公開は1953年。映画館のスクリーンで観たジャック・ウィルソンは、島民たちの記憶にまだ鮮烈に焼き付いていたはずだ。

 そうなるとこの歌は「Lee Van Cleef」や「Jack Elam」ではなく、「Jack Palance」でなければ、サマにならなかっただろう。


 テレビドラマに押され、アメリカで西部物の映画が人気に翳りを見せ始めると、多くの俳優たちが海をわたってイタリアに行き、ソード&サンダルと呼ばれる歴史スペクタクル映画やマカロニ・ウエスタンに出演した。

 パランスもその流れに追随したが、娯楽作と並行して、ヨーロッパの最も先鋭的な芸術映画にも顔を出した。最たる例が、ヌーヴェルヴァーグの旗手ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』(1963年)だった。

 パランスが演じたのは、傍若無人なアメリカ人の映画プロデューサー。芸術性を追求するドイツ出身の老監督(フリッツ・ラングが本人役で出演)に対し、「もっと大衆受けを」と商業主義を押し付けるその役柄は、まさにハリウッド黄金時代を生き、アメリカを体現する存在としてのパランス自身を、挑発的に映し出した鏡のような役割だった。

『軽蔑』の撮影風景。左からミシェル・ピッコリ、フリッツ・ラング、パランス、ゴダール。

 即興演出を信条とするゴダールと、徹底した役作りを求めるパランスはしばしば衝突し、撮影時は相当な緊張関係だったという。しかし、『軽蔑』での演技は、結果的に悪役のイメージから彼を解放する転機となった。*3

*3───ひさしぶりに『軽蔑』を再見して気づいたのだが、気高く美しい女優カミーユ(ブリジット・バルドー)が、脚本家である恋人や映画界そのものに見切りをつけ、「元のタイピストに戻る」と決意し、プロデューサー(パランス)の車でローマに帰ろうとする。だが、その途中、交通事故を起こして、二人はあっけなく死んでしまう。独立した人生を歩もうと決意し、アメリカ人の手助けを受けるが、結局、不本意な結果に終わる───この図式はスパロウが「Jack Palance」で描いた物語にどことなく通じるものがある。

 アメリカに戻ったパランスは、B級映画からテレビドラマまで仕事を選ばず出演している。
 晩年のインタビューでは「自分がやってきた仕事のほとんどはゴミ」と言い放ち、組んだ監督たちについても「交通整理すらできないような連中ばかり」「俺は最高の演技をするだけ。あいつらがもっと良い方法があるとか提案してきたって、俺には関係ない」と切り捨てた。

 しかし、『バグダッド・カフェ』のヒットで再び脚光を浴び、1991年に『シティ・スリッカーズ』の演技が認められて、73歳にして初めてのオスカーを手にする。そして、2006年に老衰で亡くなるまで、俳優としてコンスタントに活動した。


 最後のまとめとして、VDPがスパロウの「Jack Palance」をまんま収録した意味を、もう一度整理し、考えてみたい。

 スパロウは一貫して民衆の側に立ったシェーンのような英雄であり、社会の欺瞞や軋轢を暴く尖鋭的な批評家であり、歌声で大衆を魅了する「カリプソの王」だった。彼のようなカリプソニアンにとって、音楽とは娯楽であると同時に、民衆の敵を撃つ言葉の銃でもあった。

 また、この時期のトリニダードの社会や政治状況のことも踏まえなくてはならないだろう。

 のちに初代トリニダード・トバゴ共和国首相に就任するエリック・ウィリアムズが、政党PNM(People's National Movement)を結成したのが1956年───まさに「Jack Palance」が吹き込まれた年だった。トリニダードの人々が『シェーン』に出てくる開拓民のごとく、内なる闘志に火をつけ、自らの尊厳とアイデンティティを取り戻そうとする、激しい闘争の端緒になった年だ。

 でも、スパロウは米兵を直接叩くのではなく、彼らに屈服し、魂を売ったかのように振る舞っている同胞たちを「ジャック・パランスのような顔」と切って捨てた。外部からの脅威ではなく、〝悪漢〟の言いなりになり、その力に屈している弱々しい自分たちへの自虐的ユーモアと、痛烈な自己批判をこの比喩に込めたのだ。


 スパロウのような批評的視座をもって、「Jack Palance」に向き合うとき、『ディスカヴァー・アメリカ』冒頭に置かれたスクラッチノイズまみれのカリプソは別の顔を見せ始める。VDPは、異文化を無菌的にスタジオに持ち込むこと、そして、西洋のリスナー向きのクリアで安全な音像に改変すること、生粋のアメリカ人である自分の声でアメリカの社会的占領について歌うこと───これらをいずれも拒んだ。

 そのかわり彼は、1950年代にトリニダードで生まれたSP盤のざわめきごと、生々しいファウンド・サウンド(拾得物)としてアルバム冒頭に収録した。アメリカを「外側」から響く声によって見つめ直すための、極めてラディカルな試みだと言えるが、当時ハタチそこそこのぼくは、そこまで聞き取る力を持ち合わせていなかった。

 しかし、この大胆な引用を通して、VDPは力強く宣言しているのだ。

 もし、あなたがアメリカを真に「発見」したいのであれば、まずはその栄光の影で踏みつけられ、搾取され、それでもなお尊厳を失わずに声を上げ続けた人々の歌に耳を傾けよ、と。そうでなければ、自己矛盾に満ちたアメリカの内部へ分け入る資格はない、と。

 ようやく今、ぼくの中でさまざまなものが結びつき始める───1989年に渋谷の映画館で出会った、華やかなハリウッドの亡霊としてのジャック・パランスと、中古レコードの中から出現した帝国アメリカのメタファーとしてのジャック・パランスが、『ディスカヴァー・アメリカ』ついてより深く学ぶことによって結びついたように。

 VDPのガイドで出発した旅はまだ始まったばかり。次なるパートでも、さらに複雑な内部へ分け入ることになり、そこにはまた別のかたちで引き裂かれたアメリカの、新たな物語が待ち受けているだろう。

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