【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第4章 ④ 決断
ネットの恩恵など、この時代は空気のように当たり前であって、それがない世界など結依には想像もつかない。
母の旧姓である「徳田」と「放火」で検索をかけると、あっさり当時の事件の詳細を解説する記事がいくつも現れた。その発生した地名から『大森放火事件』と名付けられているようだ。
その内容は、岡崎に聞いたものとほとんど変わりはなかった。
1999年のクリスマスイブに起きた放火事件。被害者は一家の母親である徳田美里さん(32)。父親の吾郎さん(35)と長女の純江ちゃん(9)は、不在で無事。次女の沙和子ちゃん(5)は、母親が窓から放り投げ、庭に待機していた近隣住民によって助けられた。犯人は逮捕されておらず、未解決事件となっている……。
だが、岡崎が触れていなかったこともあった。
まずこういう事件の定石として、夫のアリバイが検証された。だが夫の出張は間違いなく、アリバイも盤石だった。夫婦仲も良く、隠れた不倫などの話は一切浮かばない。一方長女の方も、泊まりで友人宅のクリスマスパーティーに参加していることが、当の友人宅から証言されている。
火元は家の中ではなく、玄関先に置かれた廃品回収のための新聞紙の束であった疑いが持たれていた。また通行人によると、事件前に新聞紙の上へ何か箱のようなものが置かれていたとの証言もあり、あるいはそれが発火装置では、との見方もある。
ただ一家は非常に温厚で善良な家族として知られ、怨恨路線は考えにくい。従って窃盗目的で侵入した犯人が家人に見つかったために放火した可能性もあるが、現場は全焼しており窃盗の被害については正確に判らない。あるいは怨恨や窃盗とは関係のない、愉快犯の可能性も捨てられない……。
ネットで検索を進めるうちに、結依はいつの間にか奥歯を強く噛みしめていた。知らず知らずのうちに涙が頬をつたい、音もなく雫が机に落ちていく。
「お母さん……」
結依は涙に震える声で何度も呟いた。それしか言葉が出てこなかった。
父子家庭となった母・沙和子の子供時代については、ほとんど聞いたことがなかった。その昔は父娘三人で富山に住んでいたと聞いたが、母が東京に出てからは祖父の足が悪いとかで、滅多なことで親族が東京に来ることはなかった。まして結依たちの家族が富山へ足を運んだことは一度もない。
それも考えてみればおかしな話だが、「お祖父ちゃんは体が悪くてね」という両親の言葉を、当時の結依は何の疑いもなく信じ込んでいた。ただ結依や兄の大樹の入学だの卒業だのといった節目には、必ず富山の祖父からお祝いの金封が届いたものだ。
だが今から考えてみると、それも何やら人目を憚るようにそっと母から渡された記憶がある。内緒とまではいかないが、あまり大っぴらにはできない雰囲気があったことは確かだ。
もしかしたら母方の実家に関わることが、あの家ではあまり歓迎されていなかったのかもしれない――いや、妻方か。
結依は、先日の岡崎との会話を振り返った。
母・沙和子の遺骨を取り出して、改めて海に散骨したいと告げると、岡崎は驚いたようにしばらく声を失った。
「通常のお骨の管理という範囲で、墓石の下にある納骨棺……カロートと言いますが、そこから骨壺を取り出すことはあります。できれば定期的にお掃除するのが理想なので。それ以外にもご遺族の都合でお墓の引っ越しがあったり、お墓が破損して修理が必要だったりという理由で、お骨を取り出すことはなくもないのですが……」
戸惑う岡崎に訴えかけるように、結依は言葉を重ねた。
「子供の頃にそんなひどい目に遭って、そのせいで火が怖いから火葬じゃなく水火葬にしたい、という母の願いは、もう叶えてあげられません。でも亡くなってまであの家に縛られてなきゃいけないのは、やっぱり母が可哀想だと思うんです。母自身、できればお墓に入りたくないと言ってたわけですし、それなら今からでも叶えてあげられるんじゃないでしょうか」
そうしなきゃいけない気がするんです、と結依が付け加えると、岡崎は静かに息を吐いた。
この寺での納骨は個人ごとに小さな骨壺に収められているため、物理的には取り出すことが可能ではある、と岡崎は慎重に話し始めた。
「もちろん骨壺に名前が書いてあるわけではないですが、基本的に奥から順番に置きますから、いちばん手前の新しい骨壺が沙和子さんのもの、ということになります。ですが……」
岡崎はにわかに言葉を濁した。
「ご事情を聞けば、結依さんのお気持ちは私にも痛いほどに判ります。何しろ私自身も沙和子さんから直接お心を伺ったわけですし、そのお約束が守れなかったことも心残りではあります。しかし残念ながら、現在の鈴村家のご当主はお父様の晃雄さんです。その方の許可なくお墓を開けるということは、いかに私が僧職にあろうとも許されることではありません」
静かだがきっぱりとした岡崎の口調に、結依は言葉もなく首を垂れた。
「妥当な考えを申し上げればここはひとまず我慢をなさって、縁起の悪い話で恐縮ですが、いずれ代が変わられた時に……というのが穏当な手段かと思います」
だが結依は強く首を振った。とてもそこまで待ってはいられない。
「私が父に話してみます」
結依は力強く提案したつもりだったが、岡崎は渋い顔をして腕組みをした。
「確かにそれもひとつの手段ではありますが、果たして晃雄さんが何と仰るか。それで許可なさるのであれば、最初から納骨などされなかったでしょうし……もっともご当家の娘さんである結依さんが納骨棺を開けること自体は、問題がないとは思いますが……」
「構いません」
結依は正面から岡崎を見据えると、きっぱりと宣言した。
「岡崎さんの仰るとおり、あのお墓は父のものです。何をするにしても、まず父に話を通すのがスジかと思うので。ただ、もしも父が許可しないのであれば――その時はその時です」
岡崎はしばらく無言で結依の顔をじっと見つめていたが、やがて瞑目するとまたも静かに両手を合わせた。
「――御仏のお心のままに」
目を閉じたままの岡崎の口から、聞こえないほどかすかな呟きが洩れた。
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