【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第1章 ① 特権
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画面いっぱいに映し出された蒼い海の画像に、沙和子は小さく息を洩らした。
「どうした、沙和子。ため息なんかついて」
広いリビングにどっしりと鎮座したソファで寛いでいた夫の晃雄が、離れたところから声を掛けて寄こす。
「あ、いえ……最近このCM多いなあって……」
ソファから立ち上がって、どれどれと画面を覗き込んだ晃雄が呆れたように首を振った。
「ああ、これか。確かによく見るな。まあ国も必死なんだろうな。新しい制度を馴染ませるっていうのは、やっぱり抵抗ある人も多いから」
「――そうね」
沙和子が答えるともなく呟くと、晃雄はおかしそうに笑った。
「当たり前じゃないか。この国は長いこと亡くなったら火葬が主流だったんだから。まあ一部には土葬もあるかもしれないけど、基本は火葬だろ? それがいきなり遺体を薬品で溶かすなんて言われたら、みんな拒絶反応示したっておかしくないさ」
「でも、この “水火葬”って、今はかなり多いんでしょう? 最近は海還葬って言うのかしら。この前も何かの調査で、全体の6割を超えたって……」
晃雄は大した興味もなさそうに、再びソファへ戻った。
「6割か。けっこう多いもんだな。まあ数こそ増えたかもしれないけど、元々この国では、水火葬は貧乏人のやるものだったんだよ。貧乏人っていう言葉が悪いなら、庶民と言えばいいかな。それに最近じゃ、もう火葬ができる家なんて本当のごく一部に限られてるからね」
はっきりと優越感を漂わせた晃雄の口調に、沙和子はかすかに眉をひそめた。
水火葬がこの国で正式に採用されたのは、今から12年前の2040年だ。だが世界の動きはそれより早い。これまで多くの国で馴染みのあった火葬・土葬に代わって水火葬が台頭し始めたのは2030年代の半ばからだった。
だが水火葬の歴史自体は、実はかなり古い。遡ること数千年前、ハワイの先住民族が、すでに高温の火山水で行っていたのが祖とされている。
翻って現代では、すでに2020年頃には水酸化ナトリウムのような高アルカリ水溶液による水火葬が、アメリカ合衆国の約半数にあたる28州で合法化していた。ただその頃はあくまで火・土葬がメインであり、水火葬は知る人ぞ知る、あくまでマイナーな埋葬手段でしかなかった。
潮目が変わったのは、2030年代も後半に入ってからだ。
まず挙げられるのが、待ったなしの環境問題だった。元来、火葬における二酸化炭素の排出量は、1回につき240kgと言われていた。これは一般家庭の年間平均排出量の約1/10にあたる。
土葬は土葬で、遺体保全の薬品による土壌汚染が大きな問題となっていた。環境負荷問題が厳しく問われるにつれ、徐々に埋葬法も議論の俎上に挙げられるようになったのだ。
水火葬は、専用の機械で高アルカリの薬品を使って遺体を溶解する方式だ。大量の水は必要だが、それでも火葬の1/10のエネルギーで済むとされていた。
その研究は年々精度が上がり、2040年代に入る頃には、従来の処理では残ってしまう分解後の遺骨もすべて処理できるようになり、また溶解後に産生される有着色の無菌水も、ほぼ無色透明の水に戻るまでとなった。
その結果、無害になった “水” を海洋に還す、いわゆる『海還葬』が広がり始めたのである。
当然、その新しい埋葬法が実施され始めた頃は、国内で激しい拒絶反応が起きた。だが世界的な流れに後押しされた結果、我が国における火葬は、世界基準内のごくわずかの数しか実施できないようになった。そうなれば当然、火葬にかかる費用も右肩上がりになる。それでも新しく広まりつつある水火葬を拒否し、従来の火葬を望む人間は一定数存在する。
いつしか国内における火葬は、ごく一部の富裕層のみが享受できる特権的な埋葬法となっていった。
加えて日本では、墓に対する問題も紛糾していた。
2020年に起きた世界規模のパンデミックにより、従来の “常識” は一変した。葬儀の際、多くの参列者を呼ぶことが故人への何よりの供養とされてきた概念は、感染防止を最優先せざるを得ない現実の前に呆気なく崩れ去った。
ごくごく近い身内のみで送る『家族葬』にせざるを得なかったものの、「それもいいじゃないか」という空気が生まれ始るのに、さして時間はかからなかった。当初は感染対策のために余儀なくされた手段が、次第にこれまでの常識の意義や無駄に目を向けるきっかけとなったのは皮肉な話だった。
そして水火葬も同様の議論の流れを辿った。
現代の水火葬は故人の遺体のすべてを溶かし、最終的に自然界へと還すものだ。従って墓というものを必要としない。火葬を支持し、水火葬に強い抵抗感を持っていた団塊ジュニアの世代が次々と世を去ると、その下の世代はこれまでのような常識へのこだわりもない。居住地からはるか遠くの墓の世話など、日々の生活に必死の身にとって、優先度合いが著しく下がるのは必然の流れだった。
世話する者のいない墓は荒れていく。菩提寺が持ち主に連絡しようにも音信不通か、あるいは「任せるからいいようにやってくれ」と丸投げされるケースが激増した。墓の土地は基本、寺のものである。だがその上に建つ墓石とその遺骨は、遺族の固有資産だ。いくら “地主” と言えども、連絡がつかないからといって簡単に上物を取り除くわけにはいかない。
やがて宗教色を排した葬儀が多数を占めるようになると、寺や神社などの宗教施設の財政は逼迫を余儀なくされた。僧侶や神主といえども人間であり、日々の生活がある。加えて寺社の維持には途方もない金額がかかる。そうなると必然的に、今の時代にも墓を持ち続けていける、いわゆる太い檀家が最後の砦となる。
格差の広がる日本社会において、火葬は元よりその遺骨を墓地に埋葬できる人間はごく限られた数のみとなっていった。
沙和子は晃雄に合わせるように、慎重に言葉を選んで会話を続けた。
「……そうね。最近は火葬場もずいぶん少なくなったみたいだし、規模も小さくなっちゃったものね。昔はすごく大きくて、炉がずらっと並んでるのが怖くて……」
「いや、そういうことだけじゃなくてさ」
沙和子の言葉を遮るように、晃雄が口を挟んだ。
「もう火葬自体が特権というか、選ばれた国民しか享受できない恩恵なんだよ。逆に一般の人は、仮に火葬場が空いてたって申請すらできないんだから。火葬場のキャパがどうとかいう話じゃないんだ、根本は」
沙和子は、判ったわというように頷いておいた。夫の説明にはとにかく頷いておく方が面倒がないことを、改めて肝に銘じる。
「幸いうちはその一握りの中に入ってるわけだからね。さっきのようなCMとは無縁だよ。沙和子も心配しなくて大丈夫だから」
宥めるように笑いかける晃雄に、沙和子はかすかな違和感を覚えた。いや、違和感は自分の中にあるのか……。
「ええ……でもね、晃雄さん。私はその、何て言うか……必ずしも火葬じゃなきゃいけないとは思ってないの」
「何だって?」
沙和子の言葉に、晃雄は怪訝そうに眼を見開いた。
「さっきもちょっと言ったけど、私、子供の頃から火葬が怖いっていうか……ほら、小さい頃に……」
晃雄はああ、と納得したように頷くと、神妙な口調でぽつりと言った。
「そうだったね。君は火事でお母さんを亡くしてるんだもんな」
それは沙和子が、まだ小学校に上がる前のことだった。
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